少年カメラ・クラブ

子供心を失わない大人であり続けたいと思います。

気分

2004-11-30 22:40:14 | 写真
10月からしばらく気分の穏やかな日々が続いていた。

11月が終わろうとする今、だんだんピークアウトして来た気がする。

思考が空回りしはじめた。すべては運命の命じるままに身をゆだねようとしてきた。


でも後から見ると、何であんなことをしたのだろうかと思うようなことが累々と積み上げられている。

別に人に迷惑を掛けたようなことはないけれど。

時としてオーバーランしてしまう自分がもどかしい。

それも受け入れれば良いのだろうか。。

モノを見ること

2004-11-30 22:30:13 | 写真
写真を撮るためには被写体をよく見ることが大切だ。

それもただボーっと見るのではなく、先入観を捨てて素直にあるがままを見つめることが大切だ。

言葉を捨てて対象を見る。対象に対する固定概念を取り払う。

でも、対象に対するすべての固定概念を取り払うと何が残るのだろうか?

それは、言葉からその意味を取り除くのと同じようなことのように思える。花という言葉から「花」という意味を取り去る。なんだか変な感じだ。

辞書に書いてある説明は、その言葉の「近似的な」意味でしかないと思う。言葉の実体は、他の言葉との相対的な関係によってのみ定義されるのではないか。花というのは茎の上にあるものであり、蜂が蜜を求めて集まる場所、等々の他の言葉との関係があるだけだ。言葉と言葉のネットワークが実体であり、言葉はそのネットワークのノード(節)なのだ。


モノも言葉も多分同じだろう。モノに対する先入観は、モノについた符牒のようなものだ。モノの本質的な実体を知ることはできないに違いない。我々がモノに対して知ることができることは、それに何らかの働きかけをし、その反応によって近似的にそれを想像するしかない。

写真においては、モノに対して光を当て、モノからの光をフィルムに焼き付ける。その光をどのように解釈するか。

あるがままを見つめることは大切だけど、実はどこまでいってもモノの実体はつかめない。どこまでいっても、モノの解釈はフォトグラファーの思い込みに過ぎないのだ。思い込みはできるだけ捨てなくてはならいが、私たちはその思い込みから逃げることはできない。そんな本質的矛盾を、写真は(いやすべてのことは)持っている。

フィルターについて

2004-11-29 22:13:33 | 写真
ついでにフィルターについても書いてあった。

今までカラー写真ではPLフィルタくらいしかお世話になったことがなかったけど、白黒では黄色やオレンジ、さらには赤いフィルタによってコントラストをあげることができる。

ゾーンシステムと組み合わせが複雑になるけど、ちょっとフィルターも使いたくなって来た。まずは効果の穏やかな黄色いフィルタからやってみよう。

露出計の使い方

2004-11-29 22:08:17 | 写真
ゾーンシステムでは撮影対象の明るさをちゃんと意識することが大切だ。だからスポットメータというピンポイントで明るさが分かる露出計を使う。

だが、私はゴッセンのデジシックスという露出計を持っている。これは、反射光では入射角度が25度もある。

でも、この計器でも露出計の向ける方向によって大きく露出が変化する。今までは露出計の値が向ける方向で変化するので、露出をどのように決めればよいのか困っていた。

これからは被写体のどの部分を描きたいかということを考えて露出を計れば、このような広角度の露出計でも撮影意図が写真に反映できるなあと思った。

たかが光を計測する機器の使い方ひとつだけれど、ディテールにこだわるといろいろと見えてくるものだ。

でも、そのうちスポットメータが欲しくなりそうだなあ。早速ヨドバシで実物を確認しちゃったし。(それにしても、ペンタックスのスポットメータって、全く色気のない機械だねえ)

リバーサルの露出

2004-11-29 21:48:04 | 写真
最近、めっきりカラーフィルムを撮らなくなっちゃったけど、ゾーンシステムの考え方はカラーリバーサルにも適用可能だ。(らしい)

リバーサルフィルムはネガフィルムの反対(リバーサル)だから、ネガの時問題になったシャドウ部のトーン圧縮の問題はリバーサルではハイライト部のトーン圧縮の問題に変換される。

つまり、リバーサルでは暗い部分よりも明るい部分がとんでしまうことが問題になる。

したがって、露出を決めるときもディテールを描写したいハイライト部の露出を計測し、適当なプラス補正を加えて撮影する。いずれにしても、リバーサルの場合ハイライト部がつぶれないようにちょっと露出アンダー気味にとることが必要になる。

ゾーンシステムでわかったこと

2004-11-29 21:41:46 | 写真
会社の行き帰りの電車のなかでアンセルアダムスのNegativeを読んでいる。理論自体はそんなに難しいことはない。でも、考え方がわかってくるにつれて写真を撮るときに考えることも違ってくるような気がする。

モノクロ写真において、シャドウ(暗い部分)のネガ濃度は実際の明るさが圧縮されて記録される。

逆にハイライト(明るい部分)は明るさが直線的に記録されている。

したがって、特に暗い部分の露出が足りないと、シャドウ部のわずかな明るさの違いが全く記録されないことになる。

そこで、ディテールを描写したい最も暗い部分の露出を計測して3段か2段アンダー(ゾーン2か3に設定)にして撮影する。

もちろん、撮影時の意図を反映させたいときは、意識の向かっている場所のゾーンを決めて、それに応じて露出補正することもある。たとえばもっとも描写したい場所の明るさをゾーン5にしようとすれば、その部分の露出を計測して、そのままの露出で撮影する。

大体こんなところかな。あとは、設定したゾーンから他のトーンの場所を違ったゾーンに落としていき、明るい場所のゾーンが10段階に収まらないようなら減感現像をし、逆にコントラストが低くなるときは増感現像をする。

まあ、これだけ読んだだけでは、ちょっとわからないかな。

いずれにしてもシャドウ部がつぶれるとモノクロ写真はアウトなので少し露出を多めにするといいらしい。

露出計について

2004-11-28 20:36:31 | 写真
普通カメラについている露出計というのは反射光タイプというやつである。つまり被写体からの反射光を計測して露出を決める。被写体のある場所まで行かなくても露出が決められるので便利な反面、被写体の反射率によって誤差が出ると、どこの本を見ても書いてある。これに対して、入射光タイプという露出計は、被写体のところの明るさを直接計測するものであるので正確に露出が計れる上級者向けのものということになっている。

ところがゾーンシステムでは、反射光タイプのスポット型露出計を使う。妥協の産物として反射型の露出計を使うのではなく、このタイプのものがベストだと言うのだ。つまり18%グレーにプリントで表現したいところの露出を計測して、それに基づいてカメラの露出をセットするのだ。

よく考えると、どちらも当たり前のことなのに、見かけの話が全然違う。ちょっと面白いと思うんだけど。

ネガの傷

2004-11-28 20:19:09 | 写真
ちょっと前にネガに筋が入るようになって、クラッセを入院させた。筋の入っていた場所がクラッセのフィルム巻取り部分の金具の位置とあっていたので、間違いなくクラッセに問題があると思ったのだ。

でも、今TC-1を使っても時々同じような場所に筋が入るのに気がついた。以前ほどではないのだけれど、時々引っかいたような傷がある。

もしかすると、原因はカメラではなくて現像する時の現像タンクのフィルムリールのせいかもしれないと思えてきた。ブローニーフィルムではまったく傷はつかない。

リールは樹脂製のもので上下の枠を30度くらい交互にまわすと自動的にフィルムが巻き込まれるような仕組みになっている。ここで何らかの原因で傷がついたとは考えられないだろうか。

もう少しするとクラッセが帰ってくるので確認してみよう。もし、リールが原因なら、この機会にステンレス製のタンクに乗り換えようかな。温度制御も容易だろうし。

トラブルの原因というのは、よくよく考えて見ないとわからないもの。ひとつの原因が見つかると、なかなかそこから離れるのは難しいものではある。

フィルムと現像液

2004-11-28 20:07:14 | 写真
35mmフィルムとブローニーフィルムを1本づつ現像し、何枚かを引き伸ばした。ついでにネガの濃度を自作濃度計で計測した。今日は、2号の印画紙を使って引き伸しをしたので、印画紙号数によるコントラスト制御はなし。

比較的よくネガができていたので2号で殆ど問題はなかったが、多少シャドー部の透過光量が多いとコントラストの低い写真になったり、ハイライト部の透過光量が少ないとその部分がトビ気味になったりした。今まで感覚でしか分からなかったことが数値的に押さえることができるようになった。照度計は校正してないので絶対値はわからないが、印画紙の調子を相対的に判断するためには十分使える。

こうなってくると、自分の撮る写真をもっとコントロールしてみたくなる。そのためには、使うフィルムや現像液も一定のものにしないとだめかも。今までは富士のいろんな現像液を使っていたが、1つに絞り込んだ方がいいだろう。

特にどれということはないけれど、やっぱりTRY-XフィルムとD-76現像液という古典的なところに落ち着くのかなあという気がする。

印画紙はどうしようか。やっぱりバライタ紙ベースの方が深みのある色のような気もするし、富士のレンブラントかなあ。でもちょっと高いからRCペーパのタイプでもうちょっと練習してもいいかな。

どこの本を見ても、ちゃんとメーカーのレシピに従って現像しましょうと書いてあった。今、その意味がわかってきたような気がする。すべてのプロセスをきっちり押さえていくとき、微妙な露出の制御が意味を持ってくるのだ。


街を撮る

2004-11-27 23:29:38 | 写真
これまで写真を撮るといっては、人や花の写真を撮っていた。それはそれで楽しいのだが、近頃街や何気ない場所の写真を撮りはじめた。

街や建物を撮り始めた動機は、記録である。

まだ、そうした何気ないものを撮ったときに、「いいなあ」とは思っていない。でも、記録のための写真だっていいじゃないかと思い始めた。

何気なくいつもくるまで走っている道やイトウヨーカ堂のカンバンや、信号そんな何気ないものだって、何十年かたってからもう一度見返すときっと何らかの感動を生むに違いない。

あまりに慣れてしまった身の回りの風景を新鮮に見ることができたら、こんなすばらしいことはない。カメラの力を借りて、そんな感じを持つ訓練をしたいと思う。

意識が理解している世界は体が作ったバーチャルリアリティにすぎないとすると、いつも見慣れている町並みは、普通に暮らしていくために必要な程度に情報の圧縮がおこなわれている。言葉によって記述された単純化された世界だ。すべてを説明している言葉を捨て去り、体が受け取っている広帯域の情報に耳を傾けること。それが、風景を新鮮に見ることの意味だと思う。

経験も記憶も捨て去り、あるがままの世界を見つめること。そこには感動しかのこっていない。

今日は2本のフィルムを現像した。明日は引き伸ばしやろっと。