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株式会社葉月の社長ブログ 『うちは技術屋です』

飯塚市嘉麻市(筑豊福岡全域)で塗装・塗替え・防水改修などをやっています。

終戦65年目

2010年08月24日 | 日記
今年で終戦65年目を迎えるので色んな特番がありました。

最近の技術で当時白黒だった映像をカラーで再現する事が可能になり

戦時中の映像もまた迫力と恐怖にみちたものになった感じがあります。

血も怪我も死体も全てカラーになると、思わず目をそむけてしまいそうになりますが

しかしこれがまた現実でもあるんですよね。

サイパン決戦の事は知っていました。

しかし、日本軍が絶対防衛圏を守るため、国力をつぎ込んでつぎ込んで死守しようとした

サイパンの事までは知りませんでした。

なぜサイパンを死守したかったのか?知らない人のために書きますが

サイパンを取られると、B29爆撃機が日本まで航行可能になるからです。

日本の国土を空爆から守るため、たくさんの日本人が死守しました。

その名の通り、死んで守ろうとしたわけです。

結果的に国力の上回る米軍に敗れてサイパンを放棄したわけですが

負けたので簡単に引渡しをするのではなく、悲劇はまだまだ続くわけです。

当時の日本は「生きて虜囚(りょしゅう)の辱(はずかしめ)を受けず」

という考えが充満しており、大半の日本人は捕虜になることより自決を選んだわけです。

その時に、バンザイと叫びながら米軍に突撃したりしました。

民間人も同じです。

特に女性は捕虜になると襲われる、子供は売られるなどと噂が蔓延しており

米軍に捕えられるくらいなら自決を選んだのです。



この岬から軍人も民間人も合わせて1万人以上が飛び降りたと言われています。

口々に「天皇陛下バンザイ」と言いながら。


私は日本人です。

日本人として、このバンザイクリフにはどうしても行きたいと思います。

そして当時命を落とした御霊に御礼を言いたいと思います。