仔羊の回帰線

詩と散文のプロムナード :Promenade

*ローマの護民官: コーラ・ディ・リエンツォー: ➁

2024年05月14日 09時52分29秒 | *ドイツ短編選+*:H.S.夏里氏の生成AI活用術より

   *ベルゲングリューン 「鳥の小皿」 ② より:
    ローマのカピトル宮殿に来られたし--  これに続いて、署名も認められていた。-- : 神の御加護の下に、ローマ共和国を救済せし、イタリアと全世界の同胞に味方となり、御聖霊の恩寵ににより、自由と平和と正義をもたらせし護民官、並びに、貧者と寡婦と孤児の保護者たるニコラウスとその妻。 
         ガブリーニは、ことの内容がよく呑み込めなかった。すると使いの騎兵は再度、読み上げ説明を加えた。
 このお方は つまり、そなたの甥のコーラ閣下なのですぞ。実に甥のコーラ閣下様なのですぞ。・・
 だが書状によれば、この護民官の縁者は、すべからく 貧困と隠遁の生活は罷りならず、ガブリーニも 即刻、田畑を手放し ローマに赴かねばならぬ、と云うのである。                                    
 次第に事情が飲み込めてくると、ガブリーニは本当に あのどえらい饒舌家だったコーラに違いないと思い当たった。
思ってた通りぢゃ。あの男が平凡な暮らしに満足する筈はないからのう 
 W.Bergengruen :Vogel-Schalchen
Ubersetzt von HERRN*SOMMER-夏目                 
             ***  )))  --->>  *                                           中世ローマの護民官、コーラ・ディ・リエンツォの生涯は、政治的野心と理想主義、そして悲劇的な結末を含むドラマチックなものであった。

   コーラ・ディ・リエンツォは、1313年から1354年まで41年の生涯を過ごし、ローマ市民の支持を集め、貴族に対する改革を推進した。しかし、独裁的な振る舞いは最終的に市民の反感を買い、暴動によって命を落とした。

ドイツの作家ヴェルナー・ベルゲングリューンは「鳥の小皿」という短編を通じて、コーラ・ディ・リエンツォのエピソードを再解釈し、コーラの野心とローマ市民との関係を象徴的に描き深い印象を残した。このように、歴史上の人物が文学作品に登場することで、新たな視点が加わり、彼らの生きた時代を伝えることができるのである。

コーラ・ディ・リエンツォのような歴史的人物は、権力、正義、そして人間性についての普遍的な問いを投げかけてき、ベルゲングリューンのような作家がそれを物語として描くことで、過去と現在が対話し、新たな意味を生み出し、歴史は単なる記録ではなく、生きた物語として息づくことになる。。。

 コーラ・ディ・リエンツォは多くの作家や作曲家に影響を与えてきたが、例えば、リヒャルト・ワーグナーのオペラ『リエンツィ』、ジョヴァンニ・ズガンバーティの交響曲「コーラ・ディ・リエンツォ」などであるが、これらの作品は、コーラ・ディ・リエンツォという人物が持つドラマチックな人生と、彼が追求した理想と現実の間の葛藤を表現し、彼の生きた時代を超えて、今日に至るまで感動を呼んでいるということになる。   ---  >>>  *

* コーラ・ディ・リエンツォーと「鳥の小皿」Vogei-schalchen :

        中世ローマの護民官であったコーラ・ディ・リエンツォーは、その生涯と行動が今なお 語り継がれ、1313年から1354年までの41歳という短い生涯の中で、ローマ市民の支持を集め、貴族に対する改革を推進したが、政治的野心と悲劇的な結末は、後世の芸術家や作家に影響を与えてきた。。。

ドイツの作家ヴェルナー・ベルゲングリューンは、この歴史的人物にインスピレーションを受け、「鳥の小皿」という短編を執筆し、彼のエピソードを独自の視点で捉え、人間性と時代の精神を描き出している。 ベルゲングリューンは、歴史的事実を基にしながら、文学的想像力を駆使して物語を紡ぎ出し、深い印象を残している。。。

コーラ・ディ・リエンツォーは、政治的な野望と市民の期待が交錯する時代背景の中で、ローマ市民の自由と権利を守るために立ち上がり、一時は成功を収めたが、最終的には市民の手によって命を落とすという悲劇に見舞われた。

  *コーラ・ディ・リエンツォー: 中世ローマの改革者とその遺産:

 コーラは1313年にローマのトラステヴェレ地区で生まれ、若くして公証人となる。彼は弁論に長け、古代ローマの栄光を称賛し、貴族に対する批判的な演説で名を馳せる。当時の教皇庁がアヴィニョンにあった時代、ローマは荒廃しており、コーラはこの状況を変えるために行動を起こした。

1347年、コーラは議会を招集、数千人の群衆の前で貴族を標的にした改革綱領を発表。彼は独裁官の権限を与えられ、自らに神聖ローマ共和国 解放者という称号を授け、税制改革を行い、貴族を容赦なく裁判にかける。しかし、次第に誇大妄想的な言動が目立ち始め、皇帝のように振る舞い、自らを「聖母の息子」と称するようになる。

コーラの改革は一時的な成功を収めたが、貴族階級との対立は深まり、教皇の支持を失い政治的運命は暗転。1354年、ローマに復帰したコーラは気に食わない者を次々と処刑、市民の不満は高まる。同年10月、反乱が起こり、「裏切り者に死を」と叫ぶ群衆に取り囲まれたコーラは、かつての部下に刺殺されてしまう。。。>>> --

附・ *中世ローマの護民官、コーラ・ディ・リエンツォの生涯は、政治的なドラマと個人的な悲劇の両方を含み、彼の物語は、ドイツの作家ベルゲングリューンによって「鳥の小皿」Das Vogei-Schalchen という短編小説で描かれており、夏目政廣氏によって日本語に翻訳されている。この作品は、コーラ・ディ・リエンツォの野心と理想、そして最終的な没落を描いており、歴史的な人物を文学的な視点から捉えている作品で、 夏目政廣氏による翻訳は、グー・ブログで公開されておりオンラインで読むことが可能である。  <-49-- PV.-58->               < --59 --  62--  >>                                                       *HERR*SOMMER-夏里氏の生成AI-活用術より +1.


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