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詳報!航空自衛隊 小牧基地航空祭2006

2006-10-20 19:38:18 | 航空自衛隊 装備名鑑

■国際貢献任務の拠点

 愛知県小牧市に所在する航空自衛隊小牧基地は、中部国際空港まで中部都市圏の玄関口として栄えた名古屋空港と隣接している。県営名古屋空港としてチャーター機と小型機拠点となった今日、航空祭当日はかつての賑わいを取り戻す一日である。

Img_8054  小牧基地航空祭は、周辺自治体との関係上、ブルーインパルスの飛行展示は実施されず、また他基地からの飛来、いわゆるリモートとしての戦闘機による飛行展示も実施されないため、基地に所在する輸送航空団の輸送機と、救難教育隊の救難ヘリコプター、救難機による飛行展示が中心として展開される。この為、他の航空祭と比べ入場者も比較的少なく、例年であれば三万人程度と、基地の広さや再入場者(食事を基地外でとる人や、近所の人が行き来する場合)を考えると、のんびりとした航空祭である。

Img_8418  航空部隊が厳しい邀撃戦闘や支援戦闘の訓練を行う場合、僅かながら必然的な事故のリスクがある事は当然であり、各国空軍は救難ヘリコプターによる航空救難体制を採り、士気の維持に重要な働きを担っている。自衛隊も、多数の固定翼航空機を運用する海上・航空自衛隊に救難部隊を有している。かつては、高速艇と救難ヘリコプターによる複合型の航空救難体制が採られていたが、今日ではヘリコプターと固定翼機による航空救難体制に移行しており、小牧基地では航空自衛隊の救難航空体制を教育する任務を受けている。

Img_8598_1  一方で、国際貢献任務、特に近年頻度が増す国連平和維持活動や国際平和維持活動、緊急人道支援任務において必要な戦域輸送機の運用を一手に担うのが、輸送航空団第一輸送航空隊のC-130H輸送機部隊である。何となれ、主力輸送機であるC-1が、政治的配慮から航続距離や貨物搭載量に限界がある範囲内で設計され、空中給油装置を有していない以上、この部隊が有する16機の輸送機によって展開されており、NHKの報道によれば今日も一週間に六便の割合でバクダッドまでの輸送任務に就いているという。Img_8725_1 

 岐阜基地へ帰投する飛行開発実験団のF-15J、今日では輸送機とヘリの基地として定着した小牧基地ではあるが、1978年3月31日までは第三航空団司令部がここ、小牧基地に置かれており、小牧基地所属のF-86戦闘機が、この滑走路を離陸していた時代があった。蛇足ながら、今後、近隣諸国の洋上航空機動戦力が増加した場合、太平洋側からの経空脅威に対応するべく、一個飛行隊を基幹とする航空隊を幾つかの基地へ置く必要が出てくるのではないか。

Img_8524  小牧基地の滑走路は2740㍍×45㍍あり、ボーイング747の離着陸も可能である。基地の起源は1944年2月に開庁された陸軍小牧飛行場で、1947年より米軍使用となったが、1952年より民間機の乗り入れが開始され、1959年に航空自衛隊小牧基地として開庁した。これに伴い松島基地より第三航空団が移駐、要撃戦闘の一翼を担っている。1962年、それまでの管制教育団に代わり第五術科学校が開設され、救難教育隊も併せて移駐している。

■救難教育隊飛行展示

 小牧基地航空祭は、救難教育隊による飛行展示と、輸送機による機動飛行の二つに分けられ、ここでは、まず救難教育隊の飛行展示を特集したい。

Img_8317  救難教育隊所属のUH-60Jがランウェイから滑走路に移動する。朝一番のフライトと、午後のフライトに分け、救難ヘリコプター五機による飛行展示が実施された。

 これは第五術科学校所属のT-1Bが退役したことから、例年より多くの機体が飛行展示を実施している。従来までは救難飛行展示は二機のみであった。しかし本年のように五機ものUH-60Jによる飛行展示は、陸上自衛隊でも非常に稀有な部類に入るのではないだろうか。

Img_8361  誘導路において離陸を開始したUH-60J,先頭の機体がロービジ塗装である。UH-60Jは、V-107救難ヘリコプターの後継として1991年2月28日より防衛庁に納入が開始された機体で、生産は小牧基地に隣接する三菱重工名古屋航空機製作所により生産されている。ちなみに、名古屋ではF-15J要撃機やF-4EJ改の定期整備を実施しており、F-2支援戦闘機の製造も行われている為、こうした機体も見る事が出来、平日にもこうした機体を目当てにしたカメラマンも多いという。

Img_8380  編隊飛行を展示するべく、救難機U-125が離陸する。二機編隊で離陸した後、一機が脚を出したまま飛行、もう一機が格納した状態で飛行している。U-125は脚部分に救難物量の投下装置が設置されており、投下の際にはこのように脚を開いた状態にて投下する。

 固定翼ならではの高速を活かして救難現場に迅速に展開し、救難現場を確定、救難ヘリコプターを誘導する。

Img_8425  救難機U-125(正式には、救難捜索機U-125A)は、1995年2月28日に初号機が小牧基地において防衛庁に納入されたもので、従来のMU-2(陸上自衛隊のLR-1とほぼ同型機)の後継機として導入が開始されたもので、性能に関しては大幅に充実している。なお、MU-2がオレンジ・ホワイト・ブラックという救難機塗装が為されていたのに対して、薄いブルーを基調としたロービジ塗装が為されており、これも冷戦終結が、低列度紛争という周辺事態の可能性を高めた反映のようにも思える。

Img_8244  透き通るような青空を背景としたUH-60Jによる編隊飛行の様子。

 地上には、入間基地より飛来したC-1輸送機と、先ごろ、民間航空路線より退役した国産旅客機YS-11が地上展示の為に並べられている。海上自衛隊・航空自衛隊が、計器点検機や輸送機として、また派生型が電子戦訓練支援機として運用されており、1962年初飛行というYS-11は、いましばらく自衛隊の運用により日本の空を飛び続ける様だ。

Img_8408  C-130H上空を飛行するUH-60J五機編隊。

 基地の主役競演というべき飛行展示であるが、この見事な飛行展示は午後にも行われた。この航空祭を示すベストショットといえるが、事実、それを示すように航空専門誌“エアワールド”の取材カメラマンとおもわれる方(カメラレンズにデカデカとステッカーを貼っていました)も撮影した場所であり、アングルとしては良好であろう。

Img_8788  編隊飛行を終え、基地後方の東方空域を飛行する編隊。

 速度が異なるUH-60JとU-125が偶然重なり、このような写真を撮影する事が出来た。ところで、先頭を行くロービジ塗装のUH-60Jは、昨年度の小松基地航空祭において初めて目にしたものであるが、UH-60JやV-107について今後このような迷彩を施したヘリが増加するかについて、興味がもたれるところである。

Img_8399  滑走路上のU-125救難機。

 望見できる高層ビル群は、名古屋駅周辺の高層ビルで、小牧市でありながら名古屋空港と呼称された背景を垣間見る事が出来る。一番左のビルが、豊田ビル、そして名古屋駅ツインタワー。豊田ビルは当初、ツインタワーと同じ高さとする計画であったが、計画変更により3㍍高くした関係で東海地方で最も高いビルとなった。この他、テレビ塔なども小牧より望見できる。

Img_8455  この直後、UH-60J1機と、U-1251機により、救難展示が実施された。写真はU-125の支援の下、発煙筒を焚き救助を求めた要救助者をウインチにより吊り上げている。なお、重傷者に関しては、ストレッチャーにより吊り上げる事が出来る。

 U-125にピントを合わせているため、UH-60Jがピンボケとなっているが、双方の速力の違いが端的に見て取れる(ホバリング中なので当然ではあるが)。

Img_8468  ファストロープにより降下する救助要員。従来のウインチ方式よりも素早く降下する事が出来、特にレンジャーや特殊部隊により行われる方式であるが、ハーネスではなく手の握力でロープを支えている為、機が揺れて(例えば、突風とか、RPG!とか)手を離せば落下する危険がある。

 なお、救助要員は航空自衛官であるが、陸上自衛隊の迷彩2型の迷彩服を着用している。

■輸送航空隊飛行展示

 救難教育隊飛行展示に続いて、輸送航空隊による飛行展示が実施された。

Img_8565  唯一の戦域輸送機を有する関係上、特に海外派遣任務には専任といいうるほどの頻度で運用されているが、元は野戦において前線航空基地へ装備や物資を輸送するという任務を有する為、C-130Hは、輸送機とはいえ極めて高い機動性と頑丈な構造の機体を有している。特にヴェトナム戦争における米空軍の輸送記録を見れば、砲弾が命中した、23㍉機銃を蜂の巣にされた、という損傷を受けつつも任務を完遂したという凄まじい記録を戦史に刻んでいる。

Img_8637  航空自衛隊におけるC-130Hの歴史を簡単に示すと、輸送能力の向上を主眼として、航空自衛隊創設30周年にあたる1984年3月14日にアメリカ本土より1・2号機が小牧基地に到着した事より始まる。

 同年9月26日には、第一輸送航空隊としてC-130Hを正式に部隊装備し、同日、名古屋のシンボルでもある鯱を模った部隊マークを尾翼に描き、部隊としての運用を開始している。

Img_8556  編隊飛行を展示するC-130H、三機編隊ではあるが、機体がUH-60Jとは異なる為、それは他を圧倒する規模の迫力である。

 C-130Hは、全幅40.41㍍、全長29.79㍍、全高11.66㍍あり、機体と燃料や搭載貨物を含んだ最大離陸重量は79.38㌧に達する。また、最大ペイロードは19.356㌧あり、完全武装の空挺隊員を64名、輸送する事が可能である。

Img_8570  C-130は西側の傑作輸送機というべき機体で、60カ国以上で民間用を併せ2000機以上が運用されており、将来的には3000機に達すると見られる。

 試作機は1954年に初飛行、量産は1955年より実施されているが、順次近代化され、今日ではエンジンや機体全長に抜本的な改良を加えたC-130J-30が生産されているが、蛇足ながら機体価格が高騰してしまい、その生産数は伸び悩んでいると聞く。

Img_8572  ロービジ塗迷のイラク派遣仕様C-130H、これに関して、少し説明したい。従来、戦域輸送機とは、局地的航空優勢喪失に備え、低空飛行による輸送に主眼が置かれていたが、今日では“頭上の敵機”よりも、携帯地対空ミサイルという“眼下の敵”の脅威度が高くなっており、従って迷彩も地表よりも空に溶け込むものとされている。こうして、被発見性を低下させることで、攻撃を防ごうということである。特に、テロリストなどは対空レーダーを有している可能性が皆無に近い為、有効な策といえる。

Img_8642  イラク復興人道支援への派遣に際して、コックピット後方上部に半球状の目視監視席が設置され、機首コックピット直下に赤外線探知によりミサイルの接近を知らせるセンサーAAR-47が設置されており、コックピット側面と増槽部分後部には、接近するミサイルに対して、その追尾装置を欺瞞する赤外線フレア・チャフ散布装置ALE-47が装備されている。このセンサー、某首相補佐官がイラクを米軍ヘリにて飛行した際に煙突の隣を飛んだ瞬間、発動したほどで、感度は高いようだ。

Img_8659  飛行展示を終了し、着陸したC-130H。あたかも部隊マークの鯱が名古屋城の上に並んだようである。また、二種類の迷彩の相違点を端的に見る事が出来る。

 航空自衛隊では、報道では模擬ミサイル(大型のロケット花火の9連装発射器のようなもの)による回避訓練を重ねている。幸いにして攻撃に曝された事は無いが、絶え間ない訓練は万一の際の有効な対処につながっている。

Img_8623  着陸後、災害派遣訓練展示に向けて移動するC-130H、多くの観客との対比で、その大きさを知る事が出来る。災害派遣展示とは、エンジンを回転させたまま車輌を卸下する展示である。パキスタン大地震に際しての国際人道支援任務ではUH-1H多用途ヘリコプターを空輸している(ところで、ややノーズの長いJ型は搭載できるのだろうか)。望遠レンズでの圧縮効果により観客が多く見えるが、実際には、脚立を使用せずともこれまでに挙げた写真を撮る事が出来る。

■地上展示機

 航空祭は飛行展示とともに、地上展示機も見所が多い。ここからは、地上展示機を解説したい。

Img_8195  写真は、整備格納庫内のUH-60J、ロービジであるが飛行展示を行った機体とは別の機体であり、少なくとも救難教育隊には2機のロービジUH-60Jが配備されている事になる。

 やや暗い格納庫内ではあるが、小生愛用のEOS Kiss Digital Nは、ISO感度を800まで上げたとしても粒子荒れが大きくなく、暗いところにおいても良好な写真を撮影する事が出来る。

Img_8208  飛行開発実験団より飛来したF-15J戦闘機、F-2支援戦闘機の地上展示。岐阜基地より飛来した機体で、直線距離にして30kmの岐阜基地から小牧基地まで、戦闘機であれば何分であろうか、C.ジョニー氏曰く、多分滑走路の誘導路を移動する時間の方が、飛行時間よりも長いのではないかということであったが、小生もそう感じる。その向うには三沢基地より飛来したE-2C早期警戒機が並んでいる。なお、今年はE-767早期警戒管制機の飛来はなかった。

Img_8211  静岡県の浜松基地より飛来したT-4中等練習機と同じく静浜基地より飛来したT-3初等練習機。

 岐阜基地航空祭の記事でも記載したが、いよいよ退役が迫ったT-3練習機は、パイロットスーツを着た隊員が、『懐かしいなあ、これで初めて飛んだんだ』「まだ残ってたのか、とっくの昔に用廃担ったかと思った」という思い出話に華を咲かせていた。またT-4は尾翼に第一航空団創設50周年記念塗装を施している。

Img_8226  百里基地より飛来した第501飛行隊のRF-4E偵察機、そして戦闘機より改修したRF-4EJ偵察機。低空飛行を行う為、対地迷彩を施している。戦闘機から改造されたものは、機関砲も搭載しておりやむを得ぬ場合は航空戦闘も可能であるが、偵察能力は偵察ポットにより高い能力を有している。

 何というか、岐阜基地、静岡県内の基地、百里基地というように、航空機の出身基地ごとに並べてあるように思うのは小生の思い過ごしであろうか。

Img_8065  格納庫内に展示されるC-130H,格納庫には二機が展示され、この他一機が屋外にて機内を公開していた。

 輸送機用格納庫だけあって、小松基地の格納庫よりも天井が高く見える。

 この展示機は、エンジンカバーを外し、エンジンの構造や整備の様子などを展示していた。エンジン整備用の巨大な足場が興味深い。

Img_8283_1  航空祭の全飛行展示が終了し、帰投するべくエンジンを回すE-2C早期警戒機。航空祭もいよいよ終わりである。本機は1976年のMiG-25函館空港亡命事件を契機に警戒管制能力向上の目的で1983年2月より13機が導入されている。半径480kmの索敵能力を有し、米海軍の艦載機として開発された背景から大出力のアリソンT-56-A-427エンジンを搭載している。

 なお、C-130Hが搭載するエンジンもアリソンTT-56系統のエンジンである。

HARUNA

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3 コメント

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今気づいたのだけれど、離陸の写真見たら、F-15... (はるな)
2006-10-20 20:05:22
今気づいたのだけれど、離陸の写真見たら、F-15J,小松の機体やも。
返信する
仰るとうり、F-15は小松の所属機だと思われます。F... (ちゃりんこジョニー)
2006-10-21 18:27:26
仰るとうり、F-15は小松の所属機だと思われます。F-2は岐阜・飛実団のものです。
返信する
あ、やっぱり・・・、ジョニー様、情報どうもです。 (はるな)
2006-10-21 21:11:11
あ、やっぱり・・・、ジョニー様、情報どうもです。
返信する

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