“Les Quatre Cents Coups”(『大人は判ってくれない』)と言えば、ヌーヴェルバーグの旗手としてトリュフォー(François Truffaut)監督の名を一躍有名にした1959年公開の作品。カンヌ国際映画祭で監督賞を受賞しています。監督の幼少期の自伝的色彩の濃い内容で、大人たちが判ろうとしない子どもたちの心の中が描かれています。
もう一作品、“Jeux interdits”(『禁じられた遊び』)も、親の心、子知らず、ならぬ、子の心、親知らず、といった作品ですね。こちらは、1952年公開のルネ・クレマン(René Clémant)監督の作品。ヴェネツィア国際映画祭で金獅子賞を受賞していますが、テーマ曲も広く愛されていますね。
映画のテーマにもなるように、子どもの心の中は、かつて子どもであった大人にも、分かり難い。分かりにくいがゆえ、分かろうとすることを止めてしまう大人も多い。分かり合えない、子どもと昔子どもだった大人・・・
心のすれ違い、あるいは心と心の間に吹くすきま風が、やがて早すぎる死へと追いやってしまうこともあります。しかし、子どもが自殺するなんて、とその死は事故死扱いにされてしまう。
それでは、子どもの自殺を防げない。真実を知るべきだ、と子どもの死を詳細に調べたレポートが、児童心理の専門家によって作成されました。政府の依頼でそのレポートをまとめたのは、ボリス・シリュルニク(Boris Cyrulnik)。神経学者、精神科医、行動学者、精神分析医という顔を持つ専門家で、レジリエンス(苦しみからの再生、柔軟な再生、底力なども言われているコンセプト:仏語では、résilience・レジリアンス)の生みの親。
専門家の目を通して見つめ直した子供たちの死。レポートではどのように語られているのでしょうか。9月29日の『ル・モンド』(電子版)が伝えています。
多くの統計が示す以上に子どもの自殺が多いことは疑いようがない。というのも、事故死として処理されている子どもの死のかなりの部分が、実は自殺だったのではと考えられるからだ。このように、精神科医のボリス・シリュルニクは9月30日に政府に提出するレポートの中で述べている。
国立衛生医学研究所(Institut national de la santé et de la recherche médicale:Inserm)によれば、2009年には5歳から14歳までの子ども37人が自殺をしているという。Insermは5歳以下の子どもの死は自殺に一切カウントしていない。2011年のはじめには、14歳の少年が自殺を試みたが、同じ時期に9歳の子どもと11歳の子が自殺で亡くなっている。
ボリス・シリュルニクは青少年担当大臣のジャネット・ブグラーブ(Jeannette Bougrab)に依頼されたレポートの中で、「5歳から12歳の場合、自殺で実際に死にまで至ることは少ない。しかし、統計は明らかに自殺であるケースしか含めないため、実際にはより多くの自殺が行われていることは明らかだ。子どもたちを自殺へと追い込むのはさまざまな要因が積み重なった場合が多く、外からは分かりにくい心の痛みだったり、異なるいくつかの出来事が同時に起きたりした場合だ」と語っている。具体的には、友人の早すぎる死だったり、両親の不和、虐待、家庭内に心休まる場所がないこと、学校でのいじめなどがその原因として考えられるとシリュルニクは説明している。
しかも、「子どもは瞬間で気持ちも変わるため、彼らの心痛を理解することは難しい。しかも、子どもは大人以上に心の痛みを上手く伝えることができない。不安を抱えた子ども、一人きりで苦しみから守ってくれる大人が周囲にいない子ども、自分に何が起きているのかを理解する手助けも術もない子どもは、死というものを知ると、その死を選んでしまうのだ」と、ボリス・シリュルニクはレポートで書いている。彼によれば、子どもは6歳から9歳頃に死というものを理解し始めるそうだ。
従って、「ちょっとしたきっかけがあれば、自殺に走ってしまう。傷つけるような他人の一言、少しばかりのストレス、学校での悪い点数、友だちの転居などが例外的な爆発を子どもの心にもたらしてしまうことがある。遺書を書くこともできるだろうが、実際には遺書もなく、窓から転落したり、バスの乗降口から転落したりする。そのため、大人は事故死で片づけてしまうのだ」とシリュルニクは語っている。
ボリス・シリュルニクは、予防策が必要であることを強調している。それも、生まれてすぐから、子ども専門機関の対応、あるいは医師、看護士、教師といった職業の大人たちに子どもの自殺にどう対処するかを学んでもらうことによって、子どもへの一貫した対応を取ることが欠かせないという。また学校では、授業時間の調整、評価を始めるのを少し遅くすること、いじめへの対応などが必要だと述べている。
・・・ということで、大人が判らないうちに、統計に表れている以上に多くの子供たちが自ら死を選んでしまっているようです。小学生でも。そう言えば、日本でも、小学校高学年の児童が自殺したとニュースになったことがありましたね。それだけ、子どもたちにとって生きにくい世の中になっているのでしょうか、それとも研究が進むにつれ、今まで事故死で片づけられていた子どもの死が、実は自殺だったと判明してきたということなのでしょうか。
いずれにせよ、子どもたち、それも小学生の間でも自殺があるということは事実のようです。大人ですら、日本では、年間3万人以上の自殺者がいる時代。どうすれば、子どもを自殺から救えるのでしょうか。
しかし、時代は、子どもの自殺を見逃してしまうどころか、子どもを虐待死させるケースが増えています。雷や火事と並べられる怖い存在であった親から、友だち親子を経て、虐待死させる親の時代へ。どこで間違ってしまったのでしょうか・・・子どもにとって乗り越えるべき大きな壁として親が存在すること、それだけの存在に親がなれること、そんなことが必要なのではないかと素人考えで思ったりしてしまうのですが、そのためには、まず、親が個人として自立することが大切なのではないでしょうか。そう思ったりするのですが、言うは易く、行うは難し・・・
もう一作品、“Jeux interdits”(『禁じられた遊び』)も、親の心、子知らず、ならぬ、子の心、親知らず、といった作品ですね。こちらは、1952年公開のルネ・クレマン(René Clémant)監督の作品。ヴェネツィア国際映画祭で金獅子賞を受賞していますが、テーマ曲も広く愛されていますね。
映画のテーマにもなるように、子どもの心の中は、かつて子どもであった大人にも、分かり難い。分かりにくいがゆえ、分かろうとすることを止めてしまう大人も多い。分かり合えない、子どもと昔子どもだった大人・・・
心のすれ違い、あるいは心と心の間に吹くすきま風が、やがて早すぎる死へと追いやってしまうこともあります。しかし、子どもが自殺するなんて、とその死は事故死扱いにされてしまう。
それでは、子どもの自殺を防げない。真実を知るべきだ、と子どもの死を詳細に調べたレポートが、児童心理の専門家によって作成されました。政府の依頼でそのレポートをまとめたのは、ボリス・シリュルニク(Boris Cyrulnik)。神経学者、精神科医、行動学者、精神分析医という顔を持つ専門家で、レジリエンス(苦しみからの再生、柔軟な再生、底力なども言われているコンセプト:仏語では、résilience・レジリアンス)の生みの親。
専門家の目を通して見つめ直した子供たちの死。レポートではどのように語られているのでしょうか。9月29日の『ル・モンド』(電子版)が伝えています。
多くの統計が示す以上に子どもの自殺が多いことは疑いようがない。というのも、事故死として処理されている子どもの死のかなりの部分が、実は自殺だったのではと考えられるからだ。このように、精神科医のボリス・シリュルニクは9月30日に政府に提出するレポートの中で述べている。
国立衛生医学研究所(Institut national de la santé et de la recherche médicale:Inserm)によれば、2009年には5歳から14歳までの子ども37人が自殺をしているという。Insermは5歳以下の子どもの死は自殺に一切カウントしていない。2011年のはじめには、14歳の少年が自殺を試みたが、同じ時期に9歳の子どもと11歳の子が自殺で亡くなっている。
ボリス・シリュルニクは青少年担当大臣のジャネット・ブグラーブ(Jeannette Bougrab)に依頼されたレポートの中で、「5歳から12歳の場合、自殺で実際に死にまで至ることは少ない。しかし、統計は明らかに自殺であるケースしか含めないため、実際にはより多くの自殺が行われていることは明らかだ。子どもたちを自殺へと追い込むのはさまざまな要因が積み重なった場合が多く、外からは分かりにくい心の痛みだったり、異なるいくつかの出来事が同時に起きたりした場合だ」と語っている。具体的には、友人の早すぎる死だったり、両親の不和、虐待、家庭内に心休まる場所がないこと、学校でのいじめなどがその原因として考えられるとシリュルニクは説明している。
しかも、「子どもは瞬間で気持ちも変わるため、彼らの心痛を理解することは難しい。しかも、子どもは大人以上に心の痛みを上手く伝えることができない。不安を抱えた子ども、一人きりで苦しみから守ってくれる大人が周囲にいない子ども、自分に何が起きているのかを理解する手助けも術もない子どもは、死というものを知ると、その死を選んでしまうのだ」と、ボリス・シリュルニクはレポートで書いている。彼によれば、子どもは6歳から9歳頃に死というものを理解し始めるそうだ。
従って、「ちょっとしたきっかけがあれば、自殺に走ってしまう。傷つけるような他人の一言、少しばかりのストレス、学校での悪い点数、友だちの転居などが例外的な爆発を子どもの心にもたらしてしまうことがある。遺書を書くこともできるだろうが、実際には遺書もなく、窓から転落したり、バスの乗降口から転落したりする。そのため、大人は事故死で片づけてしまうのだ」とシリュルニクは語っている。
ボリス・シリュルニクは、予防策が必要であることを強調している。それも、生まれてすぐから、子ども専門機関の対応、あるいは医師、看護士、教師といった職業の大人たちに子どもの自殺にどう対処するかを学んでもらうことによって、子どもへの一貫した対応を取ることが欠かせないという。また学校では、授業時間の調整、評価を始めるのを少し遅くすること、いじめへの対応などが必要だと述べている。
・・・ということで、大人が判らないうちに、統計に表れている以上に多くの子供たちが自ら死を選んでしまっているようです。小学生でも。そう言えば、日本でも、小学校高学年の児童が自殺したとニュースになったことがありましたね。それだけ、子どもたちにとって生きにくい世の中になっているのでしょうか、それとも研究が進むにつれ、今まで事故死で片づけられていた子どもの死が、実は自殺だったと判明してきたということなのでしょうか。
いずれにせよ、子どもたち、それも小学生の間でも自殺があるということは事実のようです。大人ですら、日本では、年間3万人以上の自殺者がいる時代。どうすれば、子どもを自殺から救えるのでしょうか。
しかし、時代は、子どもの自殺を見逃してしまうどころか、子どもを虐待死させるケースが増えています。雷や火事と並べられる怖い存在であった親から、友だち親子を経て、虐待死させる親の時代へ。どこで間違ってしまったのでしょうか・・・子どもにとって乗り越えるべき大きな壁として親が存在すること、それだけの存在に親がなれること、そんなことが必要なのではないかと素人考えで思ったりしてしまうのですが、そのためには、まず、親が個人として自立することが大切なのではないでしょうか。そう思ったりするのですが、言うは易く、行うは難し・・・