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『耳地蔵』(「野山の仏」から)

2014年05月14日 | 祠・石碑
大川地区坂ノ上にある耳地蔵について、「野山の仏」(戸塚孝一、金剛社、1963)から再掲します。

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『耳地蔵』

 大川村坂ノ上は戸数百五十一を擁する村でも一番大きいである。ここは昔藁科川をはさんで、東西二つに分かれており、その各々に立派な寺が山沿いに建てられていたが、西の寺は現在薬師堂のある地点にあったし、東の寺は川の東の山腹の高地にあった。後者はその後比較的平坦な場所に移された。この東西二つの寺もいつの間にか廃寺となり、跡形もなく失せてしまって、古老の言い伝えを信じるより他なく、ただ墓地に残る墓標の存在によって、寺院のあったことを察するよりすべはない。村人の言い伝えを辿ると、尼寺であった東の寺はどういう訳か川を渡った西に属する今の富田新一さんの宅地内の川岸の地に移されたといわれる。昔、寺院の境内にあった地蔵尊と無縁仏塔が、道路ができて、道路沿いの今の地に移されて祭られて現在に至っている。

 この地蔵尊は約六五銭センチの坐像で、がっちりとしていていかにも頼もしそうな立派な姿であり、首に赤い小さなよだけかけをかけているかっこうは、ユーモラスであり、また、首におおきなおはたしの穴石をいくつもさげているところは、いかに肩幅が広いかっぷくのよい地蔵尊でも、「私はすこしまいったよ。」といいたげな表情である。野ざらしで祭られていた頃は、よく青年たちが、この思い地蔵尊の左右の耳の所に両手をあてて「江戸を見せてあげよう。」といって持ち上げて、力くらべをして遊んだものである。地蔵尊は子供らの遊び相手をつとめたとみえて、鼻も、目も、耳もほどんとかけて写真にみられる顔容となっている。昔はばくちうちが、焦眉に勝つために、この地蔵尊に願をかけたといわれるが、それよりも耳の病気をなおして下さる地蔵尊として古くから知られている。おはたしの穴石の数と大きさが、そのご利益のあらたかなることを物語っているようである。坂ノ上の小字の宇山には、発電所ができて用水路があるので、子供がここに落ちないようにお守りしてもらうために地蔵尊が建てられたし、南では子供の不幸を見た親たちが子供らのすこやかな生育を祈って子安地蔵が以前から祭られている。毎年九月一日には坂ノ上はあげて一日休み、この三つの地蔵尊にお参りをするのである。

 地蔵さまの信仰は、僻地にゆけばゆくほどあつい。この世の幸せを、なんでもかなえて下さる菩薩である信ぜられ、人間以上の力に頼って苦しみから逃れ、身の安全を願う人々の心が地蔵尊に向けられる。地蔵尊は現世の幸福を私たちに約束され、願いをかなえて下さる。それは地蔵尊は十福を持ち、十益を秘め、全知全能の大吉仏であり、一定の住所を持たず地獄、餓鬼、畜生の世界に苦しんでいる人間と共に暮らして、いつでも私たちを救って下さる菩薩であるからで、地蔵信仰は今日まで絶えないのである。
(一九六二.六.二四)

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