北大路機関

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【京都幕間旅情】金戒光明寺,法然上人と紫雲棚引き開かれた浄土宗聖地に不思議情感の桜満開

2021-04-07 20:01:35 | 写真
■専修念仏の御寺と満開の桜並木
 桜の季節ながら毎週末が曇天や悪天候というのは少々出歩くなと諭されているようなところではありますが、少しだけ散策してみました。

 金戒光明寺、ここは岡崎の少し小高い京都市左京区黒谷町に在ります浄土宗大本山の寺院です。桜前線の上京とともに年度末の忙しさにまみれる梅花の季節に思慮と哲学の散策という余裕が無かった事をつとに思い出す頃合いでして、なにかこう急かす気分となる。

 岡崎の地となりますと隣にかの吉田山と山麓の京都大学が望見できまして、成程昨今情勢から一年遅れの入学式に苦笑いする二回生手前の新入生たちを眺めていますと、いつの時代も翻弄される世代の始まりは唐突なのだなあ、と情感が湧くところなのですけれども。

 山門と桜の木々が花開く様子が。金戒光明寺、寺院と云いますと遊興の場とならぬように桜の木々を抜き去った東福寺の歴史から神社社殿の神域のほうに桜並木が並ぶものと思うところなのですけれども実のところ意外に金戒光明寺にも桜花は満開でして、新鮮ですね。

 京都四箇本山の金戒光明寺、京都にはもう三山の知恩院と百万遍知恩寺と清浄華院とが文字通り思慮と哲学の道、悟りを模索しているところなのですが、小高い丘陵地を上ってゆきますと至る寺院の壮大に驚かされると共に知恩院も望見出来る立地、意外な近さに驚く。

 法然上人を開基としまして御山は承安5年こと西暦1175年に建立されました。ここ金戒光明寺は、南無阿弥陀仏、と唱える事で誰でも極楽浄土に往生できるとしました浄土宗の開祖が、二祖対面、という一種の奇跡と邂逅した一つの聖地となっていまして、伽藍も高い。

 紫雲石という、法然の時代にも丁度休むに手頃な石がありまして、南無阿弥陀仏という念仏こそが往生への道であると比叡山にて説いたものの厳しい修行こそが唯一の道であるとの大勢と打ち解けられず、民衆へ飛び込むべく法然が比叡山の黒谷を下ったとされている。

 源光に師事していました比叡山での法然の修行も、天台座主行玄を戒師として授戒を受けるほど際立つものではあるのですが43歳の時に厳しい修行の末に回心を体験し、比叡山にて為すべき事は為し今後は教えを広めようと専修念仏掲げ、比叡山を降りる事になります。

 二祖対面は、比叡山を降りてこの岡崎の地にて一休みするべく念仏を唱え紫雲石の傍らで休んでいたところ夢の中で光り輝く善導と対面し、二つの宗派の開祖が対面するという夢見を体験します。起きれば薄く石から紫雲が棚引いていた事に気づき、ここに庵を拓いた。

 南無阿弥陀仏という念仏を唱えれば往生できるという専修念仏は、承元の法難としまして比叡山延暦寺との激し対立を生む事となりまして、出家した上皇の女房が門下のものとみ通したとうわさが流れた事から時の後鳥羽上皇の怒りを買い、還俗の上で配流と云う事も。

 善通寺に四国配流の際に参詣しましたり、九条兼実の庇護もありまして配流は僅か10ヶ月という期間ではありましたが、重ねて四国に布教の機会を得まして南無阿弥陀仏の信仰を広めたといいます。こうした、活動的で情熱的ととれる法然上人の境内に桜が咲いている。

 専修念仏の考えと桜の木々は、考えてみれば専修念仏は仏教の大衆化そのものであり、いわば敷居を高くして隔絶した修行の場を悟りへの道と説いていた観念から、広く祈る文化を定着させる事で社会の安定期した故に桜木の広がりは低くした敷居そのものなのか、と。

 金戒光明寺の桜並木は、要するに遊興を省いて修行に邁進する仏教が社会全体に広がれば社会は停滞してしまいますが、元々広めるものではなくそれで良しとする従来の考え方から、寛容の精神に信仰を両立させたという、浄土宗故のものか、こう考えました次第です。

北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ
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