■そして日本は普通の国となる
本日は八月十五日、今年も暑い熱い夏とともに本日無事に終戦記念日を迎える事となりました。
終戦記念日。令和3年もこの日を迎えることとなりました。昭和史、最大の転換点は、しかし平成時代を超えて現在令和の時代を迎えています。愛変な戦争でした、しかし76年を経て、従軍した方々も多くが旅立たれ、戦後の長さというものを実感するように思うもの。今回は戦後というものの転換期を、ふつうの国、という視点から考えてみましょう。
ふつうの国、この論点は日本憲政史上最長の長期政権を実現した安倍首相が、"戦後レジームの転換"として掲げたものです。そして、ふつうの国、というものの概念は、制度として自分の国を自分の国の決意と実力で防衛する、こうした考え方でした。しかし、日本は求めると求めざるとに関係なく、否応なしにいま"普通の国"へ収斂しつつあるのではないか。
中国大陸の半分を制圧し、ハワイからインド洋、東南アジアからオーストラリアまで及んだ太平洋戦争時の日本の軍事力は、普通の国というには度が外れて巨大なものであったのは確かです。見敵必戦を掲げたイギリス海軍も南雲艦隊のインド洋進攻の前に退避を余儀なくされましたし、戦前戦中の中国大陸上空往く渡洋爆撃大編隊も、今では想像できない。
戦後日本が戦争放棄を宣言し、新憲法において軍備を否定したとしても、関ヶ原の戦いの後に豊臣家が徳川幕府から警戒されたような、あの壮大巨大な軍事力は廃棄されても、巨大な軍事力を生み出した国家そのものは健在であったことは事実でした。実際、戦後日本が一度も軍事侵略を受けていない背景には、緒戦の快勝、あの戦争の奮戦があったと思う。
在日米軍が居たからだ、こう思われるかもしれませんが、瓶と蓋論、こういいまして在日米軍が置かれているのは日本が独自の強大な軍事力を必要とする状況に持ち込まない為である、こうした説明がワシントンDCで普通に通っていたのは、キッシンジャー時代やアーミテージ時代、つまり平成時代まで続いていた為でして、この価値観こそ、戦後でした。
中国は前の東京五輪、1964年に中華民国海軍と中華人民共和国海軍による台湾海峡での海戦を行っていますが、建国以来、1949年ウイグル併合、1952年朝鮮戦争介入、1953年チベット併合、1965年中印戦争、1969年ダマンスキー島事件、1979年中越紛争、1992年ミスチーフ環礁占領、周辺国全てに侵略していますが、唯一日本だけ攻めていないのですね。
日本は軍備を放棄したものの、普通の国、周辺からは侵略するには過去の歴史というものがあり、例えば巨大な工業力、造船能力一つとっても必要ならばかなりの艦隊を短期間で練成し得ましたし、人口も一億を超えている。いわば、太平洋戦争の遺産というべき歴史が、不の遺産かはさておき、畏怖の遺産は、日本の平和に寄与していたこととなります。
1968年、日本のGNPは西ドイツを追い抜き世界第二位となりました。これも、変な意味で日本を"普通の国"から遠ざけたようにも思います。なにしろ世界第二位、戦争では負けたが経済では、とは映画の台詞のようですが、なにしろ勤勉と超過勤務がGNIの数字に出た構図なのですから、経済大国、大国、当時の方々は気分の悪いことではなかったでしょう。
金持ち喧嘩せず、こうした表現は好きではないのですが、世界第二位の経済大国であった時代の日本では、日本が戦争を望まなければ戦争は起きないのではないか、一種の札束で相手の戦意を挫く如く、不思議な奢りがあったのではないでしょうか、戦争が相互的、実際戦前日本は戦意の無い相手にも攻撃を加えているのですから戦後価値観は不思議でした。
しかし、その経済大国としての地位も2010年代に中国に追い抜かれることとなり、毎年10%以上の経済成長を行えば7年間でGDPは倍増します、低成長とマイナス成長を続けた日本は、世界三位を維持していますが、急成長を続ける新興国の成長率には及びません、高度経済成長時代の10%成長はもちろん、安定成長期の5%も、最早昔の話となりました。
普通の国になりつつある。すると、防衛の努力も、経済大国の時代のように札束の防護壁は構成できない時代なのですし、戦後間もない頃のような帝国陸海軍の遺産も流石に2020年代までは続いていません、戦争は1940年代の話、今の世界には1940年以降に建国された国の方が多いのですから、ね。すると、平和には相応の努力が必要となるのではないか。
日本は平和主義を掲げていますが、世界の国で戦争主義を掲げる国はありません、此処を忘れず。そもそも正戦論というものが国際法の源流にあり、歴史上自国を侵略国と自称した国はありません、そのなかで日本が世界とどう平和のとらえ方が違うのかとすれば、世界は平和が目的である、しかし日本では憲法の運用上、平和は手段となっている点が違う。
手段としての平和は、目的としての平和とことなり、結果的に国民が平和的生存権を享受できるかについては示していません。例えば防衛力を用いた予防外交や抑止政策が戦争を回避できる可能性はあったとしても、憲法上は陸海空軍を否定しているために、結果として戦争になっても、その時はその時に考えるという建前の政策となっています。驕りだ。
普通の国、ふつうの国。戦争を抑止するための軍事力と、その位置づけを主権者が理解しなければ国土国民を惨禍から守ることはできません、途上国でさえ無理をして国防の支出に耐えているのは、相応の防衛力を構築しなければ普通の国は戦争に巻き込まれるか、第三国の介入により内政に影響されるのと避けられないためです、それが普通といえます。
日本は、経済規模も人口規模も工業力も先端技術力も、充分平和的生存権を明記した憲法の人権を国民へ守るだけの国力はあります、ただ、第二次世界大戦の伝説的な軍事力の抑止力や、高度経済成長時代からの世界第二位という抜きんでた経済力の抑止力は過去のものとなりつつあり、普通の国になるのですね。すると普通の国としての覚悟が求められる。
平和を犠牲として不戦を護るか、不戦を犠牲として平和を守るか、いずれ選択の時が来ます。ふつうの国、元々は自国の権利を自国で守る事が出来ない憲法上の制約への突き付けられた命題であったように思うのですが、そうではなく、特別な国ニッポン、ただそれだけで平和を維持する事は難しくなる時代が来ている、終戦の日、改めて考えたいものです。
北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ
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本日は八月十五日、今年も暑い熱い夏とともに本日無事に終戦記念日を迎える事となりました。
終戦記念日。令和3年もこの日を迎えることとなりました。昭和史、最大の転換点は、しかし平成時代を超えて現在令和の時代を迎えています。愛変な戦争でした、しかし76年を経て、従軍した方々も多くが旅立たれ、戦後の長さというものを実感するように思うもの。今回は戦後というものの転換期を、ふつうの国、という視点から考えてみましょう。
ふつうの国、この論点は日本憲政史上最長の長期政権を実現した安倍首相が、"戦後レジームの転換"として掲げたものです。そして、ふつうの国、というものの概念は、制度として自分の国を自分の国の決意と実力で防衛する、こうした考え方でした。しかし、日本は求めると求めざるとに関係なく、否応なしにいま"普通の国"へ収斂しつつあるのではないか。
中国大陸の半分を制圧し、ハワイからインド洋、東南アジアからオーストラリアまで及んだ太平洋戦争時の日本の軍事力は、普通の国というには度が外れて巨大なものであったのは確かです。見敵必戦を掲げたイギリス海軍も南雲艦隊のインド洋進攻の前に退避を余儀なくされましたし、戦前戦中の中国大陸上空往く渡洋爆撃大編隊も、今では想像できない。
戦後日本が戦争放棄を宣言し、新憲法において軍備を否定したとしても、関ヶ原の戦いの後に豊臣家が徳川幕府から警戒されたような、あの壮大巨大な軍事力は廃棄されても、巨大な軍事力を生み出した国家そのものは健在であったことは事実でした。実際、戦後日本が一度も軍事侵略を受けていない背景には、緒戦の快勝、あの戦争の奮戦があったと思う。
在日米軍が居たからだ、こう思われるかもしれませんが、瓶と蓋論、こういいまして在日米軍が置かれているのは日本が独自の強大な軍事力を必要とする状況に持ち込まない為である、こうした説明がワシントンDCで普通に通っていたのは、キッシンジャー時代やアーミテージ時代、つまり平成時代まで続いていた為でして、この価値観こそ、戦後でした。
中国は前の東京五輪、1964年に中華民国海軍と中華人民共和国海軍による台湾海峡での海戦を行っていますが、建国以来、1949年ウイグル併合、1952年朝鮮戦争介入、1953年チベット併合、1965年中印戦争、1969年ダマンスキー島事件、1979年中越紛争、1992年ミスチーフ環礁占領、周辺国全てに侵略していますが、唯一日本だけ攻めていないのですね。
日本は軍備を放棄したものの、普通の国、周辺からは侵略するには過去の歴史というものがあり、例えば巨大な工業力、造船能力一つとっても必要ならばかなりの艦隊を短期間で練成し得ましたし、人口も一億を超えている。いわば、太平洋戦争の遺産というべき歴史が、不の遺産かはさておき、畏怖の遺産は、日本の平和に寄与していたこととなります。
1968年、日本のGNPは西ドイツを追い抜き世界第二位となりました。これも、変な意味で日本を"普通の国"から遠ざけたようにも思います。なにしろ世界第二位、戦争では負けたが経済では、とは映画の台詞のようですが、なにしろ勤勉と超過勤務がGNIの数字に出た構図なのですから、経済大国、大国、当時の方々は気分の悪いことではなかったでしょう。
金持ち喧嘩せず、こうした表現は好きではないのですが、世界第二位の経済大国であった時代の日本では、日本が戦争を望まなければ戦争は起きないのではないか、一種の札束で相手の戦意を挫く如く、不思議な奢りがあったのではないでしょうか、戦争が相互的、実際戦前日本は戦意の無い相手にも攻撃を加えているのですから戦後価値観は不思議でした。
しかし、その経済大国としての地位も2010年代に中国に追い抜かれることとなり、毎年10%以上の経済成長を行えば7年間でGDPは倍増します、低成長とマイナス成長を続けた日本は、世界三位を維持していますが、急成長を続ける新興国の成長率には及びません、高度経済成長時代の10%成長はもちろん、安定成長期の5%も、最早昔の話となりました。
普通の国になりつつある。すると、防衛の努力も、経済大国の時代のように札束の防護壁は構成できない時代なのですし、戦後間もない頃のような帝国陸海軍の遺産も流石に2020年代までは続いていません、戦争は1940年代の話、今の世界には1940年以降に建国された国の方が多いのですから、ね。すると、平和には相応の努力が必要となるのではないか。
日本は平和主義を掲げていますが、世界の国で戦争主義を掲げる国はありません、此処を忘れず。そもそも正戦論というものが国際法の源流にあり、歴史上自国を侵略国と自称した国はありません、そのなかで日本が世界とどう平和のとらえ方が違うのかとすれば、世界は平和が目的である、しかし日本では憲法の運用上、平和は手段となっている点が違う。
手段としての平和は、目的としての平和とことなり、結果的に国民が平和的生存権を享受できるかについては示していません。例えば防衛力を用いた予防外交や抑止政策が戦争を回避できる可能性はあったとしても、憲法上は陸海空軍を否定しているために、結果として戦争になっても、その時はその時に考えるという建前の政策となっています。驕りだ。
普通の国、ふつうの国。戦争を抑止するための軍事力と、その位置づけを主権者が理解しなければ国土国民を惨禍から守ることはできません、途上国でさえ無理をして国防の支出に耐えているのは、相応の防衛力を構築しなければ普通の国は戦争に巻き込まれるか、第三国の介入により内政に影響されるのと避けられないためです、それが普通といえます。
日本は、経済規模も人口規模も工業力も先端技術力も、充分平和的生存権を明記した憲法の人権を国民へ守るだけの国力はあります、ただ、第二次世界大戦の伝説的な軍事力の抑止力や、高度経済成長時代からの世界第二位という抜きんでた経済力の抑止力は過去のものとなりつつあり、普通の国になるのですね。すると普通の国としての覚悟が求められる。
平和を犠牲として不戦を護るか、不戦を犠牲として平和を守るか、いずれ選択の時が来ます。ふつうの国、元々は自国の権利を自国で守る事が出来ない憲法上の制約への突き付けられた命題であったように思うのですが、そうではなく、特別な国ニッポン、ただそれだけで平和を維持する事は難しくなる時代が来ている、終戦の日、改めて考えたいものです。
北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ
(本ブログに掲載された本文及び写真は北大路機関の著作物であり、無断転載は厳に禁じる)
(本ブログ引用時は記事は出典明示・写真は北大路機関ロゴタイプ維持を求め、その他は無断転載と見做す)
(第二北大路機関: http://harunakurama.blog10.fc2.com/記事補完-投稿応答-時事備忘録をあわせてお読みください)