阪神基地隊を述べる前に、海上自衛隊掃海部隊に関する説明を行いたい。
大日本帝國最後の年となった昭和20年、本土決戦の準備を着々と進める日本に対して、連合国側は、海上封鎖による食糧供給の断絶を通してわが国の継戦能力を削ぐ観点から、航空機や潜水艦による機雷敷設を展開し、実に12000個もの機雷が近海に敷設、わが国の船舶被害は終戦までの四ヵ月半で、670隻(140万トン)が被害に遭った。
また、本土決戦に備え、着上陸阻止の観点からわが国が敷設した55000個の機雷も所在が明確とはいえ、航行船舶には自動的に脅威となった。
当然ながら、機雷というものは終戦後も機能を停止せず、平和の時代を迎えつつあるわが国にとり、浮遊機雷や遺棄機雷の存在は深刻な脅威であった。
これに対して、GHQは陸海軍の解体を進める一方で、機雷処理にあたる掃海部隊のみの存続は許され、航路啓開業務を継続した。この事から、現行の海上自衛隊掃海部隊はほぼ唯一断絶を経験せず海軍からの伝統を受け継ぐ部隊として知られる。
また、殉職者一名を出した朝鮮戦争への掃海部隊派遣も忘れてはならないだろう。
昭和28年末までに、機雷による被害は166隻、20万トンに達し、人的被害も1300名と看過できない被害を生んでいる。こうした中で、わが掃海部隊も15隻が損傷、77名が殉職する中で任務を着々と続け、今日に至るまで、今尚発見される遺棄機雷を相手に任務を展開している。
さて、このような実戦に磨かれた海上自衛隊掃海部隊だが、実は今日の神戸港でも二ヶ月に一回程度の割合ではある
が、遺棄機雷が発見されている事はご存知だろうか、重要な商業港である神戸港は重点的な機雷敷設の標的となり、昼間のB-29による高高度偵察の後、夜間、天候に関わり無く空中から投下し、戦後六十年に至るも、今尚負の遺産は発見されるという。こうした問題に対処するのが阪神基地隊の主要任務の一つである。
基地に入ると、掃海艇の一隻の煙突から熱気が上がっていた。所属する第42掃海隊は隷下に掃海艇三隻を有しているが、内一隻がエンジンを掛けているのはこの為で、機雷発見の報に即応できる体制が整っている事を知った。
さて、呉地方隊の隷下にあり、阪神基地は兵庫県大阪湾沿岸から紀伊半島西岸、そして四国島東岸を任務範囲とし、その隷下に由良基地分遣隊、紀伊警備所、仮屋磁気測定所がある。これらは、艦艇は配備されておらず、直接の防衛力に寄与するものではないが、燃料や物資補給、そして対機雷戦闘に必要な磁気調整などを行う部署であり、間接的にわが国防衛力に影響を与えている。
特に神戸は東アジア最大の潜水艦造船所があり、二社がわが国潜水艦隊が運用する全ての潜水艦を建造している為、阪神基地の神戸港保安維持という任務は、別の意味でも重要である事が言えよう。
こうした内容のレクチャーを受けた後、『うわじま』型掃海艇の『くめじま』(満載排水量570t)を見学した。海上自衛隊には、『はつしま』型(満載排水量550t)五隻、『うわじま』型九隻、そして最新の『すがしま』型(満載排水量590t)10隻がある。
『うわじま』型は、『はつしま』型と比して、水中カメラを搭載したS-7掃海具を搭載した点が特筆され、中深度掃海・掃討能力を充実させている。
海上自衛隊の掃海艇の最大の特色は、全艇が木製船体である事で、アメリカの『オスプレイ』級、イギリスの『サンダウン』級や『ハント』級、フランスの『エリダン』級、ドイツの『フランケンダール』級がFRPや非磁性鋼を用いているのに対して、触雷時の衝撃吸収性や音響ステルス性に優れた木製船体は、建造が非常に困難であり、漏水の原因となりうる。アメリカ海軍の『アヴェンジャー』級掃海艦も木造船体ではあるが、上からFRPを貼っており、日本の木造造船技術の高さを端的に知る事が出来よう。
しかし、艇内での機関長からの質疑応答の中で、小型であるから、波浪が高い際にがぶると、スタビライザーが無い分だけ不自然な揺れはないが、やはり食事の時は丼飯にオカズをかけて、抱えるようにして食べなければならないという。また、木造であり、どうしても老朽化すると天井から日光が漏れてくるという事があるようだ。
乗員は40名であるが、幹部はそのうち四名、まさに狭い所帯の中で海の男が磨かれるフネという様相だ。
機雷掃海には、係維機雷という水中に浮かぶ機雷を、沈降器というカッターを曳航して切り離し、浮上した機雷を機関砲により処理する方式、浮標から音響を出し、音響機雷を誘爆させる方式、磁気を生じさせる装置により爆破する方式がある。
加えて、機雷処分具S-7は、超音波映像装置と水中カメラにより機雷を発見し、カッターで切断し浮上させる、若しくは搭載する処分用爆雷を用いて破壊する方式がある。
こうして、処分具や士官室、厨房を見学して掃海艇を降りた。
さて、掃海隊群は、横須賀と呉に二個群あったものが統合されたが、これにより幕僚機構の大型化という利点、指揮系統の単純化という利点があることを聞き、護衛艦隊改革にも似た事が言えるという。
このように、掃海艇見学と同時に、様々な質問が出来、実り多いうちに見学は終了した。
次回は、潜水艦入港時などに再び訪れたいと思いつつ、遠いJR駅まで友人と徒歩で帰った。
HARUNA

大日本帝國最後の年となった昭和20年、本土決戦の準備を着々と進める日本に対して、連合国側は、海上封鎖による食糧供給の断絶を通してわが国の継戦能力を削ぐ観点から、航空機や潜水艦による機雷敷設を展開し、実に12000個もの機雷が近海に敷設、わが国の船舶被害は終戦までの四ヵ月半で、670隻(140万トン)が被害に遭った。
また、本土決戦に備え、着上陸阻止の観点からわが国が敷設した55000個の機雷も所在が明確とはいえ、航行船舶には自動的に脅威となった。
当然ながら、機雷というものは終戦後も機能を停止せず、平和の時代を迎えつつあるわが国にとり、浮遊機雷や遺棄機雷の存在は深刻な脅威であった。
これに対して、GHQは陸海軍の解体を進める一方で、機雷処理にあたる掃海部隊のみの存続は許され、航路啓開業務を継続した。この事から、現行の海上自衛隊掃海部隊はほぼ唯一断絶を経験せず海軍からの伝統を受け継ぐ部隊として知られる。
また、殉職者一名を出した朝鮮戦争への掃海部隊派遣も忘れてはならないだろう。
昭和28年末までに、機雷による被害は166隻、20万トンに達し、人的被害も1300名と看過できない被害を生んでいる。こうした中で、わが掃海部隊も15隻が損傷、77名が殉職する中で任務を着々と続け、今日に至るまで、今尚発見される遺棄機雷を相手に任務を展開している。
さて、このような実戦に磨かれた海上自衛隊掃海部隊だが、実は今日の神戸港でも二ヶ月に一回程度の割合ではある

が、遺棄機雷が発見されている事はご存知だろうか、重要な商業港である神戸港は重点的な機雷敷設の標的となり、昼間のB-29による高高度偵察の後、夜間、天候に関わり無く空中から投下し、戦後六十年に至るも、今尚負の遺産は発見されるという。こうした問題に対処するのが阪神基地隊の主要任務の一つである。
基地に入ると、掃海艇の一隻の煙突から熱気が上がっていた。所属する第42掃海隊は隷下に掃海艇三隻を有しているが、内一隻がエンジンを掛けているのはこの為で、機雷発見の報に即応できる体制が整っている事を知った。
さて、呉地方隊の隷下にあり、阪神基地は兵庫県大阪湾沿岸から紀伊半島西岸、そして四国島東岸を任務範囲とし、その隷下に由良基地分遣隊、紀伊警備所、仮屋磁気測定所がある。これらは、艦艇は配備されておらず、直接の防衛力に寄与するものではないが、燃料や物資補給、そして対機雷戦闘に必要な磁気調整などを行う部署であり、間接的にわが国防衛力に影響を与えている。

特に神戸は東アジア最大の潜水艦造船所があり、二社がわが国潜水艦隊が運用する全ての潜水艦を建造している為、阪神基地の神戸港保安維持という任務は、別の意味でも重要である事が言えよう。
こうした内容のレクチャーを受けた後、『うわじま』型掃海艇の『くめじま』(満載排水量570t)を見学した。海上自衛隊には、『はつしま』型(満載排水量550t)五隻、『うわじま』型九隻、そして最新の『すがしま』型(満載排水量590t)10隻がある。
『うわじま』型は、『はつしま』型と比して、水中カメラを搭載したS-7掃海具を搭載した点が特筆され、中深度掃海・掃討能力を充実させている。
海上自衛隊の掃海艇の最大の特色は、全艇が木製船体である事で、アメリカの『オスプレイ』級、イギリスの『サンダウン』級や『ハント』級、フランスの『エリダン』級、ドイツの『フランケンダール』級がFRPや非磁性鋼を用いているのに対して、触雷時の衝撃吸収性や音響ステルス性に優れた木製船体は、建造が非常に困難であり、漏水の原因となりうる。アメリカ海軍の『アヴェンジャー』級掃海艦も木造船体ではあるが、上からFRPを貼っており、日本の木造造船技術の高さを端的に知る事が出来よう。
しかし、艇内での機関長からの質疑応答の中で、小型であるから、波浪が高い際にがぶると、スタビライザーが無い分だけ不自然な揺れはないが、やはり食事の時は丼飯にオカズをかけて、抱えるようにして食べなければならないという。また、木造であり、どうしても老朽化すると天井から日光が漏れてくるという事があるようだ。
乗員は40名であるが、幹部はそのうち四名、まさに狭い所帯の中で海の男が磨かれるフネという様相だ。
機雷掃海には、係維機雷という水中に浮かぶ機雷を、沈降器というカッターを曳航して切り離し、浮上した機雷を機関砲により処理する方式、浮標から音響を出し、音響機雷を誘爆させる方式、磁気を生じさせる装置により爆破する方式がある。
加えて、機雷処分具S-7は、超音波映像装置と水中カメラにより機雷を発見し、カッターで切断し浮上させる、若しくは搭載する処分用爆雷を用いて破壊する方式がある。
こうして、処分具や士官室、厨房を見学して掃海艇を降りた。
さて、掃海隊群は、横須賀と呉に二個群あったものが統合されたが、これにより幕僚機構の大型化という利点、指揮系統の単純化という利点があることを聞き、護衛艦隊改革にも似た事が言えるという。
このように、掃海艇見学と同時に、様々な質問が出来、実り多いうちに見学は終了した。
次回は、潜水艦入港時などに再び訪れたいと思いつつ、遠いJR駅まで友人と徒歩で帰った。
HARUNA