画竜点睛: がりょうてんせい: ほんの少し手を加えることで、全体が引き立つことを言う。 :中国の故事、点睛の睛は瞳のこと、竜はここでは〈りょう〉と読む。
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- 嗚呼 敗れしトロイア そを 愛(いと)おしむ 王 プリアモス
- その情も 子を愛(め)でる トロイア総大将 ヘクトアーの 妻の情けも 貞淑な妻を忍ぶ ユリシーズの 想いも おお 愛しの トーストよ 汝れに寄する わが愛には 如(し)かず・・ >>--
イギリスの桂冠詩人エベニーザは机に駆け寄るや慌ただしく鵞ペンを取り、詩を書き始めた。:
されど 王を愛ずる セメレーの如く 心静かに アテネ王の子の 女を知らぬ 清らなる姿を愛おしむ 継母の如く-- 願わくば 愛しのきみ トーストよ ・・
汚れなき身の純潔をこそ 愛したまえ この無垢なる身 そは いやしくも仮初めの天の恵みに あらず 宝の山から取り出したる凡百の珠玉とも異なり まこと 償い叶わぬ玉ぎょくなのだ かくなる無垢 そは身を守り これなくしては ただに 生の道を辿りゆくのみ・・>>-- *- これを書き終えると、エベニーザは呟いた。: 傑作ができた!..
そして、ふたたび 詩篇に立ち戻ると眉を寄せた。 だが もうひとつ 仕上げの一筆が足りぬ それから暫くし、俄かに 鵞ペンにインクを含ませると、トーストという言葉を消し、《汝が恋人》の文字を入れた。 おお これぞ まさに 画竜点睛だ!.. エベニーザーは笑みを浮かべ呟いた。 John Barth ;The sot-weed Factor より ⑵
*- ( (( * ・エベニーザ: この作品の中心人物。ジョーン・クックに一目ぼれして 童貞を守り続ける。
・ジョーン・クック: ロンドンから、エベニーザを追って メリーランドへ渡り 紆余曲折の後、彼と結婚を果たす。 *** ***
*エベニーザ・クックの詩「メリーランディアッド」は、ジョン・バースの長編小説「酔いどれ草の仲買人」で重要な役割を果たし、この叙事詩は、17世紀末から18世紀初めにかけて北アメリカのメリーランド植民地で実在した詩人エベニーザー・クックが執筆しようとした作品として小説内で描かれる。しかし、クックは多くの障害に遭遇し、最終的には風刺詩「酔いどれ草の仲買人」を書くことになる。
バースは、この架空の叙事詩を通じて、当時の政治、経済、風俗に準拠しつつ、奔放な想像力を駆使して壮大な文学の万華鏡を創り出した。 彼は17世紀末の古めかしい文体を用いながら、無垢を善、経験を悪とする解釈に異を唱え、斬新なアメリカ批判にもなり、クックの元家庭教師が さまざまな仮面をかぶって狂言回しをつとめながら 自分の出生の秘密を探る副筋と絡み合い、古今東西のさまざまな文学伝統の衣装をまとって入り込んでいる。
「メリーランディアッド」は、バースが創造した架空の叙事詩であるが、実在のエベニーザー・クックの詩人としての姿や、彼が生きた時代の社会的背景を反映し、小説の中でクックが直面する様々な試練や挑戦、そして彼の創造性と現実との間の葛藤を象徴し、バースの文学的な探求と歴史的な洞察が融合した「メリーランディアッド」は、ポストモダン文学の傑作として、多くの読者に読まれている。。。 * /- *391--*457-/ * + *+ +.*+ * +*
・ジョン・バースの「酔いどれ草の仲買人」における他の詩人たちとの対話:-
「酔いどれ草の仲買人」は、架空の詩人エベニーザー・クックの視点から語られる物語で、彼の冒険を通じて多くの実在の詩人たちとの対話が描かれ、17世紀末から18世紀初めのアメリカ植民地時代を背景に、文学と歴史を織り交ぜた風刺的な作品。。。
バースは、クックの叙事詩「メリーランディアッド」の執筆過程を中心に据え、彼が出会う様々な人物との交流を描き、これらの人物には、スタール夫人やバルザック、エドガー・ア・ラン・ポーなど、実在した文学者たちが含まれ、彼らとの対話は、クックの創造性と文学的な探求を際立たせ、特に、上巻の最後には、エベニーザー・クックと彼の元家庭教師との間で行われる詩の即興の掛け合いが描かれ、興味深い部分、この掛け合いは、バースの文学的な技巧とユーモアが光るシーンで、二人の詩人の知性と才能がぶつかり合う様子が生き生きと描かれた。
バースのこの作品は、文学的な対話を通じて、当時の社会や文化に対する深い洞察を提供、架空のキャラクターと実在の人物を巧みに組み合わせ、歴史の再解釈と文学の新たな可能性を示唆。 これらの対話は、バースが構築した独特の文学世界で、歴史とフィクションの境界を曖昧にし、物語の魅力を高めた。。。
*ジョン・バースの「酔いどれ草の仲買人」について:---
ジョン・バースの「酔いどれ草の仲買人」は、1960年に発表された長編小説で、ポストモダン文学を代表する作品の一つ、17世紀末から18世紀初めにかけて北アメリカのメリーランド植民地に実在した詩人エベニーザー・クックを主人公に据え、叙事詩「メリーランディアッド」を執筆しようとするも、様々な障害に遭遇、最終的には風刺詩「酔いどれ草の仲買人」を書くことになる。
バースは、歴史的事実に基づきながらも、フィクションを織り交ぜて物語を展開させる手法を用い、当時の政治、経済、風俗に準拠し、奔放な想像力を駆使、文学の万華鏡を創り出し、17世紀末風の古めかしい文体を用いながら、無垢を善、経験を悪とする解釈に異を唱え、斬新なアメリカ批判にもなっている。 。。
バースの作品は、過去の文学者たちがやり残した課題において、物語の持つ面白さを追求する姿勢を続け、新たな視点を提供。彼の死後も、彼の作品は愛され続けている。
野崎孝訳『酔いどれ草の仲買人』ⅠⅡ(1979・集英社)
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