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北大路機関

京都防衛フォーラム:榛名研究室/鞍馬事務室(OCNブログ:2005.07.29~/gooブログ:2014.11.24~)

第11旅団創設3周年 真駒内駐屯地創設57周年記念行事詳報⑨ 撮影位置転換準備

2012-09-06 23:29:01 | 陸上自衛隊 駐屯地祭

◆観閲行進は次回で終了、訓練展示への移動準備

 真駒内駐屯地祭、今回で第九回ですが観閲行進もいよいよ終わりに近づいてきました。

Mimg_2028 観閲行進は機甲部隊が殿を務め、上空を祝賀飛行の編隊が飛行します。観閲行進を撮影するには部隊を真正面から一列にフレームへ納められるので、よい場所を確保できたといえます。しかし、続いて実施される訓練展示模擬戦を撮影するのに、攻撃部隊を背後から撮影するこの位置は完璧とは言えません。

Mimg_2008 入場と同時に撮影位置へ検討ししかし、観閲行進を真横からしか見えないことで断念した場所がこの写真の横に見える撮影位置、模擬戦を撮影するには最適の場所ではあるのですが、見ての通り来場者でいっぱい、この場所に移動しましても恐らく最前列から六列七列と群衆越しに撮影することとなり、よい写真は撮れないでしょう。

Mimg_2027 せめて模擬戦は真後ろからではなく、真横、とは言えなくとも側面から見れないか、と目を凝らすのですけれども、招待者席ばかり。招待者席の通路から見えるグラウンドを望遠レンズのみで撮影することも考えたのですが、せっかく札幌まで足を運んだのです、もっといい場所は無いものでしょうか。

Mimg_1942 観閲行進の発進位置には数名見えます。この場所、観閲行進は真後ろから見ることとなるのですが、模擬戦は攻撃部隊を真正面から見ることとなります。ただ、防御陣地と防御部隊が目の前に陣地展開を行いますから、写真撮影には適当な場所と言い難いいかもしれません。

Mimg_2159 すると、消去法で、観閲台や招待席と、式典会場を挟んで反対側、このあたりでしたら、最前列は不可能でしょうが直線で長く人の列は二列か三列、超望遠レンズで隙間から展開される訓練展示を撮影する、事は不可能ではないでしょう。ただし、この撮影位置から距離があります、立ち入り禁止区域を迂回せねばなりませんから。だが、この撮影位置からいい写真にもっとも近づける。そう考えつつ、観閲行進最後の仕上げへカメラを構えなおしたわけです。

北大路機関:はるな

(本ブログに掲載された本文及び写真は北大路機関の著作物であり、無断転載は厳に禁じる)

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第11旅団創設3周年 真駒内駐屯地創設57周年記念行事詳報⑧ 第11特科隊の観閲行進

2012-08-27 23:21:44 | 陸上自衛隊 駐屯地祭
◆75式自走榴弾砲、日本らしい国産の特科火砲
 第11旅団記念行事真駒内駐屯地祭2011、今回は75式自走榴弾砲を運用する第11特科隊です。
Mimg_1927 第11特科隊は、隊本部、本部管理中隊、第1中隊、第2中隊、第3中隊で指揮官は和田信義1佐。ちなみに隊長は昨年11月30日に中村健蔵1佐へ交代しています。元第11特科連隊を第11師団の旅団改編と共に特科大隊を基幹とする編成を特科中隊基幹の編成へ置き換えられています。能力的には縮小改編ではなくコンパクト化が主眼で能力は下げられていない、といわれているのですが、火砲の数は減ったのですね。
Mimg_1936 陸上自衛隊特科部隊は対砲兵戦能力と火力支援を任務としています。非常に高い対砲兵戦能力を有しています。実は五年ほど前に調べ驚いたのですが対砲兵戦に重要な対砲レーダ装置の普及度合いがかなり高いのです。対砲レーダ装置JTPS-P-16は各特科隊と特科連隊情報中隊に装備されているのですが、距離40km以内の評定幅50°の目標を同時に18目標まで追尾できるとのこと。
Mimg_1944 欧州最新の対砲レーダ装置COBRAは、探知距離40km、評定幅固定時90°、120秒間での最大40目標探知、ということで効力射の間隔を考えればP-18の同時18はかなり優秀という事がわかります。そして配備数なのですが、COBRAはイギリスフランスドイツ共同開発で三カ国合計が29セット、とのこと。自衛隊の普及数は第15旅団以外に全て特科隊か特科連隊がいますので富士学校を加え少なくとも15基、方面特科部隊には配備されているのでしょうか、自衛隊だけで少なくとも15基はかなりの数と言えるでしょう。
Mimg_1949 75式自走榴弾砲。この装備が真駒内駐屯地祭で一番見たかった装備、第7師団は全て新型の99式自走榴弾砲に切り替えられていますからね。自衛隊らしい火砲と考えています。乗員6名、戦闘受領25.3t、全長7.79m、車体長6.64m、全幅2.98m、全高2.55m、最高速度47km/h、航続距離300km、燃料搭載量650?、搭載エンジン三菱6ZF空冷ディーゼル、出力450hp、懸架装置トーションバー方式、変速機全身四段後進一段というもの。
Mimg_1962 主砲は155mm榴弾砲で砲身長は30口径砲、30口径というのは7.62mmではなく火砲の場合は155mm×30が30口径砲ということ。陸上自衛隊の主力火砲であるFH-70は39口径、最新型の99式自走榴弾砲は52口径なのですが、75式自走榴弾砲が開発された時代は22口径等が主力の時代、物凄い長砲身砲で射程も大きかったのです。搭載砲弾は28発、このほか12.7mm重機関銃弾が定数1000とのこと。
Mimg_1968 陸上自衛隊の仮想敵はソ連、北海道へ上陸され、港湾が奪取されたならば輸送船によりものすごい数の戦車と火砲が揚陸させられ、陸上自衛隊は膨大なソ連機甲戦力を対象として厳しい戦いが想定されました。特に火砲はどう頑張ろうと劣勢で、地形上制約があるのですから火砲の数で対抗することは出来ず、少数精鋭による出血強要という戦闘を展開せねばなりません。
Mimg_1975 対砲兵戦とは、単純に射程で決まるものではありません。例えば湾岸戦争では最大射程30km以上を誇るイラク軍砲兵が数でも優勢を維持しつつも、米軍砲兵隊の位置を評定することが出来ず、闇雲に砲撃を繰り返し、砲弾から対砲レーダにより市場が黒され、米軍が運用する射程24kmのM-109A6自走榴弾砲が確実に屠っていきました。
Mimg_1983 75式自走榴弾砲は、この観点からとにかく一回の効力射を極限まで短縮し、一撃を加えて正確に目標を無力化しつつ、しかし反撃以前に陣地展開を行わなければなりません。実は陸上自衛隊の特科部隊の要求は厳しく1970年代の時点で富士学校では“一効力射3発20秒以内”、というとんでもない高い水準の性能が要求されていた、と聞きます。
Mimg_1986 日本製鋼所、技術研究本部と三菱重工は、この難題を前に155mm砲弾の自動装填装置を開発しました。これは回転式拳銃の回転式弾倉とよく似た、もしくは艦砲の装填装置とも共通性がある二つの弾庫に各9発で合計18発の砲弾が内蔵されており、砲弾は自動装填されることで射撃の迅速化を実現したのです。信管は砲塔左右に56発分が配置され、装薬は砲塔に10発と車体に18発が搭載されているもよう。
Mimg_1991 砲は仰角俯角で-5°から+65°まで可変式、砲塔は全周式となっていて、毎秒5°と30秒間で全周を旋回可能となっています。装填と砲角度装填位置自動復帰装置が搭載され、全自動モードでの射撃を行えば毎分6発が射撃できる。155mm砲弾の最大射程は19kmで、現在でこそ火砲の射程は20km以上が当然であり30km以上の射程、一部には特殊砲弾で40kmを超えるものもあるのですが、1975年では19kmというものは、師団全般支援火力であるM-1榴弾砲の14.9kmを超えており、十分な近代化といえました。
Mimg_1997 運用方法は、サッと出てバカスカ撃ちスバしっこく移動する。中隊か戦砲隊単位で運用され、中隊長の決心までひたすら掩砲所において待機し、命令一下迅速に射撃陣地へ進出、一個中隊は5両とのことですが、情報中隊の対砲レーダ装置の目標情報、もしくは攻撃準備射撃や突撃破砕射撃、もしくは攪乱射撃の状況において、射撃陣地から各車3発から状況に応じ最大9発程度を射撃、15から45発の砲弾を送り込んだのち、陣地を急速転換し予め準備した予備陣地へ展開、必要ならば射撃を行い即応弾18発を射撃、そのご掩砲所に戻り自動装填装置へ一発一発再装填を行う。これならば、損害を最小限として与えられる打撃も大きい。
Mimg_2014 75式155mm榴弾は、信管付砲弾全長700mm、弾薬重量は6.8kgのTNTを加えて全体重量43.6kg、初速は9号装薬使用時で720m/s、信管は瞬発と遅発信管であるM-51やM-577にM-500やM-520が使用されるほか、国産のVT信管である71式3型信管を使用するというもの。威力は短径30m長径45mへの有効弾片の散布、とのこと。
Mimg_2019 陸上自衛隊の特科火砲は師団と旅団配備のものは155mm榴弾砲に統一されているのですが、75式開発以前は師団全般支援火力として特科第五大隊に155mm榴弾砲を装備し、直接支援火力として普通科連隊の支援に充てる火砲には105mm榴弾砲が採用されていました。74式自走榴弾砲という105mm自走榴弾砲も開発されていたほど。しかし、1971年に陸上自衛隊は用途廃止となったM-24軽戦車にダミー人形を搭載し航空自衛隊航空医療実験隊の支援を受けつつ各種火砲による損害評定を実施、105mm砲は発射速度に優れるものの対機甲射撃には対処できない、という結論が出されたため、155mm砲へ統一するとの決定に至りました。
Mimg_2022 北部方面隊全ての師団特科連隊へ配備された75式自走榴弾砲は、現在逐次99式自走榴弾砲への更新が進められており、第11特科隊へも置き換えが今年度から始まっているようです。こうした実情はあるのですが、第11特科隊の方は、75式自走榴弾砲の方が手動が介在する余地があり、動くか動かないかという二元論となる最新型と異なり、故障しているが動く、という、いわば極限状態においても最低限の稼働は維持できる、それはこの75式の長所です、と愛着をこめてお教えいただきました。
北大路機関:はるな

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平成24年度富士総合火力演習第一学校予行PowerShot-12撮影速報

2012-08-21 15:17:42 | 陸上自衛隊 駐屯地祭

■制式化一年、恐るべき新装備の威力

先ほど富士総合火力演習予行を見学して参りました。取り急ぎ御殿場市内からの速報です。

Fimg_0991 今年度の富士総合火力演習は10式戦車や中距離多目的誘導弾が初めて射撃展示を行う陸上自衛隊近代化の目玉を展示する演習ですが、併せて個人的には2002年に初めて富士総合火力演習を見学して以来、十年目という節目の年でもあり、撮影機材など装備品も大きく変わった、と感じるところ。

Fimg_1045 そしてこの迫力、新装備の恐るべき威力というものです。制式化から一年、昨年八月に導入したCanon Power Shot G-12ですが、速報記事用にEOS-7DやEOS-50Dの補完として、いわば小銃と拳銃の関係で活躍してきたのですが、何とこの新装備は戦車の砲焔を撮影することに成功したのでした。

Fimg_1073 やった、凄い!、G-12,性能としては毎秒二枚が撮影できるのみで、Weblog北大路機関開設後最初に導入したEOS-KissNの毎秒2.5枚よりも連写性能は劣るのですが、なんとEOS-50DやEOS-7Dに伍して発砲焔3枚の撮影に成功、なかなか写らないと一部で嘆かれる発砲焔、G-12はコンデジにして期待以上といえるもの。

Fimg_1105 そして10式戦車、機動性とともに行進間射撃の能力の高さを展示しまして、打撃力に機動力と防御力の向上とともにデータリンク能力の一端を展示する展示。展示想定も実のところ毎年変わらず行われる富士総合火力演習という印象からもうすこしすすめたないよう、というものでした。

Fimg_1227 G-12の導入はコンパクトデジタルカメラの進歩を痛感しましたが防衛装備の進歩も物凄く、富士総合火力演習、あまり詳しいことはここでは避けます、というのもちょっとバッテリーの容量が怪しくなってきましたので。しかし、今年の富士総合火力演習は一味違います、本番はインターネット中継も行われます。

北大路機関:はるな

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第11旅団創設3周年 真駒内駐屯地創設57周年記念行事詳報⑦ 方面特科部隊のMLRS

2012-08-17 23:49:06 | 陸上自衛隊 駐屯地祭
◆第1特科団第1特科群第133特科大隊
 今回は真駒内駐屯地の方面特科部隊を紹介しましょう。強力な多連装ロケットシステムMLRSの部隊です。
Mimg_1845 真駒内駐屯地のMLRS部隊は第133特科大隊です。北部方面隊直轄の第1特科団隷下部隊です。第1特科団は1952年に北部方面特科団として千葉県習志野に発足し、同年中に北海道へ移駐、1954年の陸上自衛隊捕捉と共に部隊名称を第1特科団と改称、同年中に現在司令部が置かれる北千歳駐屯地へ司令部を移しました。
Mimg_1858 第1特科団は第1特科群の第101特科大隊・第102特科大隊・第129特科大隊・第133特科大隊、第4特科群の第104特科大隊、第120特科大隊、第131特科大隊、第1地対艦ミサイル連隊、第2地対艦ミサイル連隊、第3地対艦ミサイル連隊を基幹としており、陸上自衛隊最大の特科部隊を構成しており、諸外国では軍団直轄砲兵旅団に当たるもの。
Mimg_1862 その装備は、発足当時こそ第一次大戦中に基本設計が管制し第二次大戦に投入された旧式である牽引式の155mmカノン砲や203mm榴弾砲を運用してきましたが、1980年に対砲レーダ装置の導入を開始、無人偵察機の導入もこのころに実施され、1984年には203mm自走榴弾砲、1991年に88式地対艦誘導弾、1995年にMLRSを導入し今日に至ります。
Mimg_1866 MLRSは多連装ロケットシステムの略称で、陸上自衛隊は発射器99両を導入しています。導入数ではアメリカの990両やドイツ陸軍の250両に続く保有数で、導入国16か国中では世界三位です。元々は1976年に米陸軍が開発に着手した陸軍全般ロケット支援システム計画に端を発するものです。
Mimg_1867 ボーイング社やマーティンマリエッタ社に加えノースロップ社やヴォート社にエマーソンエレクトリック社が試作に参加、ニューメキシコ州ホワイトサンズ演習場での試作装備競合の結果、ヴォート社案の採用が1980年に決定されています。こうして主契約企業をヴォート社が担い、ロケットモータ部分をアトランティックリサーチ社が、評定装置及び自己位置追随装置をペンディックス社が、射撃統制装置をノーディンシステムズ社が、ブランズウィック社が発射装置を、発動機駆動装置をヴィッカース社が担当することとなりました。
Mimg_1874 1983年に米陸軍への配備が開始されています。このMLRS計画は当時巨大なソ連軍の圧力に直面していたドイツを中心とする欧州NATO諸国においても注目されるものとなっておりドイツはアメリカと併せMLRS-EPGを設立させ、アエロスパシアル、ディール、テッセンヘンシェル、SNIA-BPD,ハンティングエンジニアリングの欧州五カ国の企業に分担しMLRSの共同生産を開始しました。
Mimg_1877 MLRSは、従来のロケット弾発射器と完全に一線を画しており、システムの呼称通り、装備計画に将来脅威までを見据えて、その段階改良と運用転換を見込んだロケットシステムとして成立しています。その分取得費用は陸上自衛隊納入価格で約20億円です。生産数世界第三位というかなりの数を量産した陸上自衛隊で、最新の10式戦車の三倍程度という費用、各国が取得するにあたって相応の苦労を要した背景がわかるというもの。
Mimg_1879 大規模機甲部隊浸透を一掃する面制圧火器として、MLRSは開発と配備が行われたのですが、今日では点目標に対する長距離精密誘導火器として戦域火力構成の優位獲得を目指したものに転換しているのが、MLRSの将来発展性というものになります。もちろん、この為にロケット弾は常に改良型が開発されていることは言うまでもありません。
Mimg_1886 M-270,これが米軍におけるMLRSの呼称ですが、陸上自衛隊では多連装ロケットシステムMLRSと呼ばれています。装軌式車体に六連装二機の十二連装ロケット弾が装填されています。ロケット弾の後継は227mmで全長3900mm、発射重量は一発あたり300kgとなっています。推進剤を除き弾頭重量は12発で2tに達します。
Mimg_1890 最大の特色は、発射装置に限ればその再装填速度の速さでしょう。ロケット弾は通常、瞬発制圧火力として短時間に多数を同時発射し火力で圧倒するための装備となっているのですが、対して多数のロケット弾は再装填に時間を要するため、通常の火砲と比べ長時間の持続射撃能力は限られていました。しかし、MLRSは箱型発射装置に再装填用クレーンを内蔵していることから大凡10分で再装填作業を完了できます。結果、一機当たりの火力投射能力は大きい。
Mimg_1892 M-77ロケット弾。射撃は乗員が全て車内から実施し車外に出る必要は基本的にありません。MLRSは冷戦時代に面制圧を、冷戦後は精密誘導で戦域制圧を目指す装備と書きましたが、M-77はMLRS開発と同時に進められた面制圧用ロケット弾です。射程32km、重量307kgの弾薬には644発の子弾を内蔵しており、目標上空で散布します。644発が12発各車両から発射され、車両は中隊規模6~9両、大隊規模18~27両で同時射撃、個数は御計算ください。
Mimg_1895 子弾は制式名称をM-77DPICMといい、一発あたり213gでポリウレタンに包まれた円筒形となっています。目標地域上空に到達したのをロケット弾が計算すると上空で散布を開始、空力安定用リボンが取り付けられており、一定方向に指向したまま落下するのですが、形状が成形炸薬弾となっているので軽量ではあるのですが装甲車両に命中すれば防弾鋼板で40mm、76~102mmの装甲を貫徹させるとのこと。
Mimg_1896 この威力は戦車の上部装甲を損傷させ軽装甲車程度の装甲ならば貫通、戦車も後部の空気取り入れように開け放たれた機関部上面を破壊してエンジンを破壊し行動不能に陥れるわけです。そして車両に命中しない場合でも地面に接触すればさく裂し、人員や物資などを破壊する構造で、子弾の数だけ地表で爆発が瞬時に起こる。
Mimg_1903 MLRSは基本的に12発のロケット弾を楕円形のほぼ100×200mに散布する運用が為されるので、20000㎡の面積を31㎡に一発の割合で子弾が散布されることとなるのです。BTR-80装甲車の表面積は22.2㎡、T-80主力戦車の表面積は25.5㎡、まあ、命中する割合は確実ではありませんが、MLRS18両で運用すれば1800×3600mの範囲を打撃でき、十分な離隔距離を採っていたとしても、無事では済まないことは確か。
Mimg_1905 MLRSは米陸軍では一個中隊9両、三個中隊27両を以てMLRS大隊を編成しています。陸上自衛隊では一個中隊6両の三個中隊18両を以てMLRS大隊を編成です。ちなみにイギリス陸軍では、65両導入したのですが、一個中隊の定数は9両と米陸軍に共通なのですが、二個中隊編制ですので大隊定数は18両と陸上自衛隊の配備数と同じ。
Mimg_1907 陸上自衛隊のMLRS大隊は、大隊指揮装置、中隊指揮装置、小隊指揮装置、各指揮装置データ伝送装置、弾薬車両が発射装置を支援します。各中隊には6両の弾薬車が配置されており、六発内蔵ロケットコンテナ四基、二斉射分を供給します。湾岸戦争では四日間で各車両が平均51発を射撃した、と議会報告に為されていますので、陸上自衛隊の即応弾36発は米軍並みの火力投射を行ったとしても三日間程度は戦闘継続が可能です。
Mimg_1910 しかし、難点もあります。MLRSの射撃、地面に弾ける無数の子弾、地獄絵図とはこのことをいうのでしょうが、爆発するのは子弾、軍団直轄砲兵は伝統的に203mm榴弾砲を運用するのですが、203mm砲弾は91kgあり、内蔵する16.42kgのTNTにより長径75m短径45mへ有効断片を散布します。203mm砲は緊急時でも発射速度は毎時1発で持続射撃は毎時20発ですのでMLRSの方が一発あたり三倍重量の弾薬12発を10分で撃つのだから有利、と思われがちなのですが、一つ。
Mimg_1914 203mmには対コンクリート信管が用意されており140cmのコンクリートを浸徹可能ですので、建造物や橋梁などを破壊可能なのですが、M-77の子弾ではどうしても不可能な芸当、M-77は火砲ではなく面制圧用のロケット砲弾だったということ。そして32kmという射程は決して長くなく、観測点によってはロケット弾の連続射撃が暴露する危険性があるほか、面制圧範囲が起きく、中東の砂漠や住民完全退避後の欧州第三次大戦等を除けば、威力が大きすぎました。
Mimg_1916 精密誘導による戦域火力優勢確保、MLRSが面制圧に続いて求められたのはGPS誘導により単弾頭型の強力なロケット弾をピンポイントで命中させ、重要施設や高付加価値目標を一撃で破壊するというロケット弾です。市街地の火力拠点や指揮所など、車両集積地への連続射撃や橋梁の破壊に道路上の機甲部隊車列一掃など、強力な威力を活かした誘導弾は一種の戦域ミサイルといえます。
Mimg_1917 陸上自衛隊は、日本国がクラスター弾規制条約、いわゆるオスロ条約へ批准したことから、子弾散布能力を有するM-77は段階的に退役させなければならなくなります。この結果、射程を延伸させた単弾頭型のM-31へ切り替えることで、面制圧から精密誘導による戦域火力統制を行う新しい時代の陸上戦闘体系へと転換することとなる。
Mimg_1919 さて、MLRS部隊だけでかなり長くなってしまいましたが、今回はこの真駒内駐屯地駐屯のMLRS部隊を紹介して終了することとします。既に今回で真駒内駐屯地祭特集は第七回目を数えましたが観閲行進は次回が最後、次回は第11旅団の火力戦闘部隊と機動打撃部隊について紹介することとしましょう、お楽しみに。
北大路機関:はるな

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第11旅団創設3周年 真駒内駐屯地創設57周年記念行事詳報⑥ 北部方面直轄部隊

2012-08-07 23:09:12 | 陸上自衛隊 駐屯地祭

◆真駒内駐屯方面直轄部隊の観閲行進
 真駒内駐屯地創設記念行事第六回は真駒内駐屯地駐屯の北部方面隊直轄部隊の観閲行進です。
Mimg_1707 第52普通科連隊、櫻井正人連隊長以下本部管理中隊と第一中隊が観閲行進します。北部方面混成団の隷下部隊で、混成団は混成団本部、第52普通科連隊、第120教育大隊、第1陸曹教育隊、冬季戦技教育隊を以て編成されていて、このなかで第52普通科連隊は真駒内駐屯地に連隊本部を置く普通科連隊となっています。
Mimg_1718 第一中隊、高機動車により自動車化されている中隊です。第52普通科連隊の配置は独特で、三個中隊基幹なのですが第一中隊が第11旅団司令部の置かれる真駒内駐屯地に、第二中隊が第二師団司令部の置かれる旭川駐屯地へ、第三中隊が第五旅団が置かれている帯広駐屯地に駐屯、これは機械化が進みだげk力が大きい北部方面隊師団と旅団の機動運用に備え留守部隊的な意味があるのでしょうか。
Mimg_1729 北部方面後方支援隊第102全般支援大隊。大隊本部と補給中隊に整備中隊を以て編成されています。北部方面後方支援隊は島松駐屯地に隊本部を置いていますが、島松の第101全般支援大隊と真駒内の第102全般支援大隊に上富良野の第103全般支援大隊と北千歳の第101特科直接支援大隊と東千歳に第101高射直接支援大隊と南恵庭の第101施設直接支援大隊が配置されています。
Mimg_1733 北部方面後方支援隊第102全般支援大隊補給中隊の3t半、昔の73式大型トラックですね。北部方面後方支援隊は大隊のほか、北恵庭の第101戦車直接支援隊、札幌の第101通信直接支援隊、倶知安の第301対舟艇対戦車直接支援隊、真駒内の第303普通科直接支援隊と同じく真駒内の北部方面輸送隊という編成とのこと。
Mimg_1737 北部方面後方支援隊第102全般支援大隊整備中隊。北部方面後方支援隊は北部方面隊の後方支援部隊を集中して創設されたもので、全国の方面隊も独自の後方支援隊を編成に有しています。創設されたのは2000年、機械化が進む陸上自衛隊にあって、後方支援部隊を集中運用することが稼働率維持に寄与するという想定での改編でしょう。
Mimg_1746 北部方面輸送隊。この部隊も北部方面後方支援隊の隷下部隊にあります。元々は第102輸送大隊として創設され札幌駐屯地に駐屯していましたが、創設後まもなくして真駒内駐屯地に移駐した部隊です。元来は普通科連隊の自動車化以前の輸送が任務でした。装甲輸送隊というのもありましたね。普通科部隊が自動車化された現在は戦車や火砲の輸送支援が任務です。
Mimg_1752 本部付隊の車両。これはどういった車両なのでしょうか、整備車両か、移動式のお手洗いのように見える車両なのですが、後方支援車両は分からないことが多い。本部付隊、第101輸送業務隊、第304輸送中隊、第305輸送中隊、第310輸送中隊、第313輸送中隊、第314輸送中隊、編成は上記の通り。
Mimg_1766 第304輸送中隊の輸送車両。現代戦は補給の量が支える戦線の規模を左右する重要な要素です。昔は徒歩普通科部隊ばかりだったのですが、しかし考えれば1980年代初頭まで韓国駐留の米第2歩兵師団もM-113等を保有しない純全たる歩兵師団でした、トラックは後方のモータープールに置かれていたということでしたので守勢を重視した場合、徒歩部隊には意味もあったのでしょう。
Mimg_1773 7tトラック。第305輸送中隊の車両、かつては74式特大トラックと呼ばれていた車両です。標準積載重量は7tとなっていますが、路上搭載量は10tに達して人員輸送ならば35名を輸送可能です。エンジン出力は355ps、不整地突破能力を高めるために全輪駆動方式を採っていて路上最大速度95km/h、三菱ふそうトラックバス製です。
Mimg_1778 第310輸送中隊、多連装ロケットシステムMLRSを輸送中です。装軌式車両は不整地突破能力が大きいのですが、その反面路上での長距離運用を行った場合、駆動系に負担が大きく故障の要因となります。イラク戦争では適切な整備支援を実施した場合長距離機動を達成しました。

Mimg_1784 M-1A2戦車やAAV-7水陸両用車など路上走行を不得手とする印象があった車両であっても、クウェートイラク国境からバクダッドまで600kmを踏破しました。しかし、やってできないわけではない、という範疇のものであり戦闘機動以外の場合では後方支援の需要を抑えることに意義があると考えるべきところ。
Mimg_1791 313輸送中隊の特大型運搬車、搭載するのは重量50tの90式戦車。全長16.99mと大型の車両で、戦車を湯祖する観点から535hpのエンジンを搭載しています。これでも戦車を搭載した場合の最高速度は60km/h程度といいますので、戦車を輸送する苦労というものが如何に大きいものか、わかるでしょう。
Mimg_1799 特大型運搬車、少々ぶれてしまっているのはご愛嬌。戦車輸送車を用いる場合は、戦略機動を行う場合で、不意会敵の危険性がある場合では戦闘機動として自力走行します。陸上自衛隊は戦車輸送車が戦車保有数と比較して少ない、という批判が長くありましたが、戦車輸送車は装甲車、82式指揮通信車と取得費用が同じであり、北部方面隊は道内に敵を迎え撃つという想定でしたので、それならば正面装備に集中して、という方策はある意味納得も出来るではないでしょうか。
Mimg_1807 314輸送中隊、75式自走榴弾砲を運搬中です。ちなみに、特大型運搬車は車両を輸送しない状態では一般道を95km/hで走行できるのですが、車両搭載時は特殊大型車両となるため、道路交通法上、夜間に運行が限定され緑色灯を転倒させ運用する必要があります。車体上に回転灯が見えますが、これを点けるということ。
Mimg_1812 75式自走榴弾砲の固定状況がわかる一枚を選んでみました。走行時の動揺で車両が脱落し無いよう固定されているのがわかるでしょうか。脱落すれば損傷で戦闘加入へ時間を要することになります。輸送隊は輸送科職種部隊に所属しますが、車両整備と部隊への迅速な車両の展開と積降の安全確実速やかな実施について研究と訓練を積んでいる部隊です。
Mimg_1821 北部方面衛生隊が北部方面衛生隊長竹島茂人1佐と共に観閲行進を進みます。北部方面衛生隊長は医官としての1佐が指揮する部隊で、野戦医療の専門集団です。北部方面衛生隊は北部方面隊直轄の衛生部隊で、真駒内駐屯地に駐屯、隊本部、第101野外病院隊、第301救急車隊という編成をとっています。
Mimg_1830 第101野外病院隊の野外手術システム。1988年より装備が開始された移動式の総合病院で、第11後方支援隊に装備されているものと同じです。校正車両は、手術車、手術準備車、滅菌車、衛生補給車で電源装置2セット、浄水装置1セット、大型テント数個を以て野戦病院を構成、戦闘の負傷者を応急処置と共に搬送し、ここで一命を取り留めたうえで後方の病院へ搬送します。兎に角一命を取り留める究極の応急処置として手術を行い感染症対策として後方の病院へ、ということでした。
Mimg_1837 第301救急車隊の1t半救急車。第301救急車隊は中隊編制ではなく隊編成となっていますので、それなりに多くの救急車を運用しているのでしょう。以上で真駒内駐屯の方面直轄部隊の観閲行進は完了です。このほか、北部方面隊には第1特科団が配置されており、この所属部隊で真駒内駐屯の部隊による観閲行進もありますが、こちらは次回の掲載とします。

北大路機関:はるな

(本ブログに掲載された本文及び写真は北大路機関の著作物であり、無断転載は厳に禁じる)

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第11旅団創設3周年 真駒内駐屯地創設57周年記念行事詳報⑤ 戦闘支援部隊観閲行進

2012-07-28 19:39:01 | 陸上自衛隊 駐屯地祭
◆第11旅団偵察・高射特科・施設・通信部隊
第11旅団観閲行進はまだまだ続きます、今回は偵察部隊、高射特科部隊、施設部隊、通信部隊、戦闘支援部隊の観閲行進を紹介しましょう。 
Mimg_1600 第11偵察隊は旅団の任務遂行に必要な偵察及び警戒を実施する部隊です。82式指揮通信車、軽装甲機動車、87式偵察警戒車、偵察用オートバイを運用する部隊です。部隊創設は陸上自衛隊13個師団体制が画定した1962年に遡り当時の人員定数は103名、第5偵察隊と第7偵察隊の人員を以て発足しています。2008年の部隊改編で師団旅団化とともに偵察隊は一個偵察小隊の増勢を受けました。
Mimg_1612_2 偵察隊の編成は偵察隊本部、四個偵察小隊、電子偵察小隊を以て編成されています。偵察、とは敵を探すこと、と解釈されているようですが、敵の有無を図ることは我が国では斥候と称しており、偵察とは敵の戦力規模を積極的に把握する目的を有するもので、この為に偵察隊は一定の戦闘能力を有しています。本来は戦車と装甲戦闘車による混成中隊規模のものが望ましのですが、これは第7偵察隊くらい。
Mimg_1618 偵察小隊は、かつてはオートバイとジープだけ、という陣容から始まっていますが今日では87式偵察警戒車、軽装甲機動車、偵察オートバイにより編成されているもので、特に偵察オートバイが斥候に当たる任務を実施し、この把握した目標に対し装甲車が戦闘を仕掛け、抵抗の規模から敵対勢力の規模を推察するという方式が採られている。
Mimg_1626 観閲行進には出てこないのですが、電子偵察小隊は戦場監視を目的として1975年より編制されています。P-11レーダ装置3基を以て3個レーダ班を編成し、併せて野戦情報探知装置1号装備の1個センサー班を以て電子偵察小隊を編成します。P-11などは87式偵察警戒車など車両にも搭載できるとのこと。
Mimg_1630 87式偵察警戒車は第11師団時代の1991年に装備が開始されたもので、全備重量15tの装輪装甲車です。搭載する機関砲はエリコン25mm機関砲でAPDS-T弾を使用した場合距離2000mの傾斜30°防弾鋼板25mmを貫徹するといわれます。偵察警戒車なのですが難点は偵察装置の貧弱さで、砲手用微光増倍暗視装置が装備されるほかは車長用四倍等倍切り替え潜望鏡のみ。一応熱線暗視装置JGVS-V7をハッチへ取り付けることも出来るのですが。
Mimg_1631 第11偵察隊の部隊マークが見えます。偵察警戒車には二名の斥候員が乗車しており、降車し情報収集を行うことも可能です。しかし、積極的な偵察、即ち自動車化歩兵中隊程度であれば圧倒できる程度の能力を持たせるには、現在開発中の105mm砲搭載の機動戦闘車について、弾薬を減らし光学及び電子情報収集機材を搭載する偵察用伸縮式マストを砲塔後部に置く偵察戦闘車を装備しては、と。
Mimg_1642 第11高射特科中隊。中隊本部、情報小隊、近SAM小隊、短SAM小隊を以て高射特科中隊を編成しています。一個中隊ではあるのですが、防空監視用レーダーを運用していますので、旅団全般防空、特に携帯SAMを運用する自隊防空を行う部隊へ師団対空戦闘システムDADSを用いて航空攻撃情報を発するという意味で重要な位置づけにあります。
Mimg_1650 情報小隊の79式対空レーダ装置P-9、低高度目標への探知を行い、概ね100km程度の距離を探知できるとのことです。このほか対空レーダ装置P-14が装備されています。P-9は新型のP-18へ置き換えられる計画でしたが、全部隊への配置を終了しないうちに業務用PC私物品からウィニーによる情報漏えい事案が発生し、官品PC圧倒的不足を背景としていたことから解決策にPC一斉購入を行った結果、P-18の取得費用が削られた、といわれています。何かを採れば何かが削られる。
Mimg_1654 93式短距離地対空誘導弾通称近SAM、CSAMとも呼ばれます。35mm連装機関砲L-90の後継装備として導入されたもので、射程5kmの91式携帯式地対空誘導弾を運用、データリンクにより対空戦闘情報に応じて戦闘態勢を取り、複合式照準装置によりかなり精密な照準が可能であることから、一定の離隔距離とともに展開すれば高い野戦防空能力が発揮可能です。
Mimg_1659 CSAM、将来的には一部が機関砲に置き換えられることとなるようです。40mmか50mmの大口径機関砲により代替される計画で、これは一部の高射特科部隊に置かれるのか、全般配備されるのか未定ですが、将来装輪装甲車体系の車両として装備され、スウェーデンの3P弾など近接信管によりかなり高い対空戦闘能力を有し、絶対に欺瞞行動に関係なく直進し連続射撃を行うため、まだまだ機関砲の時代は終わっていません。
Mimg_1656 81式短距離誘導弾、通称短SAMと呼ばれSSAMとも呼ばれています。1960年代から東芝が苦心の末開発したもので、我が国初の国産野戦防空ミサイルシステム、アクティブフェーズドアレイレーダーをレーダーに採用、発射装置二両と射撃指揮装置一基を以て構成され、レーダーの索敵範囲は約50km、複数目標の同時追尾と射撃対処が可能な、今日でも十分通用する装備です。
Mimg_1661 SSAMは、射程8kmの地対空ミサイルですが、赤外線画像誘導方式の原型に加え新しくSSAM-Cと呼ばれるレーダー誘導型が開発されています。全国に順次配備開始されているのですが、ミサイルのシーカー部分がアクティヴレーダー誘導方式となっており、射程も15kmに延伸されています。発射装置には複合照準装置が増備されているのも特色で、性能上まだまだ第一線の装備と言えるもの。
Mimg_1660 このSSAMですが、後継装備として11式短距離地対空誘導弾が制式化されています。まだまだ装備実験が行われる装備で、来年あたり高射教導隊が高射学校で展示するのでしょう、発射装置への装填がSSAMでは半自動方式でミサイルコンテナを発射装置に人力搬送しなければなりませんでしたが11式ではコンテナをクレーンで装填する方式となり、自動化がすすめられたほか巡航ミサイル対処能力を有するに至りました。
Mimg_1671 第11施設中隊。本部班、補給班、三個施設小隊、交通小隊、渡河小隊を以て編成されています。元々は1962年に創設された定員377名の施設大隊でしたが、第11師団の第11旅団への縮小改編により施設中隊へと縮小されています。92式地雷原処理車や75式装甲ドーザなどをかつて装備していたのですが、全国の師団旅団施設部隊はこれら第一線で用いる装備を方面隊へ回してしまって、これはどうにかならないものでしょうか。
Mimg_1674 10式戦車の車体を利用した施設戦闘車、というものが必要なのでは、と関挙げます。特に海外派遣では施設部隊は正面に立つことが多いのですが滑降の目標になり、油圧ショベルと地雷除去用のプラウを装備し、サスペンションなどは簡略化したもの、必要でしょう。そして戦車の通路を啓開する92しい地雷原処理車も。D-7ドーザのような防弾車体を用いた50tクラスのドーザも、兎に角最前線の本当に先頭にて障害を除去するのだから必要ということは間違いない。
Mimg_1678 施設中隊は様々な車両をもって、障害構築、障害処理、陣地構築、交通維持、戦闘渡河、施設建築といった任務に当たります。70式地雷原爆破装置、大型ドーザ、中型ドーザ、掩体掘削機、油圧ショベル、バケットローダ、トラッククレーン、グレーダ、ダンプ車、83式地雷敷設装置、道路障害作業車、装備するものはこういったところ。
Mimg_1680 81式自走架柱橋、橋梁長10mの6両を以て1セットを構成し、橋梁幅員3750mmで、90式戦車以外の全ての装備を渡河させることが可能、橋梁設置は二時間程度で60mの橋梁を構築する能力がありますが、架柱橋であるので河床泥土の状態などで設置できない場合があると共に流速にも左右されるため、測量は事前に一昼夜をかけて行うとのこと。
Mimg_1681 道路障害作業車。日本は専守防衛を国是としているため、国土を瞬時に要塞化するための装備、というものが必要です。道路障害作業車はこの為の装備でクレーン、アースオーガー、コンクリートカッター、チェーンソー、ブレーカ、タンパー、これら道具をアタッチメントに装着することで電柱やガードレール、舗装道路に法面やブロックなどを障害物に置き換えることが出来障害除去などにも使用可能です。様々な装備の中で観閲行進にd他のは以上、96式装輪装甲車に地雷原処理装置を搭載したものは、のちの訓練展示に出されましたが、ね。
Mimg_1684 第11通信中隊。通信中隊の編成というのはなかなか分かりにくいものがありますが、旅団長と連隊長等との間の通信確保を任務とする、このように紹介されていました。通信大隊であれば、大隊本部と第一中隊と第二中隊という編成で、第一中隊が主合通小隊、前方合通小隊、後方合通小隊という編成で、第二中隊は三個支援合通小隊を基幹としていました。
Mimg_1690 通信中隊は師団通信システムDICSを構成します。システムは音声通信と移動間通信に加えデータ通信を行い、電子戦においても通信の維持を実現します。通信統制装置を基幹に交換装置系、伝送装置系、端末装置系連接装置系を以て構成されています。旅団なのに師団とはこれいかに、と思われるかもしれませんが、新野外通信システムが後継として開発中なので、名称はどうにかなるのでしょう。
Mimg_1694 通信中隊、恐らく第一中隊の主合通小隊、前方合通小隊、後方合通小隊を維持して第二中隊の任務を各普通科連隊の通信小隊に移管した、ということになるのでしょうか。野外用の移動加入基地局JTTC-T1に電子交換装置二号JMTC-T5やJMTC-T120により基地局を構成し、無線搬送装置JMRC-C50やJMRC-C-60が通信搬送体制を構築、通信基盤を構築する。もちろん、通信確保の観点から電子戦も通信中隊の任務に含まれています。このほか、広報用写真や記録映像の撮影も通信部隊の任務、忙しい。
Mimg_1693 衛星単一通信可搬局装置JMRC-C4、移動加入基地局JTTC-T1、電子交換装置二号JMTC-T5やJMTC-T120、無線搬送装置JMRC-C50やJMRC-C-60は中型トラックや高機動車に搭載されるシェルターにパッケージ化されており、アンテナを以て運用します。このように装備品を列挙してきたのですが、・・・、列挙されているのは名前ばかりで、中々外見からは装備品の制式名称がわかりにくい、というのは通信装備の一つの特色と言えるかもしれません。
Mimg_1696
とにかく現代戦は位置が把握されれば火力が指向され無力化されますので機動が基本、通信は最後まで通信を維持し、最初に通信を開通させなければならない、休めない部隊といわれているもよう。さて、以上で第11旅団の偵察部隊、高射特科部隊、施設部隊、通信部隊の観閲行進は完了です、が、まだまだ観閲行進は続きます。次回をお楽しみに。
北大路機関:はるな

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第11旅団創設3周年 真駒内駐屯地創設57周年記念行事詳報④ 第11後方支援隊

2012-07-19 21:13:33 | 陸上自衛隊 駐屯地祭
◆第11旅団第11後方支援隊の観閲行進
 観閲行進特集、今回は第11後方支援隊を扱います。戦闘部隊が任務を遂行し、維持するためには後方支援が何よりも重要です。
Mimg_1513 補給と戦闘支援こそが現代戦を支えるといって過言ではないでしょう。そして第11旅団には後方支援隊が置かれています。今回の記事では第11後方支援隊の写真と共に、その編成と任務を列挙してゆきます。多分に当方の誤解と誤字が含まれていることでしょうが、後方支援隊の任務と編成のご理解へ一助となれば幸い。
Mimg_1518 第11後方支援隊長平木重臣1佐。第11後方支援隊は真駒内駐屯地へ駐屯、隊員500名を以て第11旅団の後方支援を行う部隊で第11師団時代の第11後方支援連隊から縮小改編を受け創設された部隊です。武器科と需品科に輸送科と衛生科の隊員を以て編成され、第1整備中隊、第2整備中隊、補給中隊、輸送隊、衛生隊という編成となっています。
Mimg_1532 第1整備中隊の車両、主に重点整備を行う部隊から編制されており、第一線での整備以上の整備を行うことが任務です。より正確には火器車両整備小隊、通信電子整備小隊、施設整備小隊、工作回収小隊から編成されており、写真の高機動車は後部に搭載するコンテナがそのまま電装品整備に行われるシェルターとなっているのでしょう。
Mimg_1546 第1整備中隊本部の重レッカ。三菱ふそうトラックバス社製の装備で、74式特大型トラック原型として10tまでの吊上能力を有するため、戦車の整備や火砲の砲塔整備などにも用いられる装備、この車両の手におえない装備品の整備や回収は重装輪回収車が当たります。第一線での回収作業を想定した場合、キャビン部分への防弾鋼板装備など措置が欲しいところですね。
Mimg_1548 第2整備中隊。第一線部隊の整備支援を行います。第1普通科直接支援小隊、第2普通科直接支援小隊、第3普通科直接支援小隊、特科直接支援小隊、高射直接支援小隊、戦車直接支援小隊、偵察直接支援小隊を以て編成されており、第一線部隊へ随伴し、整備支援を行います。特に車両部隊が増加しているため部隊整備能力には限界があり、この支援を行うというもの。
Mimg_1554 各直接支援小隊は真駒内駐屯地へ駐屯していますが、第11旅団は真駒内駐屯地以外にも駐屯しているため、第1普通科直接支援小隊は滝川駐屯地へ常時展開し第10普通科連隊の直接支援任務に当たり、第3普通科直接支援小隊は函館駐屯地へ駐屯し第28普通科連隊の整備支援任務に当たっています。第2普通科直接支援小隊は真駒内で第18普通科連隊の支援、というかたち。
Mimg_1556 第11後方支援隊補給中隊の観閲行進。見ての通り補給部隊ですが、給水や燃料輸送などを行う部隊です。野外浄水器具により河川や湖沼の水を浄水し給水する任務も担う部隊です。北海道では給水の際にエキノコックス菌の危険があるため滅菌剤を入れなければならない、ということですが車両を見ますと気づくところがありました。
Mimg_1564 写真の車両ですが3t半、73式大型トラックですがキャビン部分へ防弾鋼板が取り付けられ、フロントガラスも内部に防弾ガラスが取り付けとなっていて一定の爆発物や軽火器による攻撃へ対応する構造となっているのがみえるでしょうか。給水車や浄水装備は重要ですが、そこまで優先目標となるようには見えません。
Mimg_1568 防弾浄水車。これは推測ですが、給水と浄水は自衛隊の国際貢献任務として派遣される事例が多く、この為の防護仕様とかんがえられます。ところで、密閉なのですが、ただでさえ熱くなる部分に加えて海外派遣はより高温多湿で厳しい場所に行くことも多く、この場合、冷房とかどうなっているのでしょうか、後付とかは無いのでしょうか、ね。
Mimg_1569 燃料輸送車。3t半/73式大型トラックの派生型ですね。機械化と装甲車両は普及するとともに当然燃料需要も大きくなり、重要です。他方で、73式大型トラックを基本とした一定の不整地での運用を想定した車両が基本なのですが、方面隊には兵站拠点へ集約するための、もう少し大型のタンクローリ型の燃料輸送車、航空自衛隊が運用しているような大型のものは必要ないのでしょうか。
Mimg_1570 第11後方支援隊輸送隊。第11旅団の大型車両の輸送支援を行う部隊です。さて、ここまで第11後方支援隊の編成を見てきましたが、第11師団時代の第11後方支援連隊の編成を簡単に見てみましょう。これは、連隊本部、本部付隊、武器大隊、補給隊、衛生隊、輸送隊となっています。第一線部隊への支援という観点からはかなり前進したように見えますね。
Mimg_1577 73式特大型セミトレーラ最大積載量40tの輸送車両で74式戦車を輸送可能な装備、50tの90式戦車の輸送はそのままでは不可能ですが、75式自走榴弾砲などの装備品は輸送可能です。一般に装軌式車両、所謂キャタピラ式ですがこれら車両は長距離を自走することはできません。このために輸送車がひつようになる、ということ。
Mimg_1582 輸送車が必要という部分で一般に、と言ったのは2003年のイラク戦争でクウェート国境からバクダッドまで600kmを機動できたため、適切な整備支援を行えば可能、ということを示したのですが攻撃前進以外は故障回避と整備負担軽減の観点から自走以外の手段が望ましいということです。今回は第11特科隊の73式装甲車を搭載していました。
Mimg_1589 第11後方支援隊衛生隊。衛生隊は医官と歯科医官に看護官と薬剤官で編成、有事の際には野戦病院を構成し、第一線からの負傷者を野戦病院において治療します。病院設置は厚生労働省の許可が必要という問題がありましたが、東日本大震災に際しては初めて野戦病院を実際にせっちし、被災者の治療に当たりました。これは自衛隊の野戦病院最初の実例ということを聞き、何やら感慨深いものでしたね。
Mimg_1590 行進する衛生隊の1t半救急車と野外手術システム。自衛隊の任務は野戦救急と救命ということで、感染症予防などはどうしているのか気になっていたのですが、これは後方の病院へ搬送していては絶命してしまう状況に際して、究極の応急措置として手術を行うというもので、一命を取り留めた後に改めて入院する、ということでした。感染症にり患しても治療を行えば命を落とすことはありませんが、重傷者をそのまま搬送していては助からないこともある、この言葉は重いもの。
Mimg_1593 1t半救急車、救急車中隊に装備されています。中隊定数は不明ですが、まあ、中隊ということですから小隊が下にいるとして、12両程度、でしょうか。ちなみに、名古屋市消防局の救急者数は35台程度、というので12両で当ても少なすぎることはありません。重傷者用担架四床か軽傷者用座席8名の後方野戦病院への搬送が可能です。しかし、最前線での運用を考えると、軽装甲車派生型の軽装甲救急車が欲しい。
Mimg_1594 野外手術システム。大型トラック四両に治療シェルターを搭載し、手術車と手術準備車と滅菌車に衛生補給車を以て構成され、水トレーラと発電機二基を支援に当てます。電動手術台、X線装置、X線フィルム現像装置、臨床検査装備、手術用機材滅菌洗浄機材、血液分析装置と各種医薬品や機材をもって編成されているもの。開頭開胸開腹全ての手術を90分程度で実施でき、24時間で10~15名の手術が可能とのことでした。以上で第11後方支援隊の観閲行進は完了、まだまだ観閲行進は続きます。
北大路機関:はるな

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第11旅団創設3周年 真駒内駐屯地創設57周年記念行事詳報③ 普通科部隊車両観閲行進

2012-07-11 22:24:08 | 陸上自衛隊 駐屯地祭
◆第10連隊・第18連隊・第28連隊
 真駒内駐屯地祭観閲行進は車両観閲行進へと展開しました。車両行進はかなりの車両が行進に参加しましたので、こちらも数回に分け掲載します。
Mimg_0012 車両観閲行進、第11旅団は隷下部隊として普通科連隊に真駒内第18普通科連隊、滝川第10普通科連隊、函館第28普通科連隊がおかれています。かつては第18普通科連隊のみが装甲連隊でしたが、師団の旅団改編に伴い、装甲車を各普通科連隊に分散させ、普通科部隊の任務遂行能力を均一化しました。
Mimg_1286 連隊長原田一郎1佐以下部隊の行進です。滝川駐屯地の第10普通科連隊、連隊旗と共に会場を進みます。第10普通科連隊の歴史は古く、1951年の警察予備隊時代に第10連隊として九州で創設され、陸上自衛隊創設と共に北海道防衛警備強化を期して真駒内駐屯地へ、この当時は15個中隊を基幹とする旅団並みの規模を誇っています。
Mimg_1294 連隊の駐屯する滝川駐屯地は旅団管区北部にあり、日本海に面する雄冬岬に暑寒別岳と夕張山地に挟まれた隘路にあり、北に深川市と南に砂川市、道北の第二師団との警備管区境界線にあり、最も脅威を受ける道北旭川と音威子府方面に対し、その背後に当たる留萌方面からの着上陸と内陸部への侵攻を阻止するのが滝川駐屯地駐屯部隊の使命です。
Mimg_1303 本部管理中隊の観閲行進。軽装甲機動車の行進です。斥候任務に当たる情報小隊に配備されているのでしょう。第10連隊は第10普通科連隊へ改編され、1962年の第11師団創設とともに普通科中隊以外を師団へ送り、一部普通科中隊は別の連隊へと改編されています。当時の連隊には戦車中隊まで配置され、連隊戦闘団を常設編成としていたようなものです。
Mimg_1308 軽装甲機動車は本部管理中隊のみの配置のようです。かつての重厚な連隊編成。指揮系統を考えた場合、即応性を考え連隊戦闘団を常設することも理想ですが、訓練環境を考えれば戦車大隊や特科連隊に配置し、必要な場合のみ抽出する方式の方が、訓練担当と運用担当という意味では理にかなっているのでしょうか。
Mimg_1325 第10普通科連隊第1中隊、高機動車により自動車化されている中隊です。高機動車により迅速な運用を行うのですが、同時に中隊には普通科小隊のほか、迫撃砲小隊が81mm迫撃砲を運用しています。イギリス製装備を我が国の豊和工業がライセンス生産した射程5kmの迫撃砲で、軽量ですがその分小回りが利く装備で、隊員の信頼はかなりのもの。
Mimg_1342 第10普通科連隊第2中隊、こちらも高機動車で自動車化されています。普通科中隊には小銃小隊と迫撃砲小隊に加えて対戦車小隊が編成されており、対戦車小隊には射程2000mの87式対戦車誘導弾が配備されています。通称中MATでレーザーを照射しその反射へ向けミサイルが飛翔し命中するもの。ミサイルの飛翔速度は速く、加えて発射器から離れた場所から照準も可能です。
Mimg_1351 第10普通科連隊第3中隊、96式装輪装甲車により装甲化された中隊です。小松製作所により開発されたこの装甲車は全長6.84 m、全高1.85m、全幅2.48 m、重量14.5 t。25mm程度の圧延鋼板で防護された陸上自衛隊初の装輪装甲人員輸送車で360馬力の三菱6D40液冷6気筒ターボチャージドディーゼルエンジンにより最高速度100km/h、航続距離500kmを発揮するもので約350両が調達され、生産は今も継続されている。
Mimg_1369 第18普通科連隊の観閲行進。連隊長福增与志朗1佐とともに連隊旗が進みます。第18普通科連隊は真駒内駐屯地に駐屯する旅団司令部と同じ駐屯地の連隊で、1992年に73式装甲車部隊に改編、2004年に96式装輪装甲車で完全充足させましたが2008年の第11師団の旅団改編に伴い、他の連隊の高機動車充足部隊へ装甲車を再配置したという部隊です。
Mimg_1376 真駒内駐屯地は札幌市の駐屯地で、第18普通科連隊の絶対的使命は有事の際に道都札幌を死守すること。駐屯地は広大な面積から忘れられがちですが北部方面総監部まで2km、札幌駅や北海道庁まで直線距離にして5km、札幌市は内陸部ですが20kmで石狩湾に達し、冷戦時代空中機動部隊アンブルの強襲で小樽港が制圧され、重装備が挙げられれば道都札幌が危機に曝される可能性が大きく、第18普通科連隊の使命は重要でした。
Mimg_1385 本部管理中隊。この第18普通科連隊は本部管理中隊、第1中隊、第2中隊、第3中隊、という編成です。師団普通科連隊と比較しますと重迫撃砲中隊がありませんし、対戦車中隊はもちろん、ナンバー中隊の数も少なく、師団普通科連隊が定員1200名に対して、旅団普通科連隊は600名程度が定員となっており、少々小ぶりなのが旅団普通科連隊というもの。
Mimg_1407 第18普通科連隊第1中隊。高機動車により充足している部隊です。高機動車は1993年から配備が開始された小銃班の高機動運用のための車両で、火砲輸送及び牽引、対戦車ミサイルなどの搭載、対空レーダや地対空ミサイルの発射装置、電子戦に通信中継用と既に3000両以上が納入され今も生産が続く自衛隊の傑作車両です。
Mimg_1416_2 第18普通科連隊第2中隊、高機動車の中隊。この高機動車ですが全長4.91 m、全幅2.15 m、全高2.24 m、重量2.64 tの四輪駆動車、これまでトラックに揺られていた部隊が最高速度130km/hで400km先まで迅速に展開できるようになりました。装甲はありませんが、車高が非浮く不整地突破能力が大きいので、トラックで展開する場合は見つからないよう相当戦域から離れた場所で降車したのですが、こちらならば戦闘加入直前まで機動力が発揮できる。
Mimg_1431 第18普通科連隊第3中隊は装甲中隊です。装輪装甲車ということで、装軌式であった73式装甲車では長距離移動の際には頻繁な点検と整備を行うか、大型トラックに搭載して輸送する必要がありましたが、こちらですと高速道路を自走して素早く展開できます。しかし、泥濘や傾斜地に森林地帯での不整地突破能力や障害突破能力では73式の方がはるかに上、とのこと。NBC防護能力がありますが、浮航能力はありません。
Mimg_1438 96式装輪装甲車は搭載武装に12.7mm重機関銃搭載型と40mm自動擲弾銃搭載型があります。12.7mm重機関銃は自動車化された普通科中隊でも中隊本部に配備されていて、地上設置用の三脚や、73式小型トラック、今でいう1t半に搭載して運用できるのですが、装甲化されていると、こうした射程の大きい火器を同行させられるのが強力ですね。
Mimg_1440 40mm自動擲弾銃、正式名称は96式40mm自動擲弾銃で、豊和工業が開発し、96式装輪装甲車と共に制式化されました。対人対装甲車擲弾が発射でき、麺制圧が行えるのが特色なのですが、機関銃を面と共に点制圧に用いてきた陸上自衛隊に在っては、あまり馴染まない装備だった模様。どうせならば米海兵隊のAAV-7水陸両用車のように40mm自動擲弾銃12.7mm重機関銃併用銃塔にしてみたら、と思ったりします。
Mimg_1447 第28普通科連隊の観閲行進、連隊長賦勺義矢1佐とともに堂々の観閲行進です。第28普通科連隊、MiG-25函館亡命事件に際して非常警戒態勢を取ったことで有名なあの第28普通科連隊です。MiG-25は1976年当時世界最速で現在でもその記録は破られていない最新鋭戦闘機、ソ連特殊部隊がMiG-25破壊に展開するという情報が米国よりよせられ、第11師団より61式戦車及びL-90高射機関砲を受領し臨戦態勢に入っていました。
Mimg_1452 函館駐屯地に第28普通科連隊は駐屯していますが、この函館は津軽海峡という重要海峡に面しており、冷戦時代に日ソ開戦となった場合には本土からの増援部隊が通行する絶対必要な戦略上の要衝であり、当然空挺特殊部隊等の攻撃にさらされる地域です。第28普通科連隊がここを抑え、東北の第9師団と連絡し、本土からの第6師団や第10師団、第13師団に第8師団の増援を受ける事が北海道と我が国の防衛に絶対必要だったのです。
Mimg_1457 第28普通科連隊本部管理中隊。連隊本部管理中隊ですが、任務は色々とありまして、中隊本部に本部班と人事班に対射撃班が置かれ、情報小隊、通信小隊、輸送小隊、管理整備小隊、施設小隊、迫撃砲小隊という編成になっており、実はかなりの種類の車両を保有しています。災害派遣にも活躍する装備の数々は連隊の最小限の自己完結能力を担保する部隊と言えるやもしれません。
Mimg_1462 本部管理中隊の役割を見てゆきますと偵察と斥候を行う情報小隊、連隊の指揮統制を繋ぐ通信小隊、中隊の戦闘支援任務に当たる輸送小隊、第一線と後方の救急搬送と応急治療を行う衛生小隊、連隊に配備される第一線車両整備支援を行う管理整備小隊、陣地構築を行う施設小隊、それに迫撃砲小隊が配置されています。
Mimg_1463 軽装甲機動車。情報小隊に装備されている車両のようですが、北海道以外の陸上自衛隊普通科連隊ではこの軽装甲機動車によって編成された中隊が装甲中隊としての任務に当たっています。一個小銃班を二両に分ける運用で、火力拠点の多様化を図り柔軟な運用を担保するものです。普通科中隊の対戦車中隊へ配備し、機動運用できると強力だろう、と思うのは当方だけでしょうか。
Mimg_1468 本部管理中隊迫撃砲小隊。フランス製を豊和工業がライセンス生産した120mm重迫撃砲RTを4門装備しています。通常最大射程8100m、射程延伸弾使用時の最大射程13000mで榴弾のほか照明弾なども発射できる野砲並の射程と威力を備えた迫撃砲です。師団普通科連隊では重迫撃砲中隊に16門装備しているのですが、旅団普通科連隊では重迫撃砲部隊を本部管理中隊へ配置し、運用しています。
Mimg_1474 第28普通科連隊第1中隊。第28普通科連隊も本部管理中隊、第1中隊、第2中隊、第3中隊、という編成です。自動車化で、もう少し軽装甲機動車は多いのかな、と思っていたのですが、そんなことはありませんでした。ただ、高機動車化とはいっても部隊は強力です。中隊は三個小銃小隊に対戦車小隊と迫撃砲小隊ですが、小銃小隊の火力がかなり大きくなっていることを忘れてはいけません。
Mimg_1488 第28普通科連隊第2中隊、こちらも高機動車。小銃小隊は小隊長と小隊陸曹に通信手を本部として三個小銃班を基幹としていますが、小銃班は分隊長と組長以下小銃手3名が89式小銃を携行し、機関銃手が5.56mm分隊機関銃MINIMIを携行、対戦車手が射程1500mの国産装備01式軽対戦車誘導弾を装備、これに必要に応じ弾薬扱いの110mm個人対戦車弾通称パンツァーファウストⅢを携行、火力はかなりのもの。
Mimg_1505 第28普通科連隊第3中隊は他の連隊と同じく96式装輪装甲車を装備しています。ところで、今回の真駒内駐屯地祭記事の最初に撮影位置のことを記載しましたが、普通科部隊の観閲行進、完全に真正面から撮影することとなりました。もう少し、右側によって撮影したらば、観閲台と観閲行進の車列、という構図になったのでしょうか、ね。
Mimg_1508 96式装輪装甲車を以て普通科部隊の観閲行進は終わり。いやあ、かなりの迫力でした、と思われるかも知れませんが第11旅団の観閲行進において普通科部隊はほんの最初に過ぎません、まだまだこれからで、施設、特科、機甲科、続々と続く観閲行進の様子は次回に掲載したいと思います。お楽しみに。
北大路機関:はるな

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富士学校創設58周年祭PowerShotG-12速報後編 富士教導団特科教導隊・戦車教導隊

2012-07-10 21:08:11 | 陸上自衛隊 駐屯地祭
◆富士学校祭2012
 富士教導団観閲行進予行、前編に続く後編はは特科教導隊、戦車教導隊の観閲行進の様子をお伝えしましょう。
Fimg_7963 特科教導隊第一中隊と第二中隊はFH-70榴弾砲を運用しています。FH-70は欧州共同開発の榴弾砲で、機動性が高い牽引式榴弾砲に半自動装填能力や高い発射能力に持続射撃能力を付与したものの、自走榴弾砲並みに取得費用が高くなり欧州では配備が進まなかったものが、我が国では道路事情に合致し、高性能ということで配備が進みました。最大射程は30km、ただ、特殊装薬を用いた場合39kmにも達する。
Fimg_7993 特科教導隊第二中隊のFH-70榴弾砲。高性能装備であることは間違いないのですが、旧式化しているのも事実、そこで防衛省では火力戦闘車という52口径155mm砲を装輪車両に搭載する自走榴弾砲開発を開始します。一効力射の極限短縮化を目指す陸上自衛隊特科装備体系から、恐らく自動装填装置を搭載した高性能砲、ボフォースのアーチャーHSPのようになるのかもしれません。
Fimg_8012 特科教導隊第三中隊の99式自走榴弾砲。日本製鋼所を主契約企業として国産開発した52口径155mm榴弾砲。自動装填装置による射撃速度の速さは世界的に見て高性能であり最大射程は30km以上とされています。日本製鋼所の砲身技術を考えた場合、性能限界を示す最大射程は40km程度ありそうなのですが、こればかりは広大な射撃場を持つ北米で試験をしないとわからないところ。
Fimg_8038 特科教導隊第四中隊の203mm自走榴弾砲。一発あたりの砲弾重量は91kgと大きく、威力も我が国他法としては最大の威力を発揮します。米陸軍のM-110を車体のみライセンス生産により取得したもので、軍団直轄砲兵、自衛隊では方面特科部隊の装備ですが重砲ながら徹底した軽量化を実現したもの。
Fimg_8086 特科教導隊第六中隊の88式地対艦誘導弾。射程180kmの地対艦ミサイルでプログラムされたデジタルマップに沿って低空飛行し内陸から洋上へ進出します。特科教導隊第五中隊にはMLRSが装備されているのですが、MLRSは教育支援に当たっているため、今回は装備品展示にのみ参加となっていました。
Fimg_8118 特科教導隊第303観測中隊の対砲レーダ装置P-16,このほか80式気象測定装置やJMMQ-M2対迫レーダ装置JMPQ-P13が装備されているほか、無人ヘリコプターである遠隔操縦観測システムなんかも装備されています。特科火砲は目標の位置情報を得て、気象条件に応じて運用し、適切に修正しなければ命中率は違ってくるというもの。
Fimg_8140 教育支援施設隊、富士教導団の戦術研究などを行うにあたって、実際に普通科部隊の陣地構築や機甲化部隊の障害突破能力は施設学校の施設教導隊が支援を行うことが望ましいのですが、施設学校は独自の教育体系に依拠した任務に当たっています。こで、実際に施設科部隊の支援を富士教導団独自で運用することとなったためこの部隊が置かれました。
Fimg_8168 教育支援施設隊の観閲行進、掩体掘削装置や92式地雷原処理車、それに91式戦車橋なども見えます。装甲ドーザや地雷原処理車は師団施設大隊や旅団施設部隊から方面隊へ集約されているのですが、建設工兵としての方面施設と、戦闘工兵としての第一線施設部隊、この区分はある程度考慮してほしいですね。
Fimg_8228 戦車教導隊。昨年までは戦車教導隊は五個戦車中隊を基幹としていましたが、今年度に一個中隊削減され、四個中隊となりました。そして最新鋭の10式戦車を基幹とする中隊が発足すると共に、74式戦車の中隊は一個となりました。74式戦車の戦車教導隊における少数派への転換、これも時代の流れというものでしょう。
Fimg_8258 戦車教導隊第一中隊の10式戦車、機動力打撃力防御力について90式戦車を全般的に凌駕しつつ車体重量と44tを最大限小さく収め、第三世代戦車近代化において標準装備されつつある車体間データリンク装置搭載による共同交戦能力付与、世界初技術となるアクティヴサスペンションと無段式変速機を搭載した最新最高の国産戦車です。
Fimg_8298 10式戦車。一斉に耐用年数を迎えつつある74式戦車を置き換える装備として注目されており、十年ほどで74式戦車をほぼすべて代替することが期待されています。しかし、第一線整備や激減する戦車定数下での小部隊運用など研究が必要な分野は多く残っており、戦車教導隊での研究が今後の戦車体系に大きく影響することは間違いありません。
Fimg_8319 戦車教導隊第二中隊の90式戦車。120mm戦車砲、複合装甲、1500馬力エンジンという第三世代戦車三要素を満たし、自動装填装置の搭載による車体小型化を成功させた世界一級の主力戦車。ただ、第三世代戦車としては最も軽量な50tとしたものの、なお我が国内では重量が運用に支障を来し、広大な地形と道路環境を有する北海道に集中配備されました。
Fimg_8360 戦車教導隊第三中隊の90式戦車。第三世代戦車は、第二世代戦車が対戦車ミサイル技術の発展を背景に防御力の限界を来したという発想で、当時としては強力な長砲身105mm砲と機動力により防御力即ち装甲の薄さを補うという発想で設計されていますが、第三世代戦車はチタンとセラミックの複合装甲が対戦車ミサイルや戦車砲防御へ必要な装甲厚を維持し軽量化を実現したため、強力な戦車砲とともに機動力と防御力に打撃力を両立したものとなっています。
Fimg_8399 戦車教導隊第四中隊の74式戦車。105mm砲を装備し、流線型で構成された砲塔は砲弾の直撃を回避させることを意図しており、懸架装置を前後左右車体傾斜可能なものとして地形防御を最大限生かす我が国の起伏にとんだ地形を防御とする設計、当時最新の電子計算機により優れた射撃精度を有する戦車として約870両が生産されましたが、順次用途廃止が始められています。以上が予行の観閲行進でした。
北大路機関:はるな

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富士学校創設58周年祭PowerShotG-12速報前編 富士教導団普通科教導連隊

2012-07-09 22:56:10 | 陸上自衛隊 駐屯地祭

◆富士学校祭2012 速報前編
 富士学校祭の様子をPowerShotG-12の写真にて簡単に紹介します。
Fimg_7608 82式指揮通信車を先頭に観閲行進を開始する富士教導団機械化部隊。観閲行進、富士学校祭では予行が当日朝に行われ、開門時間から十五分ほどのちに行われるため実は二回ほど観閲行進を見ることが出来る非常にありがたい稀有な行事です。
Fimg_7647 偵察教導隊。軽装甲機動車は偵察用の車両では通信能力が高められています。もう少し画像通信能力と専用の監視装置などを搭載すれば、威力偵察を越えた斥候と情報収集を複合化させる新しい偵察という任務の在り方はありえるかもしれません。
Fimg_7659 87式偵察警戒車。富士学校では機甲科幹部の養成と戦術研究に新装備評価試験を行っており、偵察部隊は機甲科に属する任務となっていますので87式偵察警戒車も配備されています。威力偵察を行うのに搭載されている25mm機関砲は少々威力不足で、後継装備には105mm砲装備の機動戦闘車派生型、偵察戦闘車を期待したい。
Fimg_7678 普通科教導連隊。82式指揮通信車上の連隊旗は富士教導団において唯一の連隊ならではのもの。戦車教導隊は昨年までは五個中隊編制だったので戦車教導連隊でよかったように思いますし、特科教導隊も特科中隊は六個あるので、牽引砲、自走砲、ロケット毎に大隊編成をとれば特科教導連隊になれたようにも。
Fimg_7734 普通科教導連隊第一中隊は89式装甲戦闘車。夜間戦闘用暗視装備と高出力エンジンを搭載した防弾鋼板車体に35mm機関砲と射程4kmの79式対主艇対戦車誘導弾を搭載し、一個小銃班を戦車に追随させ支援する装備。しかし、予算をヘリコプターと対空ミサイルに費やしすぎた陸上自衛隊では機甲師団と富士教導団にしか配備できなかった装備だ。
Fimg_7780 普通科教導連隊第二中隊の軽装甲機動車。数年内に2000両が装備されることとなろう陸上自衛隊普通科部隊の主力装甲車。MINIMI機銃か01式軽対戦車誘導弾を装備し、一個小銃班を二両に分けて機動することで、一個小銃班の火力拠点を分散させることが出来る、陸上自衛隊独自の戦術研究に基づき開発された装甲車です。
Fimg_7812 普通科教導連隊第三中隊は高機動車基幹編成。後ろには重迫撃砲中隊の120mm重迫撃砲が見えますが、牽引している車両も高機動車派生。普通科教導連隊は、装甲戦闘車、軽装甲車両、機動車両、装甲車と、全国の普通科部隊を構成する普通科中隊の多種多様な運用に応じた運用を想定する編成となっています。
Fimg_7841 普通科教導連隊第四中隊の96式装輪装甲車。高速道路網の発展と道路舗装率の向上は、これまで不整地突破能力を高めるべく装軌式装甲車を中心として配備が進められていましたが、道路上に限り高速走行が可能な装輪装甲車であれば、有事の際に迅速な展開が可能となり、相手が上陸後に態勢を整える前に機動打撃を加えることが可能という運用が為されます。
Fimg_7899 普通科教導連隊対戦車中隊。陸上自衛隊は、諸外国と比較し、戦車の近代化度合と装甲車の普及率で遅れているとされ、これが全体の機動打撃力軽視とみられる一要素となっているのですが、前者は我が国独特の調達制度、後者は山間部では機械化部隊の運用が難しいという背景、対してレーダー普及率、各種ミサイル、ヘリコプターの装備密度が高いのが特色と言えるところ。
Fimg_7915 中距離多目的誘導弾。配備開始されたばかりの最新装備そのもの。普通科中隊対戦車小隊と普通科連隊対戦車中隊などに配備が進められる装備。射程は概ね8km程度あるとされていますが、誘導方式が赤外線画像方式とミリ波レーダーの複合方式を採用、車両には誘導装置が装備されていますが、誘導装置を携行することで間接照準射撃も可能な装備として完成しました。
Fimg_7940 普通科教導連隊重迫撃砲中隊の120mm重迫撃砲、フランス製の迫撃砲を豊和工業がライセンス生産したもので、射程8100m、射程延伸弾では13000mという射程を誇ります。火力支援は従来使われていた107mm迫撃砲が4000mの射程だったので大きく向上、全国の普通科連隊重迫撃砲中隊へのおっかえが完了した装備で、フランスも日本がここまで大口ユーザーとなったことに驚いているもよう。特科教導隊と戦車教導隊は明日紹介します。

北大路機関:はるな

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