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平和エッセイ

スピリチュアルな視点から平和について考える

百匹目の猿(1996年3月)

2005年04月11日 | バックナンバー
昌美先生が富士聖地で「百匹目の猿」についてお話しましたので、バックナンバーを紹介します。

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 宮崎県串間市の沖合いに、幸島(こうじま)という小さな島がある。この島には野生の日本猿が生息している。地元の小学校教師、三戸サツヱさんは、その猿が奇妙な行動をしているのを発見した。若いメス猿がサツマイモを水で洗って食べ始めたのである。この習慣は徐々に仲間の猿に広がり、あるとき、一匹の猿がその習慣に加わると、残りのすべての猿が同じ振る舞いをするようになった。それだけではない。幸島の猿たち全員が水洗いの行動をするようになると、大分県の高崎山の猿たちも同じ行動を始めたという。いつのころからか、水洗いを猿全体の習性とするのに決定的な一撃を与えた最後の猿のことを、「百匹目の猿」と呼ぶようになった。それは実際に百匹目ということではなく、象徴的な意味で言われているのである。

 幸島と高崎山は海を隔てて離れているので、幸島の猿が高崎山へ行ったわけではない。また、猿たちが電話やファックスで連絡したわけでもない。なんの伝達手段もないのに、二つの猿群の間にはなんらかの情報伝達が行なわれたと考えざるをえない。百匹目の猿現象は、高次の意識や行動様式を身につけた個体が一定の数に達すると、外的な伝達手段がなくても、それが種全体に広がり、種の進化をうながすことを示しているように思われる。

 猿にそういう現象が起こるということは、人間にも同じ事象が起こる可能性があるということを示唆してはいないだろうか。人類の進化もまた、高次の意識を持った個人の出現によって推進されてきた。仏陀やイエス、孔子や老子などの聖賢は、人類の文明や精神生活のあり方を大きく変えたと言えよう。彼らの教えによって、人類は、人生には物質的欲望の充足よりももっと高い目標があるということを知ったのである。

 もっとも、彼らの教えはたしかに人類の心の糧となってはきたが、人類はいまだ真の平和からほど遠い状態にある。彼らの教えに無理があったからなのか、いまだその時期にいたっていなかったからなのか。いずれにせよ人類は、彼らの説いた愛と平和の教えに反して、宗教紛争や民族紛争の渦からいまだ逃れられず、二〇世紀末に滅亡の危機に直面している。この危機を乗りこえるためには、さらなる精神的飛躍が必要とされている。

 その進化を担っているのは一人ひとりの人間である。エゴイズムや闘争を生の自明の原理とするのではなく、愛、調和、平和を優先して生きる人間たちがある一定の数に達するとき、その意識は全人類に波及して、世界は一気に平和の方向へと変化するのではないだろうか。一人の変化が全体に影響を及ぼし、人類を変化させるのだ。言い換えれば、あなた自身が百匹目の猿(?)であるのかもしれない。

ダライ・ラマ 平和を語る(2000年4月)

2005年04月09日 | バックナンバー
ダライ・ラマが来日中で、各地で講演会が開かれます。

・東京講演
 2005年4月9日(土)『思いやりと人間関係』
 会場:両国国技館
 ☆東京のチケットは"完売"とのことです。どうしても聞きたい方は、会場の前で「チケット求む」という掲示を掲げるとよいでしょう。

・熊本講演
 2005年4月10日(日)『心の平和から世界の平和へ』
 会場:熊本県立劇場コンサートホール

 2005年4月12日(火) 法話会『智慧と慈悲』
 会場:蓮華院誕生寺の奥之院 ほか

・金沢講演
 2005年4月16日(土)・4月17日(日)
 龍樹菩薩の『菩提心の解説(チャンチュプ・セムデール)』
 会場:石川県立音楽堂

詳細はこちら
  http://www.tibethouse.jp/dalai_lama/2005japan/index.html

私は2000年に東京でダライ・ラマの講演を聞きました。2000年の来日のときに書いたバックナンバーを紹介します。

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 四月にダライ・ラマ一四世が来日し、東京と京都で講演をする。

 ダライ・ラマは亡命チベットの政治的元首であり、チベット仏教の最高指導者でもある。政治的権力と宗教的権威をかねそなえるという点において、ローマ法王と似た立場にある。

 チベット仏教には、高僧が何度も輪廻転生して人びとを教え導くという信仰がある。いわゆる「転生活仏」はダライ・ラマだけではない。パンチェン・ラマやカルマパなど、数百人の高僧が転生すると信じられている。その中でも、観世音菩薩の転生者とされているダライ・ラマは最高の権威を有している。

 今回の来日は、京都精華大学が同学人文学部に環境社会学科を開設することを記念し、ダライ・ラマ法王を招聘したことがきっかけである。ところが、今年の初め、一四歳の少年カルマパ一七世が、中国からダライ・ラマのいるインドのダラムサラに出国(おそらく亡命)したことから、チベット問題が日本のマスコミの注目を集めることになった。

 チベット民族にはチベット語という固有の言語とチベット仏教という固有の文化がある。中国語と漢文化を持ち、共産主義を支配的イデオロギーとする現在の中国とは明らかに別民族である。チベットが中国の一部であるというのであれば、漢文化の影響を受けた日本も中国の一部ということになってしまう。チベットでは中国による人権侵害やチベット民族弾圧が続いており、国際的な批判が高まっている。

 チベット人の中には、武力をもって立ち上がらなければ民族の独立は永遠に達成できない、と考える人びとも少なくない。しかし、仏教徒として絶対的非暴力の立場に立つダライ・ラマは、武力闘争を否定している。

 彼は、最近出版されたばかりのリンザー著『ダライ・ラマ 平和を語る』(人文書院)の中で、「私のもっとも重要な関心はチベットの将来に向けられています。そしてそれは私たちの隣人であるインドと、とりわけ中国との関係に強く依存しています。私たちが非暴力的でありつづければ、中国人の中に肯定的な印象が生まれ、それは将来の協力を容易にするでしょう。私たちはこのようにして良いカルマをつくり出しているのです」と述べている。

 彼は同書の中でさらに、「私の日々の実践の中で、私は中国人について瞑想し、彼らに対する尊敬の念を成長させ、慈悲心を開発するように努めています。なぜかといいますと、彼らもまた苦しんでいるからです」とも述べている。暴力に暴力で対しては、決して平和は生まれない。平和の根元は慈悲の心である。私たち日本人は、チベットと中国に真の平和が訪れるように祈らなければならない。

ローマ法王の謝罪(2000年5月)

2005年04月08日 | バックナンバー
ヨハネ・パウロ2世が4月2日に逝去しました。偉大な法王でした。ここでは、5年前に書いたバックナンバーを掲載しておきます。

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 三月一二日、ローマ法王ヨハネ・パウロ二世が、カトリック教会の過去の過ちを認め、神に赦しを請う特別ミサを、バチカンのサンピエトロ寺院で開いた。聖職者や信者など一万人が集まったミサで法王は、キリスト教会の分裂、十字軍、異端審問、魔女裁判、反ユダヤ主義などに関する教会や信者の責任を認め、神に対し、「謙虚に告白している信徒の悔い改めを受け入れ、慈悲を与えるよう」求めた。世界に十億人の信徒を持つ、世界最大の宗派であるカトリック教会が、これほど包括的に歴史的な罪を認めるのは、二千年の教会史上でも初めてのことである。

 カトリックの最高指導者であるローマ法王は、イエスの高弟ペテロの後継者、キリストの権威の地上における代表者とされている。カトリックには「教皇の無謬性」という教義がある。神の代理人である教皇には一切の間違いはない、という教義である。しかし、ヨハネ・パウロ二世の告白をまつまでもなく、歴史的に見れば、キリスト教は数多くの過ちを犯してきた。カトリック教会は公式にはまだ「教皇の無謬性」という教義を捨ててはいないが、自己の過ちを率直に認めたことは画期的なことである。

 キリスト教にかぎらず、宗教はすべて自己の信仰を唯一絶対のものと見なす傾向がある。宗教的真理は、科学的真理のように論理と実証によって検証されるのではなく、信仰によって受容されるものなので、どうしても排他独善性が生じがちである。

 ある時代のある文化圏に一人の偉大な宗教的天才が現われる。人びとは、彼の説く教え、彼の示す人格、彼の起こす奇跡に魅了され、その人を神そのもの、あるいは神の代理人と見なす。その教えはたしかに真理のその時代や文化にそった表現であり、それによってその当時、多くの人びとが救われを見出したのだろう。しかし、時代が移り文化が異なれば、昔のままの表現では、理解も実行も難しくなる。それを昔のままに保持しようとすると、社会の進歩を妨げる。それを他の宗教の信者に強制しようとすると、宗教紛争が起こる。

 言語が有限である以上、いかなる宗教的天才でもいかなる教典でも、真理のすべてを表現することはできない。各宗教は、無限なる真理の一側面を照らし出したものであろう。そのことをわきまえれば、他の宗教を敵視することも排撃することもできなくなるはずである。二一世紀には、排他性自体が宗教の本質に反していることが理解されるようになるだろう。

 ローマ法王の謝罪は、宗教的寛容への大いなる第一歩であり、他の宗教も見ならうべき模範である。一九八九年のベルリンの壁の開放にも匹敵する歴史的な大偉業であると言えよう。

生神様(2005年3月)

2005年04月01日 | バックナンバー
 「稲むらの火」が、新年度から小学六年の道徳副読本に再び掲載されるという。この物語は、安政元年(一八五四年)の南海沖地震で、紀伊半島を津波が襲った時の実話がもとになっている。

 紀州有田郡広村(現在は広川町)で醤油製造を営む濱口儀兵衛は、高台に住んでいた。地震の直後に海を見ると、海がどんどん後退してゆき、海底が露出していることに気づいた。これは津波の前兆にちがいない、と彼はすぐにわかった。低地に住む村人を救うためにはどうしたらよいか。儀兵衛は収穫間近の自分の田の稲むらすべてに火をつけた。火を見た村人たちは、火事だと思って儀兵衛の家に駆けつけてきた。そこに津波が押しよせてきた。儀兵衛の自己犠牲的行為によって、大勢の村人の命が救われたのであった。

 小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)は、死者二万人以上を出した一八九六年の三陸大津波の際に、新聞で濱口儀兵衛についての記事を読み、それをもとに「生神様」という作品を書いた。それがのちに、地元の小学校の先生の手によって、国語の教材「稲むらの火」として書き直され、教科書に採用されたのであった。

 今回、この物語があらためて教科書に採り上げられたのは、地震・津波に対する国民の防災意識を高めるためであろう。地震学者は、近い将来、東海地震や南海沖地震が発生する可能性を指摘している。災害時には、一人ひとりが瞬時にいかなる判断を下し、いかなる行動を取るかが、被害を大きくもし小さくもする。その意味で時宜にかなった決定である。

 ただし、この物語には、このような防災面以上の意義があるだろう。この物語が今なお感動を呼ぶのは、濱口儀兵衛(ハーンの物語や教科書では五兵衛)が、村人を救うために大切な稲を惜しげもなく燃やしたからである。

 濱口儀兵衛にかぎらず、日本には、歴史上の著名人や有名人物ではなくても、私財や時には自分の命まで投げ出して、人々や郷土のために尽くした人が存在した。たとえば、三浦綾子の小説『塩狩峠』では、主人公は坂道を暴走しそうになる列車を止めるため、自分の体を文字通り車輪の下に投げ出すが、その実在のモデルは、長野政雄というクリスチャン青年である。

 私たち一般人には、濱口儀兵衛や長野政雄のような行為はなかなかなしがたいが、そういう「生神様」が存在したということを知るだけでも、心が洗われ、高められる。私たちは、このような先人を持ったことを誇りにしてよいし、後世に語り継いでいかなければならないと思う。その意味で、今後もこのような物語を積極的に教科書に採り上げてもらいたいものである。

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昨年の新潟中越地震、スマトラ沖大地震に続き、3月には福岡県西部で地震が起こり、インドネシアでは再度、巨大地震が起こりました。明らかに、地球的規模で地殻が変動する時期に入ってきております。

人類はいたずらに恐怖するのではなく、あらためて大地や海をはじめ、地球世界に愛と感謝の念を捧げていく必要があると思います。江本勝さんの水の結晶写真が示しているように、水をはじめ万物は、人類の想念波動の影響を受けるからです。愛と感謝の祈りは、地球に蓄積された破壊的エネルギーを中和し、解消し、自然災害を小さくすませてくれるに違いありません。「地球さん、ありがとうございます」

出家(1995年6月)

2005年03月18日 | バックナンバー
オウム真理教は信者を「出家」させて、修行させていました。出家に際しては、すべての財産を教団に寄進させるようなことも行なわれていました。こういう出家形式の宗教は、現代では無理があると思います。

これは、オウム事件の直後に書いた文章です。

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 出家とは、世俗の生活を捨てて修行の道一筋に生きることをいう。主として仏教で使われる言葉である。このような出家修行の形態は、すでにお釈迦様在世当時から取られていた。

 出家修行者といっても、やはり住む家も必要であれば、食べものや衣類も必要である。それでは、出家たちの生活はどのようにして支えられていたのか。それは、出家ならざる、在家の仏教信者の寄付・寄進によってであった。出家たちは在家の信徒たちの経済活動に依存しながら、世俗の営みに時間と労力をさかずに、ひたすら仏教修行の道を歩んだのである。

 しかし、もしすべての仏教徒が出家したら、当然のことながら、経済活動を行なう人びとがいなくなってしまう。すべてとはいわなくとも、あまりにも多くの人が出家するようになれば、その国の経済は停滞せざるをえないであろう。そのような理由から、昔の中国では出家行為が禁止されたこともあったのである。

 現代においては、仏教といわずどんな宗教においても、現実生活を捨てて宗教の修行だけに打ち込むことはいっそう困難になっている。一般的な生活費が高騰しているので、世間なみの生活を維持するだけでもけっこうお金がかかる。それでも、係累のない独身者であれば、自分一人の不自由を我慢すればすむことであるが、妻子や親兄弟がいる場合は、自分の宗教的願望だけを追求していては、家族に多大の迷惑をかけることになる。宗教の目的には、個人の救済と悟りだけではなく、他者の救済や幸福も含まれているはずである。もし出家という行為が、家庭を破壊したり近親者に迷惑をかけたりすることにつながるとするならば、それは宗教の本質に背くことになるのではなかろうか。

 したがって、今日の宗教生活のあり方は、一部の特殊な人びとを除いては、在家の修行ということにならざるをえない。しかし、世俗の生活の中にあって宗教的理想を追求することは、ある意味では出家的な宗教一筋の生き方よりも困難かもしれない。常に世俗の雑事に心が煩わされて、宗教的生活からはずれがちになるからである。そのような境遇の中で高い悟りに到達できたなら、それは出家者よりも素晴らしい成果ということになる。大乗仏教は在家の修行者を菩薩と呼び、その意義を高く評価したのである。

 一般大衆に可能な在家修行の道を切り開いたのが、浄土真宗の開祖・親鸞であった。浄土門は、日常生活の中でひたすら唱名念仏をすれば仏の世界に到達できる、と教えた。そして、在家の念仏者の中から、妙好人と呼ばれる人格者が多数生まれた。今日、この浄土門の教えは、現代的な形になって、世界平和の祈りに引き継がれているのである。

終末論(2003年4月)

2005年03月17日 | バックナンバー
オウム真理教が地下鉄サリン事件を起こしてからまもなく10年になるということで、最近、新聞ではこの事件に関係した記事をよく見かけます。

そこで、オウム真理教に関係したバックナンバーをいくつか紹介します。

オウム真理教は「終末論」を信じていました。というよりも、自分で終末を引き起こそうとしました。それが地下鉄サリン事件であったのです。

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 終末論とはユダヤ教やキリスト教にある考え方で、ごく簡単に言えば、現在の世界が未曾有の大災害や大戦争によって滅亡し、そのあとにメシアが出現して、神の国そのままの平和な世界が訪れる、という信仰である。この大戦争のことをハルマゲドンの戦いという。旧約聖書のエゼキエル書やダニエル書、新約聖書のヨハネ黙示録にそのような終末予言が記されている。

 したがって、終末論を信奉するのはキリスト教系の宗教に多いのだが、キリスト教以外にも終末論を説く宗教は少なくない。現代のように地球の環境破壊が進行し、戦争の危機が迫ってくると、世界の終わりは近いのかしら、とふと考える人もいるのだろう。そういうところに、どうにでも解釈できるもっともらしい予言が流布し、よけいに終末論がはやるのであろう。

 グレース・ハルセル著『核戦争を待望する人びと』(朝日選書)によると、キリスト教根本(原理)主義と呼ばれるアメリカの宗教グループは、終末論が告げる大災害や大戦争を待ち望むという、常識では理解できない期待をいだいているという。これらの人々は、終末が来ても、正しい信仰の持ち主である自分たちだけはメシアに救われるので、早く大惨事が起こってほしい、と願っているようなのである。当然のことながら、ローマ法王など伝統的キリスト教陣営は、原理主義は正しいキリスト教ではないと見なしている。

 レーガン元アメリカ大統領はキリスト教原理主義に影響され、一時期、ソ連こそ聖書に書かれている「悪の帝国」であって、現代に米ソの間でハルマゲドンが起こると信じていたらしい。そんな終末思想の持ち主が核兵器のボタンを管理していたのであるから、危険きわまりないことであった。

 だが、このような信仰は、宗教という名前はかたっていても、自分たちだけが救われればいいという一種のエゴイズムではないだろうか。世界の危機が迫っているからこそ、宗教者は、自分たちだけの救済を願うのではなく、人類全体の平和のために真剣に働かなければならないと思う。ハルマゲドンが起こってからメシアが現われるのでは遅すぎるのである。

 予言書に何が書いてあろうが、人類の未来は変更不可能な形で確定されているものではない。物質の世界でさえ、量子力学がニュートン力学の機械的世界運行を否定している。意識が作用する人類社会は、心の持ち方でどうにでも変化しうるものであり、一義的に定まったものではない。私たち一人ひとりが明るい未来を信じて、人類愛の心と平和への意志を世界平和の祈りに結集すれば、終末の世を大災害なしに乗り越え、世界平和を築くことが可能である。西園寺昌美・アーヴィン・ラズロ著『あなたは世界を変えられる』(河出書房新社)という本の題名の通りなのである。

キリストの再臨(2004年10月)

2005年03月06日 | バックナンバー
琵琶湖マラソンでデリマ選手が登場したのにちなんで――

 数々の感動を残してアテネ・オリンピックが終了した。筆者がとくに印象に残ったのは、世界二〇二の国と地域が国旗を先頭に入場した入場式の光景であった。大国も小国も、肌の色や文化や宗教などのあらゆる違いを超えて、ともに一堂に会する姿は、未来の平和世界のあり方を先取りしているかのように見えた。

 しかし、ドーピングなど、フェアプレイの精神に反する不祥事が起こったことは残念であった。とくに最終日の男子マラソンで、先頭を走っていたブラジルのデリマ選手が、観客席から飛び出してきた男に妨害された事件には、世界中の視聴者が驚いた。

 この闖入者はアイルランド人の元司祭だということであるが、彼が背負っていたプラカードには、「イスラエルに関する予言の成就を聖書は語っている。再臨は近い」と書かれていた。

 聖書には黙示書と呼ばれる文書が含まれている。旧約聖書のダニエル書や新約聖書のヨハネ黙示録などがそうである。黙示(アポカリュプス) とはギリシャ語で「開示、啓示」という意味で、これらの文書は神の神秘、とくに未来の世界の運命を啓示するとされている。それらをつなぎ合わせて読むと、終末には、世界に離散していたイスラエル民族が国を再興し、その後、大戦争が起こり、メシア(イエス・キリスト)が再臨する、という解釈も可能である。キリスト教徒の中にはこういう予言を信じ、イスラエル建国を予言成就の第一段階と見なしている人々もいる。闖入者はこの予言を宣伝したかったのであろう。

 このような人々はキリスト教シオニストと呼ばれるほど、イスラエルに肩入れしている。彼らはとくにアメリカにおいて強い政治的影響力を行使し、アメリカがパレスチナ問題で公正な仲裁をすることを妨げている。

 この予言にしたがえば、イスラエルがパレスチナ人の土地を奪い、彼らを難民にしたのも神の意志ということになる。しかし、土地をめぐって争いあい殺しあうことが、神の心に叶うことであろうか。神とは愛のはずである。

 さらに予言が正しければ、大戦争のあとでなければ、キリストの再臨が起こらないことになる。そのため彼らの中には、核戦争が起こることを待望する人びとさえいるという。常識では理解できない考え方である。

 キリストの再臨とは、イエスという二千年前の人物が再び現われることではない。人類すべての心の中に愛、平和、真理がよみがえることである。大戦争が起こってからメシアが出現するのでは遅い。大戦争を防ぐために、世界平和の祈りによって、人類一人ひとりが小メシアとならなければならないのである

アインシュタイン(2005年2月)

2005年03月02日 | バックナンバー
 今年二〇〇五年は、アインシュタインが特殊相対性理論を発表してから百年目に当たる。E=mc2という公式で知られるこの理論は、質量がエネルギーに変換されることを述べている。アインシュタインは当初、この現象は原子核の放射性崩壊のような微少なレベルでのみ起こりうると考えていたが、やがて彼の理論を実用化する形で、原爆や原子力発電所が造られるようになった。二〇世紀は核エネルギーの時代となった。

 原爆開発のきっかけを作ったのもアインシュタイン自身であった。一九三九年八月、彼は数名の科学者たちの代表として、アメリカ大統領ルーズベルトに原爆の製造を進言した。ドイツ系ユダヤ人である彼は、ナチス・ドイツを逃れてアメリカに移住していたが、ユダヤ人迫害を進めるドイツが、原爆開発に着手したとの情報に接し、強い危機感をいだいたのである。

 一九四五年に原爆が完成されたときには、ドイツはすでに降伏していた。日本の敗戦も間近と見られていた。もはや戦争で原爆を使用する必要性はなかった。しかし、同年八月、広島と長崎に原爆が投下され、数十万人の一般市民が一瞬のうちに殺害された。彼の個人的責任ではないとはいえ、一九二二年に訪日し、親日家であったアインシュタインにとっては、痛恨の事態であった。

 元来、平和主義者であったアインシュタインは戦後、いっそう平和運動に力を入れるようになった。彼の目標は核兵器の廃絶と世界連邦の樹立であった。一九五四年、ビキニ環礁におけるアメリカの水爆実験に危機感を深め、イギリスの哲学者バートランド・ラッセルとともに「ラッセル=アインシュタイン宣言」という平和宣言を出した。この宣言から、パグウォッシュ会議という科学者の平和会議が生まれ、湯川秀樹博士もその一員になった。アインシュタインは人類の行く末を憂慮しつつ、五五年に死去した。

 世界には今なお、アメリカ、ロシア、中国など、核兵器を保有している国がいくつかある。北朝鮮の核兵器開発疑惑、さらには実戦で使用可能な小型核兵器を開発しようとするアメリカの計画など、人類はいまだ核兵器と手を切ることができないでいる。核兵器を廃絶し、戦争のない世界を実現するというアインシュタインの理想を、人類はもう一度真剣に思い起こさなければならない。

 そのためには、原爆の最初の被爆国である日本が、アインシュタインの遺志を、「世界人類が平和でありますように」という祈りのもとに世界に訴えかけていく権利と責任がある。今年は、相対性理論百周年、アインシュタイン死後五〇周年であるばかりではなく、原爆投下六〇周年という節目の年にも当たる。

京都会議(1998年2月)

2005年02月18日 | バックナンバー
2月16日に京都議定書が発効したので――

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京都会議(1998年2月)

 昨年(1997年)十二月の地球温暖化防止のための京都会議で、日本は二酸化炭素の排出量を、一九九〇年に比べて六%削減することを義務づけられた。EUは八%、アメリカは七%の削減である。日本が最も少ない削減率であるが、三地域の中では、日本の数字がいちばん厳しいと言われている。

 EUの八%というのはEU全体での平均で、各国ごとの削減率はまちまちである。最初、EU各国が削減すべき量を持ち寄って計算したところ、十五%という数字が出た。このように大きな数字が出たのは、なんといっても旧東ドイツの削減分が大きい。基準になる一九九〇年というと東西ドイツ統一の年であるが、東ドイツには膨大な二酸化炭素を吐き出す非効率な工場がまだたくさんあった。古い工場を閉鎖したり近代化するだけで、ドイツは自然に大量の炭酸ガスの削減ができるのである。

 アメリカは最初〇%を主張していた。それを七%にしたのだから、大幅な譲歩のように見えるが、アメリカは二酸化炭素の排出権の売買を認めさせた。隣国メキシコの排出分を買うことができるのである。したがって、金さえ払えば、今まで通りの生活や経済を続けることができる。

 これに対して、日本は自動車や電気製品の省エネ技術ですでに世界のトップレベルにあるから、これからさらに六%削減するのは非常に厳しいのだと言われている。会議の議長国である日本は、米欧に足元を見られ、一国だけ過酷な削減義務を背負わされたわけである。交渉下手な日本は、欧米にうまくトランプのババを押しつけられたようなものである。

 とはいえ、欧米のずるさや日本政府の拙劣さに腹を立てても仕方がない。この厳しい数字をチャンスとして生かさない手はない。日本は省エネ技術が進んでいるとはいうが、日本人の生活は決して省エネ型ではない。テレビやラジオの深夜放送や、二四時間営業のコンビニや自動販売機など、今日の生活にはあまりにも無駄と浪費が多すぎるのではなかろうか。

 これまで日本人は、経済発展と物質的豊かさの増大を自分たちの生きる目的としてきたが、「もっともっと」という物質的欲望の拡大的充足は、環境問題によってはっきりと枠がはめられた。欲望の充足が生きる目標になりえなくなったときに、人びとは何を人生の目標とし、幸福としたらよいのだろう。環境問題は、人間にとって真の豊かさとは何か、真の幸福とは何か、ということを考え直すよい機会を与えてくれたことになる。

 幸福とは最終的に、自分の心の中に感謝と喜びがわき上がることであろう。物質的にどんなに豊かになっても、心が満たされなければ幸福ではない。この機会に私たちは、外面にばかりではなく、自分たちの内面に、もっと心の眼を向ける必要があるのではないだろうか。
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日本は1990年当時に比較して、二酸化炭素排出量が8%増加しています。ということは、これから14%も減らさなければならないということで、たいへんなことです。

議定書の制定から発効まで7年もかかったことが残念ですが、アメリカが議定書から離脱したことにはあきれます。アメリカだけで世界のCO2の1/4を排出しています。

さらに、世界の13%の中国、日本の5%に次ぐ4%のインドが、開発途上国という理由で、削減義務から免除されています。

世界各国の二酸化炭素排出量

このままでは、京都議定書が発効しても、世界全体の二酸化炭素の削減にはつながらないでしょう。

しかし、他国がやらないから日本も努力する必要はないのだ、ということにはなりません。日本の役割は、二酸化炭素の削減と国民の幸福が両立しうるというモデルを世界に示すことにあると思います。そういう日本の行き方は、やがて世界中のあこがれの的になるでしょう。

かつてアメリカでマスキー法という、自動車の排ガスを規制する法律が作られたとき、当初、日本の自動車メーカーは厳しすぎるといって悲鳴を上げましたが、結局、マスキー法をクリアーする自動車を開発し、その結果、燃費がよく有害排ガスも少ない日本車の性能が世界的に認められました。

これは自動車産業だけのことでしたが、これからは日本全体として二酸化炭素の削減に取り組む必要があります。そのためには、個々の産業分野での省エネ努力だけでは不十分で、日本人全体の意識の変革と日本の社会システム全般の変更が必要とされるでしょう。

参考:京都議定書は日本のチャンス

笑うかどには(2003年6月)

2005年02月17日 | バックナンバー
村上和雄先生の遺伝子に関する過去の平和エッセイ――

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笑うかどには(2003年6月)

 週間誌『アエラ』四月二一日号に、「笑いで目覚める幸福の遺伝子」という興味深い記事が出ていた。

 全国の医師や心理学者らで作る「心と遺伝子研究会」が、糖尿病患者の食事のあとの血糖値の変化を調べた。最初の日は、食事後に糖尿病に関する堅苦しい講義を四五分間聞かせた。次の日には、愉快な漫才を同じ時間聞かせた。両日の血糖値を調べると、漫才を聞かせたほうが、血糖値の上がり方がはるかに少なかった。

 昔から「笑うかどには福来たる」と言われ、笑いが人生を明るくすると考えられていたが、この実験は、笑いが健康状態によい影響を与えることを科学的に証明したと言える。

 笑いによって、なぜこのような変化が生じるのだろうか。研究会代表の村上和雄・筑波大学名誉教授は、「笑いが、血糖値を下げる遺伝子を目覚めさせた」と見る。

 生物はすべて細胞から構成されているが、一つひとつの細胞には同じ全遺伝子情報が含まれている。ただし、各細胞でその遺伝子がすべて働いているわけではない。必要な遺伝子情報のみが使われ、その他の多くの遺伝子は特殊なタンパクで封印され、ふだんは眠っている。たとえば、心臓の細胞では心臓の遺伝子機能だけがオンになり、その他の機能はオフになっている。心臓細胞で髪の毛の遺伝子機能がオンになると、心臓に毛が生えてしまう。そういうことが起こらないように、心臓細胞では毛の機能はオフになっている。糖尿病患者の場合、血糖値調整の遺伝子が不活性なのかもしれない。それが目覚めれば、糖尿病も改善されるはずだ。

 「心と遺伝子研究会」の実験は、笑いという心理作用が、細胞の中でそれまで眠っていた血糖値を下げる遺伝子機能を目覚めさせたことを示している。つまり心の持ち方が遺伝子のオン・オフに影響を与えたことになる。

 笑いが遺伝子のオン・オフに影響するならば、感謝、喜び、希望なども影響するに違いない、逆に、悲しみ、怒り、不安など、否定的な心理状態も遺伝子のオン・オフに影響するに違いない。「病は気から」というように、否定的な感情が体に悪影響を与えることが昔から知られていたが、それには科学的な根拠があったわけである。

 そうすると、健康な生活を送ろうと思えば、食事や運動や休息もさることながら、ふだんの心の持ち方も大切ということになる。私たちは、否定的な感情想念が起こったら、それをいち早く消滅させ、感謝や希望などの明るい心に転換させる必要がある。それをもっとも容易に行なえる方法が、「消えてゆく姿で世界平和の祈り」であり、光明思想徹底行ということになる。
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最近の朝日新聞の記事によると、介護の分野で「お笑いヘルパー」が養成されるそうです。

祈りの治癒力(2003年8月)

2005年02月16日 | バックナンバー
昨日の対談「運命を開く人間学」で村上先生が触れている、祈りによる治療に関連する平和エッセイ――

祈りの治癒力(2003年8月)

 祈りによって病気が治った、などと言うと、新興宗教のおかげ話にしか聞こえないかもしれない。しかし、一部の医学者たちは、祈りと治病の関係を科学的に調べ始めている。

 祈りが治病に及ぼす影響についてよく知られているのは、アメリカの心臓学者のランドルフ・バード氏の研究である。氏は、サンフランシスコ総合病院の冠動脈科病棟に入院した患者三九三人を、人々の祈りを受けるグループと受けないグループに分けた。患者に祈りを送るために、キリスト教会の信徒が選ばれた。彼らは自分が担当する患者に定期的に祈りを捧げたが、患者と面識はなかった。どの患者がどちらのグループに入っているかは、患者本人をはじめ、医師、看護婦にも知らされなかった。心理的な影響を避けるためである。祈り以外は、両方の患者は通常の医学的治療を受けた。その結果は、祈りを受けた患者グループは、祈りを受けなかった患者グループよりも、抗生物質の投与量が五分の一になり、肺浮腫を併発する率は三分の一になったという。明らかに、祈りを受けた患者のほうが、より健康的になったわけである。

 祈りと治病の関係について数多くの実験を調査したラリー・ドッシー博士は、「祈りの効き目を実験が証明できるかできないかという問いは意味を持たなくなってしまったといっていい。なぜなら、もうすでに実験は祈りの効果を証明してしまったからである」と述べている(『祈る心は、治る力』日本教文社)。

 では、祈りがなぜ治病に効果があるのだろうか? そのメカニズムは現代科学ではまだ謎である。祈りは一種の念ということになろうが、現代科学は念力の存在を認めていない。しかし、科学的メカニズムはわからなくても、祈りが患者によい影響を与えるということは、多くの実験結果から事実として認めざるをえないのである。

 ドッシー博士は、祈りが医学の代わりになる、とか、祈りですべての病気が治る、などとは言っていない。しかし、通常の治療と祈りを「併用」してはなぜいけないのか、祈りに効果がある以上、医師は積極的に祈るべきではないか、と問うている。

 医師が病気を単に肉体の故障と見れば、患者に対する態度が即物的になり、患者は人間として尊重されていると感じることが少なくなるだろう。逆に医師が祈り心で患者に接すれば、患者はそこに温かなものを感じるであろう。医師の祈りは、面識のない人の祈りよりも、もっと効くかもしれない。さらに、患者本人が祈ったり瞑想したりすることは、脳波中のα波を増強し、心の安定度を高め、肉体によい影響を与えることが知られている。祈りの治癒力は、今後、現代医学のホットな話題となるであろう。

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なお、こちらにも村上先生の別の対談が出ています。生長の家の「光の泉」という雑誌だそうです。

鳥インフルエンザ(2004年4月)

2005年02月09日 | バックナンバー
昨年の平和エッセイから(2004年4月)――

 鳥インフルエンザが日本でも感染を広げている。現在のところは鳥から鳥への感染で、鳥から人間への感染は、ベトナムやタイでは報告されているが、まだ例外的であると見られている。しかし、ウィルスが変異して、人間から人間に感染する力を持つと、大規模な感染、つまりパンデミーが起こる可能性がある。

 第一次世界大戦の直後の一九一八~一九年に、スペイン風邪と呼ばれたインフルエンザが大流行し、全世界で四千万人が死んだ。ウィルスの遺伝子分析から、スペイン風邪も鳥インフルエンザの一種であったことが判明している。

 人体には免疫という機能があり、細菌やウィルスが侵入しても、通常は抗体によって退治することができる。しかし、まったく新しいウィルスになると、人体はまだそれに対する抗体を持っていないので、自然治癒することが難しく、大規模な感染につながるのである。交通網が発達した現在、新しいウィルスはたちまちのうちに全世界に広まる可能性がある。

 どうしてこのようなウィルスが発生するのだろうか。原因はまだわからないが、人間と動物の関係がその一因であることは間違いないであろう。

 ニワトリは肉や卵として人間の食生活に利用されてきた。日本のような先進工業国では、ニワトリは過密状態で狭い鶏舎に閉じこめられ、できるだけ早く肥育するように、成長ホルモン、濃厚飼料、抗生物質が投与されている。

 また、できるだけ早く多くの卵を産ませるために行なわれているのが、「強制換羽」という方法である。雌鶏は一年間卵を産んだあと、産卵を自然にやめ、その間に羽を生え換わらせる。そのとき、餌と光を与えないというショックを加えると、換羽が早まり、それだけ産卵も早まる。しかし、これはニワトリに多大のストレスを与え、致死率を高める。ニワトリの立場からすれば、あまりにも残酷な飼育方法である。

 ニワトリだけではない。BSE(狂牛病)は、草食動物の牛に、牛の肉骨粉を食べさせるという、自然界の摂理を無視した飼育方法によって生じた病気である。狂牛病の牛の特定部位を食べると、「新クロイツフェルト・ヤコブ病」という痴呆症が発症する。

 人類はまだ、肉食をやめるまでにはいたっていない。動物性タンパク質もある程度は必要である。しかし、動物をただのモノと見なし、命を犠牲にして人間に体を捧げてくれている動物たちへの感謝を忘れ、ただ旨い不味いといっているのでは、動物も浮かばれない。残酷な飼育方法を改め、食べるときには、動物たちに心から感謝の念を捧げることが、最低限必要なことではないだろうか。