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Kanaheiのデンマーク生活

糖尿病の勉強をしたくてきたデンマークでの紆余曲折な生活を日記として残しています。

彼氏は一型糖尿病

2010年12月20日 | わたくしごと



 よし次はH氏の息子さん達とのご対面について書こう、と思っていたのですが、ちょっと昨日起きたことで忘れないうちに残しておこうかと思う事を。

 以前の記事、「出会い」でも書いたとおり、H氏は一型糖尿病で、私が働いているステノ糖尿病センターに10年以上通っています。

 糖尿病の分類にはおおまかに分けて一型と二型があり、一型はよく小児が発症する先天的なもので、二型はいわゆる生活習慣(運動不足、過食、肥満など)が起因となって発症するものです(遺伝が大きく関与もするのですが)。

 一型の患者さんは、あることが原因(実は詳しくは未だ解明されていないけど、ウィルス感染やビタミンD不足の関係などの説が有力)で、自己の膵臓でのインシュリン分泌がほぼ完全にストップしてしまうため、生命維持のためにインシュリン投与が不可欠です。
 でも、インシュリンの投与には、その時の血糖値、経口摂取量(とくに炭水化物)、運動量、自分自身の身体のインシュリンへの感受性(筋肉量とかが多く関係する)などの要素を考えた上で調節が必要で、特に持効型(24時間持続)と超即効型(食事の時に打つ。2~3時間持続)といった2種類のインシュリンを使った「強化療法(一日4~5回投与)」という治療を行っている患者さんでは、自分で自分の状態を把握&診断して、それに見合った量のインシュリンを割り出して投与しなければなりません。
 なのでインシュリン量が多すぎたり、運動しすぎたり、経口摂取が少なすぎたら低血糖に、それが逆になると高血糖になってしまい、この血糖値をちょうどいいバランスに保つための、インシュリン量の自己調節というのは、本当~~~に難しいことなのです。

 H氏は以前ひどい低血糖発作を起こしており、最近は入院での集中管理とカウンセリングの効果もあって比較的血糖も安定していますが、もともとやせ型で代謝が良く(一型の人はやせている人が多い)、しかも今年になって本格的にマラソンを始めたこともあり、血糖を保持するのが難しく、今でも時々は低血糖を起こしています。
 
 ちなみに低血糖が起こる時というのは突然で(少しは予測もできるけど)、一度血糖が下がってしまうとジュースなどの糖分で急速な対処をしないと、インシュリンショックが起こって意識不明になってしまったりもするので、そうならないための予防と初期症状が出た時の速やかな対処がとても重要です。なので私も、H氏と付き合うようになってからは、自分の部屋に保存の効くパックのジュースをストックしたり、出かける時も化粧ポーチにブドウ糖のタブレットを持ち歩くようになりました(もちろんH氏も自分で持っていますが)。

 そんな風に一型糖尿病の彼との新しい日常に、ちゃんと準備をしていたつもりだったのですが…。昨日H氏といったHolmens kirkeでのMessias(メサイア)コンサートで、私、ひー!っとプチパニックに。

 Messiasはご存知の通り、3部に分かれる長~いコンサートです(休憩含めて4時間くらい?)。H氏はその日、夕方に1時間ほど雪の中をジョギングし、私が作った夕飯を食べてからコンサートに行ったのですが、コンサートの第1部の真ん中くらいで低血糖を起こしてしまったのです。
 隣に座っている彼が「暑いね」と言い出し、確かに彼の側からボッボッと熱気が急に伝わってきます。最初は満席の教会内だし、確かに空気がこもってはいるけど、体温が高いからかな(白人はアジア人より平熱が高い)、と思いましたが、みるみるうちにダラダラと汗が彼の顔に流れだしました。やばい、これ低血糖だ!と。

 H氏は自分でブドウ糖のタブレットを持っていたので、それをいくつか食べたのですが、低血糖症状がわかって自分で対処できる程度の低血糖(血糖値3mmol/l前後)の場合、ブドウ糖タブレットを最低でも3つは食べなければなりません。でも彼が持っているのは6つのみ。
 前述したようにH氏は代謝がよく、しかもその日は雪の中でのジョギング(10kmくらい)、さらに晩ごはんはサーモンソテー(脂肪分&繊維が肉より少なく血糖値をあまり上げない)、グリーンサラダ、ジャガイモです。いつもはだいたいジャガイモが主食の時にはパンも食べて血糖を保持しているH氏だったのですが、この日は私が晩ごはんを作ったためパンを用意しておらず、気を遣ってか、彼もパンを食べていなかったのです。
 さーらーに、この日はお出かけ用の小さいバッグだったし、化粧ポーチはいいや、と彼の車の中に置いて来てしまっていたので、普段持ち歩いている私のブドウ糖タブレットが手元にない!もう糖尿病ナース失格!患者さんには「いつでもどこでもちゃんと持ち歩いてね~。いつどこで低血糖起こすかなんて誰にもわかんないんだから!」と毎日指導してるくせに!!

 隣でダラダラ汗を流しつつ、残りのタブレットをもぐもぐ食べつつ、でも私に心配をかけないようにと「大丈夫だよ!」と一生懸命ニコニコしたりおどけて見せているH氏をハラハラ見守りつつ、もう気が気じゃありません。この満員御礼のコンサート中にインシュリンショックになっちゃったらどうしよう、そこまで血糖が落ちちゃったら救急車です。コンサートも中止。自分の部下(コーラスに参加している)のコンサートでそんなことが起きちゃったら、H氏もきっといたたまれないはず。
 そんなこんなで1部の後半は私がほぼパニック。H氏は大丈夫だよと言いましたが、1部が終わって休憩になった瞬間に「車の鍵貸して!」と引ったくって駐車場に走り、血糖測定器と私のブドウ糖タブレットを即効で取ってきたのでした(駐車場が近くてよかった…)。

 結局血糖も彼が食べたタブレットで安定しており、症状も取れて落ち着き事なきを得ましたが、最悪の事態になる一歩手前でした。その日の運動量、食事量、さらにはなかなか途中退席できないような長いコンサートだし、私ももっと気をつけてあげるべきでした…(と言うとH氏は「糖尿病なのは僕なんだから!」と気にするなと言いますが…)。
 
 ステノでは低血糖が起きた時には、まず1に血糖測定、2にグラス半分くらいのジュースを飲み、3に10~15分程度血糖がその後どう反応するか待って見て、その後4に黒パンなどの吸収の遅い炭水化物を摂取すること、とスタンダードの指導をしていますが、低血糖が問題の患者さんにカウンセリングをすると、だいたい彼らは「そんな悠長なことやってられないよ~!もうパニックになって冷蔵庫の中からその辺にあるものまで、手当たり次第になんでも口に放り込んで飲み込んじゃう」と言っています。
 そしてその気持ち、すーーーーーんごくわかった。私自身が低血糖な訳ではないけど、あのパニック、不安はH氏と一緒にいたことでかなりリアルに体験できました。恐かったよー。

 H氏が落ち着いても、私はまだ不安で「もうちょっとタブレット食べた方がいいんじゃないの?」としつこく言っていると、H氏は「大丈夫だよ~。これで食べたらもっと後でどかんと血糖が上がるからね(低血糖が起きた後は身体の自然な作用&糖の摂取で一時的に高血糖になる)」と慣れたもの。それを見て私も「低血糖でパニックになる患者さんの気持ちがわかったよ…落ち着いてなんて言ってられないのね…今後の指導の仕方を考えるわ」と反省。言うは易しってやつですね。

 H氏には以前にも「患者さんへの糖尿病教室での授業が難しい」という話をしたときに、「僕自身入院して授業に参加してみて初めて分かったけど、一番効果的な指導っていうか、得るものが大きいのって、患者同士の体験、経験の交換だったりするんだ。けっこう”こんなのって自分だけ?ていうか僕だけおかしいんじゃないか?!”って一人で悩んでたりとかする事を、他の人も体験してたって聞くとすごく救われるし、その人がそれに対してどう対処しているかって聞くのはものすごく為になる。もちろんナースや医療者にはそこでその患者独自の対処に対する、医療的コメントをしてもらえるともっといいけどね。だからKanaheiも今度授業するときは、患者に体験談を交換させてみるといいよ」と教えてくれたのでした。で、実際その授業形式はすごく評判になって、患者さんもみんな喜んでくれたのです。

 H氏は私について「世界一素敵で優しい彼女、しかも世界一有能な僕の治療者」と言ってくれていますが、私にとっては「世界一素敵で優しい彼氏で、世界一の糖尿病患者心理の指導者」です(すいません、のろけてます)。そんな彼、家に帰ってから「低血糖で大変だったから、特別にクリスマスクッキーをたくさん食べてよろしい」と許可を出したら、本当に満面の笑みでもりもり食べていましたが…。甘党め。

 そんなわけで、これからも色々学んで、もっと患者さんの気持ちがわかるdygtig(上手)なナースになりたいです。

写真:
私の部屋にできたH氏用コーナー。低血糖用のパックジュース、銀の缶はクネッケ(クラッカー系パン)、間食用アーモンド(血糖保持に良い)、そしてヒュゲ用クッキーとチョコレート…。インシュリン用の針までなぜかあります。

泣けない

2010年12月15日 | わたくしごと



 私はけっこうよく泣きます。

 Greys Anatomyとかドラマを観ては、毎回最後は隠れながら泣いていたし(こんなんで泣いてるとバレたら恥ずかしいから)、ヨナスとも最後は些細な事(でも私とっては離婚につながる大きな事だった)で大喧嘩をしたときも、盛大に嗚咽をしながら泣いていました。

 「泣く」システムっていうのはおもしろいもので。
 
 理論的なことを司る左脳と、感情的なことを司る右脳との間には、脳梁と呼ばれる左右の情報交換をする器官があるんですが、この脳梁によって、左脳で受けた情報が右脳に伝えられ(または左右逆に)、人は泣いたり笑ったり怒ったりするそうです。
 で、女性は一般的にこの脳梁部分が男性に比べて大きいそうで、その分情報伝達も多く早いのだとか。なので女性がよく泣いたり怒ったりするのを見て、「ヒステリーだなあ、もう」と男性に思われてしまいますが、そういった脳の構造の違いもあるからなわけで。
 でもおもしろいのは、この連結管の脳梁がよく機能する状態というのは、脳がとてもリラックスしている状態なんだそうです。つまり、「あたしって超不幸!悲しい~!」とか、ボロボロ泣いていたとしても、脳は超リラックス状態。ストレスフリー。だからよく泣いた後とかってスッキリするけど、涙を流すことで、脳内の淀みみたいなものが無くなるんですね。

 でも私、泣いてないんです。泣けないんです。よくわかんないけど、泣いてしかるべき、いつもだったら即泣きな状態でも泣けないんです。

 出ていくことをヨナスに伝えた時も、荷造りをしているときも、ヨナスが嗚咽して苦しんでいるのを見ても、生まれて初めて言われるようなものすごい罵りを浴びても、H氏から「この先35年間ずっと一緒にいてほしい」と事実上プロポーズのようなことを言われたときも、大荷物を持ってペニーラの家に着いた時、ペニーラが「よく来たわね」と大きなハグで受け入れてくれたときも、泣きたいのに泣けない。

 泣けない事で、なんだか感情の起伏があまりない中、淡々と実務をこなしているみたいで、おかげで今のこの状態も時々、他人事のような気持ちにふとなります。それか実務をとりあえずこなすために感情を自主規制しているのかなんなのか。

 昨日は離婚に必要な書類にヨナスのサインをもらうため、約1週間ぶりにノアブロのアパートへ行ったのですが、バカな猫なのにちゃんと私のことを覚えていて周りをウロウロして甘えるたびキャットを抱いていたら、やっと身に覚えのある「悲しい」という感情がふつふつと甦ってきました。
 私が実は世界一かわいくていい猫だと思っている、大好きなたびキャットは、今の家主ラースが猫アレルギーなこと、H氏の家には犬がいることなどから置いていかざるを得なかったのですが、もともとそんなに猫が好きでもなかったヨナスに、引き取る先、相手が決まるまでしばらく面倒をみてもらえるか頼むと、「(たびは)ここにいてもいい。彼はなにもしていないから」と言ってくれて、すごく嬉しかったし、そう言ってくれた彼には本当に感謝しています。

 書類のサインももらって、3度目の荷物の搬出となる今度の木曜で、ヨナスからは「これで最後だ。もう今後一切このアパートに来る事は許さない」と通告されたので、事実上、たびキャットと会えるのも最後になります。あのふわふわに顔をうずめるのも最後です。

 ああ、やっと泣ける。だってたびは私にとってこどもみたいなものだから。いつもヨナスと私の真ん中にいる家族だったから。やっと泣けるんだ。



腕枕たび
 

出会い

2010年12月12日 | わたくしごと
 月曜日がお休みで火曜日~金曜日までが日勤だった、とある10月の週。

 病棟に出勤して、まず朝ごはん前のインシュリンのために、入院患者さんの部屋を同僚と手分けして回っていたのですが、大部屋に前日緊急入院してきていたH氏を私が担当したのがはじまりでした。

 挨拶をして、インシュリン量と手技を確認し、食堂に送り出し、というごく普通のやり取りの中でまず思ったのが、感じのいい人だ、です。
 その後、スタッフがそろったところでミーティングをしつつ、受け持ち患者さんを振り分けていたところ、H氏の入院にいたる経緯から、集中的な指導と精神的サポートが必要そうであるということを同僚から聞き、「うーん、私には重いかも…誰かもっとベテランの人が担当になってくれないかな…」と逃げ腰に。
 しかし申し送りの最中、H氏が私に直接用事を伝えに来るのを見た同僚が「もう彼はあなたが担当ってインプットしたみたいよ」と言うので、やや渋々と担当ナースとなることを引き受けたのでした。

 その後、アナムネ(病歴、および生活歴)聴取をするために、彼の病室を訪問したわけですが、「担当になったKanaheiです。まずあなたの話を聞く前に私の紹介をすると、私は日本人で日本でも糖尿病看護をしてきました。デンマークには6年前に来たんですけど、ステノでは去年から働いています。もし私のデン語でわかりにくいところとかあったら、いつでも言ってください」と、普段よりも丁寧に自己紹介をしたのは、やっぱり微妙に彼が素敵な人だったので緊張していたからかもしれません。
 そして質問に答えたり話をする彼の方にも、ただの看護師に接するのとはやはり違う、なんか柔らかさというか、優しさがあったのは、この時にはすでに彼も私のことを気になっていたんだと、後になって彼から言われました。

 彼の病室は3人部屋で3人とも私が担当していたこともあり、ちょこちょこ訪問もしていたし、彼の方もなんやかんやと小さな用事や報告を、しょっちゅう私を探して言いに来たりしており、その彼の態度からも日に日に好意がばしばしと伝わるようになっておりました。
 ドクターコンサルタント(回診)の時には、職務中&恥ずかしさで目を合わせられないものの、彼がじーっと見つめているのは視界の隅で感じていたし、看護業務でない仕事(TVの写りが悪いとか)を押し付けてくる患者さんに、私の代わりに対応してくれたりと、とにかくばしばしなのです。
 そして彼が退院する日、退院指導をした後に「気をつけて。また2週間後のコンサルタントで」と挨拶をすると、彼が同室患者さんの目を盗んでさっとハグをして、逃げるように去っていったのでした。

 そんな感じだったので、退院から2週間後、ナースコンサルタントで私のもとに彼が来たときには、なんとなく特別なことが起こるんじゃないかという予感がありました。
 身長188cmスラリと長身の彼が仕事を抜けてきたからか、ぱりっとスーツ(デンマークでスーツは珍しい)で病棟に現れ、挨拶ににっこにこでハグをしてきたときには、スーツ萌の私は、心の中で鼻血ブー。コンサルタント中も正直気が気じゃありません。
 「これはいかん」と思い、結局この日は動揺と緊張を紛らわすために、他の同僚を巻き込んでコンサルタントにあたり、事なきを得ましたが(?)、次回もし彼に何か言われたりしたらどうしよう、私、きっぱり断れるんだろうか、とかなり揺らぎつつありました。

 そこからさらに2週間が経ち、2度目の退院後フォロー(またしても鼻血ブーなスーツ)でコンサルタントの最後に、彼が突然「…Kanahei、病院の外で会えないかな?つまりプライベートでってことなんだけど」と切り出してきて、なんとなくこうなることは予想はしていたけど、病棟の廊下で、しかもすぐ近くに婦長の部屋があるところでそんなことを言われ、パニック!どうしようどうしよう、とにかく早くこの状況を抜けねば、どこか個室に連れて行って「お気持ちはありがたいんですが、私あなたの治療者ですし、ていうか結婚しているんで」って説明した方がいいのか?!でも個室がない!どうしようー!

 と、頭が高速回転している間に、なぜか頭とは裏腹に口は「はい」と答えているではないですか。どういうこと?!たぶん一刻も早くこの状況を抜けたいがためにした返答だとは思うのですが、誘った当の本人H氏も後日「まさかオッケーしてくれるとは思わなかった」とびっくりしておりました。

 彼はその後自分の携帯番号を渡して帰っていったのですが、私の中では「いやいやいやいや無理でしょう。だめでしょう。だって何考えてるのよ、患者さんだよ?彼、今後も一生ここに通うのよ?だめでしょう、こういうことは。ていうか私結婚してるし」と、保守系反対派多数にて電話はかけない方針で、Kanahei議会は可決。

 しかし!事件は起こりました。彼の事は良識的に判断して忘れようとしていたのに、コンサルタントの予約もなにもない翌週の火曜日、突然彼が病棟に現れ、ナースステーションで申し送り中の私に「やあ!はい、これ!」と封筒を渡して来たのです。
 周りの同僚達は「だれ?」という顔をしているし、そもそも予約の無い患者さんが来るのもかなり怪しい。ギャー!なんて大胆なの!?それでも「ああ、ありがとう」と封筒を受け取り、同僚達にもバレぬよう「血糖値のモニターですよ」的に極めて冷静さを装いつつ振る舞いましたが、内心は超取り乱しまくりです。

 後で一人になって封筒を開けてみると、カードに「土曜日18時にカフェ○○で会えませんか?」と。後日H氏によると、「医療者の立場的に、君から電話をかけては来られないだろうなと思った。でもどうしてももう一度チャンスが欲しかったんだ」と。

 またしてもKanahei議会での激しい議論の末、やはりここでも保守系反対派にて「やっぱだめでしょう」と、カフェには行かない方針で可決。しかし「カフェで待ってます」とあるからには、行かないにしろ連絡をしないわけにはいきません。
 なので、残念ながらカフェには行けないこと、病棟に突然現れたのはすごくびっくりしたけど、ちょっと嬉しいびっくりだったことをSMSで送りました。
 それについて彼からは「残念だけど、いつか会える日があったら連絡をくれると嬉しい」といった内容の返事があり、本来はここで良識的に終わるはずだったんです。

 しかし、革命が起こりました。これまで保守派に抑圧されていた革命派が、「ステノでの正規雇用ゲット」という波に乗り、反旗を揚げて「こんにちはH。実はすごく嬉しいニュースがあり、シェアしたくてメールします。2年弱におよぶ仮採用を経て、今回ステノへの正規雇用が決まりました!」とSMSを送ってしまったのです。
 そして彼からいくつかのお祝いメールをもらった後、2度目のお誘いに革命派が初めて勝利したのでした。病院外で会うことになったのです。

 私からメールを送ってから会うまでは、たったの4日。しかしその4日間での私と彼とのメールのやりとりは、信じられないほど濃密でした。離れている間、たぶん私も彼もお互いのことを常に考えているというのがわかるような。しつこくないように、うるさくないように、でもお互いなにか言い訳をみつけては、「もうそろそろ送ってもいいかな…」と見計らいつつ送り合い、お互いの好意を少しずつ少しずつテキストに含ませつつ、一日に何通も送り合いました。

 そして迎えた当日。極度の緊張と心配とドキドキとで、胃が裏返る感じで待ち合わせ場所にいき、カフェの前に彼が立っているのをみつけたときは「やばい、帰りたい」と思わず逃げそうになりましたが、胸の前で十字を切って踏み出していきました。

 そこまでのメールのやりとりでお互いがどういう気持ちでいるかはだいたいわかっていましたが、実際に会ってみると39歳の彼の方がものすごく緊張&照れていて、ここに来て私に会うまでに「彼女は来ないんじゃないか、ただお茶だけ飲んで帰ってしまうんじゃないか」と、いかに心配したかと話しておりました。
 そしてそこから4時間、とにかく色んなことを話しました。初めて会ったときからどう思っていたか、彼の別れた奥さんとの間の二人の息子のこと、一緒に住んでいるお姉さん夫婦とその息子達のこと、昔日本に行ったときのこと、仕事のこと、糖尿病のこと、イタリアが大好きで夢はイタリアに家を持ちたいということ、とにかく色々と。
 そしてびっくりしたのが、それだけ長い時間デン語だけで話していても、彼とは全然苦痛ではないということ。ヨナスの家族や仲良しのカロラとでもここまでリラックスして、楽しく話せるということはなかったからです。
 私が言いたいけど語彙が足りなくて説明しきれないことを、彼は十分な時間耳を傾けてくれた上で「こういうこと?」と補足というか助けてくれるのですが、それがパズルが合うようにぴたりと合うのです。
 後になって彼は「ヨナスや君の友達は日本語が理解出来るけど、僕はそれを理解してあげることができないから、いつかKanaheiに淋しい思いをさせてしまうんじゃないか、理解し合えないことができるんじゃないかって、それが一番心配だ」と言っていましたが、いくら日本語を話せても理解出来ない事、し合えない人はいくらでもいるわけで。もちろん言語は重要だけど、でも言語だけが重要なわけではないのです。
 そんなわけで、話せば話すほど、お互いを知れば知るほどにどんどんとはまる、落ちる感覚。江國香織の「東京タワー」に出てくる言葉通り、まさに「恋はするものじゃなくて落ちるものだ」と実感です。

 今まで恋はたくさんあったけど、こういう感覚ではなかった気がします。不倫とか、患者さんと医療者だからというタブーの恋で盛り上がってんのか、というとそれはまったく無いと誓ってもいい(そんな面倒くさい煩わしいものはいらん)。これまで看護師になって10年間(うちブランク2年)、患者さんをそういう目で見た事は一度もなかったし、そんな気も起こるはずがないと思っていました。
 とにかく何かが違う、と全部の感覚が言っており、実はH氏と出会う前、秋頃から思っていたヨナスとの別居という考えが、H氏と出会ったことがきっかけとなって、がっつり鮮明に、むしろ決意に近いくらいに意識され始めました。
 
 そしてそこからほぼ毎日、お互い忙しい仕事の合間を縫ってほんの30分とかだけでも会ったり、前よりもさらに親密にメールをし合うようにもなり、もはやヨナスに隠し通しながらの生活は精神的に限界で、別居に至るまでは脅威のスピードでした。H氏と初めて会って以来、まともに眠れない、食べれない、考えもまとまらない状態で、とてもじゃないけど、こんなん続いたら死ぬ、というほどだったので(そしてこの1ヶ月で私、4kg減量)。

 ちょうど知人で大富豪のペニーラ&ラースの家族が住み込みのオペアを探している、と言っていたこともあり、立候補して居候させてもらえることになり、今は引っ越しをして1週間が経ちました。
 もともと細かい事をそこまで気にしない一家だし、私も彼らが必要な手伝いをしているので、お互いうまくやっていて住み心地は最高です。
 H氏はお姉さん家族との同居(大きな家の1階にお姉さん家族、2階にH氏の2世帯住宅)や、隔週で元奥さんと交代で面倒をみている二人の息子のこともあるので、同棲には慎重で(でも今彼は着々と同棲への準備をしていっている…)、私としても彼のことはまだまだ当分は冷静に考えるべき時期だと思うので、今の一人の状態は最適です。完全に一人きりでもないし、肩身の狭いみじめな生活でもないし。

 ヨナスとの話し合いは相変わらず平行線で、まだまだ冷静に話ができるまでには時間がかかりそうですが、彼にとってはまさに寝耳に水なひどい仕打ちに違いないので、時間をかけるしかないんだと思います。
 デンマークではよっぽどの事情(暴力だとか)がない限り、協議離婚はたしか最低6ヶ月の別居期間を設けないといけないそうで、どちらにせよ時間はかかるんですけどね。

 そんなわけで、隕石衝突、H氏との衝撃の出会い編でした。次回はそのH氏の息子達と初対面編です…。

桜に泣く

2010年04月09日 | わたくしごと
 6年ぶりに日本で桜を見た今年。

 帰ってくる前は「泣くかも、桜みたら」というほど、桜への恋い焦がれMAXだったのですが、まずはじめに目にした九州での桜は、「おお~!きれい!」と感動したはしたものの、他にも色々桜以外のものにも感動しまくっていたためか、泣くまでにはいたらず。
 その後、京都の祇園や八坂神社などでも見ましたが、すごくきれいだったし、さすが京都な風情もあったけど、お友達とのおしゃべりの方に夢中になっていたこともあり、あとまだ7分咲きくらいだったこともあって、感涙はなし。(あ、でも満開だった高台寺のしだれ桜には心を打たれました)

 ま、6年ぶりといったって、それまで24年間毎年ず~っと見続けてきたものだし、そんなものなのかあ、と思っていたある日。

 おぼろに晴れ間のある午後、自宅から駅に向う途中にある、遊歩道の桜並木を通った時、まさにぶわっと突然、満開の桜の群れとその柔らかい空気に襲われ、思い出してしまった、あの日本の春の幸福感となつかしさ。
 晴れた小学校の校庭にひらひら散る桜、土の香りとなにかふっと香る湿気を含んだ春風、誰もいない日なたの道に吹雪く桜の花びら。あのうす桃色の幸福ななにかが、不意打ちでまさに6年ぶりに思い出されて、泣けたー。

 私の実家周囲は桜並木が多く、別に名所というわけでもないけど、京都みたいに桜が絵になるようなところでもないんだけど、でも私にとってこれが桜なんです。毎日通る桜並木の、その下を毎年そういう幸福感に包まれつつ、自転車で、歩いて通っていました。
 色んな名所の桜もいいけど、いつも何気なく歩いてたりするところに現れる桜のこういう、親密性みたいなのって、どこか心の琴線に触れるんじゃないかなー。うまく言えないけど。

 お正月もいいけど、やっぱり日本は桜の時期がいいなあ、と改めて思いました。

 ちなみにこの桜幸福感に見舞われた時、この曲を聴いていたのですが、相乗効果で大変でした。

5. Let Down


レーシックその後

2010年03月26日 | わたくしごと
 というわけで、ご報告が遅れましたが、無事レーシックを受けて参りました。

 施術日は22日。まず視力測定をもう一度やって、適性検査のときと変わりがないか確かめ、その後手術室のあるフロアーへ6~7人のグループで移動。
 そこで医師のチェックを受け、点眼麻酔をしてもらい、各自受ける手術の機械がある部屋へ行き、順番を待ちます。

 私はどうやら麻酔の効きが今イチだったようで、入室直前に追加でさしてもらった麻酔もまだ「しみる」感じが残っていたのですが、だいたい目のオペ自体初めてだし、こんなもの?と手術室へ。

 手術室では医師以外に5人くらいのスタッフがおり、これまた手慣れた感じでさっさと患者を施術台に寝かせ、目の周囲を消毒し、タオルで身体をくるみ(これで動けない)、心の準備をする間もなくスタート。
 
 私は手術中は完全に無痛だと思っていたので、特に眼球が動かないように?する器具をぐいっと眼球に押し当てられたとき、「痛い!無痛じゃないの!?」とびっくり。しかもやっぱり麻酔の効きが十分でなかったからか、チリチリとレーザーを当てている感触(痛い、というほどではない)がわかる上、いかにもレーザーで焼いているという臭いもあって、プチパニック。
 でもそんな私をよそに、周りは淡々と作業をすすめており、「はい、じゃー次左ですね~」と左目の手術へ。「ちょっとこれ、痛過ぎるかも。こんなもんなの…?」と不安になり、手を挙げて伝えようとしたのですが、身体をタオルで包まれていることもあり動けず、そうこうしているうちに左目スタート!
 そして左目は右目よりもさらに痛く、エキシマレーザーを当てている50秒くらいがなかなか苦痛でした(「痛い!」と言っても止められないような雰囲気だったので、黙って堪えることに)。
 まあ、ここで痛いと言っても、施術自体は全体を通してもほんの5分程度なので、我慢できないほどではありません。痛みも、なんというのか、歯医者的な痛み?器具で抑えられる不快さ、嫌な臭い、嫌な音、響く痛み、そういうもろもろを含めた恐怖感という感じ。

 全部の処置が終わり、まぶしくてしみる目のまま、今度は安静をとるための部屋へ移動。目を閉じてリクライニングチェアに座り、そのまま30分ほど休みます。私はこの待っている間もなかなかジンジンと目が痛み、看護師が順番に痛み止めの点眼にまわってくるのがとてももどかしかったです。
 休憩の後、また医師の診察を受け、術後に始める点眼の説明を聞き、そのまま帰宅。帰りの電車は目を開けていることが苦痛なので、始発の東京駅からずーっと目を閉じて帰ってきました。

 一番痛かった左目は、家に帰っても我慢できない痛みがあったので、一回だけ痛み止めの点眼をしましたが、だんだんと良くなり、術後3時間ほどで「ちょっとまぶしい、しみる」程度まで軽減。就寝前の術後6時間くらいにはすっかり痛みも治まり、視界もくっきりはっきり。おお、これが噂の…ワンダホー体験。メガネ無しでコンタクトをしているようによく見える!

 翌日、術後1日目検診で計ってもらうと、これまで0.02くらいだった視力が、1.5にまで回復!1.5なんて小学生の頃以来ですよ。術後も日に日に視界はクリアになっていき、ちょっとドライアイはあるものの、快調です。

 去年もしデンマークの眼科で「もうコンタクトはダメ」と言われなければ、レーシックをやろうなんて、きっと考えてもみなかっただろうけど、結果、やってみて本当によかったです。年齢が若ければ若いほどいいだろうし、もっと早くにやっておけばよかったーと思うほど。まあ、今だからだいぶお手頃な価格になった、というのもありますが。
 レーシックを検討中の方、いろいろ不安はあるかもですが、私はおすすめしますよ~。

レーシックをうけるぞ、の巻き

2010年03月19日 | わたくしごと
 大黒柱の身分でありながら、年末のブダペスト旅行での散財などもろもろの出費のせいで、まあ今回は見送りで…と思っていたのですが、「どうせヤルつもりなら、早いうちにヤッチマイナ!」という、またしても母の後押しのお陰で、日本滞在中にすることになりました、レーシック。

 まずは、昨年レーシックを受けたという友達から色々教えてもらったのですが、ちょうどその日は親知らず同時2本抜歯直後で、若干弱気になっていたこともあり、「レーシックを受けたその日がとにかくつらかった」という話を聞いて、すっかり及び腰に。
 人によって術後の痛みや見え方というのは様々なようですが、友達は術直後~翌朝まで「とにかくまぶしくて、目がゴロゴロとして痛いようなかゆいような、それで涙がでて仕方なかった」とのこと。また「今はやってよかったと思ってるけど、でももう一度やるかって言われたら、かなり悩む」とも。

 昨秋からコンタクトからメガネ生活になり、でも慣れるとメガネでもそこまで不自由は感じないし、もともと私、メイクのりしない印象の薄い顔ということもあって、まさに「メガネは顔の一部です」的に、メガネおしゃれは好きな方でした。
 でもやっぱり夏はメガネがあるとうざったいし、温泉やプールも裸眼だと不便。別に目が悪くなくても、だてメガネでおしゃれはできるし、やれるうちにやっておこうかな…、とりあえず適性検査だけでも受けてみよう、と決意。

 そして友達も受けた、有楽町にある品川近視クリニックというところへ昨日、適性検査へいってきました。ちなみに検査は無料で、フリーダイヤルの電話から検査、手術日、手術翌日検査などを一斉にブッキングできるようになっており、すごく簡単です。

 ドキドキしつつ訪れたクリニックは、見た瞬間「Hold da op!(あんれ、まあ)」という感じで、大変立派なところでした。
 まず、JR有楽町駅目の前のビル(丸井が入ってる)の2フロアーまるごとクリニックなのですが、真新しくきれいなレセプション、だだっ広いフロアーに30台くらい並んでいる最新検査機器、やたらと多いスタッフ、と、あんなクリニック初めてみました。
 検査は全部で10種類くらいあるのですが、みんな流れ作業で、まるで工場のラインのようです。見ているとスタッフは完全にマニュアル教育されているようで、どのスタッフもロボットのように同じ説明を患者にしており、ちょい不気味。
 近代的施設で、だいたい年格好も同じ20代の若いスタッフが、同じ白衣で同じように経ち振る舞い、超効率的に患者をさばいているんですもの。妙に効率が良いのも不気味です。病院というよりはまさに工場。
 あまりにマニュアル通りなので、ちょっと好奇心(というかいたずら心)も手伝って、マニュアル通りの手術説明を受けていた最後に2~3質問をしてみたら、急におどおどしだしたのがウケました。患者に質問されてきょどってどうする!マニュアル通りにやってるからだよ…。(でもこの完璧な効率的マニュアル対応のお陰で、「ここなら完璧にきちんとやってくれそう」という安心感を得られたのも確か)
 
 というわけで、事前の説明通り3時間弱ですべての検査は終わり(最後の眼科医の診察で40分ほど待たされたのも含めて)、私の両目は手術を受けるのになにも問題はないとのこと。 
 ちなみにデンマークで診断された「角膜性血管新生」は、日本の眼科医曰く「あ、全然大したことないね」とのことでした。デンマークでは「0が正常、10が最悪としたら、8くらい」と言われたのに!!どっちを信用していいのかよくわかりませんが。

 友達が受けた手術はイントラレーシックというもので、最も症例数も多く、一般的なものなんだそうですが、その友達の「つらっかった体験談」で、すっかり弱気になっていた私は、悩んだ末、イントラレーシック(17.5万円)ではなく、Zレーシック(アマリス)という新しい機械を使った手術を受けることにしました。お値段は少し高くなって22万円。
 この2つの違いは、角膜を剥がしてフラップ(蓋)を作る際に照射するレーザーのきめが細かく、これまで点線で当てて力を加えて剥がしていた従来のものに比べ、力を加えることなく剥がすことができ、さらにレーザーの照射力も小さくて済むことから、角膜への負担がこれまでの50%から30%程度に抑えられる、とのこと。
 また、術中眼球は固定していても、緊張感からどうしても動いてしまい、従来のものでは、エキシマレーザー(角膜屈折矯正レーザー)の照射角度を2次元方向(縦、横)の動きにしか修正ができなかったそうですが、それが4次元だかそれくらいまでできるようになり、より正確に照射ができるようになった、と。

 まあ、私はこの新しい方を選びましたが、その理由としてはまず、術後の痛みが少なく、角膜に優しい方がいいから(これまでコンタクトの乱用とかでさんざん目を痛めつけてきた気がするし)、そして保証期間がイントラレーシックより3年ほど長く、13年になるから(視力がもし再低下するようだったら、再手術を受けることができる)で、そこに4.5万円の差額ならまあ、払ってもいいかな、という。
 でもほとんどの人は従来のレーシックを選択して、術後も数日で症状も落ち着き、大きな合併症を起こしていないし、その友達も結果には満足しているので、実はこの2つにそこまでの差があるかっていうと、そうでもない気もします。
 「でもでもやっぱり目は取り替えきかないし」、という安心料的なものなのかな。(どの手術方式でも視力は1.2くらいまでは上がるんだし、合併症も出る人は出るだろうしね)

 というわけで、手術は来週、3月22日。当日は術前後の検査や術直後の安静も含めて2時間ほどだそうです。施術自体はなんと10分程度。早!!一体あのクリニックは毎日、何十人の患者をさばいているんでしょう…。

 友達曰く「手術翌朝目が覚めた時、”ワンダホー”だよ」とのことで、うーん、楽しみです。

親知らずその後

2010年03月17日 | わたくしごと
 デンマークの歯医者で「抜きましょう、3000krです」と言われた、親知らずの抜歯。本日日本の歯医者で抜いて参りました。

 結局、軽く虫歯になっていた左下以外にも、上の両サイドにも親知らずがあり、「どのみち磨ききれないし、歯並びが微妙に変わってきているから、いつかは抜いた方がいい」とのことで、上下3本を抜くという、壮大なプランです。
 いいのか?!大丈夫なのか?!そんなに抜いて!と、不安もありますが、でもいつかその親知らずに虫歯ができて、腫れたりひどいことに”デンマークで”なることを考えると恐いし、「保険が使える今のうちにヤッチマイナ!」という母の後押しで決断いたしました。

 当初はさわやかイケメンの歯科医が担当だったのですが、真横に生えていて、かつ神経にも近く、ちょっとリスキーな手術ということで、院長が施術してくれることに。
 患者さんには痛いこと平気でできるくせに、自分の痛みにはめっぽう弱い私は、診察台に載った途端、心拍数上昇、にわかに手まで震えてくる始末。まったく歯の治療ってなんであんなに恐ろしいんでしょうね(いや、治療はなんでも恐ろしいんでしょうが…)。
 でも表面麻酔(今回はバナナ味)の他に、最新技術とかいうレーザー麻酔?をし、その後通常の麻酔という3段方式。おかげで痛みはほとんど感じず、しかもベテラン院長の早業で、え、もう?!と、瞬く間に左上下の親知らず抜歯終了。
 
 抜歯自体は40分ほどで終わったのですが、その30分、特にややこしかった左下(真横に生えてたやつ)を抜く際、拷問かというほど口を横に縦に引っ張られ、それが痛かった(だって表の皮膚は麻酔効いてないもの…)。

 今日から3~4日は激しい運動およびアルコールの摂取はだめ、ということで、日本に来て以来飲み続けだったこともあり、いい休肝期間になりそうです(とか言いつつ、昨日は飲み納めと称して、おいし~い焼酎と薩摩料理をたっぷりいただきました)。そしてあわよくば、流動食ダイエットで減量とかできたらなあ、と(たぶん食欲に負けるけど)。

 あ、ちなみにお値段は抗生剤や痛み止め、消毒用含嗽薬も含めてなんと6800円。安い!!日本でやってよかったー。

出発前の完璧デート

2010年03月01日 | わたくしごと
 洗濯機を4回回し、家中のリネンを新しく替え、掃除機をかけ、鏡を磨き、ヨナスの髪を切り、ヨナスのために大量のフリカデーラ、餃子、ミートソース、ラムの煮込み、その他食材を冷凍庫に詰め込み、何が入っているかわかるようにメモを冷蔵庫に貼り、日本へのお土産がほとんどを占める荷物をスーツケースに詰め…。1ヶ月半も離れるので色々準備も大変です。

 さすがにそんなに長く離れるとなると淋しいので、一昨日からヨナス孝行をしています。昨日日曜日は天気もよかったので、ふたりで街中の湖前のカフェでブランチをとり、その後Statens Museum For Kunstまでふらりといってみました。

 この美術館、無料で入れる常設展がかなり広く、外に広がる公園を大きな窓から眺めつつ、とても気持ちいいです。常設展を見て、ミュージアムショップであれこれアートブックを見終わると、カフェとなりのホールでジャズ&ラップコンサートが催されていました。

 ジャズギタリストのTao Nøjgaardが出すお題で、Pede Bというラッパーが即興を繰り広げていくわけですが、歌詞の内容がドラッグ、犯罪といったシリアスなものでなく、なんだかスタンドアップコメディーを聞いてるようなラップ(いきなり最初のお題が”ヨガ”だったし)。
 この日は赤ちゃんから小学生くらいの子供もたくさん来ていたのですが、みんなノリノリで喜んでいて、バンドのすぐそばまで来て踊ったり、吹き抜けの明るく開放的な会場ということもあって、とーっても自由でヒュゲリ。
 途中にはスペシャルゲストの別のラッパーも登場したのですが、彼は1歳の息子を肩車したまま、「断乳に成功し、子供を押し付けて週末オーフスへ行ってしまった奥さん」について熱く歌い、そんなお父さんのラップに始終ニコニコでノリノリの赤ちゃんといい、超デンマーク的ゆるい楽しいコンサートでした。
 白ワインを飲みつつ、そんなコンサートをヨナスとまったりコンサートをエンジョイし、久々のパーフェクトデート。


Rappin' babysitter


すでにラップになじんで全身でリズムをとっていたベイビー。

 寝る前に「なんで今までこういう週末がもっとなかったんだろう。もっと外に出て色々した方がいい」とヨナス。長くはなれるから、その前のふたりの時間をしっかり有意義に使うために、という目標があっての素敵な週末だったけど、そうじゃなければやっぱりだらだらした、「えー、家でいいじゃん」とか「もう帰ろう、疲れるから」となりがちな我々。
 これからはもっと一緒に色んなところへ出かけて、いい時間を過ごそう、と誓ったのでした。

 さて、ただ今の時刻午前9時。フライトまであと6時間少々です。たった今仕事に行くヨナスをお弁当と一緒に送り出したので、これから家の片付け、最終パッキング、あと私が唯一作れてヨナスも大好きなガトーショコラを作って出かけます。

 それではデンマークのみなさん、今度はぴかぴかの春に会いましょう!(桜祭りの頃かな?)4月11日帰国予定です!
 そして日本のみなさま、無職で暇人の私なので、たくさん遊んでくださいね~!

*トップ写真
この冬、凍結して人が上を歩いたりスケートしたりしていた、街中の湖。
こんな機会は滅多にないし、日本に行く前に歩いておこうと思ったけど、ここ数日0度を超えて雨も降ったので、危ないのでやめました。

ある冬の日~Turn Turn Turn!~

2010年02月09日 | わたくしごと
 先週、ちょっと体調を崩したり、相変わらずの寒さであまりアクティブになれず、だらだらとソファーで過ごしがちだった私。しかもだらだらしてると、だらだらごはんを食べ、だらだらTVをみて、だらだらポテトチップスなんか食べ…と、だらだらの悪循環。

 なので「あーもういかん!」と、意を決して再び近所のプールへ。最初は寒くてヤダヤダと思っていたのですが、ゆっくり伸びつつ泳いでいると、だらだらだった身体のテンポがだんだん戻って来て、泳ぎ終わったころにはスッキリ爽快!
 プール帰りに夕飯の食材など買いにスーパーへ行ったのですが、不思議なことに「なにかおいしくて身体にいいものをしっかり作って食べよう!」と妙にポジティブ。やっぱりコンスタントにテンポよく動いてることが、人間必要なんだな、と実感。
 
 夕食には最近すっかり常連となってしまった、近所のハラル肉屋さんで鳥肉(なんと1kg30kr!)を購入し、パスティナック、パセリの根?、にんじんなどオーガニック根菜とハーブを赤ワインとトマトで煮込んだものを。主食は最近近所にできたemmerysのカボチャの種パン(ここのパンはみんなもちもちしてておいしい)と、手作りバジリコペースト。
 お友達にいただいたおいしい赤ワイン(あ!平日なのに飲んでる!新年の抱負は?!)とばっちり合う素敵な冬の献立完成。
 
 デンマークで「ああ…おいしくてしあわせ…」とジーンとするものって、そこまでないんだけど、でもこの冬の根菜はまさしく「しあわせ」と思えるおいしさです。あとおいしいパンもしあわせ。
 今日はこの後、なんとデザートもあり。オーガニックジャージー牛乳のバニラアイスがセールだったので(Irmaには誘惑が多い)、これでアイスのエスプレッソがけを。むふ。

 夕食をとりつつ、週末にフリマでみつけたフォレストガンプのサントラを聴いていたのですが、The ByrdsのTurn Turn Turn!を久しぶりに聴いてしみじみ。するとヨナスが、「この歌詞はVega(ヨナス姉が昨年、妊娠8ヶ月で流産してしまった女の子)のお葬式で牧師さんが話していたフレーズだね」と。
 言われるまでまったく気付かなかったのですが、そういえばたしかに、旧約聖書「コヘレトの言葉」です。この言葉、よく葬儀のときに引用されるのですが、Vegaのお葬式で牧師さんの口から聞いた時、ああ、人の一生をあらわす、なんてきれいなフレーズなんだろうと感動しました。
 牧師さんはそのとき最後に、「Sorg er pris for kærlighed(悲しみは愛情の代償)」、こんなに悲しくて苦しいのは、それだけ愛したから、と話を結んだのが心に残っています。
 ヨナス姉マリアさんはその後ふたたび妊娠することができ、今はすべてのスキャンでも問題はみられず、順調に赤ちゃんは育っているようです。この「Turn Turn Turn!」のように、ここまでの悲しみ、苦しみが変わっていくことを願いつつ。


コヘレトの言葉

何事にも時があり
天の下の出来事にはすべて定められた時がある。
生まれる時、死ぬ時
植える時、植えたものを抜く時
殺す時、癒す時
破壊する時、建てる時
泣く時、笑う時
嘆く時、踊る時
石を放つ時、石を集める時
抱擁の時、抱擁を遠ざける時
求める時、失う時
保つ時、放つ時
裂く時、縫う時
黙する時、語る時
愛する時、憎む時
戦いの時、平和の時

ECCLESIASTES

There is a time for everything,
and everything on earth has its special season.
There is a time to be born and a time to die.
There is a time to plants and a time to pull up plants.
There is a time to kill and a time to heal.
There is a time to destroy and a time to build.
There is a time to cry and a time to laugh.
There is a time to be sad and a time to dance.
There is a time to throw away stones and a time gather them.
There is a time to hug and a time not to hug.
There is a time to look for something and a time to stop looking for it.
There is a time to keep things and a time to throw things away.
There is a time to tear apart and a time to sew together.
There is a time to be silent and a time to speak.
There is a time to love and a time to hate.
There is a time for war and a time for peace.

The Byrds - Turn! Turn! Turn!


 

今年は春なのです

2010年01月29日 | わたくしごと
 3月1日から1ヶ月半の日本帰省で頭がいっぱいです。

 今回はちょうど契約更新のころを見計らって休職としたので、1ヶ月半も滞在できるわけですが、まあでも滞在中は無収入だし、未だ大黒柱なので豪遊もできませんが。

 今、日本でなにをするか色々と構想を練っているのですが…

*美容院へいく
これはもう、必ず。今度はストレートに戻すか、もっとパーマをかけるかで悩み中。

*東北温泉一人旅
昔はよくやっていたんです。車で一人旅。乳頭温泉や大沢温泉、松島へ牡蠣を食べにいったり。ここ最近ずっと中国地方か九州といった、南下の旅ばかりだったので、時間もあるし久々に北へ。
あー誰か東北方面にお友達いないかな~。それかいいところあったら誰か教えて~!
(たぶん、というかまた必ず中国&九州もお邪魔させていただくと思いますが!その時はまた南のみなさま、よろしくおねがいいたします!)

*根津美術館
マイベスト美術館です。長~い改修期間が明けてようやくまた開館したようなので、ぜひいきたい。(行きつけ美容院がすぐそばなので、それとセットで)
今調べてみたところ、国宝燕子花図屏風は4月24日からですと。あーー残念。間に合わない…。
今回密かに、春の屏風(桜)が見れるかと期待していたんですが、やっぱり滅多なことではお目見えしないんですね…。(個人的には秋の屏風が一番いいけど)

*糖尿病学会に参加
機会があったら。もちろん発表の方ではなくw

*母とどこか旅行
ハワイ、という案があったのですが、懐的に厳しいので、国内かな~。沖縄とか?

*レーシック
これはぐっさん、よろしくおねがいします!まだクーポンあり??

*親知らず治療
やりたくないけど…。でも最近デンマークの医療保険に加入したので、料金を比較しつつ要検討。

そしてなんといっても今回のメインイベントは…

*お花見!!
日本で桜を見るのはなんと2004年以来6年ぶり!!
4月5日生まれで、自称「桜前線の子」、そして「お花見奉行」な私としては、もう、この”日本で桜”が信じられないくらい楽しみ。泣くかも、私。桜みて。
コペンハーゲンでも毎年桜はみれますが、やっぱり違うでしょ、本場は。
ということで、日本在住のみなさま、どうか、どうか、そんな私をお花見に連れて行って~!プリーズ!!


 あ~あとなにしよう。食べたいものもたくさん、買いたいものもたくさん(でもお財布は寒い…)、飲みにいきたいところも一緒に飲みたい人もた~くさん!!とにかく東京の色んなところをのんびり歩いてみたいし、母とゆっくり話もしたい。いつの間にか生まれていた兄の赤ちゃん(そう、私はすでに叔母なのです!)も見たい。これまたいつの間にか生まれていた友達の赤ちゃんもみたい。
 来年からはたぶん、日本帰省もお正月近辺で2~3週間てことになりそうだし、一人でこんなにのんびりできる日本滞在も最後かもしれないので、充実した滞在にしたいです。

 あ~~~~~もう楽しみ!!日本へ行くことを考えたら、デンマークの1月2月なんてへっちゃらよ~!マイナス10度でも激チャリ余裕よ~!!