■伊勢型航空戦艦を回顧する
伊勢型航空戦艦は中途半端とも揶揄されますが実際にその実力はどの程度だったのでしょうか。詳細を見ますと意外な実力が見えます。

航空戦艦、伊勢型戦艦を日本海軍は1942年のミッドウェー海戦の航空母艦4隻一挙喪失を受け、航空戦艦へ改装する事とし、また准同型艦の扶桑型戦艦も航空戦艦に転用する構想を進めました。実現したのは伊勢と日向のみですが、2隻で艦載機44機を運用でき、中型空母並の打撃力は発揮できる性能はあったようです。もっとも計画は難航しましたが。

伊勢型戦艦の航空戦艦転用ですが、1943年5月から開始されています。伊勢型戦艦は36cm連装砲6基12門を搭載していますが、これは金剛型戦艦が搭載する36cm連装砲と同型のものもであり、日本海軍は伊勢型に先行する原型ともいえる扶桑型戦艦と併せ、36cm連装砲40基を量産しています。これはイギリス式の発想で極力共通化させ量産性を高めたもの。

航空戦艦転用に際して、後部の5番砲塔と6番砲塔を撤去し、ここに航空艤装を配置、ただ飛行甲板の長さは60m程度しかありませんでした、はるな型ヘリコプター護衛艦の飛行甲板と同程度といわれればそれまでですが、当時日本海軍にHSS-2対潜ヘリコプターがある訳でもなく、空母艦載機の運用は大きく制約されています。ただ艦砲を外し軽く成った。

36cm連装砲の重量は1000t、峯風型駆逐艦に匹敵する重量です、これを二つ取り外したのですから大型の飛行甲板と格納庫を設置しても重心や復元性に問題は生じません。また航空戦艦への改装とともに駆逐艦の雷撃に備えて搭載した砲郭式14cm副砲を全廃し、代えて対空火力を強化しています。この対空火力は1944年レイテ沖海戦で威力を発揮している。

金剛型戦艦と同じ36cm連装砲4基を搭載しているのですから、伊勢型戦艦は一定程度の打撃力を有し、防御力はこちらが上です。砲塔を取除いた位置に増設の航空艤装には彗星艦上爆撃機22機を搭載、発進には火薬式カタパルト2基を有しており、格納庫からの航空機用エレベータを1基、そして艦載機を移動させる台車付軌条6本が配置されています。

彗星艦上爆撃機、しかし航空戦艦搭載型は翔鶴型空母に搭載された彗星そのものではなく、カタパルト発射型のアイプレート装備型でした。しかし、これは彗星を量産する海軍空技廠にとり、別のカタパルト型彗星製造ラインを増設する必要があり、一方、空母艦載機型の彗星は陸上機としても転用出来る為、空母艦載機型の製造が優先され、中々揃わない。

彗星は、しかもカタパルトから発進しても着艦は出来ない為、他の航空母艦に着艦させ、時機を見て航空戦艦に海上で移管するというものですが、移乗に必要な起重機は無く、洋上での移乗は不能、反復攻撃が出来ません。また伊勢型航空戦艦に彗星が搭載された写真が現存していません。もっとも96式艦上戦闘機が搭載されている写真はあるのですけれど。

瑞雲。最上型巡洋艦の航空巡洋艦転用などで注目された航空機です。日本海軍は愛知航空機へ、水上偵察機へ250kg爆弾を搭載し急降下爆撃を行う方針を1940年に要求、航続距離2500km以上と最高速度463km/hの高性能を求め誕生したのが瑞雲です。一見無理に見えますが1942年に完成した試作機は最高速度448km/h、航続距離2535kmを実現した。

伊勢型戦艦が現実的に搭載できる艦載機は瑞雲です。1944年から第634航空隊の瑞雲が伊勢と日向で訓練を行っています。ただ既に水上航空機が対艦攻撃を行えるほど悠長なものではなく、また比島方面の情勢悪化から第634航空隊は単独で比島戦線に投入されています。しかし、船団護衛等に航空戦艦が投入されていたら、こう考える事も、あるのですね。
北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ
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(本ブログ引用時は記事は出典明示・写真は北大路機関ロゴタイプ維持を求め、その他は無断転載と見做す)
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伊勢型航空戦艦は中途半端とも揶揄されますが実際にその実力はどの程度だったのでしょうか。詳細を見ますと意外な実力が見えます。

航空戦艦、伊勢型戦艦を日本海軍は1942年のミッドウェー海戦の航空母艦4隻一挙喪失を受け、航空戦艦へ改装する事とし、また准同型艦の扶桑型戦艦も航空戦艦に転用する構想を進めました。実現したのは伊勢と日向のみですが、2隻で艦載機44機を運用でき、中型空母並の打撃力は発揮できる性能はあったようです。もっとも計画は難航しましたが。

伊勢型戦艦の航空戦艦転用ですが、1943年5月から開始されています。伊勢型戦艦は36cm連装砲6基12門を搭載していますが、これは金剛型戦艦が搭載する36cm連装砲と同型のものもであり、日本海軍は伊勢型に先行する原型ともいえる扶桑型戦艦と併せ、36cm連装砲40基を量産しています。これはイギリス式の発想で極力共通化させ量産性を高めたもの。

航空戦艦転用に際して、後部の5番砲塔と6番砲塔を撤去し、ここに航空艤装を配置、ただ飛行甲板の長さは60m程度しかありませんでした、はるな型ヘリコプター護衛艦の飛行甲板と同程度といわれればそれまでですが、当時日本海軍にHSS-2対潜ヘリコプターがある訳でもなく、空母艦載機の運用は大きく制約されています。ただ艦砲を外し軽く成った。

36cm連装砲の重量は1000t、峯風型駆逐艦に匹敵する重量です、これを二つ取り外したのですから大型の飛行甲板と格納庫を設置しても重心や復元性に問題は生じません。また航空戦艦への改装とともに駆逐艦の雷撃に備えて搭載した砲郭式14cm副砲を全廃し、代えて対空火力を強化しています。この対空火力は1944年レイテ沖海戦で威力を発揮している。

金剛型戦艦と同じ36cm連装砲4基を搭載しているのですから、伊勢型戦艦は一定程度の打撃力を有し、防御力はこちらが上です。砲塔を取除いた位置に増設の航空艤装には彗星艦上爆撃機22機を搭載、発進には火薬式カタパルト2基を有しており、格納庫からの航空機用エレベータを1基、そして艦載機を移動させる台車付軌条6本が配置されています。

彗星艦上爆撃機、しかし航空戦艦搭載型は翔鶴型空母に搭載された彗星そのものではなく、カタパルト発射型のアイプレート装備型でした。しかし、これは彗星を量産する海軍空技廠にとり、別のカタパルト型彗星製造ラインを増設する必要があり、一方、空母艦載機型の彗星は陸上機としても転用出来る為、空母艦載機型の製造が優先され、中々揃わない。

彗星は、しかもカタパルトから発進しても着艦は出来ない為、他の航空母艦に着艦させ、時機を見て航空戦艦に海上で移管するというものですが、移乗に必要な起重機は無く、洋上での移乗は不能、反復攻撃が出来ません。また伊勢型航空戦艦に彗星が搭載された写真が現存していません。もっとも96式艦上戦闘機が搭載されている写真はあるのですけれど。

瑞雲。最上型巡洋艦の航空巡洋艦転用などで注目された航空機です。日本海軍は愛知航空機へ、水上偵察機へ250kg爆弾を搭載し急降下爆撃を行う方針を1940年に要求、航続距離2500km以上と最高速度463km/hの高性能を求め誕生したのが瑞雲です。一見無理に見えますが1942年に完成した試作機は最高速度448km/h、航続距離2535kmを実現した。

伊勢型戦艦が現実的に搭載できる艦載機は瑞雲です。1944年から第634航空隊の瑞雲が伊勢と日向で訓練を行っています。ただ既に水上航空機が対艦攻撃を行えるほど悠長なものではなく、また比島方面の情勢悪化から第634航空隊は単独で比島戦線に投入されています。しかし、船団護衛等に航空戦艦が投入されていたら、こう考える事も、あるのですね。
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