難聴者の生活

難聴者の日々の生活から、人工内耳など難聴者のコミュニケーション、聴覚障害者の制度改革について語る。

テレビの経営悪化と情報、アクセシビリティ

2008年11月27日 20時43分16秒 | 放送・通信

冬節約用品.jpg景気の急激な後退による広告料の激減の影響が出ているとのことだ。

テレビ放送事業者が一部の巨大スポンサーに収入を依拠しているのは衆知のことだが、報道の内容に批判をするスポンサー側から撤退を言われて、問題報道も出来ないでいる。

これでは、難聴者等向けの字幕放送、視覚障害者向けの解説放送が拡大どころか継続されるのかすら危うい。
テレビ放送のアクセシビリティは、放送法では義務化されているとは言えない。難聴者等向けの字幕放送、視覚障害者向けの解説放送が規定されているだけだ。罰則もない。手話放送は規定すらない。
地上デジタル放送になればどういう記述になるのか、当事者に提示もされていない。


テレビが社会の情報インフラであることは論を待たない。事業者の経営に関わらず、アクセシビリティが保障されるよう事業者に義務づけることが必要だ。


ラビット 記
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土俵際のテレビ業界、ニュースを守れ
2008年11月27日
「金融危機から発生した、経済悪化はテレビ局の報道環境をも包囲し始めた。

 元厚生官僚の連続襲撃についても、メディア舌禍だという意見が聞かれたが、まさしく本末転倒。行政府は、今回の問題をメディアに責任転嫁してはならない。そしてテレビ局も報道姿勢について、今回のような問題に過敏に反応することなく、また、スポンサーの発言に臆する事無く、テレビ報道の良心を守り、国民へのニュースソースを確保する事にプライドを見せるべきだろう。ここで腰砕けでは、民放テレビの報道についての信頼など木端微塵だ。テレビ報道は独自性が無いとの批判も多いが、少なくとも報道の威信とは国民へのニュースの多面性報道と質の確保である事を肝に命じなくてはならない。

正直梅太郎
東京キー局、編成、営業、映像投資業務に携わる。新規事業部門法人化に伴うスピンオフの責任者として、社内起業を体験。金融や投資ファンド関係者との業務も多くテレビ局らしからぬベンチャー企業勤務。 」
http://www.nikkeibp.co.jp/article/column/20081126/115391/?P=1





人工内耳とストラディヴァリウス演奏

2008年11月27日 12時24分30秒 | 人工内耳
081116-141100.jpg081127-080555.jpg天満敦子の無伴奏ヴァイオリン演奏会で紀尾井ホールに行ってきた。

バッハの6大ヴァイオリン無伴奏曲の3曲を聞いたが、初めてだ。
ヴァイオリンがこんなに豊かな旋律、音を出す楽器だとは知らなかった。弦楽器なのに管楽器も含む演奏に聞こえてしまった。
目をつぶると黄色や赤茶色のマーブル模様が円を描くように流れていく。街中にある紅葉した葉のイメージだ。
目を開ければ、天満敦子の操る弦の動きに合わせて、音が頭を駆ける。弱い繊細な旋律も入ってくる。

人工内耳フリーダムの音楽用のマップと補聴器のダヴィンチの両耳装用用のプログラムで聞いた。人工内耳の感度9、ボリュウム9と設定値の上限に、補聴器のボリュウムは通常値に設定してみた。
マップを換えてみたり、補聴器をオフにしてみたりすればまた違った聞こえになる。どれが本当の聞こえかと思いたくなるが、人工内耳は閾値が調整されているので最大に、補聴器は大きい音が入力されて抑制機能が働かないように低めにした。


最後の曲の演奏が始まった。ポルムベスクの「望郷のバラード」だ。ルーマニアの独立運動に加わって亡命した作曲家の数奇な運命の曲に天満敦子が生命を吹き込んだとされる。この作曲家の話は映画にもなった時にもなった。
最初の数小節で旋律の記憶がよみがえってきた。

天満敦子は、2004年の全難聴の全国大会「オープンカレッジ」の一環として開かれた演奏会で聞いた。磁気ループと各種補聴システムを駆使した「望郷のバラード」は難聴の聴衆の胸を揺さぶった。
正直なところ、その時は磁気ループが使えない補聴器でもあり自分に感動は感じなかったのだ。しかし、今回は名器ストラディヴァリウス、名ホール紀尾井ホールそして天満敦子、人工内耳フリーダムのmusic機能、デジタル補聴器ダヴィンチをして、4年ぶりにあの演奏と集いの感動をもたらした。


人工内耳により、クラシック音楽を聴くという新たな地平が見えた。


ラビット 記