■戦闘機無用論と大型陸上攻撃機
歴史に”if”は禁忌ですが、敢えて思考体操として論理を探求するならば裾野分野の理解を深めねばなりません。
日本海軍は戦艦を重視するのではなく、航空機を重視していれば"勝てた"という仮説を信じている方が多いようです。ただ、航空機を重視していたとしても、それは1940年代から1950年代にかけての航空機発達を正確に見通せたという条件がなければ、変なものを開発していた可能性が高い。実際日本では戦艦を一撃で沈める強力な航空機が開発中でした。
戦艦を一撃で沈められる航空機、こう概説しますと頼もしく感じられるかもしれませんが、大攻、という航空機です。当時日本海軍の魚雷は二種類開発されていまして、航空機搭載用の九一式魚雷、通称航空魚雷と、駆逐艦に搭載する九三式魚雷、通称酸素魚雷です。後者の方が遙かに重いのですが、その分だけ威力も大きく、一発で戦艦を撃沈可能という。
九一式航空魚雷は重量848kgで450mm口径、射程2kmです、弾頭重量は323kgで内部に235kgに炸薬を内蔵し42ノットで目標に迫ります。数発命中すれば戦艦を撃沈できるとされた。ただ、航空魚雷は駆逐艦などに搭載されている魚雷と比較し非常に威力が限られたのですね、理由は簡単で、あまり重い魚雷は当時の空母艦載機には搭載できません。
九三式魚雷、駆逐艦に搭載されている魚雷は通称酸素魚雷、動力に酸素を用い命中時に威力を増す副次効果もありますが、重量2800kgで610mm口径、最大射程は40kmもあり、雷速48ノットとした場合での射程は20km、弾頭重量は490kgあります。のちに射程を30kmに落とした分を弾頭780kgへ威力強化した三型も開発されています。これは強力だ。
深山大型陸上攻撃機、通称大攻という航空機がありました。1941年に初飛行を迎えているのですが、3000kgまでの爆弾を搭載できましたので、九一式航空魚雷を2発搭載できましたし、輸送機型は酸素魚雷の輸送にも対応していたとされています。ただ、技術的困難と予算不足により8機の試作で打ち切られました、これが量産された可能性が出てきます。
大攻、頼もしく考えられるかもしれませんが、四発機なのです。そして海軍では単発機と比べて運動性は低いものの改良により対応しようとしていました。少し考えればエンジンを四基も搭載した航空機に運動性を求められないことはわかりそうなものなのですが、海軍はあくまで、太平洋の広さを考えますと一挙に遠くへ飛べる大攻を必要とした実情が。
中攻。航続距離の大きな航空機へのこだわりは、九六式陸上攻撃機と一式陸上攻撃機、ともに双発で航空魚雷を一発搭載し長大な航続距離を発揮した、ここからも反映されているものでして、しかし緒戦のマレー沖海戦では威力を発揮しましたが、双発故の運動性の低さと正面投影面積が単発の艦上攻撃機より遙かに大きく、実戦における損耗が大きかった。
戦闘機無用論という声も1930年代に海軍航空隊では根強く、戦闘機は防御用と考えられたため、敵艦を沈める攻撃機を優先、また大型機ほど大型のエンジンを搭載できるため、速力が大きくなり、戦闘機は追いつけなくなる、実際九六式陸上攻撃機に九六式艦上戦闘機は追いつけなかった、こうした視点で海軍には大型機志向の潮流もあった事実も挙げたい。
しかし、実戦を経験するまではここまで損耗が大きいとは考えず、損耗よりも戦果を重視していた故に許容されると考えていました、こればかりは実戦を経ないとわからない。さて、日本海軍が戦艦よりも航空を重視した場合、艦載機重視に収斂したといえるでしょうか。実際のところ、大型攻撃機に重点化し、実戦で散々の結果となった可能性もあります。
北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ
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歴史に”if”は禁忌ですが、敢えて思考体操として論理を探求するならば裾野分野の理解を深めねばなりません。
日本海軍は戦艦を重視するのではなく、航空機を重視していれば"勝てた"という仮説を信じている方が多いようです。ただ、航空機を重視していたとしても、それは1940年代から1950年代にかけての航空機発達を正確に見通せたという条件がなければ、変なものを開発していた可能性が高い。実際日本では戦艦を一撃で沈める強力な航空機が開発中でした。
戦艦を一撃で沈められる航空機、こう概説しますと頼もしく感じられるかもしれませんが、大攻、という航空機です。当時日本海軍の魚雷は二種類開発されていまして、航空機搭載用の九一式魚雷、通称航空魚雷と、駆逐艦に搭載する九三式魚雷、通称酸素魚雷です。後者の方が遙かに重いのですが、その分だけ威力も大きく、一発で戦艦を撃沈可能という。
九一式航空魚雷は重量848kgで450mm口径、射程2kmです、弾頭重量は323kgで内部に235kgに炸薬を内蔵し42ノットで目標に迫ります。数発命中すれば戦艦を撃沈できるとされた。ただ、航空魚雷は駆逐艦などに搭載されている魚雷と比較し非常に威力が限られたのですね、理由は簡単で、あまり重い魚雷は当時の空母艦載機には搭載できません。
九三式魚雷、駆逐艦に搭載されている魚雷は通称酸素魚雷、動力に酸素を用い命中時に威力を増す副次効果もありますが、重量2800kgで610mm口径、最大射程は40kmもあり、雷速48ノットとした場合での射程は20km、弾頭重量は490kgあります。のちに射程を30kmに落とした分を弾頭780kgへ威力強化した三型も開発されています。これは強力だ。
深山大型陸上攻撃機、通称大攻という航空機がありました。1941年に初飛行を迎えているのですが、3000kgまでの爆弾を搭載できましたので、九一式航空魚雷を2発搭載できましたし、輸送機型は酸素魚雷の輸送にも対応していたとされています。ただ、技術的困難と予算不足により8機の試作で打ち切られました、これが量産された可能性が出てきます。
大攻、頼もしく考えられるかもしれませんが、四発機なのです。そして海軍では単発機と比べて運動性は低いものの改良により対応しようとしていました。少し考えればエンジンを四基も搭載した航空機に運動性を求められないことはわかりそうなものなのですが、海軍はあくまで、太平洋の広さを考えますと一挙に遠くへ飛べる大攻を必要とした実情が。
中攻。航続距離の大きな航空機へのこだわりは、九六式陸上攻撃機と一式陸上攻撃機、ともに双発で航空魚雷を一発搭載し長大な航続距離を発揮した、ここからも反映されているものでして、しかし緒戦のマレー沖海戦では威力を発揮しましたが、双発故の運動性の低さと正面投影面積が単発の艦上攻撃機より遙かに大きく、実戦における損耗が大きかった。
戦闘機無用論という声も1930年代に海軍航空隊では根強く、戦闘機は防御用と考えられたため、敵艦を沈める攻撃機を優先、また大型機ほど大型のエンジンを搭載できるため、速力が大きくなり、戦闘機は追いつけなくなる、実際九六式陸上攻撃機に九六式艦上戦闘機は追いつけなかった、こうした視点で海軍には大型機志向の潮流もあった事実も挙げたい。
しかし、実戦を経験するまではここまで損耗が大きいとは考えず、損耗よりも戦果を重視していた故に許容されると考えていました、こればかりは実戦を経ないとわからない。さて、日本海軍が戦艦よりも航空を重視した場合、艦載機重視に収斂したといえるでしょうか。実際のところ、大型攻撃機に重点化し、実戦で散々の結果となった可能性もあります。
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