中島みゆきは『時代』で「まわるまわるよ 時代はまわる 喜び悲しみくり返し」と歌い、ジャック・アタリ(Jacques Attali)は『21世紀の歴史―未来の人類から見た世界』(Une brève histoire de l'avenir)で世界の中心は西ヨーロッパから西周りに動いている。ヨーロッパの数都市を経て、大西洋を渡りニューヨークへ、続いてカリフォルニアへ。そして太平洋を渡って日本へと、1980年代にはみんなが思っていたが、日本にその気がなく、いまだカリフォルニアで止まっているが、今後、中国、インド、オーストラリアへ移行する可能性がある、と語っています。いずれにせよ、21世紀は、アジアの時代。半ば既定事実になっていますね。
しかし、世界の中心がアジアへ移動することは何も驚くべきことではなく、時代が単に元に戻るだけなのだと、4日のル・モンド(電子版)が伝えています。
新聞社は経済部門をアジアに移転せざるを得なくなるかもしれない。そのことによって、記者たちは経済発展の中心に直接立つことができる。アジア・・・今日、すべてのことがそこで起き、経済成長がそこで生まれ、ドイツの輸出量はそこで決まり、パリの上場企業(CAC 40)の利益はそこで生み出され、アメリカの貿易赤字と財政不均衡はそこで生じている。
アジア・・・西欧にとっては、つねに経済的脅威と妄想の対象となっている。例えば、日本。円高と株安、巨額な財政赤字と金利の異常な低さ、低い成長率と低い失業率、最先端の科学技術と慢性的デフレ・・・理解しがたい神秘的な状況にあるようです。
そして、中国。その成長ぶりは、と言ってもごく最近のことだが、あまりに力強く、一つの記事では現状を紹介しきれないほどだ。世界1位の輸出国、世界2位の経済力、最大の自動車市場、最大の外貨保有国、石炭・鉄鋼・アルミニウム・セメント・肥料の最大の産出・生産国、最も高い貯蓄率・・・きりがありませんね。
購買力平価を基に豊かさを測れば、今や日本と中国の合計(Japachine)は、アメリカとEUの合計に並び、日中にインドを加えれば(Japinchine)世界最大の富になる・・・文明の優位性はもちろん、経済モデルに関してもゆるぎない自信を持っていた欧米に対し、それが単なる自惚れでしかなかったことを気付かせる一大衝撃だ!
クロード・メイエール(Claude Meyer)はその著“Chine ou Japon, quel leader pour l'Asie ?”(中国か日本か、アジアのリーダーになるのは?)で、19世紀はヨーロッパの世紀だった。20世紀は、アメリカの世紀。そして21世紀はアジアの世紀になる、と述べているそうです。
しかし、歴史をもう少し長いスパンで、しかも世界中を対象に考察すれば、アジアがようやく勃興したのではなく、アジアが2世紀の眠りから覚め、再び世界の中心に戻ってきたに過ぎないことが分かるそうです。そのことを紹介しているのが、イギリスの経済学者、アンガス・マディソン(Angus Maddison)がOECD勤務時代に著した“Chinese Economic Performance in the Long Run, 960 - 2030”。欧米の人々は歯ぎしりし、アジア、特に中国の読者からは熱狂的支持を受けました。その内容とは・・・
世界各地の経済的指標を長いスパンで丹念に調べていけば、19・20世紀を除いて、つねにアジアが世界経済の中心だったことが分かる。そして、最大の経済大国は中国だった。西暦1000年、世界のGDP合計の70%をアジアが占めており、1500年には65%、1820年でも59%を占めていた。しかし、この後、産業革命に乗り損ね、その上、自国の殻に閉じこもったアジアは転落の一途をたどる。世界のGDPに占める中国の割合は、1820年に29%、1880年に14%、そして1950年には5%以下になってしまった。中国は、1950年、国民一人当たりのGDPが1500年のそれを下回った唯一の国だった。
しかし、第二次大戦後、アジアはゆっくりとだが再出発をする。はじめは日本にけん引され、ここ30年は中国も加わり、成長のスピードを一気に加速させている、200年にわたるダイエットの後で、成長への飢餓感を一気に満たそうとするかのように。
マディソンの著作の読後感をル・モンドがロマンティックに表現しています・・・まるで、夏の夜、満天の星空を眺めるときの感覚に似ている。時空の限りない広がりを前に感じる、めくるめく陶酔。ここで、『ミスター・ロンリ―』が流れてくれば、まるで「ジェット・ストリーム」。城達也さんのナレーションが聞こえてきそうです(機長は、今では大沢たかおさんなんですね)。
多くの専門家が、どの国の四半期のGDPがどうとか、来年の経済成長率がどうとかいっているが、マディソンは、西暦1年から全世界の経済成長を調べてきた。しかも、経済指標だけでなく、経済成長が人々の幸福にどう影響しているかを理解するカギももたらしている。ほぼ1800年にもわたって地球規模での経済は停滞していたが、ここ200年、人類は突然物質的豊かさを享受できるようになり、子供たちは親たちの時代よりも豊かな生活が送れるようになった。ニューキャスルでの貧しい子供時代、子供に教育を続けさせるために多大な犠牲を払った両親を見て育ったマディソンの実体験にも裏打ちされているそうです。
しかし、物質的豊かさが人類をどう幸福にするのか・・・新たな疑問も出てきていますが、それに答えることなく、アンガス・マディソンは、今年4月24日、パリ西郊、ヌイイのアメリカン・ホスピタルで、ひっそりと息を引き取ったそうです。
ということで、21世紀がアジアの世紀になるのは、何も驚くべきことではなく、通常の状態に戻っただけなんですね。しかも、世界一の経済大国は中国。そうした状況で、日本はどう生きていくべきなのでしょうか。アメリカ追随の後は、時代の針を昔に戻して、中国への朝貢外交に活路を見出すべきか。長い物には巻かれよ、の生き方には、ぴったりですね。それとも、新たな生き方を模索すべきなのか。その新たな生き方とは・・・わたしたちは、今、第二の開国を生きているのかもしれないですね。
しかし、世界の中心がアジアへ移動することは何も驚くべきことではなく、時代が単に元に戻るだけなのだと、4日のル・モンド(電子版)が伝えています。
新聞社は経済部門をアジアに移転せざるを得なくなるかもしれない。そのことによって、記者たちは経済発展の中心に直接立つことができる。アジア・・・今日、すべてのことがそこで起き、経済成長がそこで生まれ、ドイツの輸出量はそこで決まり、パリの上場企業(CAC 40)の利益はそこで生み出され、アメリカの貿易赤字と財政不均衡はそこで生じている。
アジア・・・西欧にとっては、つねに経済的脅威と妄想の対象となっている。例えば、日本。円高と株安、巨額な財政赤字と金利の異常な低さ、低い成長率と低い失業率、最先端の科学技術と慢性的デフレ・・・理解しがたい神秘的な状況にあるようです。
そして、中国。その成長ぶりは、と言ってもごく最近のことだが、あまりに力強く、一つの記事では現状を紹介しきれないほどだ。世界1位の輸出国、世界2位の経済力、最大の自動車市場、最大の外貨保有国、石炭・鉄鋼・アルミニウム・セメント・肥料の最大の産出・生産国、最も高い貯蓄率・・・きりがありませんね。
購買力平価を基に豊かさを測れば、今や日本と中国の合計(Japachine)は、アメリカとEUの合計に並び、日中にインドを加えれば(Japinchine)世界最大の富になる・・・文明の優位性はもちろん、経済モデルに関してもゆるぎない自信を持っていた欧米に対し、それが単なる自惚れでしかなかったことを気付かせる一大衝撃だ!
クロード・メイエール(Claude Meyer)はその著“Chine ou Japon, quel leader pour l'Asie ?”(中国か日本か、アジアのリーダーになるのは?)で、19世紀はヨーロッパの世紀だった。20世紀は、アメリカの世紀。そして21世紀はアジアの世紀になる、と述べているそうです。
しかし、歴史をもう少し長いスパンで、しかも世界中を対象に考察すれば、アジアがようやく勃興したのではなく、アジアが2世紀の眠りから覚め、再び世界の中心に戻ってきたに過ぎないことが分かるそうです。そのことを紹介しているのが、イギリスの経済学者、アンガス・マディソン(Angus Maddison)がOECD勤務時代に著した“Chinese Economic Performance in the Long Run, 960 - 2030”。欧米の人々は歯ぎしりし、アジア、特に中国の読者からは熱狂的支持を受けました。その内容とは・・・
世界各地の経済的指標を長いスパンで丹念に調べていけば、19・20世紀を除いて、つねにアジアが世界経済の中心だったことが分かる。そして、最大の経済大国は中国だった。西暦1000年、世界のGDP合計の70%をアジアが占めており、1500年には65%、1820年でも59%を占めていた。しかし、この後、産業革命に乗り損ね、その上、自国の殻に閉じこもったアジアは転落の一途をたどる。世界のGDPに占める中国の割合は、1820年に29%、1880年に14%、そして1950年には5%以下になってしまった。中国は、1950年、国民一人当たりのGDPが1500年のそれを下回った唯一の国だった。
しかし、第二次大戦後、アジアはゆっくりとだが再出発をする。はじめは日本にけん引され、ここ30年は中国も加わり、成長のスピードを一気に加速させている、200年にわたるダイエットの後で、成長への飢餓感を一気に満たそうとするかのように。
マディソンの著作の読後感をル・モンドがロマンティックに表現しています・・・まるで、夏の夜、満天の星空を眺めるときの感覚に似ている。時空の限りない広がりを前に感じる、めくるめく陶酔。ここで、『ミスター・ロンリ―』が流れてくれば、まるで「ジェット・ストリーム」。城達也さんのナレーションが聞こえてきそうです(機長は、今では大沢たかおさんなんですね)。
多くの専門家が、どの国の四半期のGDPがどうとか、来年の経済成長率がどうとかいっているが、マディソンは、西暦1年から全世界の経済成長を調べてきた。しかも、経済指標だけでなく、経済成長が人々の幸福にどう影響しているかを理解するカギももたらしている。ほぼ1800年にもわたって地球規模での経済は停滞していたが、ここ200年、人類は突然物質的豊かさを享受できるようになり、子供たちは親たちの時代よりも豊かな生活が送れるようになった。ニューキャスルでの貧しい子供時代、子供に教育を続けさせるために多大な犠牲を払った両親を見て育ったマディソンの実体験にも裏打ちされているそうです。
しかし、物質的豊かさが人類をどう幸福にするのか・・・新たな疑問も出てきていますが、それに答えることなく、アンガス・マディソンは、今年4月24日、パリ西郊、ヌイイのアメリカン・ホスピタルで、ひっそりと息を引き取ったそうです。
ということで、21世紀がアジアの世紀になるのは、何も驚くべきことではなく、通常の状態に戻っただけなんですね。しかも、世界一の経済大国は中国。そうした状況で、日本はどう生きていくべきなのでしょうか。アメリカ追随の後は、時代の針を昔に戻して、中国への朝貢外交に活路を見出すべきか。長い物には巻かれよ、の生き方には、ぴったりですね。それとも、新たな生き方を模索すべきなのか。その新たな生き方とは・・・わたしたちは、今、第二の開国を生きているのかもしれないですね。