平和エッセイ

スピリチュアルな視点から平和について考える

フォトンベルト妄想(4)

2006年06月26日 | フォトンベルト妄想
海外でのフォトンベルト妄想の発生の経緯については、Wikipediaでもリンクが貼られている【絵文録ことのは】というサイトが詳しく検証しています。

http://kotonoha.main.jp/2004/09/24photon-belt.html など

このサイトによると、フォトンベルト妄想は以下のように発生したといいます。

【1】1981/08 オーストラリア国際UFO空飛ぶ円盤研究誌(Australian International UFO Flying Saucer Research Magazine)12号に「フォトン・ベルト物語(The Photon Belt Story)」が掲載される。

これはシャーリー・ケンプ(Shirley Kemp)という女子大学生が書いた「物語」であって、ちゃんとした科学的レポートではありません。しかも、掲載紙が「オーストラリア国際UFO空飛ぶ円盤研究誌」というのですから、そのレベルと性格がわかろうというものです。

この「物語」の邦訳:
http://kotonoha.main.jp/2004/09/24photon-belt-story.html

ケンプさんの「物語」を読んでみましょう。

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 1932年、カール・デヴィッド・アンダーソンは反電子を発見し、陽電子と名づけました。1956年、反陽子と反中性子が発見されました。
 反粒子が形成されるとき、通常の粒子の世界に存在するようになりますが、普通の粒子と出会ってぶつかるまで、何分の一秒という時間にすぎません。粒子は消え、2つの粒子の質量の合計がフォトン(光子)という形のエネルギーに変換されます。これは、新しく前例のない強力なエネルギー源となります。フォトンはまさに近い将来、あなたの生き方となろうとしています。
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ここには、渡邊氏の説明に出ていた粒子と反粒子の衝突によるフォトンの生成という観念が見られます。このこと自体は真実です。しかし、前にも書いたように、フォトンは光=電磁波の一種であって、ごくありふれたものです。ですから、「これは、新しく前例のない強力なエネルギー源となります。フォトンはまさに近い将来、あなたの生き方となろうとしています」というのは、まったくのナンセンスです。粒子と反粒子の衝突によるフォトンが、太陽や電灯から出るフォトンと違う、新しい生き方の基礎になる性質を持っている、などという説を唱えている科学者はどこにもいません。

ケンプさんは続けます。

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フォトン・バンドは、1961年、人工衛星に搭載された機器によって外宇宙に発見されました。では、ここから400光年先にあるプレアデス――7姉妹――へと移りましょう。この星団はたくさんの国々の神話になっています。ギリシア神話、オーストラリア神話の「夢の時代」、中国の神話……・。少し天文学者の記述から引用してみましょう……。
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「フォトン・バンドは、1961年、人工衛星に搭載された機器によって外宇宙に発見されました」というのは事実ではありません。写真がありますか? 天文学の専門誌にその記事がありますか? それを事実だと主張なさりたい方は、どこにそういう事実が掲載されているか、その証拠を挙げる必要があります。しかし、探しても見つかるはずはありません。なぜなら、その当時の人工衛星はきわめて幼稚なもので、ハッブル宇宙望遠鏡のような撮影や測定はできなかったからです。

さて奇妙なことに、ケンプさんの話は「外宇宙」からいきなり「プレアデス」へとワープいたします。フォトン・バンドは外宇宙=銀河宇宙の外に発見されたのではないでしょうか? どうしてここで銀河系内の星団であるプレアデスが出てくるのか、まったく理解できません。

しかし、そういう文句を言ってもしかたがないのでしょう。これは科学論文ではなく、「物語」、一種の「おとぎ話」であるからです。真実性などは問題外で、なんとなくそれらしき雰囲気を楽しめばよい文章であるからです。

次にケンプさんは、「少し天文学者の記述から引用してみましょう」と言って、ホセ・コマス・ソラ(Jose Comas Sola)、フリードリヒ・ヴィルヘルム・ベッセル(Friedrich Wilhelm Bessel)、アイザック・アシモフ、エドムンド・ハレーという実在の天文学者の名前をあげますが、いずれも古い人物で、フォトンベルト問題とは何の関係もありません。ただプレアデスについて何事かを語っている、というだけです。こういう名前を出すことによって、物語に一定の学問的雰囲気を与える、という効果をねらったものと思われます。

※これらのわりあいレアな名前(とくに前2者)がケンプさんの科学史の勉強によるものであるならば、その勉強ぶりをほめてあげてもいいと思いますが、私はこれは、次に出てくるヘッセの本の受け売りではないかと見ています。

ただし、これまでは「物語」の枕です。ケンプさんが言いたいのは次の段からです。

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ポール・オットー・ヘッセ(Paul Otto Hesse)も太陽が含まれるこの星系〔=プレアデス星団〕について特別な研究をおこない、太陽の軌道とちょうど直角に「フォトン・ベルト」あるいは「マナシック・リング」があることを発見しました。これは、科学者たちが研究室の実験では再現できていない現象です。
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ここでついに、主要テーマである「フォトン・ベルト」が出てきましたが、ケンプさんは、自分の文章に含まれる矛盾にさえ気づかない、相当にできの悪い学生さんであったようです。「科学者たちが研究室の実験では再現できない」現象を、ヘッセがどうやって発見できたのでしょうか? 「発見」というからには、写真とか電波とか何かのデータが必要なはずです。そんなデータがあるはずはありません。あれば、ほかの天文学者が再検証しているはずですが、そういう話は聞いたことがありません。

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 太陽がこの星系の軌道を一周するには2万4000年かかります。図に示したように、それはいくつかの部分に分かれています。1万年の闇の時代は、わたしたしたちが今いる昼と夜の時代です。それから2000年の光の時代、それからまた1万年の闇と2000年の光の時代となります。

 わたしたちは今、このフォトン・ベルトに入ろうとしているのです。それは避けられない……今から今世紀の終わりまで――しかしそれは避けられないのです! 一周回ってきて、最初に戻ったのです。これは聖書、あらゆる神話の本、ノストラダムス、現代の科学者によって記されています。

 地球が最初にフォトン・ベルトにはいったら、空は炎のように見えますが、確かなことは、これは冷たい光であり、そのために熱がありません。太陽が最初に入ったら、ただちに闇が訪れるでしょう。それは宇宙を進むスピードから計算して、110時間続きます。太陽放射とフォトンベルトの相互作用で、空は流星だらけのように見えるでしょう。地球がこの放射ベルトに入るとすぐ、すべての分子は励起し、すべての原子は変化し、物質は発光性となるでしょう。絶えず光があるのです。最も奥深い洞窟にも、人間の体の中にも、闇はなくなります。聖書をご覧なさい……「すべての星は空から落ち、空はもうない……」

・・・・・

 この宇宙には3種類の人たちがいます……わたしたちのように物質的な存在(corporeal)の固体の人類……気体状の存在(atmospherean)は部分的には固体ですが、分子構造はまるで異なっている……・エーテル的存在(etherean)はもはや物質を有していません。地球がフォトン・ベルトに入ったとき、通常の健康な人は自分の指を電気の通じたソケットに突っ込んだかのような衝撃を感じ、変成が完了します……あなたは物質的な人間から気体状の人間となったのです……(「そして汝は瞬く間に死から切り離された不死者へと変わるであろう」

 神学者は聖書の文字の中に深い意味を込めて書いてきました。彼らはこの光の時代に生きていたに違いありません。空と大気は違っており、決して雨は降りませんでした……ノストラダムスは4行詩の中で、わたしたちの知っている世界が1999年に終わると書いています……「もはや雨が降ることはないが、40年間、それが普通になる」

 アボリジニー神話ではこう言われています……「人は今とはまるで違っていた……星々への架け橋があった……」 その神話では、長老や年長者と争ったならば、空に逃げました。ギリシア人もそうでした。宇宙旅行は、フォトン・ベルトの中では簡単なように思われます。
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ここには、プレアデス、1万年の闇の時代と2000年の光の時代、フォトンベルトへの突入による地球の大変化と人類の変容など、のちのフォトンベルト妄想のすべての種が出そろっています。

この「物語」を読んでみると、著者のケンプさんが、うろ覚えの科学的知識を適当につなぎ合わせて、一種の終末幻想を語っていることがよくわかります。そしてよく注意していただきたいのですが、ケンプさんはこの終末幻想を1999年、つまり例のノストラダムスの予言と結びつけています。ケンプさんは、フォトンベルトへの突入が1999年と関係しているとほのめかしているように思われます。それは、この「物語」が書かれたのが、1981年、つまり1999年以前であることに起因しているでしょう。

しかし、ご存知のように、1999年には「恐怖の大王」が空から降ってくるどころか、大きな異変は何も起こりませんでした。五島勉氏をはじめとする終末論者の期待もむなしく、1999年は空振りに終わってしまいました。

そこで、今日のフォトンベルト妄想は、終末を1999年ではなく、2012年に移していますが、これについてはあとで述べます。

ところが、この終末幻想は、ケンプさん独自の創作ではなく、パウル・オットー・ヘッセというドイツ人の説の焼き直しなのでした。

つまり【1】の前に【0】があるのです。それがヘッセなのです。