北大路機関

京都防衛フォーラム:榛名研究室/鞍馬事務室(OCNブログ:2005.07.29~/gooブログ:2014.11.24~)

【G3X撮影速報】横須賀軍港めぐり【1】イージス艦きりしま・原子力空母ロナルドレーガン(2024-01-06)

2024-01-21 20:23:37 | 陸海空自衛隊関連行事詳報
■2024最初の横須賀を巡る
 横須賀へ今年最初に行きましたのは未だ松の内の週末でしたが能登地震の影響も横須賀には及ばずのどかな情景が広がっていました。

 横須賀、JR横須賀線は横須賀駅の改札を出ていますとその目の前に護衛艦が並ぶ逸見桟橋が見えます。艦番号174、イージス艦きりしま。逸見桟橋の完成で駅前に海上自衛隊の象徴を目の前で見られるようになった、防諜と広報、しかしこの情景が観られるようなった。

 アーレイバーク級ハワード、ベンフォード、その向こうにもう一隻イージス考えるのが見えるのですが、大切なのはその向こうです、艦番号70、といってもこれは艦橋に大書されたのは、合衆国海軍70隻目の正規空母である原子力空母ロナルドレーガンそのひとだ。

 きりしま艦橋を眺めつつ、少しは考える、この日は土曜日で明日は第一空挺団降下訓練始め、なのだから朝は早いのだし、駅前のヴェルニー公園から護衛艦を見ただけで満足して千葉へ向かい早めに休むべきではないのか、と。しかし、空母がいるとなれば話は別やね。

 ロナルドレーガンが横須賀へ戻っている、原子力空母ロナルドレーガンを筆頭にニミッツ級原子力空母は満載排水量で10万トンをこえる巨艦、アメリカ海軍力の象徴ですが、一旦出航すると数カ月は戻ってこないために、横須賀に戻ると大きいので目立ち、直ぐわかる。

 2024、謹賀新年のライトアップ準備を行っている潜水艦を目の前に、心に決めました、横須賀軍港めぐり遊覧船に乗ろう。遊覧船、45分間で横須賀基地を一周する遊覧船なのだけれど、空母も、1.5kmくらいか、近寄ってみることができるので、こういう時にいい。

 遊覧船は1200時の便には間に合わないので1300時の便にしよう、すると東京でちょっとお買い物をして、という散弾はこの際棚上げにして、ヴェルニー公園の先に軍港めぐり遊覧船の受付へと向かう事にしました。昔のダイエーの、ショッピングモールのなかにある。

 ヴェルニー公園は、年々整備されていて最近は洋風住宅を模したレストランも開業されたけれども、カレーなどが頂けたカフェは閉店したままとなっています。カラスと噴水とその向こうに護衛艦、という横須賀らしい情景を撮影しまして、しかし受付へと急ごうか。

 遊覧船、事前予約でチケットを確保する事も出来るのですが当日券が一定数残してありますので、これ土曜日という事もあり多少混雑しているのかなあと思いつつも、流石に満員という事はないだろう、とある程度算段を建てて向かうんだけれど、カラスは撮影する。

 ハトとイージス艦、そんなに悠長にしていてどうなのか、と思われるかもしれませんが、平和の象徴ハトさんとイージス艦を並べて撮影できるというのがヴェルニー公園ですので、急がなければならないのだけけれども、ハトさん、良い場所にとまってよ、ともねがう。

 いかづち。さて、買ったのか、と問われますと残念満員でチケットが無かったので寂しく護衛艦だけを撮影した、というわけえはなく、無事チケットが買えました。お値段2000円と物価高騰の影響を受けたのか、ちょっと高くなったような印象が有りますが、乗れる。

 きりしま停泊の様子を乗船口でみています、というのも、軍港めぐり遊覧船は全席自由席、良い場所もそうでない場所も早いもの勝ちという実情がありますので。全席自由席、このちょっと前まで新幹線のぞみ号は全席指定席でした、やはり自由というのは、いいもの。

 軍港めぐり遊覧船は、その隣にやってまいりました。さてさて、じつはここ、行列は既に目の前に30人ほど並んでいるものでして、ちょっとチケット、ハトとカラスで出遅れたなあと思いつつも、これから横須賀基地を一周、撮影旅行の船旅がもうすぐ始まるのです。

北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ
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【G3X撮影速報】富士学校祭-富士駐屯地創設69周年記念行事(6)過渡期にある特科と戦車の訓練展示(2023-09-30)

2024-01-21 20:00:42 | 陸海空自衛隊関連行事詳報
■さよなら74式戦車
 富士学校祭の速報も行事から時間が経ってしまいましたが今回の第六回で大団円となります。

 12式地対艦誘導弾システムが射撃準備を展示します、とはいってもこれの実物を発射しますと鹿島灘とか伊勢湾沖まで射程に入ってしまうようなミサイルです。現在この改良型を開発しているというアナウンスが流れ、その射程は900㎞から2000㎞、長い。

 19式装輪自走榴弾砲の射撃展示を終えて陣地変換をおこなう、似たような八輪式の車両ですが野砲とミサイルで全然違います、空包射撃もこちらは出来るのですが、今後自衛隊が反撃能力を整備してゆきますと、前者の角度をつけておしまいの展示が増える。

 99式自走榴弾砲、自衛隊は野戦特科を長らく重視してきましたから装輪自走榴弾砲はスウェーデンのアーチャー自走砲のようにこの99式の砲塔を装輪車の後部に装着するものとおもっていましたが、大きさなどで断念したという。コスト面も大きいのだろうか。

 74式戦車、この2023年が今度こそ最後の展示となります、日本が誇る第二世代戦車で、第二世代戦車は攻撃と防御と機動力の戦車三要素のうち、技術的にどれかを妥協しなければならないという制約があり、近代化改修には限界があるものを頑張って使った。

 第二世代戦車は、ウクライナでの線上ではロシア軍とウクライナ軍が、ロシア軍は台地世代戦車まで投入して使っていますが、乗って線上に赴く方の事を考えると、早めに第三世代戦車に置き換える必要がある。自衛隊の場合は置き換えず単に廃止するだけ。

 90式戦車の機動展示、74式戦車に対して90式戦車が第三世代戦車である所以は、その120mm砲弾を正面装甲や車体正面に受けても貫徹せず、側面に命中した場合でも人員区画が防護でき、このほか4000m先の目標に高い確率で命中させられる点など。

 10式戦車は、この90式戦車を置き換えてゆくこととなる戦車です。ただ、思うのは防衛産業を維持し重厚な防衛力を維持し、且つ戦車定数を増やさないのであれば、量産数を増加させて、そして15年程度で退役し、補修したうえで海外に輸出するという提案だ。

 第三世代戦車か第四世代戦車か、という視点で語られた重くなりすぎた第三世代戦車の配置を合理化することで防御力を高めつつしかし逆に軽量化するという選択肢は、結局世界が第三世代戦車の改良だけで済ますことが主流となり追随されるには至らない。

 16式機動戦闘車の展示、ほぼすべてはうしろに向けて射撃姿勢をとっているのは、ちょうどこの撮影に当たったG3Xカメラには見えにくい角度で射撃展示が続いたので、ほぼ撮影できなかったというのが正しい、もっとも、一眼レフでは撮れたのだけれどもね。

 戦車駆逐車というか、装甲防御をあきらめて機動力に特化するという発想は第二世代戦車の発想の延長線上にあるのだけれども、これはモノになってゆくのだろうか。この分野で先進的なイタリアは現在チェンタウロ2という120mm戦車砲搭載型を量産中だ。

 AH-1S対戦車ヘリコプターの支援、このAH-1Sも古くなったもので、しかし後継機種を調達することなく対戦車ヘリコプターと本来の後継であるべき戦闘ヘリコプターは区分ごと用途廃止される計画、即座の致死性を突き付けられる必須の装備と思うのだが。

 陸上防衛は転換期にある、というのは理解できるのだけれども、本来戦争には限定戦争と全面戦争があって、限定戦争に仕えるものは全面戦争にも対応する、けれども全面戦争を念頭に置いたものを限定戦争に用いると、戦争が全面戦争に拡大してしまうのですね。こんな感じにて富士学校祭訓練展示は状況終了となりました。

北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ
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【京都発幕間旅情】榛名さんの総監部グルメ日誌-東京上野,アメ横でお買い物の前にアメ横の旨い海鮮丼

2024-01-21 18:29:26 | グルメ
榛名さんの総監部グルメ日誌
 総監部グルメ日誌と銘打っていますが今回紹介するのは総監部の一つ上である防衛省本省庁舎もほどちかい上野なのです。

 東京、というと2019年までは仕事でもそれ以外でも旅行でもいろいろと行っていた街並みなのですが、2020年は、空挺降下訓練始めを除いていく事は無く、2021年はいったとしても仕事や所用をおわらせるとそのまま直帰する状況でした。その理由はCOVID-19です。

 開運号、そう年末年始は京成電車の開運号を通過する様子だけ眺めまして、というのがコロナ前の日常だった、空挺団降下訓練始めを撮影するために千葉に行くという日常と云いますか恒例行事でした。そして、自動車で行くか電車で行くかなのですが、電車の場合は。

 京成電車で八千代台から終点上野まで行きますと、そう、上野ならば高架下のアメ横に立ち寄って、いろいろ買うものはあるのですが、先ずは此処、みなとや、みなとやにて海鮮丼を色々頂きまして、空腹で頭が回らず高額な買い物を無意識にしないように準備する。

 アメ横、色々露天が並んでいるのですが、上野駅ではなく昔は御徒町駅から中田商店はじめお店を巡っていたので、それでみなとや、初めて知ったのだったか、もう20年近く前の話なのですが。一見、航空部隊のパッチのように並ぶドンブリものの看板に惹かれた。

 ウニイクラネギトロ丼、これで数百円というのだから上野が凄い、錦市場だと寿司一貫数百円というところもあるのだから、観光地化する京都の錦と、薄利多売の真剣なアメ横の違いというものなのでしょうかね。そして陶器の重い丼を持ち上げ、端から箸で掻きこむ。

 マグロのネギトロは甘い、脂の甘みと赤身の酸味が。ウニはちょっと苦い、のだけれども滋味と甘みと。イクラはこのなかで唯一しょっぱいのだけれども、口の中で一粒一粒が爆ぜてゆくたびに急な旨み、ぜんぶいっしょくたに掻きこむか、いや、時計回りで頂くのか。

 マグロ丼が、今は値上がりして500円ほどなのです。近くに富士そばも吉野家もあるのですけれども、みなとや、ここの海鮮丼はそのくらいの手ごろさで、美味しい、ここが大事なのですが、おいしい海鮮丼をいろいろな種類を準備していてくれて、直ぐ食べられる。

 露天風の、けっして上等ではない机と椅子に、荷物などは高いカメラバッグが汚れないようにひと苦労する瞬間はあるのだけれども、なにかこういつもと違う場所で美味しいもの、旨いものを頂いているなあという満足感がそこにあります。久しぶりのアメ横、久しぶりのここ。

 上野は、万年筆の凝ったやつとか、ショカコーラはじめ世界のちょっと手に入り難いが時折食べたくなるチョコレートや、兎に角珍しい、日本全体に数が入っていないようなものを入手できる、それも比較的手ごろに。その際に買い物の前、海鮮丼が食べたくなるのだ。

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【京都発幕間旅情】681系しらさぎ:能登半島地震七尾線羽咋駅和倉温泉駅間本日運転再開と能登直通特急

2024-01-21 07:00:06 | コラム
■能登復興と観光業
 元日能登半島地震で大打撃を受けたJR七尾線が本日から羽咋駅と和倉温泉まで復旧し特急運行も再開されることとなりました。

 能登半島の災害復興を考えた場合、一日に一往復でも二往復でもいいので和倉温泉駅まで、しらさぎ、サンダーバード乗入れを継続できないか。現在はIRいしかわ鉄道が金沢駅から和倉温泉まで、681系や683系特急を用い、能登かがり火号を運行中となっています。

 能登かがり火号は、厳密には能登半島地震を受け七尾線の状況などから運休中となっていましたが、羽咋駅と七尾駅の復旧完了し運転可能となった事を受け本日22日から運行再開となります。サンダーバードでそのまま和倉温泉まで行けるというのは観光再開に資する。

 北陸新幹線敦賀開業により、しかし現在の体制は、特急サンダーバードで敦賀駅まで、敦賀駅から金沢まで新幹線はくたか、金沢駅で能登かがり火号乗換、と乗換を二度も挟む事となります。旅行してみると判るともいますが乗換というのは荷物を持ち、体力を使う。

 金沢から和倉温泉は71km、特急に乗車しましたらそのまま目的地まで座席でくつろげる、ということは意外と重要で、速達時間よりも直通運行というものは、目的地に金沢周辺の和倉温泉というのではなく和倉温泉という明確な選択肢を示す事になるのではないか、と。

 京都から神戸三宮までが73kmですので、能登半島では中央部で奥能登までまだ先という和倉温泉と金沢が案外遠いということが認識できるでしょう、すると直通運転を維持する事は意外と旅客需要を掘り起こす。故に新幹線敦賀延伸後も、運行維持できないか、とね。

 能登半島は未だ観光客を受け入れられない段階と云いますか、奥能登では事実上の孤立地域も残り広域避難を進めている段階です。けれども復興しなければならない、その復興に着手できる復旧は、三月の北陸新幹線敦賀延伸の時点では未だではないか、と思うのです。

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