日記

日記

曇り

2010年01月22日 | 徒然日記・日々の記録
今日は少しがちな一日となり、やや寒くなりましたね。

午前、寺院勤務

寺務・小楠公見学会付添・春彼岸施餓鬼卒塔婆書き準備などして過ごす。

小楠公見学会



京都からカルチャーセンターの教室の方がこられ、大学の名誉教授先生から楠木正行公に関する歴史についての講義を受けられておりました。

午後から瓢箪山商店街・スマイル瓢箪山事務所へ。

瓢箪山地域まちづくり協議会設立総会に出席。

瓢箪山地域まちづくり協議会発足準備会の議事内容の確認、規約内容に関する議論、地域情報誌のための作業進捗、これからの流れについて、他。



自己紹介の次に瓢箪山地域まちづくり協議会発足準備会の議事内容の確認を行い、これまでの経過につきまして、まとめられました。全国商店街支援センター委託事業についての説明もあり、それから規約について、名称・事務所・趣旨・目的・役員・運営のあり方と審議されました。また、地域情報発信のための情報誌の発行へ向けての学生からの報告もありました。

既に、ブログが開設されておりまして、その報告もありました。

ひょっこりひょうたん山
http://hytnym.jugem.jp/
たっきーとあべしが東大阪ひょうたん山で成長していくブログ

是非、皆さん楽しみにご覧頂けましたらと存じます。

役員選任では、会長に酒井理先生、副会長には、各商店街組合の理事長さん、自治協議会の役員さんたち五人が選任されるなど、重厚な役員体制となり、これからの運営が非常に期待されるところでございます。

地域まちづくり活性化と商店街活性化へ向けて、地域まちづくり資源間が連携協働して取り組んでいく体制が本格的に調えられました。これからいよいよ事業を具体化し実践していく作業工程へと入って参ります。私もこれまでの市民活動で培って参りましたノウハウを活かしてお手伝いできていけましたらと存じております。

酒井理先生

誠に先生の行動力・実践力にはご敬服致します。

大阪商業大学・総合経営学部・酒井理准教授先生が、長年取り組んでこられました瓢箪山商店街活性化プロジェクト・教育GP事業の発展延長として、この度の瓢箪山地域まちづくり協議会の発足について中心となられまして提言なされまして、実践に移されました次第でございます。私はやまなみプラザ企画運営委員会からの出向として参画させて頂くこととなりました。

とにかく、これからの展開が楽しみでございます。

夕刻に帰山後、寺務・春彼岸施餓鬼卒塔婆書き準備などして過ごす。

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画像専用のページ
http://ameblo.jp/hidetoshi-k

最近の民主党幹事長・小沢一郎氏のカネを巡る問題・・誠に光と影を思うところであります。もちろん最終的には、仏教における縁起的考え方によって光と影の輪廻の迷いは超えていかなければならないと思う次第でございます。

光と影の輪廻の迷いを超えていくところにつきましては、下記論考を参照頂ければと存じます。

施本「仏教・縁起の理解から学ぶ」
十、相対から絶対へ
http://www.hide.vc/enginorikai10.html

先日のハイチ大地震・・甚大な被害、犠牲者となってしまっております・・犠牲者の方々のご冥福を心からお祈り申し上げます。NPO法人東大阪国際協力プラットフォームからの国際災害義援寄付を早急に検討したいと考えております。

・・

現在、読み進めを行っております「ツォンカパ 中観哲学の研究5・入中論の意趣善明の鏡」、何と言っても十地論の中でも第六地「現前地」の内容が全文の半分ほどを占めています。中論、中観自立論証派、中観帰謬論証派といった中観思想の展開を学ぶ上でも註の内容は非常に読み応えがあります。また、唯識思想についてもある程度深く学ぶことができるため、ここは実に重要であり、本論の要諦であります。しっかりと理解していけましたらと存じます。

現在、読み進めを行っております「ツォンカパ 中観哲学の研究5・入中論の意趣善明の鏡」は、実にすばらしい論著であると感嘆しながら読み進めております。いわゆる菩薩道の要説である十地論に基づいて空思想・中観思想がまとめられているものであります。改めまして、チベット仏教哲学の精緻さ洗練さに圧倒される限りでございます。

「ツォンカパ 中観哲学の研究5 ダライ・ラマ一世ゲンドゥンドゥプ著 入中論の意趣善明の鏡」を読み進め中。入中論は、中観帰謬論証派のチャンドラキールティ論師の代表論著であります。その入中論を注釈された論著が、意趣善明の鏡でございます。

入中論の意趣善明の鏡

ダライ・ラマ十四世テンジン・ギャツォ大師による序文

内容につきましては、「ツォンカパ 中観哲学の研究2」と同様に半分ほど理解が及んでいるようには思います。おそらく1~2年前にこの内容を読み進めていたとしても、まず途中で挫折していたことでありますでしょう。僭越ながらもある程度、仏教における縁起と空の理解が及んできているからこそ、かろうじて読み進めが可能になっているのではないかと存じております。とにかく一歩一歩でございます。

本年の抱負は、施本論考シリーズ第六弾の執筆は当然ながら、前回施本「仏教・縁起の理解から学ぶ」におけます縁起・空性の理解を更に深く進めていけましたらと考えております。特に中観思想の展開過程、ツォンカパ論師の中観思想についてしっかりと考究していけましたらと存じております。

施本論考シリーズ第六弾の本格執筆を前に、論著の読み進めを行っております。

「チベット仏教哲学」松本史朗著・大蔵出版
「ツォンカパの中観思想―ことばによることばの否定」四津谷孝道著・大蔵出版
「ツォンカパ 中観哲学の研究Ⅰ」
「ツォンカパ 中観哲学の研究Ⅱ」
「ツォンカパ 中観哲学の研究Ⅲ」
「ツォンカパ 中観哲学の研究Ⅳ」
「ツォンカパ 中観哲学の研究Ⅴ」
「般若経釈 現観荘厳論の研究」兵藤一夫著 文栄堂
「ダライ・ラマ 般若心経入門」ダライ・ラマ14世著、宮坂宥洪翻訳・春秋社
「チベット仏教成就者たちの聖典『道次第・解脱荘厳』解脱の宝飾」
 ガムポパ著・ツルティム・ケサン、藤仲 孝司共訳 UNIO
「心の迷妄を断つ智慧―チベット密教の真髄」
 チュギャム トゥルンパ著・宮坂宥洪訳
「チベット密教 修行の設計図」
 斎藤保高著・春秋社
「チベット密教 心の修行」
 ゲシェー・ソナム・ギャルツェン ゴンタ著、藤田省吾著 法蔵館
「チベット仏教 文殊菩薩(マンジュシュリ)の秘訣」
 ソナム・ギャルツェン・ゴンタ著 法蔵館

施本「仏教・縁起の理解から学ぶ」
http://oujyouin.com/enginorikai.html
施本・「仏教・空の理解から学ぶ」
http://oujyouin.com/topengi.htm
施本「仏教・空の理解」
http://oujyouin.com/sunyatop.htm
施本「仏教 ~ 一枚の紙から考える ~」
http://oujyouin.com/buddhism1p.html
施本「佛の道」
http://oujyouin.com/hotokenomichi.html

これから更に仏教の学びを進めるための文献・第三弾

これから更に仏教の学びを進めるための文献・第二弾

これから更に仏教の学びを進めるための文献・第一弾

・・

日本の国・地方における財政危機は既に限界点に達してしまっています・・本年はいよいよもはや臨界点を突破しそうであり、懸念の事態が生じる可能性が高いと存じております。危機管理は各自でしっかりと進めておかなければならないことでありますでしょう・・

日本国財政破綻Safety Net
http://wanderer.exblog.jp/

国家破綻研究ブログ
http://gijutsu.exblog.jp/

本石町日記
http://hongokucho.exblog.jp/

経済コラムマガジン
http://www.adpweb.com/eco/

JMM
http://ryumurakami.jmm.co.jp/

少し過激な言論活動が展開されていますが、東海アマさんこと岩瀬氏の情報収集内容について注視の必要があるかと存じます。

「東海アマチュア無線地震予知研究会」さんのホームページ
http://www1.odn.ne.jp/~cam22440/

・・

現代仏教学を再生するためのホームページ掲示板投稿より・・

mixiのコミュニティ「仏教」におけます中論・「観涅槃品」(第二十五)の最終偈についての考察からの引用抜粋でございます。

以下、引用抜粋・・

・・前略・・

以下、中論の邦訳は〔中論(上・中・下) 三枝充悳訳注 第三文明社・レグルス文庫〕より引用致します。

中論・「観涅槃品」(第二十五・第二十四偈)『〔ニルヴァーナとは、〕一切の得ること(有所得)が寂滅し、戯論(想定された論議)が寂滅して、吉祥なるものである。ブッダによって、どのような法(教え)も、どのような処でも、だれに対しても、説かれたことはない。』

まず、前半について考えて参りたいと存じます。

一切の得ること(有所得)が寂滅し・・縁起的・空性的あり方を理解し、あらゆる一切は実体が無く、得るための主体も、得れる対象となる客体も、いずれにも実体が無いため、何も得る実体たるところも何も得れる実体たるところも無いということであるかと存じます。

般若心経における「無所得」とほぼ同意の事態のことを示しているものであると考えます。

戯論(想定された論議)が寂滅・・縁起・空性の理解から、四句分別・「非有、非無、非有無、非「非有非無」(非非有非非無)」を理解し、更に言語活動・言語表現の限界を理解して、もはや一切の想定された論議も止み、「無記」への論理的道筋をしっかりと理解し、最高の真理である勝義諦・第一義諦のありようを真に了解するということであるかと存じております。

もちろん、このあたりのことは、「二諦をめぐる解釈の問題」が控えておりますが、あらゆる一切における世俗諦と勝義諦のありよう(世俗諦によって勝義諦があり、勝義諦によって世俗諦があるという、縁起的・空性的あり方における勝義諦についての理解も含めて)について了解した上で、「勝義の空」の真たるが何であるかも完全に了解し、様々な虚妄分別・分別執着によって迷い・苦しんでいる者に対して、自由自在に方便を用いながら、その迷い・苦しみを解き放つことができるようになるための仏道が完全に完成し、慈悲の実践を展開していくことに繋がるものであるかと存じております。 ・・中略・・

後半・・「吉祥なるものである。ブッダによって、どのような法(教え)も、どのような処でも、だれに対しても、説かれたことはない。」

縁起的・空性的あり方(○によって非○があり、非○によって○があるとして、一応、○も非○もそれぞれ仮において言えるものの、○だけでは○は成り立たない、非○だけでは非○は成り立たない、○にも非○にも実体は無い」)の理解から、無所得(無実体・無自性)、言語道断・無記・戯論寂滅(四句分別の否定「非有、非無、非有無、非「非有非無」(非非有非非無)」)への論理的道筋をしっかりと理解し、最高の真理である勝義の空・勝義諦・第一義諦のありようを真に了解することは、いかなる虚妄分別・分別執着も打ち破り、いかなる迷い・苦しみもを打ち破る、無上甚深微妙の法にして真なる涅槃に至るための実にすばらしく吉祥なるものである。

「ブッダによって、どのような法(教え)も、どのような処でも、だれに対しても、説かれたことはない。」・・お釈迦様・諸仏・如来によって、言語活動・言語表現を扱った世俗諦における諸々の教説は、対機説法・方便として、様々な者に対してそれぞれが色々と抱えている虚妄分別・分別執着のその一つ一つを打ち破らせるために説かれているものに過ぎず、最高の真理である勝義の空・勝義諦・第一義諦としての無上甚深微妙の法のありようは、いかなるところにおいても、誰に対しても説かれたことはない。

最高の真理である勝義の空・勝義諦・第一義諦としての無上甚深微妙の法のありようは、それぞれがそれぞれにおいて真に了解すべきものであり、お釈迦様・諸仏・如来の慈悲によって、言語活動・言語表現を扱った世俗諦における諸々の教説から、それぞれが色々と抱えている虚妄分別・分別執着、迷い・苦しみのその一つ一つをそれぞれが打ち破るために、勝義の空・勝義諦・第一義諦を真に了解し、真なる涅槃に至ることが何よりも重要であると存じております。当然にその了解したる最高の真理である勝義の空・勝義諦・第一義諦は、もはや言語活動・言語表現を超えたものであって、いかなるところにおいても、誰に対しても説けるものでもないと存じております。・・後略・・

・・引用抜粋ここまで。

・・

さて、最近はmixiのコミュニティ・仏教のトピック「ダルマキールティ論師の刹那滅論証(瞬間的存在性論証)」におきまして仏教論考を継続させて頂いておりまして、現在は特に龍樹論師「中論」の理解も平行して鋭意進めております。

そのコメント投稿におきまして、先日のオバマ米大統領・ノーベル平和賞・受賞演説の内容につきまして扱わせて頂きました。

コミュニティ・仏教

トピック・ダルマキールティ論師の刹那滅論証(瞬間的存在性論証)

89  2009年12月11日 21:50

引き続きまして、中論・「観涅槃品」(第二十五)を扱いまして、「中論」の説く「ニルヴァーナ(涅槃)」の考察を行って参りたいと存じておりますが、

少しその前に・・昨日のオバマ米大統領・ノーベル平和賞・受賞演説の内容は誠にやや残念でございました・・

米大統領選の当選直後にダライ・ラマ14世師と会談した際に、ダライ・ラマ14世師から中観思想の視座によっての平和・戦争のありようについての示唆を得られておられるものであるかとご期待申し上げておりましたが・・「平和のための戦争」を肯定してしまうような受賞演説の内容には少し失望を覚えました・・

最近のダライ・ラマ14世師との会談を延期したオバマ米大統領のありよう、もちろん、今回の受賞演説の内容のありようも鑑みますと、相当に何らかの圧力があってのことであろうとも存じます・・オバマ米大統領の真意の内容では無いのかもしれませんが・・

「戦争によって平和がある、平和によって戦争がある」と縁起的・空性的あり方においてそれぞれは仮に言えたとしてもそれぞれは実体の無いものであり、いつまでも平和だ、戦争だと実体視して執着し続けている限り、戦争は決して無くなることはあり得ませんし、真に平和に至ることもあり得ません・・

戦争利権を貪り、執着するものたちがいるかぎり、そのものたちが虚妄分別・分別執着で自作自演にて産み出し続けながら、しかも変化してゆく「平和」と「戦争」の定義に、世界の人々が実体視して執着させられてしまう限り、戦争は無くならず、真なる平和も得られないものでありますでしょう・・

このことは、最近の環境利権においても同様のことが言えるかと存じますが・・

誠にどこか寂しい限りでございますね・・

もちろん・・

以前にも引用にてコメントを述べさせて頂きましたこととなりますが、

以下、引用・・

国家破綻研究ブログ
http://gijutsu.exblog.jp/

リーマンショック1周年 何が明らかになり、何が変わったのか 変わらない強欲
http://gijutsu.exblog.jp/8971065/

におきましてコメント投稿させて頂いておりますように、

「リーマンショックから一年を振り返ってのまさに的確な分析であると存じます。確かに、「世界経済奥の院」が現在進行形で一体何をどうしたいのかということは、なかなか読み解くことは難しくあります。ただ世の流動における歴史の厳然たる結果を見ると、遡って、ああ、そういうことを考えていたのかということは理解することはできます。しかし、その内実のほとんどはkanconsultingさんのおっしゃる通りに傲慢に利権を貪る者の「強欲さ」が反映されているものばかりであり、相変わらず浅ましく下らない愚かなことの繰り返しであります・・

この負の連鎖をいい加減に断ち切らない限りは、同じことの繰り返しとなってしまいます・・私はこの繰り返し(輪廻)を断ち切るには、お釈迦様の仏法真理とその実践(慈悲)が必要であると強く考えております。特に現代社会においては、ナーガールジュナ(龍樹)論師以来の仏教・中観思想の考究とそこからの実践が重要と存じております。」

と致しまして、「世界経済奥の院」の強欲・傲慢さが生み出し続ける数々の人間世界の苦しみを無くすためには、何としても「世界経済奥の院」たちに仏法真理、その一つとしての中観思想も学んで頂き、理解して頂いて、そして、そこからの慈悲の実践を行ってほしいという想いがございます。

・・引用ここまで。

このように述べさせて頂きましたように、中観思想の学びとそこからの実践は実に現代世界においては重要であると存じております。

とにかく、あまりにも微力でありまして、浅学菲才の未熟者でございますが、少しでも中観思想の学びとそこからの実践を行っていけましたらと存じております。

誠に皆様方におかれましては、ご賢察賜りまして、ご理解を賜れますよう、何卒、宜しくお願い申し上げます。

・・ここまで。

とにかく中観思想の学びとその実践が、現代社会においては誠に重要であると存じております。誠に一つ一つでございます。