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北大路機関

京都防衛フォーラム:榛名研究室/鞍馬事務室(OCNブログ:2005.07.29~/gooブログ:2014.11.24~)

第11旅団創設3周年 真駒内駐屯地創設57周年記念行事詳報⑬ 機動打撃と戦果拡大

2012-12-27 22:56:54 | 陸上自衛隊 駐屯地祭

◆戦車前進!、普通科前へ!

 遠距離火力戦闘により敵砲兵及び敵陣地に対し一定の損害を与えた攻撃部隊指揮官は、いよいよ直接火力戦闘への展開を決断しました。

Mimg_2266 命令一下、第11戦車大隊の90式戦車が随伴の装甲車と共に攻撃前進を開始しました。90式戦車は、高機動力高防御力を志向した第三世代戦車の要件となる1500馬力エンジンと複合装甲を備え120mm砲を搭載した国産戦車で、砲塔には第11戦車大隊を示す“士魂”が記されています。

Mimg_2262 90式戦車は特科隊の75式自走榴弾砲を追い越し戦闘加入してゆきます。90式戦車は対戦車戦闘を展開する直接照準射撃用の高初速戦車砲を搭載、一方75式自走榴弾砲は長距離の間接照準射撃を行う榴弾砲を搭載、一見詳しくない方には用途の違いが分かりにくいのですが、並べると運用思想の相違が分かるでしょうか。

Mimg_2294 戦車の前進を支援するべく第11施設中隊の96式装輪装甲車が70式地雷原爆破装置を搭載し、随伴します。戦車の前進に際し、字際が散布されている地域に接すれば機動打撃の重要な要素である衝撃力が削がれてしまいます、叩きつける鉄の衝撃が重要な要素である機動打撃には施設科部隊も機械化されていなければなりません。

Mimg_2300 機動打撃に合わせ航空部隊も再度展開、観測ヘリコプターOH-1は必要ならば敵観測いヘリコプターを空対空ミサイルにより撃破することも可能であり、UH-1J多用途ヘリコプターはレンジャー隊員の投入や重機関銃による支援など、様々な任務に対応できるのですが、脆弱性もあるのでこれは訓練展示の演出と割り切るべきやも。

Mimg_2309 96式装輪装甲車にて機動運用される70式地雷原処理装置は、ロケット弾により100m距離の人員用通路を地雷原爆破により啓開、対戦車地雷除去用の梱包爆薬敷設の端緒を切り開きます。地雷原を処理する以上、施設科部隊は時に戦車より前に出る必要があり、もっと装甲車両は必要です。

Mimg_2321 咆哮を上げる75式自走榴弾砲、施設科部隊の地雷処理支援を開始です。地雷は防御に際し、陣地前に機動打撃の速度を削ぎ、反撃の機会を作る防御地雷運用が正規戦では常道ですので、施設科部隊の地雷除去作業に際しては特科部隊を中心に火力支援を行い敵防御陣地の行動を封じねばなりません。

Mimg_2313 地雷原は処理されました。陸上自衛隊にはこのほか、主に方面施設部隊に装備され、対戦車地雷を直接処理する92式地雷原処理車が装備されています。しかし、このほか、土手や建物の瓦礫を利用した障害物が考えられ、最前線でこれら障害を処理するためには排土板を備えた施設装甲車が必要と考えます。この種の車両には施設作業車の装備が北部方面隊の一部に行われていますが、まるで足りない。

Img_2329 90式戦車が障害除去を終えた地域において再度機動打撃へと戦闘加入します。90式戦車は、我が国地形で運用するべく重量を第三世代戦車として最も軽量な部類に入る50tに抑えており、重量を抑えつつ防御力を各国第一線主力戦車との戦車砲を用いての殴り合いへ耐えるべく様々な新機軸を盛り込み、完成しました。

Mimg_2326第18普通科連隊の96式装輪装甲車も戦車部隊に協同し、75式自走榴弾砲の火力支援下に機動打撃へ展開します。75式自走榴弾砲と重なり、何やら写真では新型車両にもみえてくるのはご愛嬌、なお陸上自衛隊は本車の支援用に開発された重装輪回収車を用いて新型火砲である火力戦闘車を開発中です。

Mimg_2330_2 戦車長は直接周辺を警戒しつつ戦闘行動を展開します。90式戦車は、自動装填装置の採用により4秒間に1発、1分間に15発の連続射撃を可能としますが、この自動装填装置の採用により発射速度という打撃力を強化すると共に砲塔内容積を効率化、必要な装甲面積を人員防御用に割り切ることで、軽量ながら重装甲という難題を解決した凄い戦車、強い頼もしい。

Mimg_2332 戦車は陸上装備体系において最強度の防御力と非常に大きな打撃力を有し、高い機動力を有する装備体系の頂点に或る装備ですので、陸上戦闘は相手の戦車を如何に無力化するか、という難題を解決せねばなりません。航空機は悪天候に弱く加えて地域占有が不可能、ミサイルは最低射程距離や電線に木々といった障害物で容易に無力化されるため、戦車には戦車で、対応せねばなりません。

Mimg_2333 戦車が航空部隊の支援下に攻撃前進を開始しました。正面装甲はチタン合金とセラミック等を併せた複合装甲により防護されており、対戦車ミサイルの装甲を溶かす極高熱ジェットを高熱に最も強いセラミックが、戦車砲弾の音速数倍という衝撃と貫徹を硬度が最も高いチタン合金が、それぞれ貫徹を防ぎ、その前後に挟まれた合成樹脂により致命的衝撃を削ぎ、乗員を守る。

Mimg_2335 90式戦車は70km/hの速度を発揮可能で、これは国産の1500馬力エンジンと変速機を含めた精巧だが頑丈、という足回りによるもの。そして砲は安定装置により最高速度で走行しつつも照準を保持でき、火器管制装置は一度捕捉した戦車などの目標を自動追尾することが可能、走りながら自動装填装置により連続射撃を行うことが可能、頼もしい国産戦車です。

Mimg_2345 96式装輪装甲車が戦車に続きます。戦車の弱点は歩兵の肉薄、先の大戦では我が国もこの戦術により多数の戦車を撃破しましたし、世界の地域紛争では対戦車火器により戦車の被害が数多く報じられ、これを防ぐためには歩兵には歩兵で、その接近を装甲車に随伴する普通科部隊が排除せねばなりません。

Mimg_2355 降車戦闘、戦車が砲撃により無力化した敵装甲車と敵陣地へ向け、96式装輪装甲車から次々と普通科隊員が89式小銃を手に降車しました、歩兵への長距離での戦車脅威から戦車が防護し、精度の高い戦車砲と、肉薄した普通科部隊の敵陣地への正確な同軸連装銃による支援、このように歩兵陣地への攻撃を直接火力支援する戦車、これが協同戦闘です。

Mimg_2359 普通科部隊前へ!、89式小銃を連射しつつ、戦闘に最後の決着をつけるべく普通科部隊の突撃が開始されました。侵略とは、突き詰めれば我が方の土地を収奪し、占領することにあります。従って、戦闘の決着とは我が領土を占領する敵を直接陣地から引き摺りだし、土地を奪還することにあります。

Mimg_2357 降車した小銃班では班長が鋭い号令を飛ばし、部隊を前進させてゆきます。土地の奪還とは嫌がる敵を陣地から引きづりだし、この為には小銃と銃剣が交わる究極の近接戦闘となり、従って普通科が直接戦闘靴で相手の一歩を踏みしめ、掻き出さねばなりません、即ち、戦闘に最後の決着をつけるのは生身の人間、ということ。

Mimg_2367 一際大きな爆発音が仮設敵陣地の方から響きました、特科部隊の突撃支援射撃、その最終弾落下です。ここまで、敵陣地は特科火砲と戦車砲の制圧により、普通科部隊の突撃への防御行動を阻害され、最終弾落下と共に普通科隊員は敵陣地へ肉薄、いわゆる突撃が開始されました。

Mimg_2360 最後の戦闘の決着は普通科、この為に陸上自衛隊普通科では、小銃射撃と銃剣術を最も重視し、併せて体力練成を行うとのことです。現代戦の花形は戦車と航空機であることに異論はありませんが、最後は人と人との激突、小銃射撃は確実に一発必中の連続を図り、銃剣術は一人と一人の戦闘を最後に決し、生き残るための奥義です。

Mimg_2363 普通科隊員が戦車の列線を超越しました、もう戦車砲は使えません、発砲焔とともに砲弾の装弾筒が音速の数倍で弾道周辺に飛び散り、人命に危険を及ぼすためで、ここから戦闘の決着までの瞬間、決して長くはない生命を左右する重要な時間が、個々人の普通科隊員と、相互に支援する小銃班、小隊、中隊の協同により決する。

Mimg_2366 上空を航空部隊が警戒します。空中機動は今位置、携帯地対空ミサイルなどの防空火器が大きく性能向上するとともに広範に配備されているため、補給や、強襲ではなく前進拠点への部隊輸送など、その役割は変化しています、しかし、地形を超越し空中機動を行う意義というものは、薄れていません。

Mimg_2373 最後は体力、平時からの鍛錬が、実戦ならばこの瞬間にものを言うというところ。89式小銃とMINIMI分隊機銃を以て突撃を行った普通科部隊は敵陣地へ到達、反撃を封じ、これを排除すると共に遁走する敵に対し、即座に戦車装甲車とともに戦果拡大へと移ります。攻撃は成功しました。

Mimg_2374 状況終了、撮影は観閲行進の撮影位置から陣地転換したため、望遠レンズにて列の後ろの方から、殆ど勘を頼りに撮影しましたが、まあまあの写真に仕上がりました。北部方面隊隷下部隊の模擬戦は第七師団の東千歳駐屯地祭以外ではこの真駒内駐屯地祭が当方にとって初めて、訓練展示は決して長い時間ではありませんが、こうして見返すと迫力は凄い。来年掲載となる次回からは装備品展示やその他の模様を紹介しましょう。

北大路機関:はるな

(本ブログに掲載された本文及び写真は北大路機関の著作物であり、無断転載は厳に禁じる)

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第11旅団創設3周年 真駒内駐屯地創設57周年記念行事詳報⑫ 遠距離火力戦闘展開

2012-12-17 22:37:15 | 陸上自衛隊 駐屯地祭

◆敵の砲兵を叩け!特科部隊射撃開始!

 偵察部隊及び航空部隊の展開に続き、いよいよ火力戦闘部隊の展開が開始されます。

Mimg_0207 第11特科隊の75式自走榴弾砲が射撃位置への侵入を開始しました。最大射程19kmの155mm榴弾砲を搭載し、自動装填装置により素早い効力射と陣地転換が可能な自走榴弾砲により、第11旅団隷下の普通科部隊は火力支援とともに敵砲兵脅威から守られることとなる部隊がやってきました。

Mimg_0205 本砲は回転式弾倉二基を、その砲塔内部に搭載し、人員装填に大きな重量或る155mm砲弾を自動装填し、早い射撃速度を有しますが、旧式化が進んでいることも事実であり、現在では第11特科隊へも後継装備として99式自走榴弾砲の装備が開始されています。

Mimg_2221 二門の75式自走榴弾砲が展開を完了しました。しかしすぐには発砲しません、特科隊長の決心まで、そういうのも射撃すれば155mm砲弾は即座に地中マイクロフォンや対砲レーダ装置により標定される危険があり、確実に撃破できる情報まで、自己位置を秘匿しつつ命令一下即射撃まで準備するということ。

Mimg_0210 陸上自衛隊は部隊として戦います、特科部隊は野砲と共に対砲レーダ装置や支援車両と共に行動し本領を発揮しますし、広く展開すれば航空攻撃の脅威にさらされますこうして、これらの事態に対抗するべく各部隊が有するそのほかの車両も続々と展開を行ってゆきます。

Mimg_0175 93式近距離地対空誘導弾、野戦特科部隊を航空攻撃より支援するべく展開したのは通称近SAMとよばれる第11高射特科中隊の防空装備で、この装備の人mは対空レーダ装置による情報を処理する師団防空システムとの連動により遠距離での目標情報を共有し、射程内に入った瞬間にこれを排除無力化する、というもの。

Mimg_0189 そして普通科連隊が用いる120mm重迫撃砲RTも展開を開始しました。120mm重迫撃砲RTはフランス製の最大射程8100mという迫撃砲で、射程延伸弾を用いた場合13000mもの先の目標を射撃可能、夜戦ではIR照明弾による暗視装置支援なども実施可能で、普通科連隊の頼もしい友人です。

Mimg_0198 重迫撃砲は高機動車を牽引車として運用、部隊としては師団普通科連隊では重迫撃砲中隊に12門が配備されますが、旅団普通科連隊では普通科連隊の中隊数が効率化され、併せて重迫撃砲も本部管理中隊に置かれる重迫撃砲小隊に4門が配備されています。牽引車は遠距離から発見されやすくなるため、砲と弾薬を展開させたのち素早く去ってゆく。

Mimg_2284 75式自走榴弾砲が、航空部隊により判明した敵の火力戦闘部隊に関する位置情報に基づき、効力射を開始しました。砲兵の任務とは火力支援と誤解されがちですが、それ以前に自らが敵砲兵により無力化される以前に、対砲兵戦を展開し、敵火砲を砲撃により叩き潰さねばなりません。

Img_2237 破裂音は大気を震わせ、響き渡ります。二門の75式自走榴弾砲が交互に射撃を行います。ちなみに撮影ですが、どちらが先に射撃するかわかりませんので、広角で撮影して射撃後、まだ発砲していない車両の方へズーム、なんとか発砲焔を撮りたいところで、撮影位置にてここが踏ん張りどころと。

Mimg_0188 我が方の特科火砲の攻撃に対し、航空機が接近です。仮設敵方向から航空攻撃が仕掛けられることとなり、重機関銃により対空戦闘準備を開始します。重機関銃は一世紀前からと同じM-2機関銃ですが、重量こそ大きいものの弾丸威力と持続射撃能力等装備としての信頼性は大きい。

Mimg_0183 仮設敵航空機役はOH-6観測ヘリコプターが乱舞、想定は攻撃ヘリコプターとのことでしたが、実際には観測ヘリコプターに発見された目標は同時に火力戦闘部隊や航空攻撃目標となるので、ヘリコプターそのものの能力は武装を有さないため決して大きくなくとも、その存在は無視できません。

Mimg_0180 航空脅威を排除するのは93式近距離地対空誘導弾、射程5kmの91式携帯式地対空誘導弾を光学照準装置と防空システムの連動により運用するもので、これが充分な離隔距離を以て展開することで航空攻撃を寄せ付けない準備を構築、訓練展示でも本装備により目標は排除されてゆきました。

Mimg_2283 敵砲兵部隊へ続いて射撃が行われます。今回は空包射撃ですが、実戦であれば6.8kgのTNTを内蔵した43.6kgのM-107榴弾等各種砲弾を投射してゆきます。ところで、後ろに見える建物は駐屯地の建物ではなく札幌市営地下鉄自衛隊前駅の高架駅舎、駅前で自走榴弾砲が射撃を続けます。

Mimg_2252 自動装填装置により次々と射撃が行われ、目標を無力化します。射程19kmの75式は射程のみでは見劣りが否めませんが、日本の地形では19km先を見通せる場所はほぼなく、確実な目標の評定と迅速な陣地転換により、敵砲兵射程の懐でも任務遂行は可能で、これは湾岸戦争やイラク戦争において射程の小さな米軍砲兵は長射程のイラク軍砲兵を一方的に撃破しました。

Mimg_0193 重迫撃砲の展開も合わせて展開されます。背景には戦車も写り込んでいますね。重迫撃砲は、対砲兵戦ではなく、普通科部隊の最前線での近接戦闘を、その長大な射程と高威力の打撃力により支援します。逆に迫撃砲の制圧が砲兵の任務の一つでもあるため、迅速な展開と射撃に撤収が部隊の生存を左右するということ。

Mimg_0200 120mm重迫撃砲の装填動作展示、迫撃砲に装填される動作に、咄嗟な耳の反故を行う方がいるのは先ほどの75式自走榴弾砲の空包射撃の迫力が凄かったから、なのですけれども、実は重迫撃砲は基本空包射撃は行えません。もっとも、部隊によっては手製の内筒に火薬を仕込むこともあるようですが。

Mimg_2258 90式戦車が1500馬力のエンジン音を響かせ、75式自走榴弾砲の背後を第一線へ。特科火砲の射撃により敵砲兵部隊に一定の損害を与え行動不能とさせ、いよいよ戦闘は目標を観ない間接照準射撃による遠距離戦闘から、戦車と普通科が直接脅威を無力化する直接火力戦闘へ展開するという事に。

Mimg_2257 90式戦車の低く、しかし獰猛なシルエットとともに進入してゆきます、この戦車部隊展開と共に、遠距離火力戦闘から訓練展示は近距離火力戦闘へと転換して行きます。この近距離火力戦闘の様相は次回の真駒内駐屯地記念行事詳報に掲載することとしましょう。

北大路機関:はるな

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第11旅団創設3周年 真駒内駐屯地創設57周年記念行事詳報⑪ 訓練展示状況開始!

2012-11-28 23:23:54 | 陸上自衛隊 駐屯地祭

◆偵察部隊!情報収集を開始せよ!

 今回からいよいよ真駒内駐屯地祭は訓練展示模擬戦へ展開します。当方も撮影位置を変更しました。

Mimg_0079 状況開始!、陸上自衛隊が誇るOH-1観測ヘリコプターが真駒内駐屯地上空へ進出します。帯広駐屯地の第一対戦車ヘリコプター隊に所属する機体で、この機体は極限まで切り詰めた刀身のような機体は統合光学監視装置により最高度の偵察能力を有し、偵察観測任務中に敵航空機と遭遇した場合は搭載する空対空ミサイルによりこれを排除し強行偵察も可能という凄いもの。

Mimg_0055 OH-1は川崎重工が開発した純国産の観測ヘリコプターで、搭載する三菱重工製TS-1エンジン二基は自重2.5tの機体に1768hpという高い出力を与え、俊敏な機体形状から分かるとおり、非常に高度な運動性能を有しています。このほか、機体各部は複合素材が多用され、強度を維持しつつ着発信管などの脅威からの生存性を考慮したものです。

Mimg_0050 OH-1は、新しく戦闘ヘリコプターとして配備されたAH-64Dとの協同が期待されたのですが、生産数の縮小によりデータリンク能力等の改修が遅れています。ただ、AH-64Dはロングボウレーダーにより索敵能力と情報共有能力が大きいので、それよりは何とか数が配備され、師団を高射特科部隊に先んじて敵ヘリコプター部隊の駆逐に当たる任務も、理想としてあったのですが。それにしてもこの運動性は凄い。

Mimg_2182 仮設敵です。陣地進入するべく重機関銃を振り回しつつ、続々と展開する敵装甲車、仮設敵はOH-1観測ヘリコプターの情報収集により、装甲車両を有する有力な部隊であるという事が判明しました、相手が装甲車両を複数保有するとは厄介です。仮設敵は第11特科隊の運用する73式装甲車がその任に当たっているもよう。

Mimg_2190 我が部隊指揮官は、より詳細な情報を得るべく情報収集と攪乱へ空中機動部隊の投入を決断しました、各部隊はレンジャー資格を有する隊員を養成しており、こうした状況で活躍するのがレンジャー隊員です。ローター音の方向を望見し見えたのは稜線を縫うように低空を接近するのは丘珠駐屯地より展開した第11飛行隊のUH-1J多用途ヘリコプター二機、近づいてくる。

Mimg_0083 UH-1J多用途ヘリコプターはベル社が1950年代に開発した原型HU-1を富士重工がライセンス生産しているもので、やや小ぶりなHU-1Bよりライセンス生産を開始、機体を大型化しエンジンを強化したUH-1Hへの転換を経て、日本独自型としてAH-1S対戦車ヘリコプターと同型のエンジンを搭載し、限定的な全天候飛行能力を付与した機体が、このUH-1Jです。

Mimg_0092 大きく旋回し、いざ降着地点へ。11名の人員を輸送可能なUH-1Jは、空中機動に加え偵察オートバイの空輸や負傷者の搬送、弾薬などの物資輸送から重機関銃を搭載しての火力支援任務等にも対応します。写真は89式小銃を携行した隊員がいましも降着しようとしているところ。

Mimg_0059 上空を警戒するOH-1、万一この瞬間に敵攻撃ヘリコプターが襲撃してきた場合でも空対空ミサイルで排除できます。観測から上空掩護まで大活躍のOH-1は、当初計画では250機が全方面航空隊と全師団飛行隊に配備される計画でした。これが実現すれば、陸上自衛隊航空は大きく躍進することが約束されていたのですが、冷戦終結とともに配備数は大きく下方修正、1997年から量産開始となりましたが、現在までの生産数は34機と僅か。

Mimg_0093 UH-1JはOH-1の支援下にそのまま観閲台正面へ、ヘリボーンといえばヴェトナム戦争時代は大編隊を組んでの大隊規模空輸が行われましたが、ヴェトナム戦争は40年前の戦争、前線へ今日大編隊を組んで飛行すれば優秀な防空火器、携帯地対空ミサイルなどで大損害を被りかねません。

Mimg_0098 現代の空中機動は、大部隊を展開させる場合敵後方地域か敵前方の要所へ実施しなければなりませんが、情報収集や攪乱、着弾観測要員を少数前方展開させる、という意味でこのような空中機動は小規模であっても有用です。UH-1Jより着陸する刹那ももどかしく、勇躍展開する降下要員、背景には“祝 第11旅団創隊3周年”の文字が。

Mimg_0102 降着要員を展開させ、迅速に離脱するUH-1J,このUH-1Jは航空科隊員に絶大の信頼を以て運用されています、その理由は陸上自衛隊がHU-1Bを導入したのが1962年、即ち半世紀前まで遡るのですが、パイロットが胸を張って語るのはUH-1について機体由来の事故が皆無、ということ。即ち確実に操縦すれば絶対に落ちないという半世紀にわたる信頼の積み重ね。

Mimg_0111 降着した隊員は89式小銃を四方に構え警戒に当たります。89式小銃は、我が国の豊和工業が64式小銃により得た技術基盤を元にアーマライト社製AR-18をライセンス生産、西側のカラシニコフと呼ばれる頑強で信頼性の高いAR-18に技術的着眼点を加え開発した頑丈な小銃です。降着した彼らの重要な任務は、続いて展開するヘリボーン空中機動部隊の降着区域の周辺を警戒し、後続部隊の降着を掩護することにあります。

Mimg_0113 二機目のUH-1Jからラぺリング降下により更なる部隊の降着展開が開始されました。HU-1Bが90機、UH-1Hが133機、UH-1Jが130機生産され、日々進化しています。同じくUH-1シリーズを運用する米海兵隊では、より進んだUH-1Yを開発しましたが、我が国では川崎重工が後継機を開発する方針で進められています。ただ、入札問題などで前途多難ではあるようですが。

Mimg_0125 続々と降着する様子、改めて思ったのは、この撮影位置へ陣地転換して正解だった、という事。前回までの位置は観閲行進を撮影するには最高の位置だったのですけれども、訓練展示を撮影する場合は真後ろから拝む形になってしまう、もっとも攻撃側の視点から見れる、という考えもあるやもしれませんが。

Mimg_0129 即座に戦闘加入します。89式小銃のみの身軽な装備、実際には戦闘防弾チョッキなどを着用して、展開することとなります。戦闘防弾チョッキは砲弾片防御のものから小銃弾防御のものへ、そして暗視装置など装備品はどんどん大きく重くなるのですが、隊員の肉体と体力は飛躍的な進展はなく、この点、どう戦闘能力を維持するかは人間工学的な、技術的な進展を待ちたいもの。

Mimg_0143 第11偵察隊の偵察オートバイが空中機動部隊の降着要員からの情報を受け、更に詳細情報を求め前進する様子、偵察オートバイはXLR-250,偵察任務へオートバイを運用する国はあまり多くありませんが、連絡任務等では運用される事例も多い模様、自衛隊では特に斥候に重点を置き、オートバイの運用を続けておりこれからも続くこととなるでしょう。

Mimg_0153 自衛隊では、敵の有無を確認することを斥候、実際に戦闘を交え、その反応を見ることで敵勢力の能力を図ることを偵察、としています。偵察オートバイの隊員は写真にあるように胸元に89式小銃を携行しており、必要ならば車上から射撃することも可能で、脅威と遭遇すれば、その機動力を活かし、一挙に後方へ引く。

Mimg_0158 87式偵察警戒車、小松製作所が国産した装輪装甲車で、25mm機関砲と照準用の微光増倍式暗視装置を搭載する装甲車です。偵察オートバイや機銃を搭載したジープから始まった偵察隊ですが、これでは戦闘を交えての偵察は難しい、このため開発されたのは、この装甲車で、加えて地上監視レーダ装置などの装備が出来るほか、降車する斥候員も乗車しています。

Mimg_0155 87式偵察警戒車が支援しつつ、偵察オートバイの前進、偵察隊の象徴的な一枚が撮れました。偵察隊は、指揮通信車、偵察警戒車、小型トラック、偵察オートバイ、地上レーダ装置などをもって情報収集にあたります。軽快な装備を有する印象ですが、職種は機甲科ですので、装備開発や戦術研究などは富士学校が行っています。

Mimg_0160 偵察に当たる装甲車として、今日的には微光暗視装置だけでは監視機材として能力不足を感じるのですが、陸上自衛隊には携行可能な暗視装置として三脚上で運用するJGVS-V7が配備されていますので、斥候員が車内にJGVS-V7を携行して、降車運用、という方式は、あり得るのかもしれません。

Mimg_0137 偵察隊の前進と共に、空中機動により降着した部隊はそのまま後方攪乱任務へ向かいます。少数の部隊であっても、前方観測員など特科部隊の着弾修正などを行う要員が展開しますと、携行できる装備は限られますが、情報こそが最大の武器となり、相手に大きな打撃を与えることができる。

Mimg_0171 偵察オートバイは、偵察警戒車と共に前進し、車体を防盾として警戒に当たります。ただ、オートバイでは携行できる監視機材が双眼鏡程度、進んでも小型の暗視装置程度ですので、将来的に情報収集がどのように展開するのか、現状では人間の五感に頼るものですので、この点どう進むのか、興味は尽きません。

Img_2200 25mm機関砲を以て前方を監視する87式偵察警戒車、自衛隊の偵察部隊能力を大きく進めたこの装備ですが、元来偵察は軽戦車の任務でした。機甲師団である第7師団の第7偵察隊は現状で74式戦車を運用しているのですが、一方近年では機動性の高い装甲車によりいち早く進出し偵察を行う、という運用へ展開している方式も各国で構築されており、どの方式が良いのかは一概には言えないのですが。

Mimg_2187 偵察部隊は前方に敵装甲車を発見しました。これが敵戦車ですと、かなり危険な状況となります。このため、更に最新の各国陸軍装備体系を見ますと高度な監視機材を装甲車に搭載し、監視という手段での情報収集を行う、ドイツのフェネクやスイスのイーグル、という装甲車などもあります。陸上自衛隊では40mm程度の大口径機関砲と高度なセンサーを搭載した折衷案、近接戦闘車偵察型を開発中のもよう。

Mimg_2201 87式偵察警戒車が25mm機関砲を仮設敵の73式装甲車に向け、対装甲戦闘を開始します。米軍などでは、M-1A2戦車を始め各車両がFBCB2データリンクシステムで結ばれ、全部隊情報収集&総部隊情報共有が行われています。陸上自衛隊では偵察隊を緊急展開部隊として位置づけ、威力偵察に当たる部隊には情報共有能力と共同交戦能力に優れた10式戦車を充当するために、戦車大隊の地位を再度強化の方向へ転換する、という事も選択肢としてあるべきでしょう。

Mimg_0169 偵察警戒車の支援下で後方へ一時撤退するオートバイ、仮設敵の規模が判明しました、次は火力戦闘部隊の任務、偵察隊の接敵とともに訓練展示模擬戦は火力戦闘部隊と機甲部隊の展開へと進みます。第11旅団は冷戦時代に北海道にて札幌防衛の重責を以てソ連軍と対峙した重装備の第11師団が旅団へ改編された旅団、師団から旅団へコンパクト化されましたが、その能力は高く、北海道南部の防衛警備に当たると共に有事の際には全国展開を期する部隊、その火力戦闘部隊の訓練展示は次回、お楽しみに。

北大路機関:はるな

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姫路駐屯地創設61周年記念行事(2012.11.25) PowerShotG-12撮影速報

2012-11-26 23:43:41 | 陸上自衛隊 駐屯地祭

◆第3特科隊・第3高射特科大隊の観閲行進

 日曜日の姫路駐屯地祭、この観閲行進の模様をG-12で撮影した写真から紹介しましょう。

Himg_9546 姫路駐屯地の観閲行進は徒歩行進を行わず、全て車両行進により展開されます。これは、特科部隊が基本的に車両により機動展開を行うためで、併せて特科部隊は目標を直接視認せず戦闘を展開する間接照準射撃を行うため、各種装備は高度に情報化され、連携しているのも特色です。

Himg_9545 観閲行進の先頭は第3特科隊副隊長の行進、後方には観閲行進への待機車両が並んでいます。副隊長は今回の姫路駐屯地祭観閲部隊指揮官を兼任しています。第3特科隊は師団特科連隊をコンパクト化したもので、2006年の第3師団改編に伴う第3特科連隊の改編により誕生しました。

Himg_9557 第3特科隊本部及び本部管理中隊の観閲行進、82式指揮通信車です。もともと82式指揮通信車は特科大隊の情報通信用に開発され、現在は普通科連隊本部や偵察隊などに232両が生産されました。今日的には通信能力は各種通信機六基を搭載しますが、画像データ通信能力を欠くため、近く新型車両への行進が求められるところ。

Himg_9564 本部管理中隊の観閲行進。本部管理中隊は特科隊が任務遂行を行う上で必要な様々な支援、例えば通信支援をおこなう通信小隊、指揮所設置や独立した最小限の任務を行う作業支援を行う施設小隊といった様々な機能を有する小隊から編成されています。

Himg_9568 情報中隊の観閲行進、写真はJTPS-P16対砲レーダ装置、現代の砲兵戦は相手の火砲を直接破壊せねばなりません。この為にレーダ装置で砲弾の弾道を測定し発射位置を評定、砲弾を叩き込み、火砲そのものを無力せねばならず、JTPS-P16は50°の幅で40km以内を飛翔する砲弾など同時に18発を追尾し、発射位置を評定します。情報中隊には対迫レーダ装置とこの対砲レーダ装置が各一基装備され、この装備密度はかなり高いといえる。

Himg_9571 第1中隊のFH-70榴弾砲、第3特科隊は、本部管理中隊、情報中隊、四個特科中隊という編成です。特科連隊時代は直接支援にあたる特科大隊三個と全般支援にあたる第五大隊という45門のFH-70榴弾砲を装備していました。見ての通り特科大隊を基本単位とした編成なのですが、特科隊への改編で特科中隊が基本単位となったことがわかります。

Himg_9578 第2中隊のFH-70榴弾砲、観閲行進へは各中隊から2門が参加しています。特科連隊時代は1300名の定員があったのですが特科隊になり人員は500名程度に縮減されたとのことです。これにともない火砲数も20門に縮減された、ということですが縮小ではなくコンパクト化、とのこと。ちなみに観閲台後方が火砲置き場となっており、後ろには12門ならんでいました。

Himg_9587 第3中隊のFH-70榴弾砲。FH-70榴弾砲は半自動装填装置により高い発射速度を持ち、短距離自走能力をもつ優秀な牽引砲として欧州共同開発され、第二次大戦時の火砲近代化型を置き換えることが期待されたのですが、高性能化を目指し過ぎ自走榴弾砲並みのコストを要するようになったため普及しませんでした。しかし、大柄な自走榴弾砲では機動力を発揮できない日本の地形に合うことが注目され、479門もの多数が陸上自衛隊に配備されました。

Himg_9601 第4中隊のFH-70榴弾砲。最大射程30kmを発揮するFH-70榴弾砲は対砲レーダ装置と野戦特科情報処理システムとの連携により、少数であっても分散し的確に目標に砲弾を投射することが可能で、いわゆる情報RMAと呼ばれた陸軍デジタル化も、砲兵部隊のデータリンクを全陸軍規模に普及させたもの、と理解することもできます。新しく火力戦闘指揮統制システムFCCSも開発され、無駄な火力を効率化することがコンパクト化の主眼です。

Himg_9604 第3高射特科大隊の観閲行進。第3高射特科大隊は大隊本部と本部管理中隊に加え、近接防空を担う第一中隊と拠点防空を担う第二中隊より編成されています。元々は第3特科連隊の第6中隊という位置づけでしたが1992年の師団改編で高射特科大隊として独立しました。今年は第3高射特科大隊創設20周年という記念すべき年です。

Himg_9615 情報小隊の低空警戒にあたる対空レーダ装置JTPS-P9と対空レーダ装置JTPS-P14.二基のレーダ装置は最大100kmの目標を警戒、得た情報は師団対空戦闘情報システムDADSにより処理され、戦闘を展開します。なお、P-9はJTPS-P-18に更新される計画でしたが、情報漏洩事故防止への業務用パソコン一斉調達により取得費用が削られ、制式化から30年以上を経た今日でもなかなか更新することが出来ません。

Himg_9624 第1中隊の93式近距離地対空誘導弾、射程5kmの91式携帯地対空誘導弾8発を、複合光学センサーにより照準し射撃するもので、情報小隊のレーダー情報をDADSにより共有し、脅威度の高い目標を優先して迎撃します。中隊には12両が装備され、各小隊4両が普通科連隊戦闘団への近接防空支援にあたる。分かりにくいですが、レーダーと情報処理システムとミサイルの関係は、護衛艦のレーダーと射撃指揮装置とミサイルを分散しているようなもの、というとわかりやすいでしょうか。

Himg_9630 第2中隊の81式短距離地対空誘導弾、これは東芝が苦心の末開発した国産初のミサイルシステムで、索敵追尾距離50kmというレーダを搭載した射撃統制装置一両と四連装発射装置二両によりシステムを構成し、多目標同時対処が可能、8km以内、改良型であるC型は15kmの射程を持つとのことですが、目標を迎撃します。中隊には4セットが配置され、師団補給拠点や火力戦闘部隊等の拠点防空にあたります。

Himg_9639 第3後方支援連隊の観閲行進、連隊本部は千僧駐屯地に置かれていますが、第二整備大隊特科直接支援隊と高射直接支援隊が姫路駐屯地に駐屯しています。これは各種装備の高度化に際し、稼働率を維持するには部隊駐屯地に駐屯し部隊を直接整備支援することが必要だ、という判断に基づくもの。

Himg_9648 観閲行進の最後を飾るのは新隊員で、配属されたばかりの新鋭、と解説されていました。前期教育を修了し、部隊での専門教育を受ける後期教育中の隊員たちです。こののち、姫路駐屯地祭は、訓練展示模擬戦へと展開しました。G-12のEOS-7Dと協同した活躍はここまで、こののちはEOS-7Dの出番です。

北大路機関:はるな

(本ブログに掲載された本文及び写真は北大路機関の著作物であり、無断転載は厳に禁じる)

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第3特科隊・第3高射特科大隊 姫路駐屯地創設61周年記念行事(2012.11.25)

2012-11-25 22:29:25 | 陸上自衛隊 駐屯地祭

■姫路駐屯地祭へ行ってきました

 本日姫路駐屯地祭へ行ってまいりました。写真は未整理ですが取り急ぎご報告までに。

Img_9531_2 姫路駐屯地は第3師団の火力戦闘部隊である第3特科隊と師団対空戦闘を一手に担う第3高射特科大隊が駐屯している駐屯地で、伊丹駐屯地の第36普通科連隊とともに兵庫県の防衛警備及び災害派遣にあたる部隊で、高台にある駐屯地からは世界遺産姫路城を眺めることができます。

Himg_9539 整列した隊員を前に部隊巡閲を行う第3特科隊長兼ねて姫路駐屯地司令の天本博文1佐。駐屯地は姫路駐屯地という事で姫路駅から最寄りか、と思いきや播但線に乗り換えなければなりませんが、此処の本数が少なくて少々難渋します。前回は諸般の理由で巡閲に間に合いませんでしたが、今年は、車両展開に同乗させてもらい、余裕を以て間に合いました。

Himg_9598 FH-70の行進、本日の姫路駐屯地祭は記念式典として訓示と巡閲に続き人員250名と車両50両による観閲行進、火砲を主力とした訓練展示とレンジャー展示が行われました。50両、というと実感がわかない方がいるやもしれませんが、一枚目の写真にある車列がその半分程度で、観閲行進で行進をすると、中々すごい。

Img_9654 訓練展示の主役はFH-70榴弾砲で、偵察隊と情報小隊の支援で状況を把握すると展開した高射特科部隊の支援下で次々と空包射撃を行ってゆきました。ただ、撮影位置は今年、前回足を運んだ二年前よりも来場者が多く人口密度も過密で、確保に難渋しました。写真は、状況終了直後の模様だったりする。

Himg_9730 駐屯地は理想的な快晴に映える紅葉と迫力の発砲焔に沸き上がり、会場は多くの来場者で賑わっていました。レンジャー展示は毎年工夫と研究を積み重ねて、子供たちにもわかりやすく見応えのあるものでした。ところで、この89式小銃、なんとなく親近感湧いてきませんか?、被筒のあたりをみますと、ね。そんなこんなで撮影を完了し、撤収しました次第です。

北大路機関:はるな

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第11旅団創設3周年 真駒内駐屯地創設57周年記念行事詳報⑩ 第11戦車大隊と第11飛行隊

2012-11-15 23:43:04 | 陸上自衛隊 駐屯地祭
◆轟音響かせ戦車と共に行事詳報連載再開!
 第11旅団創設記念行事、観艦式を挟み大分間隔があいてしまいましたが掲載再開です。
Mimg_2031 第11戦車大隊、観閲行進の最後は戦車部隊の観閲行進です。二個戦車中隊と大隊本部により編成という編成です。北部方面隊の師団戦車大隊や旅団戦車部隊には優先的に90式戦車が配備され、本州や九州の戦車部隊が運用する74式戦車よりも強力な部隊を形成しています。観閲行進の先頭は大隊本部の大隊長以下指揮官と先任曹長が90式戦車と96式装輪装甲車により観閲を受けます。
Mimg_20280 戦車には“士魂”の文字が記されています。これは占守島において第二次大戦終戦後、上陸戦闘を仕掛けたソ連軍に立ち向かい多大な犠牲を出しつつ邦人退避を戦車で支えた戦車11連隊の十一、即ち“士”の文字を受け継ぐもので、道都札幌を守り、冷戦時代のソ連北方脅威へ立ち向かった第11戦車大隊に最も相応しい徽章といえるでしょう。
Mimg_2041 90式戦車の行進。この第11戦車大隊は、北恵庭駐屯地にて1962年に編成され、当時はM-24軽戦車とM-4中戦車を装備していました。双方とも第二次世界大戦期に開発され、朝鮮戦争期には北朝鮮軍のソ連製T-34戦車に米軍戦車として挑み、特にM-24は苦戦を強いられていましたが、大戦中に37mm砲と12mm装甲の95式軽戦車で臨んだ経験者の話を聞き、これならば勝てる、と意気込んだようです。
Mimg_2044 この第11戦車大隊は、1967年にM-4戦車で完全充足となり、1968年には国産の90mm砲を装備した61式戦車の導入を開始、1970年には大隊を編成する四個戦車中隊に完全充足し、1977年には74式戦車の受領を開始、1984年に完全充足を果たします。長らく74式戦車の時代が続き、2009年に90式戦車の受領を開始しました。
Mimg_2047 大隊本部付の96式装輪装甲車、戦車大隊は戦車を中心に戦車の稼働率を維持し、戦車に必要な補給を行う支援に当たり、加えて戦車中隊単位での普通科連隊戦闘団への派遣に備え訓練水準を高め戦闘能力を最高の状態とする必要があります。このため、戦車大隊は戦車と同程度の各種車両を運用しています。
Mimg_2053 続いて大隊本部の車両が観閲行進を行います。1t半と3t半、よく見てみますと3t半の大型トラックのうち片方の車両は車体前部のキャビンを追加装甲で防護しておりフロントガラスにもその奥には防弾ガラスが装着されているのが分かります。ちなみに1t半と3t半という呼称、73式小型トラックと73式大型トラックという旧称の方が分かりやすいですね。
Mimg_2056 第一中隊の90式戦車、真正面から見ますと凄い迫力ですが、90式戦車は第三世代戦車として必要な高い打撃力と高い防御力を両立した、恐らく我が国での運用を行う上で世界で二番目に強力な戦車です。一番強力な戦車は、この打撃力を維持強化したうえで軽量化と機動力を向上させた最新型の10式戦車ではありますが。
Mimg_2066 90式戦車は三菱重工が製造する国産戦車で、重量50t、全長9.755m、全幅3.43m、全高3.04m。1500馬力の三菱10ZG32WT型2ストローク水冷十気筒ディーゼルエンジンを搭載し最高速度は70km/h、1100?の燃料を搭載して航続距離は実用340km、60‰の登攀力を有し、2.7mまでの幅の対戦車壕や用水路を突破、1mの垂直防壁をそのまま乗り越え2mまでの水深をそのまま突破可能です。
Mimg_2070 しかし、この戦車の特色は攻撃力の高さにあります。主砲は44口径120mm滑腔砲で対戦車用のAPFSDS弾を用いた場合、発射後に音速の五倍で飛翔し約1mの鋼板を貫通します。しかし、この砲弾は重いため世界で広く採用されている120mm砲ですが、走行中に人力で装填するのは揺れる車内では非常な困難を伴います。そこで90式戦車は日本製鋼が開発した自動装填装置を搭載し、揺れる車内でも四秒に一発の速度で装填し射撃できる。
Mimg_2076 120mm砲の照準装置は熱画像暗視装置により霧や夜闇を見通すことが可能で、主砲用火器管制装置は移動目標のロックオン機能を有し、一旦捕捉した目標は百発百中とのこと。防御力は敵戦車と撃ちあう正面部分に京セラと三菱金属(今は三菱マテリアル)が開発したとされるチタン合金とセラミックを内蔵した複合装甲を採用し、高いジェット噴流で熱量を叩きつける対戦車ミサイル、極超高速で運動エネルギーを叩きつける戦車砲弾、双方に耐えられ、乗員を守る装甲が施されており、実験映像では120mm砲弾の連続直撃に耐えていました。
Mimg_2083 50tという比較的軽量に重量を抑えていることも特色です。90式戦車は戦後第三世代戦車に区分されるのですが、74式戦車を含む第二世代戦車は74式戦車やレオパルド戦車にAMX-30戦車といった対戦車ミサイルの時代に入り機動力重視で防御力を断念する設計か、重装甲を採用した分機動力が落ちるのは致し方ないというチーフテン戦車やM-60戦車等により構成されていましたが、複合装甲の技術開発により軽量で重装甲を実現し、戦車用高出力エンジンの開発により攻撃力機動力防御力の両立が可能となりました。
Mimg_2087 しかし、これは重くとも高出力のエンジンがあるので機動力は維持できる、という意味でもあるので、その分重くなります。世界の第三世代戦車はこのため60t台後半という重さになってゆくのですが、仮に日本で運用する場合、60t以上の戦車が火山国で高山部があり地震と水害の多い日本の狭い峠道や路盤の緩い平野部を踏破できるでしょうか、90式戦車は自動装填装置を採用し、車内をコンパクト化することで装甲で守らねばならない容積を局限し、防御力を維持しつつ軽量化を実現、相手の入れない場所に展開して一撃を加える、日本で繋う限り最強の戦車として完成したわけです。
Mimg_2091 第11戦車大隊第2中隊の観閲行進。後方には航空部隊の編隊が見えます、戦車とヘリコプターこの写真とこの構図が撮りたかった。第11戦車大隊は、大隊本部、本部管理中隊、第1戦車中隊、第2戦車中隊、という編制です。しかし、冷戦時代は四個戦車中隊を以て編成されていました。これは、第11旅団が第11師団であった時代、師団隷下の真駒内第18普通科連隊、函館第28普通科連隊、滝川第10普通科連隊に有事の際各一個戦車中隊を派遣し、師団長直轄でもう一個戦車中隊を戦略予備、最後の切り札として配置するためでした。
Mimg_2104 戦車大隊は1991年に、本州の全ての戦車大隊から一個戦車中隊を抽出して北部方面隊の戦車部隊の増強にあてる戦車北転事業が行われ、新しく創設された第317戦車中隊と第318戦車中隊が北部方面隊より第11戦車大隊へ配備され、74式戦車110両を保有することとなりました、これで各連隊に一個中隊を配置しても戦車大隊一個に匹敵する予備部隊が生まれたということ。
Mimg_2110 しかし、冷戦構造の終結により、当面、ロシア軍の戦車師団が複数北海道に上陸する、という脅威の切迫は無くなりました。そこで防衛計画の大綱が改訂され、1996年に第11師団は旅団へ改編される方針が定められます。これにより1996年に第4中隊が廃止、1999年に第318中隊が廃止、2005年に第317中隊が廃止されました。
Mimg_2113 こうして第11戦車大隊は2008年に第3中隊を廃止し、二個戦車中隊基幹へと切り替えられたのですが、2009年にそれまでの74式戦車に代え90式戦車の受領が開始されました。74式戦車は弾道コンピュータと105mm砲を搭載し、地形に合わせ車体を傾斜させ伏せ撃ちを行う油圧式懸架装置を搭載する高度な戦車でしたが、装甲が第二世代戦車の水準であり暗視装置も旧式化しており、縮小ではなくコンパクト化として高性能な90式戦車が迎えられたわけです。
Mimg_2115 もっとも、個人的に疑問が無いわけではありません。こういうのも陸上自衛隊の戦闘部隊基本単位は普通科連隊を基本とした連隊戦闘団であり、普通科連隊に戦車中隊と特科大隊に施設小隊と救急車分隊を配属する旅団的な運用が為されていたわけです。これが警備管区を持ち全国をくまなく配置させることで防衛警備に寄与し、加えて災害時には初動を担う運用が為されてきたのですから、普通科連隊と戦闘団を組むうえで必要な戦車定数と火砲定数を確保するか、普通科連隊への装甲戦闘車配備など代替手段をとるべきだとは思うのですが。
Mimg_2123 将来的には105mm砲を搭載する装輪装甲車として機動戦闘車が配備されるようなのですが、戦車の持つ防御力と火力を併せ持つ機動打撃力は装甲車では代替できるものではありません。そして戦車は攻撃力機動力防御力を併せ持つ陸上装備体系の最高峰に位置するものですから、これが配置されているだけでの抑止力は相当なものです。
Mimg_2125 そして日本には最高水準の戦車を国産する能力があるのですから、戦車により侵略の意図を事前に打ち砕くという抑止の思想から、もう少し優遇され装備を行うべきと信じます。なにより、装甲戦闘車も近年は火器管制装置の高度化で高価になっていますので、下手に各連隊を数個中隊装甲戦闘車で充足するよりは装甲車に留め、その分戦車を配備したほうが予算も節約できるでしょうし。
Mimg_2131 観閲行進に続いて第11飛行隊による祝賀飛行の開始です。ここまでの観閲行進を第11音楽隊が演奏を続けていましたが、その頭上をヘリコプターの編隊が進んでゆきます。第11音楽隊は抜刀隊と祝典ギャロップを観閲行進の間演奏を休まず続けるのですから、このプロ意識といいますか、音楽の職業人としての能力と意志の強さもなかなかのもの。
Mimg_2152 第11飛行隊は札幌市の丘珠駐屯地に駐屯しており、今回はOH-6D観測ヘリコプター三機とUH-1J多用途ヘリコプター三機による六機編隊での飛行を行っています。観測ヘリコプターは特科部隊の索敵や着弾観測と軽輸送に指揮官連絡を行う機体で、多用途ヘリコプターは小銃班程度の空中機動や弾薬などの輸送任務、機関銃を搭載しての火力支援や負傷者搬送にもあたります。
Mimg_2162 祝賀飛行の編隊が真駒内駐屯地の上空を飛行します。こうして観閲行進は完了し、引き続き行われた祝賀飛行は青空を背景に見事完了しました。続いて訓練展示模擬戦が行われます。観閲行進はこのように正面から木立の涼しい日陰と共に迫力の様子を撮影できました、それでは次回から撮影位置を移しての訓練展示模擬戦となります、お楽しみに。
北大路機関:はるな

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第13旅団創設13周年記念海田市駐屯地祭(2012.11.04) PowerShotG-12速報

2012-11-05 22:59:25 | 陸上自衛隊 駐屯地祭

◆G-12撮影の第13旅団観閲行進!

 本日は前回に引き続き海田市駐屯地祭第13旅団創設記念行事の模様を紹介します。EOS-7Dの写真は整理中ですのでPowerShotG-12の写真にて。

Kimg_80130 第13旅団は旅団長川又弘道陸将補、副旅団長原圭二1佐、幕僚長櫻田博美1佐以下4100名を以て、山陽山陰地区の防衛警備及び災害派遣に当たる旅団で、1999年3月に第13師団より旅団への改編を実施、師団と混成団を基幹部隊としてきた陸上自衛隊では、この改編が初の旅団誕生となりました。

Kimg_8020 撮影機材G-12は、デジタル一眼レフの補完装備として最適の機材です。電源立ち上がりとズームの瞬発力にピントの調整時間は十年前のデジタル一眼レフにも劣るものですがレリーズを用いて三脚上から広角で撮影する機能をうまく活かせば、EOS-7DやEOS-50Dが明後日の方向を向いている瞬間の予備として重宝しますし、ライブビューア撮影能力ではEOS-7Dを凌ぐ能力がある。

Kimg_8034 それでは観閲行進の様子を。副旅団長原圭二1佐、幕僚長櫻田博美1佐が観閲行進の先頭を往く、車上から旅団長川又弘道陸将補へ敬礼です。車両は82式指揮通信車と73式小型トラック(現1t半)、背景の海田市の街並み、駐屯地は臨海部ですが、山の中腹へと広がる住宅街と背景の山々の情景が面白いですね。

Kimg_8041 観閲行進を行う第8普通科連隊、連隊長は渡邉茂和1佐、旅団管区でも日本海側にある山陰地方の米子駐屯地に駐屯し本部管理中隊と三個普通科中隊を基幹とする普通科連隊です。人員規模は650名程度とされ、旅団普通科連隊としては規模が大きいという印象です。

Kimg_8042 普通科連隊は、第13旅団は旅団司令部所在地の一個連隊が山陽地区に配備される唯一の連隊で、他の普通科連隊は二個とも山陰地区に配置されています。全国均一に配置される普通科部隊により災害派遣と防衛出動への即応性を確保しているのですが、山陰地区は特に対岸が北朝鮮、今回は展示されませんでしたが携帯無人偵察機等も装備している。

Kimg_8046 第17普通科連隊の観閲行進、連隊長は島瀬達也1佐、山陰地方の山口県山口市に置かれている山口駐屯地に駐屯、連隊は三個普通科中隊と本部管理中隊の編成。第8普通科連隊と第17普通科連隊は第三中隊が軽装甲機動車を運用し、第一中隊と第二中隊が高機動車を運用する編成のもよう。

Kimg_8061 第47普通科連隊の観閲行進、連隊長松村朝生1佐が82式指揮通信車の車上から敬礼しています。ところで、他の師団や旅団では徒歩行進でも連隊長は82式指揮通信車に乗車していることが多いように思うのですが、第13旅団では徒歩行進の場合指揮官も連隊旗も先頭を徒歩行進で式典会場を進む。

Kimg_80620 第46普通科連隊の高機動車、普通科部隊の車両観閲行進はこの第46普通科連隊が一手に行うという模様、この連隊は海田市駐屯地に駐屯している。第8普通科連隊と第17普通科連隊の式典参加部隊は73式大型トラック(3t半)で海田市に展開しているのかもしれませんね、しかし、車体に部隊表記のある8普連と17普連の高機動車が観たかった。

Kimg_8074 高機動車、配備開始が1992年頃、カンボジアPKOに部隊配備が間に合わなかったがその直後に配備となったこの車両で、陸上自衛隊は後方地域までの自動車化という限定的なものから最前線の戦闘加入直前までを自動車化し機動力を発揮できるようになりました、整備性や野戦機動性能と隊員の信頼は何処で聞いても中々のもの。

Kimg_8093 第三中隊の軽装甲機動車、一個小銃班を二両に分乗させて火力投射の分散と制圧面積拡大を期した装備、既に1500両以上が配備されています。各小銃班にはMINIMIや01式軽対戦車誘導弾が装備されているので、機銃装備車と対戦車車両とで混成すれば侮りがたい能力を発揮する、が、操縦要員を残すと降車戦闘要員が減り、全員降車すると車両が置き去り、という問題点は、ある。

Kimg_8105 軽装甲機動車をアップにしてみた。ところで、海田市駐屯地を正門から式典会場まで進みますと通路両側がモータープールになっているのですが、軽装甲機動車は第一中隊と第二中隊のものがかなりありました、もしかするとかなり普通科中隊の装甲化が進んでいるのでしょうか。

Kimg_8143 第13偵察隊、出雲駐屯地の部隊です。軽装甲機動車を先頭に偵察オートバイ、25mm機関砲を搭載した87式偵察警戒車と、そして85式地上レーダ装置が車載され観閲行進に参加しているのが分かります。第13旅団は師団から旅団へ改編されていますが、改編後に立て続けに北朝鮮不審船事案や弾道ミサイル事案が発生、沿岸監視装備の強化と充足率の向上を行っているとのこと。

Kimg_8180 87式偵察警戒車、25mm機関砲が勇ましい。自衛隊では敵の有無を探すのを斥候といい、偵察とは実際に戦闘を交えて反応を図り敵勢力の規模を推測する、という。ただ、87式はレーダ装置を追加搭載し、戦場監視にも対応する。贅沢をいえば暗視装置が微光増倍暗視装置のみなので、熱線暗視装置が欲しいところ。

Img_8190 第13特科隊、指揮官青木誠1佐以下の観閲行進、FH-70榴弾砲を運用する三個特科中隊を基幹として運用、三個特科中隊、という事はFH-70は12門か15門しか装備していない、という事でしょうか、もちろん情報小隊が対砲レーダ装置と対迫レーダ装置一式を揃え能力は大きいのですが、聞けば2008年頃までもう一個中隊あったようなのですが、コンパクト化とはいえ、ちょっとこれは頼りない。

Kimg_8215 FH-70榴弾砲は、海田市駐屯地から宮島まで到達する射程を有しているとのこと、帰りに時間があれば厳島神社へ、とおもったのですが、そんなに遠いのなら、と断念し広島城観光に切り替えました。ところで、後継装備として開発が始まった火力戦闘車、日本の道路事情に合った小回りが利き、自動装填装置により高い火力投射が可能な装備となるわけで、これは完成が楽しみ。

Kimg_8255 第13高射特科中隊の観閲行進、日本原駐屯地の部隊で5km以内の目標を軽快対処する93式近距離地対空誘導弾、10km以内の航空脅威を排除する81式短距離地対空誘導弾、それに探知距離が100km程度という対空レーダ装置P-14,ていうう目標に備える79式対空レーダ装置P-9が観閲行進として進む。

Img_8267 第13施設中隊の観閲行進、施設中隊は海田市駐屯地駐屯の部隊、旅団管内には中部方面隊直轄の方面施設部隊である第4施設団より出雲駐屯地に第304施設隊、三軒屋駐屯地に第305施設隊が駐屯しているのですが、南海トラフ地震の危険が指摘される中、旅団施設が一個中隊というのも、どうも、なあ。

Kimg_8281 観閲行進に出た車両は限られていましたが、モータープールの隣を通りががりついでに眺めたところ、81式自走架橋柱、道路障害作業車、83式地雷敷設装置、グレーダ、バケットローダ、資材運搬車、掩体掘削装置、トラッククレーン、ドーザ、ダンプ等が配備、模擬戦には75式装甲ドーザが参加していましたが、方面施設装備だったもよう、規模が限定される戦闘工兵装備に特化してほしいもの。

Kimg_8315 第13通信中隊、こちらも海田市駐屯地に駐屯する部隊、通信中隊の任務は各連隊長と旅団長との通信確保を行うと共に写真とビデオの撮影も任務となっています。訓練展示模擬戦では最後の突撃成功と丘の上で連隊旗を振る隊員の傍らにもカメラを持った隊員が、なにやら硫黄島の擂鉢山とカメラマンの話を少し思い出した。

Kimg_83260 第13後方支援隊、指揮官は日高昇1佐、第一整備中隊が部隊整備として火器車両整備小隊と通信電子整備小隊、施設整備小隊と工作回収小隊を以て編成、部隊を直接支援する第二整備中隊に補給中隊と輸送隊に衛生隊を以て編成されています。隊本部は海田市駐屯地に置かれていますが、第二整備小隊は前方展開です。

Kimg_8353 第二整備中隊、普通科直接支援小隊は三個小隊あり米子と山口と海田市に駐屯、普通科部隊も装甲車を中心に車両が増え、後方支援部隊の直接支援体制が採られている。写真は96式装輪装甲車で戦車直接支援小隊に配備、戦車部隊に随伴し整備支援を行うためには装甲車が必要ということ。

Kimg_8383 第二整備中隊は三個普通科直接支援小隊に、日本原駐屯地に前進配備される特科直接支援小隊と高射直接支援小隊に戦車直接支援小隊、そして出雲駐屯地には偵察直接支援小隊が展開している。写真は補給中隊と輸送隊、一見地味なものだけれども、これを軽視すると肝心な装備が動かなくなってしまう。

Kimg_83930 衛生隊、救急車と野外手術システムを運用している。ところでこの救急車だけれども、容積は小さくなることは百も承知で第一千九後に対応する軽装甲機動車救急車型を配意できないものか、助手席部分を後部とつなげば担架を一床か緊急時に二床と救急設備を搭載し、銃弾や砲弾片が舞う第一線救護に対応できると思うのですけれど。

Kimg_8402 旅団司令部付隊の化学防護小隊、化学防護車と除染車が観閲行進に参加、化学科部隊は色々な部隊を見てゆきますと近年では特殊武器防護隊や化学防護隊として師団司令部付隊から独立した部隊等がかなり多くなっているのですが、第13旅団では小隊編成として旅団司令部付隊に所属しています。

Kimg_8420 第47普通科連隊、海田市に駐屯する普通科連隊ですが2008年に大津の第2教育団を拡大改編し編成された中部方面混成団へ編入され、今に至ります。即応予備自衛官主体の部隊ですので、教育訓練部隊に移管したほうが訓練効率を高められ、第一線部隊の現役充足率を高められる、という構図です。

Kimg_8445 第13戦車中隊の観閲行進、74式戦車の戦車中隊です。一個中隊ではあるのですが、戦車があるという事実があれば脅威対象が我が国に対し着上陸を行う際、戦車に対抗できる装備が必要となります。対戦車ミサイルが能力を高めているのですが、電線があふれる市街地や竹林に森林地帯を踏破する戦車は開けた土地でなければ対戦車ミサイルは役に立ちません、そういう意味で戦車の必要性が理解できるというもの。

Kimg_84440 観閲行進の最後は何処の部隊でも基本的に戦車部隊が担います、合院を響かせる戦車は勇壮そのもの。戦車中隊には96式装輪装甲車と74式戦車が観閲行進に参加、96式装輪装甲車は増加装甲を車体に装着し、銃座部分に防護盾を追加、戦闘能力を高めた96式装輪装甲車2型です。

Kimg_8484 74式戦車は射撃統制装置に弾道コンピュータを採用し、油圧式車体傾斜装置と105mm砲を搭載し、地形を最大限活用する第二世代戦車として導入、防御力と機動力は完全に時代遅れとなり、射撃統制装置も旧式化していますが、待ち伏せ運用と普通科部隊との協力により戦車脅威を押し返すための物凄い努力が続けられている。耐用年数の関係上、遠からず10式戦車にオッ変えられる、はず。

Kimg_8462 96式装輪装甲車2型、73式装甲車の後継として装備化が開始され、73式は350両が生産されたのですが、96式もようやく350両程度生産された、可能ならば普通科連隊の本部管理中隊に装甲輸送小隊を編成して必要に応じ二個小隊か詰め込んで一個中隊分くらいは装甲化できる装甲車が予算化されてほしいところ、砲弾片から普通科隊員を守るには装甲車が必要なのだ。

Kimg_8502 祝賀飛行が観閲飛行に引き続き実施されます。飛行するのは防府分屯地の第13飛行隊、UH-1J多用途ヘリコプターにOH-6D観測ヘリコプター、タイミングが合うと戦車部隊の上空に祝賀飛行が重なる、のだが、まあ。このほかC-1輸送機とT-7練習機編隊が祝賀飛行に参加しました。こののち、訓練展示模擬戦と装備品展示が行われました。

北大路機関:はるな

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第13旅団創設13周年記念行事・海田市駐屯地祭(2012.11.04)

2012-11-04 23:14:32 | 陸上自衛隊 駐屯地祭

◆広島の旅団司令部行事

 本日、広島県の第13旅団司令部が置かれている海田市駐屯地祭へ行ってまいりました、とりあえずはご報告までに。

Kimg_8595 第13旅団は、第13師団が陸上自衛隊として初めて旅団への改編を受けてより本年を以て13周年を迎えます。そこで、13と13ということから広島まで行ってまいりました。最寄駅となる海田市駅は広島駅から山陽本線を9分の場所にあり、駐屯地はそこから少々離れた沿岸部に所在しています。

Kimg_8003 海田市駐屯地は、式典会場が一番奥にあり、同じ中部方面隊の駐屯地にあって、師団司令部駐屯地である千僧駐屯地や守山駐屯地よりも広く、かなり広く感じた旅団司令部駐屯地である善通寺駐屯地と比較しましても、特に面積の点ではかなり広いと言える駐屯地でした。

Kimg_8036 式典は他の部隊と同じですが、山陽山陰地区を含めた中国地方全体の防衛警備及び災害派遣を担う部隊、日本海側の沿岸部は北朝鮮の特殊部隊浸透の脅威が、そして瀬戸内海側は近くを南海トラフ地震の脅威が存在しているという旅団であり、沿岸監視能力や機動力強化などを進めている旅団です。

Kimg_8563 式典会場は旧軍飛行場の滑走路跡地を利用したもので、細長い会場ではあったのですが、訓練展示などは両翼に広がる模擬戦闘が中々の迫力でした。観閲行進の写真など紹介する予定でしたが、とりあえずは、写真を現在整理中となっていますので、本日は此処までとして、ご了承ください。

北大路機関:はるな

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第10師団創設50周年記念守山駐屯地祭 PowerShotG-12撮影速報

2012-09-24 23:08:37 | 陸上自衛隊 駐屯地祭

◆第10師団、混成団からの改編より半世紀

 今年で八年連続の撮影となりますが、守山駐屯地にて行われた第10師団創設50周年記念行事へ昨日行ってまいりました。

Mimg_3680 第10師団、名古屋市の守山駐屯地に司令部を置くこの師団は1962年に第10混成団より第10師団へ師団改編を受けてより50周年を迎えました。東に首都東京第1師団、西に京阪神第3師団、ここに中立つ第10師団は京浜京阪神地区への増援という位置づけと共に中京地区を筆頭に東海北陸地方の防衛警備及び災害派遣を担う重要な師団です。

Mimg_3697 第10師団の観閲行進、G-12により予備の撮影を行いつつ、主力はEOS-7Dと、50周年という事でEOS-50Dに120-400mmの超望遠レンズを取り付け、実に三機体制での撮影となりました。当日の天候は生憎の雨天ではありましたが、幸い屋根のある場所から撮影できましたのは幸運そのもの。

Mimg_3716 50周年を迎えた第10師団ですが、金沢の第14普通科連隊、久居の第33普通科連隊、守山の第35普通科連隊、豊川の第49普通科連隊に各四個普通科中隊と重迫撃砲中隊に対戦車中隊を有し、四個戦車中隊基幹の第10戦車大隊と全般支援大隊を含む五個大隊を持て編制される第10特科連隊を中心とした、今日の本州九州地区では最大規模の火力と編成を持つ師団となりました。

Mimg_3757 この第10師団なのですが、来年度予算において第10師団の即応近代化師団への改編が盛り込まれています。恐らく戦車大隊は二個中隊程度にまで小型化され、特科連隊も特科隊と縮小されるのか、大隊数が縮小されるのでしょう、第49普通科連隊も即応予備自衛官主体の編成であり、中部方面混成団へ編入される可能性もあるやもしれません。

Mimg_3768 高機動車部隊。陸上自衛隊はほんの二十年前までは機械化さえ途上と言われた組織ではありましたが、考えれば地対空ミサイルと空中機動部隊の普及は高く、そして対砲レーダ装置や低空レーダ装置など電装品では充実しており、地形防御の依存率という面で普通科の装甲化が、そして予算調達の特殊性から戦車が旧式化していた以外はかなり進んでいたわけなのですよね。

Mimg_3776 この軽装甲機動車は2002年に中部方面隊で最初に第10師団の第33普通科連隊が14両を受領し、運用を開始しました。これを機に106mm無反動砲や64式小銃は普通科部隊より89式小銃や79式対舟艇対戦車誘導弾や87式対戦車誘導弾に01式軽対戦車誘導弾へ更新された、という。

Mimg_3780 第10偵察隊。この第10師団ですが、10年後にはどうなっているのでしょうか、74式戦車が10式戦車に置き換えられ、普通科連隊には中距離多目的誘導弾の配備が開始、高射特科大隊や偵察隊にも近接戦闘車導入の予兆が見え始め、特科部隊はコンパクト化されつつも火力戦闘車導入へ進み始め、普通科の装甲車導入は次の段階へ、という事になるのでしょうか。

Mimg_3793 長く北大路機関をご覧の方はお気づきかもしれませんが守山駐屯地祭は北大路機関のWeblog開始間もない2005年より連続して掲載していまして、今回で八年連続にて足を運んだことになります。73式小型トラックの旧型はすべて姿をけし、短SAMの新型化や通信機材の更新など、傍目にいろいろと師団の歴史を見てきたわけで、そういった意味でも今回の行事は感慨深いものがありました。昔の火箱師団長がそのまま中部方面総監を経て前に陸幕長に着任されましたね。

Mimg_3814 観閲行進の最後を飾る第10戦車大隊の74式戦車、この部隊もWeblog北大路機関が始まったころは乗員は自衛用にM-3短機関銃を装備し、大隊本部はなんと60式装甲車を運用、それが73式装甲車となり、いまは96式装輪装甲車です。今後、防衛警備任務と共に東海東南海地震を睨む第10師団は多くの試練と苦難が予測されますが、師団全員一致団結の下、住民国民と共に頑張ってほしいですね。

北大路機関:はるな

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今津駐屯地創設60周年記念行事(2012.09.09) PowerShotG-12撮影速報

2012-09-09 22:59:39 | 陸上自衛隊 駐屯地祭

◆今津駐屯地祭2012

 本日、滋賀県高島市にある陸上自衛隊今津駐屯地創設60周年記念行事へと行ってきましたので、コンパクトデジタルカメラの写真にて取り急ぎその様子をお伝えしたいと思います。

Iimg_27_72 今津駐屯地祭2012、今津駐屯地といえば第3戦車大隊と第10戦車大隊の駐屯地として知られ、中部方面隊最大の機動打撃力の拠点となっています。しかし、第3特科連隊の特科隊改編に伴い、今津駐屯の第5大隊が廃止され、その後今津駐屯地には中部方面移動監視隊と中部方面無人偵察機隊が新編配置され、一転、陸上自衛隊情報優位への試金石的な部隊の駐屯地ともなりました。

Iimg_2584 今津駐屯地60周年、こう大書したマイクロバスが運行されるほど、本年は節目の年なのですが、他方で、隣接する広大な饗庭野演習場に対し今津駐屯地は。グラウンド面積に限界があり、今年は凄いらしい、と囁かれる行事内容に個人的にあまり説得力を感じられなかったのは事実です。

Iimg_2593 しかし、足を運んで驚いたのは、やはり60周年、という事でした。行事そのものは従来通りですが、観閲行進が拡充され、姫路駐屯地より特科隊と高射特科大隊の、千僧駐屯地より偵察隊が、という毎年の部隊に加え、福知山駐屯地の普通科連隊、大久保駐屯地の施設大隊と方面隊直轄の施設群、観閲行進へ加わっていたことでしょうか。

Iimg_2606 60周年は節目の年ではあるのですけれども、考えれば74式戦車の用途廃止は本格化しており、対して大量生産で取得費用を抑えることが主眼とされた10式戦車はやはり90式戦車と同じ毎年1個中隊所要しか取得が認められず、退役数と就役数の差異は純減されている、という現状、遠からず10式戦車が此処今津駐屯地にも入ることなのでしょうが、現在の6個戦車中隊は半減、もしくはそれ以下になってしまうのかもしれません。

Iimg_2655 それにしても来年度予算概算要求が出されましたが、概算要求の時点で今年度予算よりも減額、震災復興予算で確保できた分を含めて、という背景はあるやもしれませんが、国家予算全体は肥大化し、歳出削減を掲げた現与党民主党は安全安心のために予算を増やすと大義名分を掲げたのですが何故か防衛予算は削減される、という不思議なもの。

Iimg_2691 今津駐屯地、今年は心なしか人が多かったような、気がします。毎年式典開始直前まで余裕がある木立付近の人口密度が高く、近江今津駅は列車が到着する度にバス待ちの行列が長くなり、何故か貨物列車が特急退避へ駅に停車した少し後にも行列が長くなったほど、まさか、いつぞやの某国立大学の学生のように列車本数の少なさから北海の帝王ごっこ的なことをしたのか、ともおもいましたが、まあ、一枚撮ってから来たのでしょうね。

Iimg_2726 シャトルバス第一号に乗り展開した当方、撮影ポイントですが、いろいろ考えた結果、観閲行進と訓練展示の撮影位置を切り替えることとしました。来賓席がスタンド席以外に地上椅子席が多く、その後ろが人口密度も低く、そこからならズームレンズで撮影できるのでは、と考え、ある程度正解でした。

Iimg_2756 今津駐屯地祭来場者の増加、これは戦車体験乗車を見ると端的に表れているといえるかもしれません。戦車体験乗車は戦車部隊の駐屯地という事もあり、少なくない数の戦車が準備されるのですけれども、なんと式典前に一人一枚の戦車乗車整理券を配布していたのです。

Iimg_2761 昔はそんなことはなく、整理券などなく、式典と訓練展示終了後に並べば普通に乗れましたし、時間帯が良ければ、とくに1400時をすぐれば待ち時間も少なく、何度か乗った、という話、聞くのですよね。数年前からまず伊丹が整理券配布開始、今や今津も整理券です、こんなところにも戦車不足が、違うか。

Iimg_2781 今津駐屯地は、コの字型に見学が可能な立地となっています。しかし、数年前まではこれ、L字型に見学席が用意されていたのです。実は2006年の第三師団改編で戦車大隊が縮小され、並んでいる戦車が減っていて驚いた記憶があるのですけれども、減った戦車の場所には体験乗車用の戦車を並べていたのに対し、数年前からその位置を見学席に開放したものでした。

Iimg_2807 新しい撮影位置からの写真、そんな構図にも興味があったのですが、どうも逆光になりそう、と言いますか確実に逆光になる配置でしたので、何もかも黒く映ってしまいます。そこで雨すれすれか雨天時の逆光があり得ない状況以外は撮影位置に選定する事は断念することとしていまして、本年もこれを踏襲したかたち。

Iimg_2828 実は本日、雨天の予報が各所で出されていましたので、防滴装備は完全、レインコートとカメラバックカバーにカメラレインカバーとレンズレインカバーに応急乾燥剤と折り畳み傘に市指定ポリ袋、これに加えてEOS-7Dだけを携行しEOS-50Dを待機、としたのですが、・・・、まあ、天気がどうだったかは、写真見ればわかるでしょう。

Iimg_2832 しかし、本日降らなかったのか、というとそうではないわけで、もちろん今津は開放されている時間帯晴天だったのですけれども、高槻のあたりは結構降っていました、向町の方から京阪線の方角を見ますと、明らかに黒雲の下の一部が直線に真下へ煙っているところがあり、あれがゲリラ豪雨だったのでしょう。

Iimg_2871 ほとんど快晴なので、万々歳なのか、と問われますと、まあ、贅沢をいってはいけないのですが、なんといますか、日焼けで、明日痛いことになりそう、ということが、あります。実際問題、0900から1200時まで少量降雨の予報だったので、そのうち曇るだろう、と考えて日陰ではなくコンクリートで下からも照り返しがあるところにいたわけで、ううむ。

Iimg_2888 直射日光ですとカメラも凄い温度になるのですが、特にこのG-12はEOS-7Dの補完装備という事もあり直射日光下に出されていたので、カメラは此処まで熱くなるのか、というところまで熱を持ってしまい、それでも作動するところにCanonのカメラの信頼性の高さを当改めて感心したわけなのですが。

Iimg_2853 陸上自衛隊も、本日は降らない、と考えていたのでしょうか、訓練展示終了後にヘリコプターが着陸する際には散水を行う準備が無かったため、そのまま着陸、砂埃が凄く、着陸したAH-1Sと砂煙に隠れる74式戦車の車列で、ここは中東か、というような写真も撮ることが出来ました。

Iimg_2902 来場者ですが、前述の通り招待席の後ろ側から、かなり場所を探すべく足を使って探したのですが、撮影しまして、そこで招待席の方の少なくない方のようですが、今回初めて駐屯地祭を見た、という声を聴きました。これを考えますと、招待状へこれまで欠席、としていた方の少なくない方あ初めて出席と返信したことにもなり、自衛隊への関心は国民全体で高まっている、そんな実感を持った一日でもありました。

北大路機関:はるな

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