1リットルの涙、いつかが来る時。

2005年12月14日 | エンタメ
1リットルの涙でまたまた号泣してしまった。火曜21:00はどうしても涙腺がゆるくなってしまう。亜也はもう真っ直ぐに元気に自分を受けとめることが精神的にも弱くなってきてしまった。当たり前だが、やはり刻々と病状が悪化し「今まで出来たこと」が出来なくなっていく自分に亜也は苦しみ続けていた。家族がいる、友達がいる、先生がいる、で、自分を支えてくれているのに私は何も出来ないと・・・。いつも自分が家族が友人がと置換して考えさせられる。大抵は無理だと。障害者になってから健常者では考えられない経験、体験をしたと言ってもやはり健康がむしばまれていくと大空の下でみんなと走ったり、歩いたり、遊んだりしたいに決まっている。亜也はなんとか入院を希望しリハビリに励むがもう一人で出来ることと言えば「日記を書くこと」だけだった。しかしこの日記は亜也が真剣に今まで家族も麻生へも気付かなかった思いが正直に綴られている。養護学校の先生の結婚式に招待された亜也はとても綺麗だった。ただ反面女性として「結婚」自分は出来ない・・・。それどころか今回の題名である「ラブレター」に「麻生君といるが辛いです、一緒にいるとなんでも出来るし・・・でももう会えません」とあった。亜也が多分初めて恋して、東高の同級生として青春を謳歌出来ない悲しさに寂しく切なさを感じた」軽い肺炎を起こして目が覚める。「わたし結婚できるの?」と自分でも分かっていながら両親と先生の前で語る。出来るわけないと心に言い聞かせてから「いつかいつかがくる時、お花一杯の中でゆっくり眠り続けたい」とある。もうここで号泣。陣内の涙が一層の涙を誘った。まだ来週最終回だがこの番組を見られている方は来週の予告でもう気付かれているだろうし、1リットルの涙が本として100万部以上突破しているから結末は分かる。ただこのドラマの中で亜也はまだ生きている。いろいろ考えさせられ感動がある。人それぞれ感じればいいのだがこの飽食の時代や痛ましい事件がある中、見ていない人、見れなかった人に是非お時間がある時にみていただきたいドラマだ。最終回は楽しみだが感動や号泣で1週間待つのが少し複雑だが精一杯自分なりに感じて見させていだきたいと思う。
コメント (13)
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