神戸の小父さん日記

五十代サラリーマンのオフタイム

WiiFit

2008年07月27日 | その他
 一ヶ月くらい前から始めてますが、これお勧めです。ヨガ、筋トレ、有酸素運動、バランス運動の4種類のトレーニングがあり、有酸素運動なんて部屋の中でできるのかなと思ってましたが、これがなかなか馬鹿にできません。フラフープ運動なんてかなり効きます。スキーの滑降競技のバランス運動も結構はまります。とにかくあんな平たい板の上の重量バランスだけで、ずいぶんいろんなことができるものだと感心します。注文をつけるとしたら、ジョギングのコースのバリエーションを増やして欲しい部分とかはありますが、とりあえず楽しめます。

立川まつり国営昭和記念公園花火大会

2008年07月27日 | その他
 昨晩行ってきました。隅田川の方は昨年の人出が98万人と書いてあったのでパス。こちらの方は一桁少ない人ですが、それでもかなりの混雑。18時頃西立川駅についたのですが、なんとか座る場所を確保できました。19:20-20:30という1時間ちょっとの花火でしたが、久しぶりだったので楽しめました。途中雨もぱらつきましたが、それほどひどい降りではなかったので、傘をさしながらもなんとか座っておれました。

ベートーベン ヴァイオリン・ソナタ「春」

2008年07月22日 | 翻訳・英語
 超有名曲ですが、あまり聴きません。というか、私にとっては何回か聴くと、もういいかなと思ってしまうような曲でした。この演奏は初めてだったのですが、聴いて驚きました。私はいわゆる「名演奏」というものには比較的懐疑的な方ですが、これは名演です。この曲がこんな立派な曲であることに今まで気づきませんでしたね。ところどころぎこちないところもありますが、全体から受ける印象が強烈ですから、そんなことはどうでも良いと思ってしまいます。特にピアノは、他のいわゆる伴奏ピアニストの演奏とは異次元のものです。ルービンシュタインの室内楽でもそうですが、やはり室内楽といえども一流のピアニストが望ましいですね。

For You/高橋真梨子

2008年07月20日 | 音楽
 声と楽器とでどちらが表現力があるか、ということを時々考えます。でもそのたびに所詮楽器は人間の声の代わりをしようと作り出されたのではないか、ということを思います。もちろん言葉の力は絶大です。特に表題のような歌を聴くと歌の表現力のすごさを思い知ります。この歌ではサビの部分が有名ですが、あの部分は楽器でもある程度表現できますし、高橋真梨子でなくてもそれなりに聴けるでしょうね。でも、出だしの部分はどう逆立ちしても楽器の出番ではありません。彼女レベルのプロでしか表現できない世界です。そして子供には理解できない部分でもありますね。

VELOCITY/KOONTZ

2008年07月13日 | 翻訳・英語
 例によって精神異常の殺人鬼が出てくるんですが、う~ん。まあちょっと捻ってはあります。でもはっきりいってつまらないですね。クーンツにしては駄作と言わざるを得ません。
 どうでもいい話ですが、主人公が死体を片付ける場面なんか、ほんとにご苦労さんで、読んでるだけでしんどくなります。歳ですね。それとこん睡状態の恋人にどういう意味があるんでしょうか。INTENSITYのELKほどではないですが、私には理解できませんでした

ドボルザーク/チェロ協奏曲

2008年07月06日 | 音楽
 本日のウォーキングBGM。演奏は泣く子も黙る(?)ロストロポーヴィチ、カラヤン、ベルリン・フィル。久しぶりに聴きましたがやっぱり凄い曲、凄い演奏ですね。ドボルザークのアメリカ時代の作品で、メロディーメーカーの面目躍如たる名曲。ドボルザークというのはある意味不思議な作曲家で、交響曲第8番辺り以降の素晴らしさと、それ以前の出来との間にはかなりの差があるように思います。以前に交響曲の1番から順に聴いていった時には特にそう思いましたね。このクラスの天才でもどこかで開眼するんでしょうか。
 それと今回特に気づいたのはチェロの音量の大きさ。これはあきらかにミキシングによるものなんですが、ここまで強調しているのはさすがに時代を感じますね。リアリティがまったくありません。でもだからといって曲を聴くのに妨げになるかというと、そうでもない。多分生で聴いててもチェロに注意が向くでしょうから、頭の中ではこういうバランスになってるのかもしれませんね。
 それと第一楽章の初め2分30秒くらいのところから始まるホルンのソロの音程に何か違和感を感じるんですが、気のせいかな。

更新されないブログ

2008年07月05日 | その他
 総務省・情報通信政策研究所の調査によると、国内のブログ総数は1690万ですが、そのうち1カ月に1回以上記事が更新されているブログは約300万と、約18%だそうです。私のこのブログも家庭の事情(?)により更新しにくくなっていますが、何とか週に1~2度は書き込みしようと思っています。確かにブログを始めるというのは何かを表現したいと思うからでして、そう思うからには少なくとも当初は結構自分の中にストックがありますから、しばらくは続くんでしょうね。でも、そのうち日常に埋没して書けなくなる、というパターンでしょうか。ここまで書いて、これって定年後の生活にも通じる話だな、と思いました。常に自分の中に新たなものを入れていかないと、定年後の生活もストックが尽きてほんとの余生になってしまいますね。心せねば。