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『大川の風土記』22~楢尾~

2011年07月28日 | 大川の風土記
湯島の小沢氏が著した『大川の風土記』を再録します。

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特産こんにゃく楢尾

静岡市の西北部に位置する。
藁科川の清流に沿って三十キロ静鉄バスで約一時間四十分。終点崩野入口停留所に到着する。この辺は川巾漸(ようや)く迫って崩野川と大間川との合流点で、両岸屹立し、岩壁からは名も知れない雑木が相相互し、川底の清流は両岸の鬱蒼なる樹木の間に隠見し、見事なる渓谷をなし、奔流石を噛み巨大なる転石の間に白練幾条泡なちを現出するかと思ふと、少し下流はよどみ静かな流れ、激流から静流へ、騒音から静穏へ。新緑紅葉は特に麗しくカメラに収めたく食指そぞろに動くの絶景景観随一。この辺はやまめの繁殖もよく、釣りの好適の場所として一般に知られて居る。電源開発の送電用の鉄塔が偉容なる姿で数基山の尾根に連なる。テレビ等のように羅列する姿も特異性がある。県道井川線は大間へ、村道崩野道路は崩野へ、その岩壁を縫って通ずるも楢尾はごく最近まで直下二十三メートルの木橋を渡りて四十から五十度の急坂を登ったが、ここ数ヶ年前から清水土地改良事務所の主管において国営農道が開削されて、目下工事進捗中で時代の恩恵によるものと地元住民は大喜びで将来二千八百米の本村まで継続事業の趣きて大いに張切って居るも、地元負担金も多額拠出なるように聞き及びたるも遠大なる理想郷建設のため一致協力して完成を望む者である。
 昔の楢尾街道も迂回街道で困難が多く、荷物の運びは天秤棒や背負わこ類を使用したもの。この道路完成の暁には、小型自動車の利便が多い。
 往昔土着の農民たちがこの辺の広葉樹を素材として炭焼を業とし時代今から七十年前はこの地の窯渡し木炭価格金一円で大体六十貫匁(もんめ)で取引し、製茶は横浜港開港の波によって九貫匁入一袋凡そ金二円五十銭程度で取引されたという。楢尾は周囲は広葉樹に囲まれて東経一三〇、一一北緯三六、一一海抜六百五十米で面積三三一㎢戸数三十八戸人口百八十八農林兼業形態で構成し、産業は地域産業の主軸を多角経営で農産物は茶、こんにゃく、そ菜麦類を生産し、林産物は木材、薪炭、乾シイタケ、山葵等を産出し最近は換金作物に転換農家も見受ける近況なるも、郷里を後に都会に住み替えし大体が世上の後継者問題とか三ちゃん農業と喧しく唱導する問題も、この狭い土地も大きな波及して居る。こんにゃく芋の産額巨額に達し、戦後耐乏生活の続いた時代は主要食糧同様に需要が多く流通出荷による収益を収めた。
 この地区は土地肥沃にしそ菜に次いで麦類・甘藷・大根・人参等の産額多く、就中大根・人参・麦類は時季によって漬菜等の需用のため村内各に売出され、殊にこんにゃくの産額は本村第一位で郡下でも名声を挙げた時世も現出たわけ。
 には楢尾小学校と併置した大川中学校楢尾分校ありしも、中学校分校は人口の減少と時流の順応に嚮(むか)って最近分校廃止し本校に統合し、楢尾小学校のみがへき地教育の強化育成に努め大川村文化発祥地として期待する処多し。本校は昭和三十六年県へき地教育研究校になって図工科を通して描画の概念自信を深め、地域の材料を生し、特に昭和三十八年の造形展は児童会館で開かれ、いかにも山の情緒あふれるものがありて、新聞・テレビ・全国学習等で広く紹介されたほどであった。
 本村の中心地には消防団の詰所、火の見櫓が整備せられ山の中腹には曹洞宗のお寺があるも無住寺で名は海前寺という。毎年盆月に当たる日を定め、先祖のために施餓鬼祭を行う。
 氏神は天満宮と稲荷大明神を合祀する母屋造りの建築で大正年期に再建したもの。
 伝説によるとその昔永久年間(1113~1117年)同所より南方を眺めると駿豆の海上に毎夜大なる火光あちろまた或る年に大なる霰が降りて災害を蒙りしことあり。後年大飢饉来たりて、その悲惨な状実に言うべからず。ここにおいて村民産土の社に集まりて五穀の神を勧請し豊作を祈りしが、後神徳により毎年穀物豊熟して村民安堵して生業につき後世その神徳を敬仰して稲荷大明神を祀り、毎年二月の初午に祭典を執行し参拝者多数あり。その社から大間街道に至る山道には亀石もあり、楢尾石仏もあるも由来は不詳。楢尾の背面には七ッ峯の山裾が近くに現れ、智者山や天狗石嶺が手にとるように眺め、古野の滝の白条の朝日に映ずる景観また格別。吉野不動の上方一帯の植林地面積六十八町歩は大川村対営林署による分収林がある。前方眼下に南方は駿豆に面し、大川村全域を一望に収め、数条の山並が或いは高くまた低く重畳しその自然の姿、美林の山岳は独特の美しさここに山の幸あり。特産こんにゃく芋の産地楢尾の誇りであることを確信して記録したが、こんにゃく芋は全村に亘る産物なるも楢尾に次いで諸子沢、湯島などが主産地で年産額巨額に達するも本村に入り来たりて栽培した事は文献不詳ですが、その中に入手経路を訪ねたい。
※楢尾よりの観光
  天狗石七ッ峯の展望
  福養滝ハイキングコース
  原生林の探勝と南アルプス展望
(~P60)

『大川の風土記』(小沢.1966)

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