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栃沢から月へ

2010年10月05日 | 行事レポート
雨模様だった朝の天気が、午後には一転!
雨雲を追い払ってくださったのでしょうか?昨日は、静岡市葵区の自治会連合会の約25名の皆さんが、藁科川上流の大川地区・栃沢に視察研修でいらっしゃいました。

午前は、最上流の大間地区で小櫻先生の案内のもと「縁側カフェ」などの取組みをご覧になってきたとのこと。昼食後、午後からは栃沢の集会所にて、大川の特産品や七草祭りについての紹介があり、続いて、地元のお茶と茶菓子がふるまわれる中、この地で精魂込めたお茶づくりを続けていらっしゃる内野清己さんから「大川のお茶祭り」についてや、「栃沢茶を育てる会」についてお話しがありました。また、私からもこの4月からの半年間の移住体験について、お話する機会を与えて頂きました。

その中でも、特に内野さんから講義のあった、この地のお茶を語るに避けては通れない『聖一国師』に関するお話しは、京都の大伽藍の東福寺にはじまって、遠く中国の浙江省、九州博多の山笠祭り、飛んで鎌倉の建仁寺、果ては虎屋のお饅頭にまで話しが及び、そのスケールの大きさに興味がつきませんでした。

研修会後、内野さんに「その当時中国へ渡るといえば、聖一国師さんは今で言うアフリカまで行った様な感じだったのでしょうか?」と問いかけると、「いやいや、月まで出掛けるような気概だったんじゃない」と笑顔でおっしゃっていました。

聖一国師さんの偉大さがうかがえるエピソードです。


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「聖一国師について」

聖一国師は、建仁2年(1202年)の10月15日に、奥藁科・栃沢の米沢家に生まれました。5才の時に、久能寺(今の久能山)の堯弁法師のもとに弟子入りをした後、さらに奈良や京都で学び、嘉禎元年(1235年)4月には、宋の国(現在の中国)に渡って、7年間修行をしました。帰国後は、関白藤原家に招かれて京都に臨済宗のお寺・東福寺を開山。宋の国からたくさんの文化を持ち帰り、偉業を遺して弘安3年(1280年)の10月17日に、79才の高齢で亡くなり、花園天皇から、日本の僧侶として初めての「国師」の号を贈られました。

宋からお茶の種子を持ち帰り、これを足久保に植えたのが静岡茶のはじまりと言われています。その他にも、織物や陶器、医薬の製法及び食料、そば等の栽培も奨励し、まさに郷土の生んだ大偉人と言えます。

『大川のしおり』(杉本覚朗.香文工房.1982)
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