ふりかえれば、フランス。

かつて住んでいたフランス。日本とは似ても似つかぬ国ですが、この国を鏡に日本を見ると、あら不思議、いろいろと見えてきます。

フランソワ・フィヨン来日。仏首相と日本とのある「絆」。

2011-10-24 21:36:08 | 政治
ソルボンヌの文明講座を受講していた折のこと。ある女性教師が語学担当になりました。脚を組んで、長いキセルでタバコを吸っているのが似合いそうな、懐かしのフランス女優といった趣がなきにしもあらずの女性でしたが、なぜか日本人に優しい・・・実は、息子さんのパートナーが日本人で、パティシエ目指して専門学校に通っていたのだそうです。その日本人女性が実習で作ったケーキを授業に持参して、生徒に配ったりしていました。

ある国とどこかで繋がっていると、より大きな関心をその国に持ったりすることがありますね。フランス、あるいはフランス語に興味を持つのにも、人それぞれの背景があることでしょう。昔見た映画、子どものころ読んだ本、夢中になったシャンソン、たまたま旅行に行って、近所にフランス人が住んでいて・・・

そして、政治家といえども、人間。同じようなことがあるようです。外交はさまざまな政治力学で動くのでしょうが、そこに個人的思い入れや関係が忍び込むことも、当然あるのでしょう。どこかの国に特に関心を持ったり、訪問回数が増えたり・・・例えば、シラク前大統領の日本贔屓。日本訪問回数は実に48回にのぼるとか。特に相撲への関心・造詣が深く、在任中は優勝力士に「フランス共和国杯」を授与していたほど。

しかし、代が替われば、対応も変わる。サルコジ大統領が訪問する先は、アジアでは中国へ。「フランス共和国杯」も廃止されたとか。そのサルコジ大統領に代わって、日本へやってくるのが、フィヨン首相。大統領でないため、日本のメディアの扱いは小さなものですが、首相就任後、今回で3回目の日本訪問です。そして、そこには日本との思わぬ関係がある・・・

来日の目的は、そして日本との「絆」とは・・・23日の『ル・フィガロ』(電子版)が伝えています。

灰色がかった海が空とひとつになっている。見渡す限りの海岸線。どこか荒涼とした雰囲気が漂う。木造の家々は今や跡形もなく、その跡にはクルマまで混じった瓦礫の山があるだけ。学校の校舎はまるでナイフで抉られたような状態・・・コンクリート製の建物と墓石だけが辛うじて倒れずに残っている。そぼ降る雨に、足元は泥の海と化した中、フランソワ・フィヨン(François Fillon)は石巻市を訪問した。港町・石巻は3月11日の地震と津波によって大きな被害を受けた。海岸線に押し寄せた津波の高さは14mにも達し、石巻だけで4,000人もの犠牲者が出た。2万人という全犠牲者の4分の1近くにもなる(5分の1かと思いますが、細かな数字には拘泥しないのがフランス式です)。

フィヨン首相は瓦礫の中を歩き、犠牲者に捧げられた記念碑の前で献花した。記念碑といっても木の板があるだけだが、そこには“Courage, tenez bon”(実際には、「がんばろう!石巻」)と書かれている。「G20について会談するために日本にやって来ましたが、ここ、石巻を訪問しないわけには行きません。地震の被害を最もひどく受けた地域の一つなのですから。」石巻で復旧・復興の支援を行っている在日フランス人ボランティアと会った後で、フィヨン首相はこのように語っている。さらに続けて、「ジャズピアニストをやっている弟が日本人ミュージシャンと結婚しているだけに、いっそう大きな関心を持って、この災害についてフォローしています。時は過ぎゆき、新たな課題が次々と出てきますが、ここには苦悩があります。災害から立ち上がる、その困難さはいつも同じです」と語り、災害にあった日本への支援を継続することが重要だと述べている。

*フィヨン首相は1954年3月4日生まれ。母親は歴史の教師で、父親は公証人。Pierre、Dominique、Arnaudと3人の弟がいましたが、末弟のアルノーは18歳で交通事故死。二男のピエールは、故郷、ル・マンで歯科医、そして三男のドミニクがジャズのピアニスト・作曲家となり、奥さんが日本人。ドミニク・フィヨンの演奏は、日本でもCDが発売されており、聞くことができます(もちろん、YouTubeでも。Dominique Fillonで検索してみてください)。昨年夏、2枚目のソロ・アルバム、“americas”がリリースされました。なお、「ピアノの貴公子」とも言われているそうです。

ヨーロッパ・エコロジー緑の党の大統領選候補者、エヴァ・ジョリー(Eva Joly)も最近、石巻から100kmほどの福島を訪れているが(エコロジストは、反原発の立場です)、フィヨン首相は、フランスの原子力複合企業・“Areva”は事故にあった原発の核廃棄物の処理に協力する用意がある、と語っている。日本政府の決定次第だが。「いずれの国家も、エネルギー政策を自由に選べる権利がある。エネルギーにはもちろん原子力エネルギーも含まれているが、原子力は安定供給、経済性、温暖化ガス排出への取り組みといった点で優れている」と、読売新聞とのインタビューで述べている。

フィヨン首相は日曜日に、日本の首相“Yoshihiki Noda”と会って(野田首相、Yoshihikoですが、細かな点に拘らないのがフランス流、しかも、日本の首相は毎年替わっていますから・・・)、G20と原子力について意見を交換した。これでフィヨン首相の今回の短い韓国・日本訪問は終了となるが、もちろん、サルコジ大統領同意の上での訪問だと首相府は説明している。

フィヨン首相の両国訪問にはもう一つ目的がある。23日のユーロ圏首脳会議を前に、ユーロの危機が世界経済に及ぼす影響を危惧するアジアの投資家たちを安心させることだ。フィヨン首相は金曜の夜、ソウルでごくわずかな随行員であるマリアニ(Thierry Mariani)エネルギー担当大臣、クルシアル(Edouard Courtial)在外フランス人担当大臣、下院議員で前労相のエリック・ヴェルト(Erib Woerth)と会食をした際、ユーロ圏への懸念を述べていた。「フィヨン首相は、どれかの帽子から見事な解決策が出てくることを期待しているのだが、問題はどの帽子から出てくるか分からないということだ、と語っていた」と、三人の中の一人が打ち明けてくれた。

東京で在日フランス人を前に、フィヨン首相は、「ヨーロッパは今、困難に直面している」と言いつつも、楽観的であるかのように振舞っていた。「60年来のプロジェクトである欧州統合は、ソブリン債問題で危機に瀕している。今ほど政治的決断が求められることはない」と述べ、大統領選へのサルコジ大統領の正式な立候補を暗示した。「ユーロのお陰でEUは統一が保たれている。ヨーロッパは重くのしかかっている障害を、G20の前に取り除くことができるだろう」と語るとともに、改革の成果を次のように強調した。「フランスの予算への信認は世界で最も高いレベルの一つだ。それは、我々の改革と規律がもたらしたものだ。」そして、大統領選へ向けての基本テーマを述べた。「考え得る方策を総動員して至上命題に答える。つまり、フランス人を守れ、という課題だ。」

豪華な駐日大使公邸で在日フランス人たちと歓談したフィヨン首相は、自らの記録に言及した。2007年以来、これで3回目の日本訪問だ。すると、まだ終わりじゃない、という声が会場から起こった。「そればかりは、確かじゃないが」とにこやかに答え、フィヨン首相は2012年以降を匂わせた。パリに戻れば、現実の政治が待っている。特に、来年の下院議員選挙でのパリからの立候補や2014年のパリ市長選への立候補がフランス政界で波紋を呼んでいる。与党・UMPのジャン=フランソワ・コペ(Jean-François Copé)幹事長は地方選での敗北を受け、パリの議員団の間に秩序を再構築したいと、パリ選出の議員たちと会談を持った。「コペはフィヨンの勢力を衰えさせるために、下院議員選でのパリからの立候補を焚き付けておいて、その後で批判を展開するという、いわばマッチポンプを行っているようなものだ」と、フィヨン首相の支持者は、現状を憂えている。2012年以後は、すでに始まっている。

・・・ということで、フィヨン首相の義理の妹さんが日本人。日本に何となく関心、愛着があるのでしょう。首相就任4年半で3回の訪日。これが頻度として多いのかどうか、はっきりとはしませんが、アジアの他の国々への訪問よりは多いのでしょうね。自ら3回目を強調しているくらいですから。

フランス政界と日本人とのつながりは、他にもあります。例えば、極右、国民戦線(FN)の重鎮、ブリュノ・ゴルニシュ(Bruno Gollnisch)。国立東洋言語文化研究所で日本語を学び、1974年には京大に留学。政界入り後は、ジャン=マリ・ルペンの右腕としてFNの副党首を務め、現在は、欧州議会議員とローヌ・アルプ地域圏議会議員を兼職。夫人は、日本人。

日本に関心を持ってくれる人が、外国の政界にも増えることは、国際化の時代、日本にとって良いことではないでしょうか。日本に留学している学生や、ワーキング・ホリデイなどで日本に住んでいる人たちの中から、やがて母国で政治家として活躍する人も出てくるかもしれません。こうした「絆」、大切にしたいものです。

そして、外国との「絆」のある政治家が、日本でもさらに増えるといいですね。親のコネで遊学したという世襲議員は多いようですが、自分の足で海外を歩いてきた人が政界にさらに増えてほしいものです。親のコネより世界とのコネ。民間企業はこの点をさらに明確に認識して、入社前に留学させるなど、外国人とのコネづくりにいっそう真剣に取り組み始めています。政界でも、ぜひ。記念撮影の際、端や後列にポツンと佇んでいないで済むように、ぜひとも多くの「国際的絆」を持ってほしいものです。
コメント (2)
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