少年カメラ・クラブ

子供心を失わない大人であり続けたいと思います。

モノを見ること

2004-11-30 22:30:13 | 写真
写真を撮るためには被写体をよく見ることが大切だ。

それもただボーっと見るのではなく、先入観を捨てて素直にあるがままを見つめることが大切だ。

言葉を捨てて対象を見る。対象に対する固定概念を取り払う。

でも、対象に対するすべての固定概念を取り払うと何が残るのだろうか?

それは、言葉からその意味を取り除くのと同じようなことのように思える。花という言葉から「花」という意味を取り去る。なんだか変な感じだ。

辞書に書いてある説明は、その言葉の「近似的な」意味でしかないと思う。言葉の実体は、他の言葉との相対的な関係によってのみ定義されるのではないか。花というのは茎の上にあるものであり、蜂が蜜を求めて集まる場所、等々の他の言葉との関係があるだけだ。言葉と言葉のネットワークが実体であり、言葉はそのネットワークのノード(節)なのだ。


モノも言葉も多分同じだろう。モノに対する先入観は、モノについた符牒のようなものだ。モノの本質的な実体を知ることはできないに違いない。我々がモノに対して知ることができることは、それに何らかの働きかけをし、その反応によって近似的にそれを想像するしかない。

写真においては、モノに対して光を当て、モノからの光をフィルムに焼き付ける。その光をどのように解釈するか。

あるがままを見つめることは大切だけど、実はどこまでいってもモノの実体はつかめない。どこまでいっても、モノの解釈はフォトグラファーの思い込みに過ぎないのだ。思い込みはできるだけ捨てなくてはならいが、私たちはその思い込みから逃げることはできない。そんな本質的矛盾を、写真は(いやすべてのことは)持っている。

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