目的を持って始める「ゆうゆう生活」

<Begin with the End in Mind>悠悠、融融、優遊、悠悠閑閑な「ゆうゆう」生活のブログ

余市のニッカ工場見学

2016-04-09 | グルメ

札幌から余市のニッカ蒸留所を見学したきた。

電車、汽車で、札幌から、余市まで、約1時間10分。

時間帯によっては、2時間弱かかる。

汽車と言っているのは、小樽からは、単線でディーゼル機関の駆動車で走っているため。

 

余市駅を降りたら、ほぼ、目の前にニッカの蒸留所がある。

NHKの「マッサン」の影響が凄いかと思ったが、そうでもなかった。

この蒸留所が凄いのは、ほゞ、昔のままであること。

蒸留するポットスチルは「ストレートヘッド型」で、奥に小さいのがあって、それが、当時の大きさのポットスチルとのこと。

 

蒸留の窯の火は、石炭が火力であった。

 

正式には、「石炭直火蒸溜」と言う。

入口から3の窯は、石炭で焚いていた。

 

 

ウヰスキー樽の倉庫内の床は、土間。

建物も、昔の石造りで、低層階。

石造りと言っても、正確には、木造りで、外壁が石の壁としたのが、正しい表現である。

 

博物館奥に、有料で飲めるコーナーがある。

もう、既に販売中止になった、ウイスキーがほぼ、原価で飲める。

余市20年。15ミリリットル 700円。

700ミリリットルのボトル換算すると、32,667円となります。

蒸留所ならではのウヰスキーには、カスクのウヰスキーもあります。

 

そうは言っても、お勧めは、余市20年。

私は、この余市20年を3杯飲んだ。

色々と飲み比べ、結局、合計、7杯以上は飲んでいた。

余市20年は、もう、売っていない幻のウイスキーです。

いずれ、ここでも飲めなくなります。

私は、サントリー派であったが、余市20年は、上品な味わいのあるウヰスキーで、良かった。

余市15年も終売で手に入らないが、これも良かったらしい。

この余市15年ウヰスキーも、有料メニューから消えています。

お店の方も、余市15年のボトルは、無くなったと言っておりました。

ニッカウヰスキーの終販リストは、次のとおり。

http://whiskywarehouse.blog.jp/archives/1028374754.html

 

お昼は、遅めで、小樽の三角市場の海鮮丼を食べてきました。

本当は、行きたい寿司店がありましたが、札幌に戻るため、小樽でゆっくりする時間がなかったので、この三角市場ですませました。

この市場での食事は、初めてです。

 

昼間から、ウヰスキーを飲み、美味しい海鮮丼を食べ、満喫した一日でした。


江戸時代、「生類憐みの令」を出し「犬公方」と呼ばれた将軍といえば誰でしょう?

2016-04-09 | クイズ

江戸時代、「生類憐みの令」を出し「犬公方」と呼ばれた将軍といえば誰でしょう?

・徳川吉宗

・徳川綱吉

・徳川慶喜

・徳川家光

 

→ 徳川綱吉

江戸幕府5代将軍。当初は「天和の治」と呼ばれる文治政治を行うも、後に悪化。特に極端な動物愛護令だった「生類憐みの令」は人々をひどく苦しめました。

 

3代将軍:家光

8代将軍:吉宗

15代将軍:慶喜

歴代の徳川将軍は、次を参照:

http://wiki.chakuriki.net/index.php/%E5%BE%81%E5%A4%B7%E5%A4%A7%E5%B0%86%E8%BB%8D/%E6%B1%9F%E6%88%B8%E6%99%82%E4%BB%A3


大正8年(1917年)、のちに全国的な広がりを見せる米騒動が最初に起こったのは何県だったでしょう?

2016-04-09 | クイズ

大正8年(1917年)、のちに全国的な広がりを見せる米騒動が最初に起こったのは何県だったでしょう?

 

→ 富山県

今年の3月2日に、同じ問題が出されております。

詳細は、ここを参照:

http://blog.goo.ne.jp/hasechu3/d/20160302

それまでも凶作の翌年には各地で騒動が起きていましたが、この年の7月23日に富山県魚津から始まった騒動は全国に波及し、日本史上最大の民衆暴動となりました。

 

この問題文は、問題文が間違えている問題です。

大正8年(1917年)・・・は、正しくは、大正7年(1918年)である。

 

 


フランスの思想家・パスカルの有名な言葉といえば、「人間は考える何である」でしょう?

2016-04-09 | クイズ

フランスの思想家・パスカルの有名な言葉といえば、「人間は考える何である」でしょう?

 

→ 

一昨年の2月6日に、同じ問題が出されております。

詳細は、ここを参照:

http://blog.goo.ne.jp/hasechu3/d/20140206

「人間は一本の葦にすぎず自然のなかで最も弱いものである。しかし、」という言葉から続きます。人間は弱くとも考えることができる崇高な存在である、と指摘しているのです。


604年に聖徳太子が制定した憲法といえば条文は全部で何条あった?

2016-04-09 | クイズ

日本国憲法といえば全部で103条の条文から成りますが、604年に聖徳太子が制定した憲法といえば条文は全部で何条あったでしょう?

 

→ 17条

2013年の11月13日に、同じ問題が出されております。

詳細は、ここを参照:

http://blog.goo.ne.jp/hasechu3/d/20131113

日本初の成文法とされるこの「十七条憲法」ですが、内容は現在の法律のような性格のものではなく、むしろ一般的な戒律など、豪族などへ心構えを説いたものとなっています。