北大路機関

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【M-5撮影特報】中部方面混成団創設17周年記念大津駐屯地祭,事(2024-04-27)

2024-05-16 20:24:26 | 詳報 陸海空自衛隊関連行事
■中部方面混成団祭
 ゴールデンウィークの序章という季節に行われました大津駐屯地祭の観閲行進の様子その続きを掲載しましょう。

 自衛隊はかつて新隊員という制度がありまして、そのむかしは誰でも試験を受けて合格しますと新隊員となれたわけですけれども、現代では自衛官候補生という身分から始まります、そして昔は曹候補士という制度があったのですが、いまは曹候補学生、と。

 曹候補士と曹候補学生、文字ではよく似ているのですが全く異なる制度でして、昔ありました曹候補士では、どんな状況でもいつかは陸曹に昇進できるという一種の終身雇用制度でした、これが曹候補学生となりますと七年以内に昇進できなければ退職という。

 七年以内というのは長いようで実は、例えば五分の遅刻が数回重なりますと昇進に影響する、と言いますか陸曹に昇進できる枠が予め決まっていますので、しかも遅刻というのが課業外の時間、夕方の外出などでも門限があり帰隊遅延というのがおこりうる。

 課業開始時刻に遅刻するならば懲罰ものというのは理解できるのですが、交戦中の軍隊が占領地にいるわけではないのですから課業時間外に門限や遅刻を設定すること自体、これが日本社会では普通としていけ入れられるのかなあ、という印象があるのです。

 陸曹は、しかしその分選ばれているといいますか、もともと日本の下士官は世界一という評判、なにしろ沖縄戦では2個師団で42万の米軍相手に大立ち回りしたのだから、こういう評判がある通り、今の自衛隊の陸曹の水準も高いことは確かなのですが。

 観閲行進の装甲車両は、過去の大津駐屯地祭と比較しますと過去には中部方面混成団の隷下部隊であり即応予備自衛官主体の第47普通科連隊と第49普通科連隊が、それぞれ海田市と豊川からまとまった車両を派遣していましたが、今年少ないのは残念だ。

 能登半島地震災害派遣の関係で、あの元日の地震災害は起こりうると分かっていても緊急地震速報が鳴り響いた後で頑丈なコンクリート製の家屋が実際に揺れて驚かされたのですが、この際に即応予備自衛官も召集されて派遣されたゆえ、即応性に驚く。

 即応予備自衛官という名の通り、とは驚いたのですが、考えてみると正業があっての予備自衛官なのですから、日曜日に、いや事前準備と撤収に車両点検を考えると三日仕事となる、即応予備自衛官を集めて式典参加というのは無理があったのかもしれない。

 第3師団隷下部隊も中部方面特科連隊、中部方面特科連隊というと三月に新編したばかりの編成完結間もない部隊、この参加とともに見慣れたFH-70りゅう弾砲だけれども、見慣れない名称の部隊、四国では見慣れていたのか、これもまた新鮮に思える。

 16式機動戦闘車は2両参加してくれました、第3偵察戦闘大隊、アナウンスでは略して第3偵察大隊と流していたので、もしかして新しい部隊改変があったのか、と驚かれたようですが、さすがに昨年の今年で戦車大隊を再編できるほど自衛隊は器用ではない。

 偵察戦闘大隊、大隊本部にくわえて偵察中隊と戦闘中隊という、そのうち隊本部に無人偵察機隊が加われば本部管理中隊か指揮情報中隊に拡大されて偵察戦闘隊と隊編成に格上げされるのだろうか、もしくは別個に情報隊が第8師団のようにできるのだろうか。

 105mm砲を備えた16式機動戦闘車は有用な装備なのですが、即応軌道連隊の機動戦闘車隊が2個中隊基幹であるのにたいして偵察戦闘大隊の戦闘中隊は一個中隊の身ですので、2両参加でも大変、昔の第2戦車大隊のように中隊定数が増えればとも思うのです。

北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ まや
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