最近、仕事のほかに、色々な催し物に参加することが多く、ブログの更新が滞っています。
昨日(12月16日)は、日本教育会館で開かれた第3回「ウォーター・フォー・ライフ・フェスティバル」に参加しました。今年は、江本勝さんが(株)IHMを創立して20周年ということで、それを記念してかなり盛大に行なわれました。
プログラムは、江本さんのこれまでの仕事を、関係者や協力者のスピーチもまじえながら紹介するというもので、それに、EMの比嘉照夫さん、船井総研の船井幸雄さんの講演も加わるという内容でした。
江本さんは、MRAという波動測定器に出合い、「波動」という目に見えないエネルギーが存在することを確信し、そしてさらにそれを目に見えるようにするために、水を凍らせてその結晶写真を撮影するという活動を始めました。その結果、水が様々なエネルギーの影響を受ける一種の情報媒体であると考えるようになりました。水に影響を与えるエネルギーには、気や言葉や想念なども含まれます。
江本さんの撮影した水の結晶写真は、その美しさともあいまって、世界中に大きく広まりました。
ところが、江本さんの活動が有名になるにつれて、科学者の側からの江本さんに対する風当たりも強くなってきました。
Googleで「江本勝」というキーワードで検索すると、「江本勝 トンデモ」「江本勝 疑似科学」「江本勝 カルト」という項目が出てくるのには笑ってしまいます。こういうキーワードで検索する人が多いからなのでしょうか?
このように江本さんが批判されるのは、江本さんの側と科学者の側の両方に問題があるからだと思います。
そもそも現代の科学は、気や言葉や想念が独自のエネルギーや波動であるということを認めていません。現在の科学の理論的枠組み(パラダイム)と測定装置でとらえられないものは、存在しない、というのが99%の科学者の信念です。とくに、物質と精神はまったく別もので、両者の間に直接、相互作用が起こるということはありえない、というのが現代科学の大前提です(デカルト的パラダイム)。
ですから、たとえば念力でスプーンが曲がる、などということは現在の科学理論では起こりえないことなのです。そこで、そういう現象にぶつかると、インチキ・手品に違いない、と考え、その証拠を求め、少しでも怪しく見えるそぶりがあれば、やっぱりインチキだった、と結論するわけです。実際またインチキ・手品のたぐいが少なくありません。一つでもインチキが発見されれば、それ見たことか、すべてインチキだ、となるわけです。
そこには、念力なるものがあるかどうか、虚心坦懐に検証してみようという態度はまったく見られません。ある科学者がそういう公平な態度で実験しようとすると、それだけでうさんくさい目で見られますし、もし念力の存在が証明できたなどと言おうものなら、それを追検証しようとさえせず、その科学者は「トンデモ科学者」というレッテルを貼られ、猛烈なバッシングに見舞われ、大学や研究所にいられなくなります。ですから、本当は念力なるものがあるかもしれない、と思っている科学者でも、それを自分の研究テーマとして採り上げ、本格的に実験することはとうていできません。そういうことをやったら、科学者としての自分の死を意味するからです。
そこで、念力の研究は、せいぜい「超心理学」というカムフラージュをして、大学の片隅で細々と行なわれるだけで、それさえ科学の主流からは無視されています。東大や京大で念力の研究をしている学者がありますか? そういう講座がありますか? そんなことをしたら、その科学者は即座に一流大学から追放されます。
このような雰囲気の中では、本格的な念力の研究など行なわれるはずはありません。
昨日(12月16日)は、日本教育会館で開かれた第3回「ウォーター・フォー・ライフ・フェスティバル」に参加しました。今年は、江本勝さんが(株)IHMを創立して20周年ということで、それを記念してかなり盛大に行なわれました。
プログラムは、江本さんのこれまでの仕事を、関係者や協力者のスピーチもまじえながら紹介するというもので、それに、EMの比嘉照夫さん、船井総研の船井幸雄さんの講演も加わるという内容でした。
江本さんは、MRAという波動測定器に出合い、「波動」という目に見えないエネルギーが存在することを確信し、そしてさらにそれを目に見えるようにするために、水を凍らせてその結晶写真を撮影するという活動を始めました。その結果、水が様々なエネルギーの影響を受ける一種の情報媒体であると考えるようになりました。水に影響を与えるエネルギーには、気や言葉や想念なども含まれます。
江本さんの撮影した水の結晶写真は、その美しさともあいまって、世界中に大きく広まりました。
ところが、江本さんの活動が有名になるにつれて、科学者の側からの江本さんに対する風当たりも強くなってきました。
Googleで「江本勝」というキーワードで検索すると、「江本勝 トンデモ」「江本勝 疑似科学」「江本勝 カルト」という項目が出てくるのには笑ってしまいます。こういうキーワードで検索する人が多いからなのでしょうか?
このように江本さんが批判されるのは、江本さんの側と科学者の側の両方に問題があるからだと思います。
そもそも現代の科学は、気や言葉や想念が独自のエネルギーや波動であるということを認めていません。現在の科学の理論的枠組み(パラダイム)と測定装置でとらえられないものは、存在しない、というのが99%の科学者の信念です。とくに、物質と精神はまったく別もので、両者の間に直接、相互作用が起こるということはありえない、というのが現代科学の大前提です(デカルト的パラダイム)。
ですから、たとえば念力でスプーンが曲がる、などということは現在の科学理論では起こりえないことなのです。そこで、そういう現象にぶつかると、インチキ・手品に違いない、と考え、その証拠を求め、少しでも怪しく見えるそぶりがあれば、やっぱりインチキだった、と結論するわけです。実際またインチキ・手品のたぐいが少なくありません。一つでもインチキが発見されれば、それ見たことか、すべてインチキだ、となるわけです。
そこには、念力なるものがあるかどうか、虚心坦懐に検証してみようという態度はまったく見られません。ある科学者がそういう公平な態度で実験しようとすると、それだけでうさんくさい目で見られますし、もし念力の存在が証明できたなどと言おうものなら、それを追検証しようとさえせず、その科学者は「トンデモ科学者」というレッテルを貼られ、猛烈なバッシングに見舞われ、大学や研究所にいられなくなります。ですから、本当は念力なるものがあるかもしれない、と思っている科学者でも、それを自分の研究テーマとして採り上げ、本格的に実験することはとうていできません。そういうことをやったら、科学者としての自分の死を意味するからです。
そこで、念力の研究は、せいぜい「超心理学」というカムフラージュをして、大学の片隅で細々と行なわれるだけで、それさえ科学の主流からは無視されています。東大や京大で念力の研究をしている学者がありますか? そういう講座がありますか? そんなことをしたら、その科学者は即座に一流大学から追放されます。
このような雰囲気の中では、本格的な念力の研究など行なわれるはずはありません。
なんだか,「日本で研究されているはずがない」という思い込みが先行してしまっていることはないのでしょうか?
みなさん,探してみようとせず,イメージで仰っているのではないでしょうか.
そういうわけではないならば,いいのですが.
http://wwwsoc.nii.ac.jp/jspp2/japanese/aboutus/about_us.html
失礼しました.
でも,この記述は,超心理学会の方々に失礼なことはないでしょうか.
私の気にしすぎでしょうか.
超心理学によって、念力が存在する証明ができたという話はまだ聞いていません。ライン博士のサイコロの実験から何十年もたつのに、いまだに「あるらしい」程度の成果しか出ていないのではないでしょうか。