highdy の気まぐれブログ

ご訪問ありがとうございます。ジャンルがメチャメチャの気まぐれブログ。パソコン関連記事を中心に時間を見つけて・・・。

躾のできない親と学校という場

2021年03月30日 | 処世訓(highdy のことば)



躾のできない親
 子供の躾ができない親に限って、勉強も躾も学校が教えるものと勘違いをしているようです。それでなくても文部省や教育委員会の変な指導で、教師にはつまらない雑用が多過ぎるのに、それでは教師が可哀そうです。
学校の躾は、いろんな活動の中で親の躾の不足部分を補いつつ教えることはあっても、一から十まで教える場ではありません
不幸にも諸事情があり、自分自身がそのような教育を受けることができなかった親もいるためです。親の言い分では貧乏に起因することもあったかも知れませんが、貧乏を恥じることはありません。寧ろ、そのような環境に置かれたことは非常に幸運なことで、将来的にとても大切な経験を学ぶチャンスを得たことになります
人生において成功を収めた多くの方々が、その経験を生かしています。
どんな親でも子供にすべてを躾けることは困難なことで、社会に出て学ぶ世間常識も沢山あります

学校という場所
 何でもかんでも学校へ放任し、教師に理不尽な要求をする方もいますが、学校というものは、集団活動の仕方を知り、人の思考に違いがあることを知り、その活動により社会を学ぶ場です
何でも詰め込みで教える場でもありません。勉強の仕方、楽しさ、考え方を教える場です。決まっていることを覚えるのは、学校でなくてもできることだし、場所を問わず自分で調べて覚えてもいいことです。興味のあることなら年齢に拘わらずいつ学んでもいいことです。
従い、小学校は別としても、試験だって暗記の数をテストするのではなく、考え方や解決法を理解しているかに重点を置くべきものです

上級にいけばいくほど、躾からは遠ざかり、学問の素晴らしさ、探求や活用の仕方へと変化させるべきものです。
確かに最近の我が国の子供の学力が諸外国に比べて、以前よりかなり落ちたことが問題になっています。もちろん、親の責任ではなく、国の指導方針が間違っているからです。以前の「ゆとり教育」も完全なる失敗がその原因です。
子供の勉強の遅れを話題にする方もいますが、 遅れてもいいのです。
本人に学習意欲さえあれば、自分の得手不得手を知り、得意な分野を伸ばせば良いことで、親も教師もそれを助言すべきと思います。
勉強の遅れは何に関係しているか、何に対して利益・不利益があるのか? 親も教師もそれを見極めることが大切です。


楽しさを教えるのが一番
 遊びも勉強も仕事も同じで、楽しくなければ、やり甲斐がなければヤル気も出ません。一生懸命にやり、努力を重ね、できなかったことができるようになった喜びや楽しさを教えるの一番で、つまらない、地道な辛い苦労ではなく、楽しく学んだ結果により、「さらにもう少し」という新たな目標が生まれるものです。
学校の面白い先生の授業は、生徒を退屈にさせません。少なくとも授業を受けたくない気持ちは持たせません。教師にもそのような工夫や努力が求められます





本日もご来訪いただきありがとうございました。
皆様の ポチポチッ! に心から感謝します。


読んでおられますか?


コメント (8)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする