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伊勢湾機雷戦訓練二〇一六 機雷戦艦艇一七隻の四日市港一般公開(2016.02.11) 前篇

2016-02-13 22:02:00 | 海上自衛隊 催事
■伊勢湾機雷戦訓練二〇一六
伊勢湾において今月1日から10日の期間、掃海隊群司令岡浩海将補指揮の下、伊勢湾機雷戦訓練が実施されました。

伊勢湾機雷戦訓練は、実際に訓練機雷を伊勢湾に敷設し、掃海艇が機雷戦システムを駆使し発見し処分する訓練で、訓練機雷を使用しての機雷敷設訓練と掃海訓練及び潜水訓練を行うもので、掃海母艦1隻、掃海艦3隻、掃海艇15隻、掃海管制艇2隻、実に21隻もの機雷戦艦艇、そしてMH-53掃海ヘリコプターも1機が参加する大規模な訓練です。

掃海母艦うらが型、うらが、ぶんご、が掃海隊群へ配備されています。満載排水量6800tの大型艦で掃海艦艇への支援や掃海ヘリコプターへの掃海器具支援と機雷敷設能力を併せて持つ母艦です。母艦の支援を受ける事で掃海艇は長期間の行動が可能で、遠くペルシャ湾へも片道一か月間の長期航海を経て任務に当たっています。また、災害派遣にも大きな能力を発揮しました。

四日市港、三重県のわが国有数の石油化学産業集積地でありコンビナートのが並ぶ特定重要港湾、その一角に並ぶ掃海艇の群れは非常に強い印象を残しました、なにしろ母艦1隻と16隻もの掃海艇が一カ所の埠頭に並び停泊する様子は、掃海隊群司令部の置かれる呉基地でも自衛艦隊司令部が置かれる横須賀基地でも、海上自衛隊護衛艦最大の母港である佐世保基地でも簡単には見る事は出来ません。

伊勢湾機雷戦訓練機雷戦艦艇一般公開、2月11日に四日市港において開催されました掃海艇の一般公開の様子を本日から紹介しましょう。掃海艇と掃海管制艇が16隻も並ぶ様子は壮観そのもので、海上自衛隊は伊勢湾機雷戦訓練と陸奥湾機雷戦訓練に錦江湾機雷戦訓練として毎年同様の訓練を実施した上で硫黄島機雷戦訓練として実機雷を用いた訓練を実施しています。

機雷は最も危険な脅威です、一発でも触雷すれば最新鋭のイージス艦でも航行不能となり、LNG液化天然ガスタンカー等を撃破すれば広範囲に被害が及びタンカーを破壊すれば広範囲の海洋汚染に繋がります、そしてその最大の脅威は威力もさることながら、被害が出るまで存在に気付かない点で、機雷戦部隊により掃海掃討を実施したとしても、全て破壊できたかは、次の被害により掃海が完全でなかったことが判明するまで分からない点です。

機雷の種類を見ますと、大きく係維機雷と沈底機雷に区別されます。係維機雷は機雷缶と係維器により海底に設置され爆発する部分のみが海中に鎖などで係留されている方式で、触発機雷という船舶に触れた事で爆発するものがあり一番安価で仕掛けるのも掃海も楽なものがあります。ただ、兎に角安価なものですから大量に敷設される可能性があり、係維索が切れれば危険な浮流機雷となり油断できません。

 沈底機雷は面倒なもので、船舶の機関音や推進音に反応し爆発する音響機雷、船舶が動くことで生じる水圧変化に反応する水圧感応機雷、船舶の鋼製船体が発する磁気に反応し起爆する磁気機雷、双方何れかに反応する複合機雷、があります。もう一段高価なものに魚雷を抱いて船舶が接近すると感知して魚雷を発射するキャプター機雷というものもある。

 イージス艦という千数百億円の艦船を機雷は一発で無力化し、タンカーを破壊すれば千数泊億円相当の被害を沿岸と海洋にもたらす機雷は、最も安価なもので数十万円、通常の航空機用爆弾を転用することでも生産でき、最貧国であっても大量に調達できるところにも機雷の脅威はあります。そして機雷敷設方法は、機雷敷設艦、航空機、潜水艦、自動車運搬船や改造漁船によっても出来るほど。

 第二次世界大戦ではアメリカは戦略爆撃機B-29を機雷敷設用に投入し、瀬戸内海や日本海沿岸を含む我が国港湾を海上封鎖し、対日飢餓作戦を展開、我が国は無条件降伏に追い込まれました。そもそも日本帝国海軍の掃海艇は駆逐艦を転用したものがあり、当時最新の磁気機雷に対し掃海艇で進出した場合、逆に掃海艇が先に機雷に撃沈されるほどの有様でした。

 掃海任務とは、掃海艇から、ぐおんぐおんと船舶音を擬した音響掃海器具を曳航して機雷が船舶が接近したと勘違いし自爆させ機雷を処分する音響掃海、曳航するびりびり掃海電纜という電磁線から磁気を発して機雷に大型船が接近したと勘違いさせ自爆させる磁気掃海、掃海器具を曳航して機雷缶と係維器を繋ぐ鎖を大型カッターにより切り離して浮上させ機関砲で直接射撃し処分する係維掃海具掃海、というものがあります。

 掃海は概ね掃海艇から引っ張る掃海方式で、これとは別に掃海艇の前にある機雷を掃海艇が進む前に処理する方式を機雷掃討という。機雷掃討は、掃海艇が曳航方式の掃海器具を前に配置する事が出来ないので、機雷を探すにはソナーが必要となります。この為、機雷戦ソナーと機雷掃討に必要な器具、水中ロボットと無ければ水中処分員という機雷を直接探して爆破する専門のダイバーを乗せる必要がある。

 戦後日本の海上防衛の始まりは、先ずB-29が敷設した機雷の処分、そしてそれ以上に我が国が本土決戦に備え敷設した大量の機雷を処分し、海上交通路を再開させ、飢餓状態から脱するところから始まりました、早く処分しなければ我が国が設置した係維機雷が老朽化し海流によって運ばれる浮流機雷となり広範囲に被害が及びます、機雷の爆薬はかなり長い期間活性状態を維持しますので油断できません。

 浮流機雷、意外なところでその単語が出てきます、1954年公開の映画“ゴジラ”でも次々と船舶がゴジラにより撃沈される状況を劇中の新聞が、浮流機雷か、と報じており、その深刻度は現代に映画を通じても伝えたといえるやもしれません。そして今日を見ますと、我が国周辺では朝鮮半島有事と台湾海峡有事で大量に機雷が使用されることとなりますので、浮流機雷が我が国海上交通路を脅かすこともまた確実でしょう。

 戦後日本はGHQの許可を受け旧海軍が大量に建造した一号型駆潜特務艇を掃海艇に転用、新たに創設された海上保安庁の航路啓開部へ掃海艇を集中配備し、ここから今日に至る掃海部隊、そして海上自衛隊が発足する事となりました。朝鮮戦争での掃海作業には当時国連加盟国でさえなかった日本が参加、北朝鮮軍の敷設した機雷へ触雷し殉職者も出ており、また航路啓開業務でも戦死者というべき殉職者も少なくありません。

 海上保安庁航路啓開部はそのまま朝鮮戦争における機雷掃海任務へも協力として派遣され、日米間の関係改善への象徴的な役割を担い、この事からアメリカ海軍部内へ日本海軍再建を支持する層を大きう広める事となったほか、国際公序への参画を強く示した我が国の姿勢は1950年のサンフランシスコ平和条約締結と1956年の国連加盟と、日本の主権回復へ大きな助力となりました。

北大路機関:はるな くらま
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