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北大路機関

京都防衛フォーラム:榛名研究室/鞍馬事務室(OCNブログ:2005.07.29~/gooブログ:2014.11.24~)

第一師団創設51周年・練馬駐屯地創設62周年記念行事PowerShotG-12撮影速報

2013-04-14 23:18:46 | 陸上自衛隊 駐屯地祭

◆東京都民へ最新鋭10式戦車初登場

 本日、練馬駐屯地へ行ってまいりました。EOS-7Dの写真はまだ整理していませんが、G-12の写真を取り急ぎ。

Nimg_1791 練馬駐屯地第1師団創設記念行事、本日行われた練馬駐屯地祭が実戦部隊として最初の配備となった第1戦車大隊の精鋭10式戦車の初登場となり、東京都民へその威容を示しました。朝方から東武東上線が大変なことになっていましたが、式典会場は満員御礼、猪瀬都知事も式典に参加しました。

Nimg_1531 本年の練馬駐屯地祭は、10式戦車の初登場という事で注目を集めていたわけですが、2000年まで61式戦車が残っていた戦車大隊に最新鋭戦車というのは、驚きである一方、普通科部隊の行進が徒歩行進のみとなっていたのは、少々印象に残ったところ。

Nimg_1544 普通科部隊は徒歩行進に続いて、第一師団は高機動車の車列、軽装甲機動車の普通科部隊配備の後からは、観閲行進の車列が、という流れだったのですが、今年は徒歩行進のみ、第十師団も一時期そうした時期があったようにも記憶しますが、昨年は高機動車が車列で参加していました。

Nimg_1567 本年の行事は、昨年が例年よりも一週間あやかったことで満開の桜を背景に観閲行進を見ることが出来たのですが葉桜、今年は少々速かったのか、標高が高い相馬原の桜並木も散っているところでした。しかし、青々とした若葉は春の息吹を感じさせ、これはこれで素晴らしい。

Nimg_1604 本年の記念行事では例年であれば観閲行進に続いて訓練展示模擬戦が行われるところのはずなのですが、本年はもともと模擬戦が計画されていなかったとのことで、昨日の第12旅団記念行事も模擬戦は無し、実任務の忙しさというよりは改編の忙しさか、はたまた中央観閲式支援の準備なのでしょうか。

Nimg_1609 偵察隊の軽装甲機動車、軽装甲機動車が第1師団へ配備されたのもほんの数年前で、空挺団よりも軽装甲機動車の配備は後回しにされていました。第1師団と同じ東部方面隊の第12旅団への軽装甲機動車配備開始は昨年から、本年はかなり広く配備され、これも印象的というべきか。

Nimg_1625 戦車だけが新しい装備になっただけで此処まで部隊の印象がからりと変わるのか、というものでしたので、特科部隊のFH-70後継装備となる火力戦闘車や、高射特科部隊に向け開発が進む近接戦闘車、普通科部隊へ将来装備される中距離多目的誘導弾の配備成れば、また違う印象となるのでしょう。

Nimg_1628 火力戦闘車にしてもなんにしても、全て現有装備を置き換えるのにどれだけの時間を要するのか、その前に現状の定数で部隊規模をどう維持できるのか、など考えるとだんだん不安にもなってきますが、それはそれ、ということで新装備を開発とともに見守ってゆきたいですね。

Nimg_1650 迫力の観閲行進ですが、本日は風がかなり強かったため、来賓席を中心に終日砂塵が纏わりつき、気を利かせての観閲行進に先立つ除染車の経路砂塵予防散水も飛沫が来賓席に舞うばかりで、さりとて砂塵の策源地は経路ではなく式典会場のグラウンド、飛沫に砂塵の重ねで、少々苦労があったやもしれません。

Nimg_1690 この強い風は関東一円の出来事のようで、京王線や京急線も風で飛ばされた障害物が架線に引っ掛かり、運転に影響が出ていました。また帰路に利用した東急線でも風が強いので持ち物が飛ばされないようご注意くださいという放送が繰り返されていましたし。

Nimg_1676 また、本年は猪瀬東京都知事が都知事就任後初めて練馬駐屯地祭へ祝辞を述べられた行事なのですが、緊張していたのか、休めの号令を言い忘れるなど、先代の石原都知事とは違う印象ではあるものの、指揮官巡閲に同行し、その存在感を示していました。実務に長けたという評判なので貫録は後付、実績を期待したいですね。

Nimg_1712 訓練展示が行われなかった練馬駐屯地祭ですが、レンジャー体験など昨年に続く試みが行われており、装備品展示では10式戦車が注目を集めていたほか、生物偵察車のような式典に参加しなかった装備も展示されていました。他方、昨年まで注目の的だった74式戦車は10式戦車に押され、体験試乗のみに参加、これは少々寂しい。

Nimg_1731 戦車体験試乗は正午から整理券配布方式で行われていたのですが、これが凄い長蛇の列、式典前から並んでいました。式典が行事の目玉だと考える当方としては、式典終了後に装備品展示のスタンプラリーでも開始して、制覇記念に戦車搭乗、という方式であっても、全部楽しめていいのではないかな、とも考えたところ。

Nimg_1747 ともあれ、繰り返しますが会場は盛況、第1師団への都民の関心の高さが分かります。首都直下地震、首都テロ、弾道ミサイル、脅威は多々あり幾つかは過去に実際に起き、いくつかはいつ起きるかと真剣に討議されている中、非常時を専管とする組織への注目が高いことは良く分かる。

Nimg_1778 ここまで関心が高いところを見ますと、石原都知事時代に提言されつつも交通規制の難しさから実現しなかった市街パレードを思い切ってやってはどうかな、とも思います。駐屯地は都道311号環状八号線と国道254号線に面してそれぞれ門がありますので、駐屯地外周の一部を走るパレードというものをやってみてもいいのではないかな、と。

Nimg_1825 新戦車が練馬に来る、世の中替わるものだ、此処まで変わったのならば市街パレードも再検討する時期なのではないかな、そんなことを考えつつ、帰路に就いたのですが、・・・、行事と関係なくて申し訳ないのだけれども、いま平和台駅からそのまま東横線に乗り入れているのですね、うとうとして気が付いたら地下鉄から東横線に入っていて、車窓を見ると西武電車が走ってる、世の中替わるものだ、改めて考えた次第です。

北大路機関:はるな

(本ブログに掲載された本文及び写真は北大路機関の著作物であり、無断転載は厳に禁じる)

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第12旅団創設12周年・相馬原駐屯地創設54周年記念行事PowerShotG-12撮影速報

2013-04-13 23:02:48 | 陸上自衛隊 駐屯地祭

■相馬原駐屯地へ行ってきました

 今朝の淡路島の地震、皆様大丈夫だったでしょうか。現在出先ですので手短に、本日、相馬原駐屯地へ行ってまいりました。

Img_0950 第12旅団は群馬県榛東村に司令部を置き、北関東信越地方を防衛警備管区とする陸上自衛隊の旅団で、従来装備であった第12師団から旅団改編を受ける際に、防衛警備管区が高山部を多く有することからヘリコプターによる空中機動を重視した旅団として知られています。

Img_0944 旅団は近代化改編を受けたばかりで、ほんの二年前まで、空中機動に対応するべく装甲車両は化学防護車のみであった旅団ですが、昨年から始まった軽装甲機動車の配備が順調に進み、最新装備である07式機動支援橋の受領と施設中隊の施設隊への改編、通信中隊の通信隊への改編が行われ、本日創設の部隊もあったほど。

Img_0952 加えて装甲車両として、かつて装備されていた87式偵察警戒車や82式指揮通信車が再度編成に戻され装備が充実した一方、第48普通科連隊が旅団から東部方面混成団へ移管、少々祭詞句もなってしまった行事ですが、改編を受けたばかりで、訓練展示が限定的にしか行えなかったのが少々さびしい。

Img_0946このほか、行事とは関係ないのですが駐屯地までの乏しい交通網が、高崎駅からのアクセスが悪化してしまい、前橋駅からのバスにて展開することとなりました。時間が始発でも厳しいため、来年からは群馬総社駅からタクシーの利用も考えています。取り急ぎ、速報までに。

北大路機関:はるな

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駒門駐屯地創設53周年記念行事(2013.04.07) PowerShotG-12撮影速報

2013-04-08 23:47:54 | 陸上自衛隊 駐屯地祭

◆最新鋭10式戦車、第1師団配備開始!

 強風に防風、東海道本線が一時熱海から米原の間で運転見合わせとなりました昨日は駒門駐屯地祭が執り行われました。

Pimg_0191 駒門駐屯地祭は第1師団への10式戦車配備、重ねて日本最初の最新鋭11式戦車回収車(11式装軌車回収車)の一般公開が行われるとの発表でしたものの、豪雨の予報が出ており、事実前日御殿場へ向かう途中、浜松城から三方原古戦場を見ているときに豪雨、御殿場市内に到達したときには東海道本線一部不通という状況で、昨年見つけた美味しいお店まで豪雨の中進んだのですが、当日は幸い、晴天に恵まれましたのが幸い。

Pimg_02_09 大荒れの天候は前日日本全土に台風並みの強風と豪雨をもたらし、気象庁は不要不急の外出を控えるように繰り返し、JR東海は列車運行本数を大幅に減らす運行体制に、前夜は静岡県内で広く浸水被害がありましたが、足を運んだ駒門駐屯地祭、この模様をコンパクトデジカメPowerShotG-12の写真にてお伝えしましょう。

Pimg_0088 駒門駐屯地、静岡県御殿場市のJR御殿場線富士岡駅近くにあり、駐屯地からは御殿場線の車両、特急あさぎり沼津乗り入れ時代にはその特徴的な車両が通過する様子が見え、東名高速道路からも眼下に駐屯地とともに並ぶ戦車が広がる様子を見ることが出来る駐屯地です。

Pimg_0090 駐屯部隊は、国際活動教育隊、第1機甲教育隊、第1戦車大隊、第1高射特科大隊、第1後方支援連隊第2整備大隊支援隊、第364施設中隊など、中央即応集団隷下部隊、東北方面混成団隷下部隊、第1師団隷下部隊が共に駐屯しており、駐屯地司令は国際活動教育隊長伊崎義彦1佐が務めています。

Pimg_0093 指揮官訓示へ整列した隊員、厳しい国際情勢と共に、南海トラフ巨大地震へ装備人員共に充分ではないが諦めない、という点を強調されました。国際活動教育隊は人員規模でそれほど多くはないのですが大臣直轄部隊ということで駐屯地司令と指揮官を兼ねていますが、その前は第一機甲教育隊長が駐屯地司令を務めていました。

Pimg_0100 観閲行進、国際活動教育隊の軽装甲機動車、教育支援小隊の車両です。写真撮影ですが、今回は大雨に暴風という想定でしたので、装備の重点を防水防滴装具と雨具を中心に、EOS-50Dはお留守番として、EOS-7Dに18-200mmを、長物に120-400mmを携行しつつ、併せて予備にG-12を携行してゆきました。

Pimg_0119 第1高射特科大隊の93式近距離地対空誘導弾、これら写真はG-12で撮影しました。撮影方法は折畳小型三脚を携行し、G-12にコード式のレリーズを装着、EOS-7Dでズームを駆使して自在な写真を自在な角度で撮影しつつ、角度を計算して定点に向けたG-12のレリーズを操作し、撮影したもの。

Pimg_0126 81式短距離地対空誘導弾、第1高射特科大隊の車両で、この三両で一セットを構成、大隊隷下の中隊に四個セットが配備されています。駐屯地で売られていた高射特科Tシャツに“高額装備でごめんね”旨も書かれていましたが、本装備一セットで装甲車に換算すれば二個中隊分、つまりこの一個中隊で二個普通科連隊を装甲化できる予算を投じている、ということ。それだけ防空を重視している。

Pimg_0140 第364施設中隊の観閲行進、本中隊は座間の第1施設団第4施設群に所属する施設中隊で、第4施設群は、座間駐屯地の本部管理中隊、駒門駐屯地第364施設中隊、座間駐屯地第388施設中隊、古河駐屯地第389施設中隊、座間駐屯地第390施設中隊を以て編成されています。

Pimg_0156 第1戦車大隊の観閲行進開始、10式戦車の雄姿、遂に第1戦車大隊の74式戦車が置き換えを開始しました。最後の最後まで61式戦車を運用し続け、20世紀最後にようやく74式戦車で完全充足した第1戦車大隊は、いま、世界で最も進んだ10式戦車に大隊旗を掲げ観閲行進へ臨みました。

Pimg_0170 凄い近代化の進み具合です、2010年にようやく軽装甲機動車の配備が開始され、それまでは高機動車で普通科隊員が頑張っていた第1師団が、新鋭戦車を第一線部隊として最初に受領、その他の装甲車と共に観閲行進を進んでいるのですから、これはある意味驚きでしょう。

Pimg_0186 10式戦車は、第3世代戦車を圧倒する火力と情報戦闘力に同水準以上の防御力を有しつつ、機動力を戦術戦略面で強化した新しい戦車の概念を具現化させたもの。第1戦車大隊への10式戦車は第1中隊から開始されました。第1戦車大隊は、大隊本部と第1中隊に第2中隊の編成、戦車数では第1機甲教育隊よりも少ないのですが、新鋭戦車の導入で一際目立つようになった、ということ。

Pimg_0190 この戦車について思うのは、滝ヶ原駐屯地の評価支援隊が隷下に置く第一機械化大隊のように、戦車中隊一個と装甲化された普通科中隊二個から成る編成がある意味理想なのでは、という事。着上陸という従来脅威が今なお残る日本では欧州が実用化したような高度な装甲戦闘車よりも戦車の直接戦闘火力と普通科隊員の降車戦闘との連携が重要になるのではないでしょうか。

Gimg_0205 10式戦車は、無段式変速機が誇る加速力で90式戦車を遙かに凌いでいますし、後退速度も凄い。攻撃力は情報共有による共同交戦能力はもちろん、かなり激しい機動下でも主砲を正確に射撃し命中させられます。また、防御力を維持強化しつつ、軽量化する技術を完成させましたので、輸送という戦略機動性も高い、これはもっと広く装備できないものか、と。

Pimg_0201 これだけの戦車を開発できたのですから、一個普通科連隊を三個機械化大隊編制として、普通科六個中隊と戦車三個中隊で大隊が独立して運用できる体制を構築すれば、警備管区を連隊が保持しつつ、一個大隊を派出し動的防衛力に充てることが出来ます。また、旅団は連隊を置かず五個機械化大隊を基幹とする編成としてみるのも一考の価値はある、と言えるやもしれません。

Gimg_0210 一方で、10式戦車の駆動系を中心にした整備を如何に野戦時に継続するかという課題、共同交戦能力の高さが大きな10式戦車ですけれども、データリンクする相手がどこか、という問題もあります。このてん、現在普通科部隊には軽装甲機動車の大量配備が進んでいますが、一個班を二両に分け、中隊あたりの装甲車数が増えますので、その分多くのデータリンク情報端末が必要となり、この課題に今後どう挑むか考えねばならない。

Pimg_0217 第2中隊の74式戦車、まだまだ現役ではあるのですが、耐用年数を迎え除籍される車両が年々多く、その数を補う10式戦車の導入が進んでいません。民主党政権時代に当時600両の戦車定数を200両削り400両定数とし、その200両分の予算を以て南西諸島防衛強化を図る、という方式が明示されていたのを当時の新聞記事を読み思い出したのが先週です。

Pimg_0225 南西諸島防衛強化と言っても具体策が当時出されていませんでしたので、どうせ政権公約に5000億円防衛費削減を明示していた与党は体の良い予算削減に置き換えるでしょうから、それならば非効率を承知でいっそ200両の戦車を、沖縄本島、久米島、大東島、石垣島、宮古島、西表島、与那国島に各二個中隊を分散配置したほうがまだまし、と考えていました。実際、南西諸島防衛の具体策は明示されず純減になりましたが。

Pimg_0235 11式戦車回収車、本邦初公開の装備です。11式装軌車回収車として装備化された車両ですが、11式戦車回収車と呼称されていました。10式戦車の第1戦車大隊配備に伴い、従来の78式戦車回収車を置き換える後継装備として、第1後方支援連隊第二整備大隊戦車直接支援隊に装備された、配備されたてのもの。

Pimg_0241 新しい11式戦車回収車は車体を10式戦車のものとしています。90式戦車回収車と似ていますが、第1後方支援連隊には78式戦車回収車はまだ一部残り、第一機甲教育隊には90式戦車回収車が配備中、出来れば、78式戦車回収車と90式戦車回収車に11式戦車回収車の並びがみてみたかった。

Gimg_0252 第1機甲教育隊の観閲行進、第4中隊の96式装輪装甲車が進んでゆきます。戦車大隊本部や後方支援連隊の戦車直接支援隊への装備で、本土の普通科部隊には殆ど普及していませんが、多くの駐屯地で見る事となった装備、本部班や直掩普通科隊員の輸送に整備要員の輸送に用いられますが、戦車は長距離機動で戦車輸送車にて輸送されますので、ゲリラコマンドーからの護衛にもこの種の車両が随伴する必要はあるのかも。

Pimg_0260 第一機甲教育隊の87式偵察警戒車、偵察隊は機甲科の所属です。ところで、第一機甲教育隊第1中隊の所属なのですが、第1中隊の本部に装備されている装備で、他に中隊は戦車で充足しているのでしょうか、本年は少々第1機甲教育隊の戦車が少なかったように感じましたので、そんなことが、ふと。

Pimg_0284 第2中隊の74式戦車、第1機甲教育隊は四個中隊編制で、武山駐屯地の東部方面混成団に所属しています。東部方面混成団は第1教育団と即応予備自衛官主体の第31普通科連隊を第1師団から配置換えしたものですが、機甲教育隊により東部方面隊有数の戦車部隊を有していたりする。

Pimg_0289 90式戦車、第3世代戦車としての装備を整えつつ、自動装填装置の採用による射撃能力の強化、自動追尾装置による戦闘能力の向上が行われ、現在、データリンク能力の追加が第2師団を中心に進められています。世界的に火力では高い水準にあり、機動力も大きいのですが、日本本土での運用には重量が大きく、北海道に重点配備されています。本土では富士教導団とここ第1機甲教育隊、あと9は武器学校に配備されているのみ。

Pimg_0299 観閲行進はこのように進みました、こののち訓練展示に装備品展示と進みましたが、G-12は定点撮影を広角で行うのみですので、激しく機動する訓練展示をこのG-12で撮影することは出来ず、EOS-7Dで撮影しました。ですから、その模様は別の機会に紹介できれば、とおもいます。荒天予報は好天が実際で、風が強かったものの幸い雨天には至りませんでした。現地でご一緒いただきました皆様、最後になりましたがありがとうございました。

北大路機関:はるな 

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第4師団創設58周年 福岡駐屯地創設62周年記念行事詳報⑤ 通信・後方支援・特防部隊

2013-04-02 23:35:30 | 陸上自衛隊 駐屯地祭

◆師団任務を通信と整備で支える部隊

 福岡駐屯地祭観閲行進、前回に続き今回も師団の任務と前進を支える重要な部隊の行進です。

Fimg_5765 第4通信大隊観閲行進、指揮官小林義孝2佐以下の二個中隊よりなり、通信大隊は多重無線通信搬送、通信伝送、有線通信搬送等を行い、師団と隷下部隊の通信を担当します。そして通信大隊は暗号や電子戦を担当、このほかに写真なども通信大隊の任務となっています。大隊は350名からなっているもよう。

Fimg_5775 通信大隊は二個中隊が配置され、師団通信システムDICSを運用、一個中隊を以て師団司令部を中心とする根拠地に合同通信所を開設し、師団の指揮命令を隷下の連隊戦闘団へ骨幹通信網を構築します。この中隊は主合通小隊、前方合通小隊、後方合通小隊より編制、師団司令部が移動する際には最後まで通信系統を維持しつつ移動先に先んじて展開しなければならない、機敏さが必要な部隊とのこと。

Fimg_5784 通信大隊第二中隊は、四個支援合通小隊より編制され、連隊戦闘団へ分散配置し命令系統のネットワークを構築します。連隊本部管理中隊の通信小隊は隷下の中隊との情報体系を構築します。現在はデータ通信能力や対妨害能力を強化した新師団通信システムiDICSが開発中になっています。

Fimg_5788 第4後方支援連隊、連隊長稲川解1佐以下の観閲行進です。後方支援連隊は2000年度から陸上自衛隊の後方支援部隊改編により二個大隊と三個隊編制となっており、第一整備大隊、第二整備大隊、補給隊、衛生隊、輸送隊という編制になっており、第一線部隊の支援能力を高めるものとなりました。

Fimg_5808 第一整備大隊は師団根拠地において重整備を行う部隊で、本部付隊と火器車両整備中隊に通信電子整備隊と施設整備隊に工作回収小隊を以て編成されています。要するに第一線部隊で対応できない整備などは一旦最前線から師団根拠地が置かれる後方に下げて、十分に整備する、こういった感じ。

Fimg_5822 第二整備大隊は、連隊戦闘団や部隊に配置させるもので、第一線まで前進します。第4後方支援連隊第二整備大隊は、本部付隊に大村駐屯地の第一普通科直接支援隊、福岡の第二普通科直接支援隊、小倉の第三普通科直接支援隊、別府の第四普通科直接支援隊、玖珠の対舟艇対戦車直接支援隊、久留米の特科直接支援中隊、久留米の高射直接支援中隊、玖珠の戦車直接支援中隊、福岡の偵察直接支援小隊という編制です。

Fimg_5832 戦車に関する装備では、第二大隊の戦車直接支援中隊は戦車部隊に随伴する部隊ですので、96式装輪装甲車を保有しており、戦車に向かう火力に対応しつつ整備支援を行いますが、工作回収小隊は重レッカー車とともに戦車を支援する際に備え78式戦車回収車を装備しているということ。

Fimg_5840 重レッカ、10tまでのつり上げ能力があり、軽装甲機動車なども吊り上げられます。後方支援連隊、現在の編成は陸上自衛隊の機械化が進むと共に、各部隊の本部管理中隊では完全な整備支援を行うことが難しくなったためで、特に軽装甲機動車の装備開始により整備する車両がさらに大きくなったため、これに対応する手段として改編が行われました。

Fimg_5849 浄水セット車載型、7.5tの浄水能力があり、第一線部隊は野戦時に毎時4?と野営時に洗顔用等を含め20?が必要となるので、この為に装備されています。後方支援連隊には、このほか色々とあり、同時30名の入浴が可能な野外入浴セットや洗濯機を野外で使用する野外選択セット2型などが装備されている。

Fimg_5857 第4後方支援連隊輸送隊の観閲行進、輸送隊は普通科連隊が自動車化される以前の昭和時代に50両の大型トラックを以て一個普通科連隊を辛うじて自動車化する任務に当たっていましたが、今日では普通科部隊が自動車化を完了し部分装甲化に取り組んでいるため、維持装備や物資の輸送等を行い、その他重装備を運びます。トラックも現在ではもう少し増えているのでしょう。

Fimg_5863 7tトラック、旧称74式特大トラックにより資材運搬車が輸送されています。戦車は長距離を自走することが出来ますがブルドーザなどは自走能力に限界があります。高い防御力と不整地突破能力を持ちつつも長距離移動に多大な整備支援を必要とし所要時間も大きい装軌車両はこのようにトラックに搭載して輸送しなければなりません。

Fimg_5868 73式特大型セミトレーラ、戦車輸送車で、74式戦車や10式戦車を輸送できます。輸送隊には8両程度が配備されているもので、戦車が長距離を自走する場合、かなりの整備支援が必要となります。適切な整備支援を行えば1000km単位での機動が可能ですが、輸送車により輸送したほうが稼働率が高い。

Fimg_5871 実は日本列島は狭いと錯覚される方がいますが、火山性弧状列島ですので移動の際の距離はかなり大きくなります。例えで東日本大震災を挙げますと、福岡第四師団は被災地東北地方までの距離は、欧州ではパリからベルリンまでに匹敵します。冷戦時代であれば、ベルリン以西にある当時ドイツ国境から大西洋に面したアントワープやシェルブールまでの距離で、長距離機動支援の重要性が端的に分かります。

Fimg_5888 第4後方支援連隊衛生隊、隊本部と救急車小隊と治療隊から成る部隊です。師団全体の治療任務や後送業務に健康管理業うや防疫任務の実施及び技術援助を行うと共に隷下部隊への衛生器材補給や医薬品補給を行い、衛生器材の整備なども実施します。

Fimg_5892 救急車小隊の1t半救急車、負傷者を後方へ搬送する装備です。ただ、医師法の関係で搬送中の医療行為が限定されているため、車内には担架と簡単な応急処置用の資材が載せられているのみ。個人的にはAEDと心電図に点滴などの後方野戦病院まで延命措置を積極的に図れる車両を、82式指揮通信車の派生型として必要だと思う。

Fimg_5899 野外手術システム、治療隊に装備され、役割の異なる数台を連結し野戦病院の手術室としています。これまでは手術の練習が野外で行うことが出来る器材、という建前がありました、医療法で病院設置は厚労省の許可が必要だったためです。しかし、東日本大震災において初めて病院として運用された、こう説明を受けました、やはりあの震災は戦後初の“有事”だったわけですね。

Fimg_5901 第四特殊武器防護隊、師団司令部化学防護小隊が化学防護隊に拡大改編され、2009年に特殊武器防護隊となりました。化学兵器対処や生物兵器対処に核兵器の対処などを行い、毒物の中和や生物兵器の防疫に核汚染の除染等を行う部隊です。福島第一原発へ派遣された部隊でもあります。

Fimg_5919 化学防護車、従来の60式装甲車を改造した少数の車両から、82式指揮通信車を原型とした装備となり全国の師団や旅団に配備されました。化学剤や放射性物質汚染地域に進出し、汚染状況や汚染分布と拡大情報、汚染物質を防護された車内から検知します。将来的に新型のNBC偵察車により代替される。

Fimg_5922 除染車、師団の補給路など、化学剤により汚染された場合通行不能となってしまうため、中和剤を高圧噴射させ汚染物質を中和させます。各車両は2500?水槽と加熱装置を搭載し、車体前後からの高圧噴射と携帯噴射ノズルにより、一日当たり800mほどの汚染地域を除染できます。

Fimg_5929 師団司令部付隊の観閲行進がはじまりました。司令部付隊は師団長と幕僚機構が指揮命令を行うために、師団司令部としての機能を維持し、作戦運用などを師団として展開するために必要な各種支援を行い、管理小隊と車両小隊に司令部勤務班を以て編成されています。

Fimg_5941 82式指揮通信車、陸上自衛隊最初の国産装輪装甲車として装備されたもので、四系統の無線装置を搭載しています。開発当時の要求から音声以外の画像データ通信能力が現在搭載されていないため、能力的には限界があるものとなっていますが、将来的に大型のNBC偵察車派生型により置き換えられるのでしょう。

Fimg_5942 師団司令部付隊の観閲行進に続いて、独特の唸るようなエンジン音が一際大きく駐屯地へと響き渡ります、準備しているのは74式戦車、そしていよいよ福岡駐屯地祭観閲行進は戦車部隊の観閲行進へ進んでゆきますが、こちらは次回紹介することとしましょう。

北大路機関:はるな

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第4師団創設58周年 福岡駐屯地創設62周年記念行事詳報④ 野戦特科・高射特科・施設科

2013-03-22 23:42:06 | 陸上自衛隊 駐屯地祭

◆師団火力と防空を担い前進を支える

 普通科部隊の観閲行進に続いて野戦特科部隊の観閲行進が開始されました。

Fimg_5600 第四特科連隊長永田伸二1佐が連隊旗と共に観閲行進へ臨みます。西部方面隊は現在日本で最も有事に近い部隊で、冷戦時代の北部方面隊と並ぶ状況にあるといって過言ではありません、そこで第四特科連隊も全国の師団特科連隊の一部が特科隊へ改編される中、五個大隊基幹の連隊編成を採っています。

Fimg_5609 連隊幕僚が連隊長に続きます。第四特科連隊は、久留米に駐屯、特科連隊本部と本部管理中隊、対砲レーダ装置や音響標定装置と特科指揮統制装置を運用する情報中隊、そして普通科連隊の直掩大隊である第一大隊と第二大隊に第三大隊と第四大隊、師団全般火力支援の第五大隊から編制されている。

Fimg_5614 観閲行進へは、第一大隊を編成する三個中隊が参加しました。第一大隊に本部中隊と第一中隊、第二中隊、第三中隊。第二大隊に本部中隊と第四中隊、第五中隊、第六中隊。第三大隊に本部中隊と第七中隊、第八中隊、第九中隊。第四大隊に本部中隊と第十中隊、第十一中隊、第十二中隊。そして第五大隊に本部中隊と第十三中隊、第十四中隊、第十五中隊、第十六中隊が置かれています。

Fimg_5631 直掩火力大隊は、普通科連隊の攻撃前進での火力支援や攻撃準備射撃、対砲兵戦により敵砲兵の殲滅を行い、各中隊は五個戦砲隊を基幹、連隊は榴弾砲約八十門を運用しています。そして、運用するのはFH-70榴弾砲、牽引式榴弾砲としては今なお世界最高性能を持つ火砲の一つ。

Fimg_5637 FH-70榴弾砲は、1970年代に第二次大戦中の火砲を置き換える目的で国際共同開発された火砲です。ただ、半自動装填装置や自走能力に連続射撃を支える液圧駐退装置と長砲身を有し、その分製造費用が増大してしまいました。自走榴弾砲とあまり違わない費用を要したため、各国は第二次大戦中の砲を長砲身化改修し、併せて自走榴弾砲との混成運用へ向かった。

Fimg_5643 半自動装填装置、というと特科隊員の方は怪訝な顔をしますが、昔使っていたM-1榴弾砲は、一発一発砲弾を装填架に乗せるだけのFH-70と違い、重い砲弾を装填桿により砲身の内部へ送り込まねばなりませんでした。これがかなりの人員を要し、連続射撃も簡単ではありません。

Fimg_5666 FH-70は射撃時の反動で装填架上の砲弾を後退した砲身が装填することで緊急時に一分間で六発の射撃が可能です。米軍のM-198榴弾砲、スウェーデン製FH-77と比較し、M-198よりも射撃能力に優れ、FH-77よりも小回りが利くため、採用され、日本製鋼で479門がライセンス生産、これはNATOが採用したFH-70総数を凌駕しています。

Fimg_5671 第四高射特科大隊長青木英敏2佐以下の観閲行進参加部隊が式典会場を進みます。大隊は特科連隊と同じく久留米駐屯地に駐屯、大隊本部、本部管理中隊、第一中隊、第二中隊を基幹とした編成で、師団野戦防空と師団全般防空にあたる大隊、もともとは特科連隊第六大隊となっていました。

Fimg_5698 93式近距離地対空誘導弾、射程5kmで第一線の師団部隊の防空にあたります。5kmといいますと対空ミサイルとしては心細い印象をもたれるかもしれませんが、京都駅前に展開した場合、北は京阪出町柳駅、東は東海道本線山科駅、西は阪急桂駅、南は近鉄丹波橋駅までを防空可能で、中隊には八両が装備されており、第一線部隊を航空攻撃から防護、心強い味方といえるでしょう。

Fimg_5703 発射装置に搭載されているのは肩担ぎ式の91式携帯地対空誘導弾で、車両が師団対空情報処理システムに連動、高射特科大隊にはP-14,P-9といった対空レーダ装置と低空レーダ装置が配備され、100km以上と言われる捜索能力を活かし目標を索敵、空襲警報を対空情報装置により発令し、その目標情報に向け、93式近距離地対空誘導弾はIFF装置により敵味方を識別、TVカメラ装置や熱画像装置、レーザーにより照準し迅速に排除します。

Fimg_5707 第二中隊の81式短距離地対空誘導弾、師団策源地などの防空に当たります。レーダーを搭載する射撃統制車両、四連装発射装置二両からシステムが構成されており、射程10kmから12kmといわれ、これは京都駅に展開した場合、北は叡山電鉄終点鞍馬駅、東は東海道本線南草津駅、西は山陰線亀岡駅、南は京阪線宇治駅や阪急線大山崎駅まで到達します。

Fimg_5713 81式短距離地対空誘導弾は師団高射特科大隊の中隊に四セットが配備されており、第四高射特科大隊に装備されているのは短SAM-Cとよばれる後期型の装備となっています。射撃統制装置は開発当時、索敵距離が50kmと聞いていたのですが、最近聞いた話としてそこまで大きくはない、とのこと。

Fimg_5719 このミサイルシステムは複数目標を同時対処することが可能で、前述の師団対空情報システムとの連携により、師団へ脅威を及ぼす航空目標の接近に対しては迅速に対処することが可能で、戦闘爆撃機や中型無人機にヘリコプターの接近に際し、3000m以下の高度に降下した場合、即座に排除できる。

Fimg_5728 この81式は、複合照準装置を発射装置に搭載しているのがC型です。そして現在、この後継装備として11式短距離地対空誘導弾が開発されています。ただ、近年は長射程ロケット弾や高高度からの精密誘導爆弾の脅威が増大しており、イスラエルのアイアンドームミサイルシステムはこの対処が可能です。陸上自衛隊においてはこれらに対処する防空システムが求められるようになるやもしれません。

Fimg_5734 第4施設大隊の観閲行進参加部隊が、大隊長大久保克久2佐以下、式典会場に臨み、師団長へ敬礼します。第四施設大隊は本部管理中隊と四個中隊を基幹とする編成、師団施設大隊は地雷原や地形に人工物などにより構成される障害除去や架橋など、師団の攻撃前進を支える戦闘工兵部隊です。

Fimg_5741 ただ、陸上自衛隊の師団施設部隊は、装甲ドーザや施設作業車を、北部方面隊の一部部隊を除き方面隊の施設部隊に集中してしまっているため、師団の最前線において敵の抵抗の下でバリケートや地雷原を処理する装甲車両等を欠いています、これでは現代戦は戦えません。

Fimg_5755 グレーダー。陸上自衛隊へは最前線で使用するために、例えば四輪装甲車体へバケットローダとバケットローダを搭載し車幅が2.49mのイギリス製HMEE工兵装甲車や、排土板と地雷処理装置を搭載した96式装輪装甲車などが必要と考えます。なによりも障害除去と言っても地雷原や障害物には敵の防御部隊側せて配置されているのですから。

Fimg_5761 道路障害作業車、こちらが退却する際に障害物を構成して敵の前進を阻害する道路障害を構築する車両で、六種類の危機を搭載可能なアタッチメントを車体後部に持っています。簡単なクレーンとしてや、施設作業を行うことも可能で、防弾車体ではありませんが使いやすい装備です。

Fimg_5763 81式自走架橋柱、河川に迅速に橋梁を構築し、74式戦車以下師団の全装備を渡河させる装備です。自衛隊は架橋装備についてはかなりの充実で、これは河川が多い我が国の地形を相当考慮した上でのことです。もともと師団施設には75式ドーザ装置や92式地雷原処理車があったわけですが、増備して戻せば師団施設の装備体系は完ぺきに近づきます。HMEEや工兵用96式などは欲しいところですが、毎回そんなことを思いつつ、観閲行進は続く。

北大路機関:はるな

(本ブログに掲載された本文及び写真は北大路機関の著作物であり、無断転載は厳に禁じる)

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第4師団創設58周年 福岡駐屯地創設62周年記念行事詳報③ 観閲行進、普通科連隊前進!

2013-03-08 23:05:07 | 陸上自衛隊 駐屯地祭

◆機動力と打撃力を併せた機械化部隊

 第三回を迎えた詳報福岡駐屯地祭第四師団・創設記念行事は、いよいよ観閲行進へと行事が進みます。

Fimg_5296 観閲行進の先頭は観閲部隊指揮官を務める第四師団副師団長福田築陸将補です。師団幕僚の乗車車両と共にゆっくりと観閲第正面へ行進し、観閲台にて観閲する師団長武内誠一陸将に対し敬礼、師団長も答礼で返します。こうして機械化部隊となった第四師団の観閲行進がいよいよはじまりました。

Fimg_5289 82式指揮通信車、師団司令部は副師団長、幕僚長、幕僚幹事、人事担当の第一部長、情報担当の第二部長、運用担当の第三部長、補給担当の第四部長を以て編制され、支援する部隊として司令部付隊が本部、車両小隊、管理小隊、司令部勤務班が充てられています。

Fimg_5316 徒歩行進で続くのは自衛隊候補生、所謂新隊員です。自衛官候補生は共通教育として前期課程を修め、その後に能力と適性に応じて職種を決定し、部隊において専門教育を行う後期課程を経て第一線部隊の隊員となります。こうして更新している彼らも今では各部隊に配属され、活躍していることでしょう。

Fimg_5345 第四偵察隊の観閲行進、福岡駐屯地祭では徒歩行進は異常の通りで早速車両行進となります。機甲科の偵察隊は師団に先んじ、情報収集を行う部隊で陸上自衛隊では創設当初から機械化されていました。偵察小隊三個と電子偵察小隊を基幹としています。車両化部隊の威容をご覧ください。

Ffimg_5362 87式偵察警戒車は、偵察部隊の装甲装備で25mm機関砲を搭載し威力偵察に当たると共に、微光増倍暗視装置による監視や、必要に応じて地上レーダ装置を砲塔へ搭載します。また、斥候員が乗車しており、降車し斥候を行うと共に暗視装置などによる監視支援も行うことが出来ます。今日的には監視機材がやや不十分で、火力も十分とは言い難いですが、積極的な偵察には必要な装備です。

Fimg_5366 理想としては威力偵察を行うべく、105mm砲搭載の機動戦闘車が欲しいところで、もしくは装甲戦闘車を大隊規模で運用する海兵隊の軽装甲偵察大隊のような一定の規模の部隊が必要、と思う一方、第一線での敵との接触は警備管区の連隊にあるのだから、この種の装備を普通科連隊の情報小隊に配備する必要もあるのかな、と思ったりもします。

Fimg_6499 第16普通科連隊長濱本博文1佐が敬礼します。第16普通科連隊は長崎県の大村駐屯地に駐屯し、連隊は本部管理中隊、四個普通科中隊、重迫撃砲中隊から編制されています。普通科連隊は独自の警備管区を有し、防衛任務や近年は特に災害に際し、第一に対処する基盤的防衛力を担っています。

Fimg_5372 第16普通科連隊の高機動車、陸上自衛隊には既に3000両以上が配備されている高機動車はトヨタ自動車が普通科部隊の機動と重迫撃砲の牽引用に開発したもので、水冷ディーゼルエンジンを採用し、米軍のハンヴィーなどと比べ加速力が良好であることが知られており、一台でも多く必要といわれる信頼性の高さ。

Fimg_5380 本車は全ての普通科連隊に配備され、小銃手に分隊機銃や対戦車火器を装備した一個小銃班の機動に活躍します。車体ロールバーには機関銃が配置可能で、路外機動力も一定水準あり、こんな悪路を進めるのか、と乗ってみますとかなり感心させられるもの。

Fimg_5382 軽装甲機動車、第四師団の普通科連隊について、一部中隊にはこの軽装甲機動車が配備されています。自衛隊自慢の小型装甲車で、日本の狭い道路が網の目の如く広がる市街地において分散運用に威力を発揮しますし、野戦での機動力も高いが、少々重心が上にあるため、これだけは注意が必要とのこと。

Fimg_5401 重迫撃砲中隊の120mm重迫撃砲RT、以前配備されていた107mm重迫撃砲を置き換えるフランス製の迫撃砲で射程が大きく、従来の普通科連隊を直掩火力として支援した特科連隊の105mmの任務を担う事も出来る装備です。ちなみに、これを牽引時の高機動車は迫撃砲の備品扱いになるのだとか。

Fimg_5407 第19普通科連隊長井手正1佐、第19普通科連隊は師団司令部の置かれる福岡駐屯地に駐屯しており、部隊は即応予備自衛官を基幹として編成されるコア化部隊です。連隊の編成は、16連隊と同じく、本部管理中隊、四個普通科中隊、重迫撃砲中隊という編制になっています。

Fimg_5426 コア化部隊となっていますが、軽装甲機動車を多数装備しています。01式軽対戦車誘導弾を装備していますが、軽装甲機動車の機動力を活かし、敵砲兵火力からの生存を図りつつ、対戦車ミサイルの機動運用を行う車両と、機関銃搭載車両が協同するというのが本車の運用です。

Fimg_5433 第二中隊にも軽装甲機動車が装備されていました。軽装甲機動車は上記のような木目細やかな普通科部隊の分散運用を期して装備されているのですが、一個班を二両に分散し火力構成を分散し制圧面積を増やせる半面、操縦手が二名必要となり、降車戦闘要員が少なくなるため、降車戦闘時は車両を放置して展開する、とのこと。

Ffimg_5453 第19普通科連隊の高機動車をアップにしてみますと、鉄帽がマミをと共に耳のあたりの形状が特徴的な66式で、現用の88式鉄帽と形状が異なるのに気付きます、また、腕章には即応予備自衛官を示すものがあり、MINIMIを構えているこの隊員は即応予備自衛官であることが分かる。

Fimg_5457 重迫撃砲中隊、ちなみに、重迫撃砲は砲兵による優先制圧目標となってしまうため、この重迫撃砲中隊も装甲化する必要はないのか、と思うところ。不整地突破能力は間合いをいて運用する迫撃砲の特性上大きくないので、中型程度の装甲車で牽引、機動運用してもよいのではないかな、と。

Fimg_5467 120mm重迫撃砲は通常弾で最大射程8100m、射程延伸弾で13000mとのことで、フランス軍では四輪駆動のVAB装甲車できどうしています、軽装甲機動車では弾薬搭載量などの面で小さいため、軽装甲機動車をエンジン配置を改めキャブオーバー型とした重迫装甲牽引車、などあってもいいやも。

Fimg_6519 第40普通科連隊長中村祐亮1佐の敬礼、連隊は福岡県北九州市の小倉に駐屯しています。編成は本部管理中隊、四個普通科中隊、重迫撃砲中隊というもの。一部師団ではこの編制に加えて対戦車中隊が配置され、79式対舟艇対戦車誘導弾が配備されます。

Ffimg_5481 一方、第4師団の普通科連隊はその中隊に対戦車火力として射程2000mの87式対戦車誘導弾を対戦車小隊に配備し、射程1600mの01式軽対戦車誘導弾を第一線の小銃班に配備しています、あたかも米海兵隊のジャベリンとプレデターミサイルを思い起こさせるものですが、将来的に対戦車小隊へは射程の大きい中距離多目的誘導弾が配備されてゆくことでしょう。

Fimg_5503_2 第41普通科連隊長岡本良樹1佐、大分県の別府駐屯地に駐屯する普通科連隊で、本部管理中隊、四個普通科中隊、重迫撃砲中隊が基幹部隊としています。基本的に普通科連隊の編成は同一で、軽装甲機動車については管理替えなどで柔軟に運用されている模様ですね。

Fimg_5526 なお、福岡駐屯地祭では各普通科連隊が隷下の普通科中隊から一両二両と抽出して式典に参加しています、中部方面隊の行事ですと中隊ごとに、高機動車の中隊を行進させる連隊、軽装甲機動車を行進させる連隊、対戦車中隊を出す連隊に重迫撃砲中隊を出してくる連隊、と車両を単一で多数そろえてくるところ。

Fimg_5528 同一車両が多数固まっている方が観閲行進としては見応えがあるのですが、何故か毎年同じ中隊ばかりとなってしまうこともありますので、この西部方面隊方式、と表現してみるべきでしょうか、東部方面隊も第12旅団がそうでしたが、一つの方式なのかもしれません。

Fimg_6540 対馬警備隊長谷村博志1佐、対馬警備隊は陸上自衛隊で唯一の警備隊となっており、離島である対馬の防衛警備に当たる部隊です。対馬警備隊は本部管理中隊と一個普通科中隊を以て編成しており、本部管理中隊を置いているのは自己完結能力を高くする運用上の想定の下で実施された、とのこと。

Fimg_5547 対馬警備隊は有事の際には西部方面隊から空中機動や佐世保地方隊の輸送支援を受け中隊を増強するため、対馬警備隊そのものに普通科連隊並みの指揮通信能力を付与する、という目的があるそうです。一個中隊と十分な指揮通信能力に支援能力、これこそ離島防衛の在るべき姿でしょう。

Fimg_5550 しかし、対馬警備隊は自衛隊でも有数の精鋭部隊と呼ばれており、この背景に多くのレンジャー資格保持者を揃えていると共に、島民との一体というほどの厚い信頼関係で結ばれ、島内での国有地や場合によっては民有地でも演習や訓練が行えるところにあり、軍隊の強さとは住民の支持と理解と支援にほかならない、ということ。

Fimg_5556 第四対舟艇対戦車隊、第四師団ならではの独自の部隊です。玖珠駐屯地に駐屯する師団直轄対戦車部隊です。装備しているのは96式多目的誘導弾で、射程10km以上の視程外戦闘を行う戦術ミサイルシステムです。システムは情報処理装置と射撃指揮装置に発射装置と地上誘導装置に観測器材と装填装置で一個分隊を組み、二個分隊で一個小隊を編成します。

Fimg_5577 最大射程が気になるところですが、一つの手がかりがあります、派米演習に本装備がおくられた背景として、国内最大の矢臼別演習場では最大射程で運用した場合に弾着地から数km以内に国道があるといわれるため射撃訓練に制限がある為、と言われていました。

Fimg_5585 矢臼別はFH-70であれば19km射撃が可能となっていますので逆算すれば15km程度の射程がある、と言えるでしょう。ただ、演習場は射場がわけられており、特科火砲の射撃区域にて多目的誘導弾の運用を行うのか、一方視程外誘導は一種の間接照準射撃なのであり得るのではないか、など、演習場の区域は分かりにくいものがあるのですけれども。

Fimg_5589_2 多目的誘導弾は光ファイバー赤外線画像誘導方式を採用しており、後方の安全な掩砲所からミサイルを投射可能ということになります。弾頭重量は60kg、命中すれば上陸用舟艇は勿論、潜水艦やフリゲイトも無事ではすみません。対舟艇対戦車隊は四個小隊基幹で8セットが装備されている。

Fimg_5598 96式多目的誘導弾の射程を仮に射程15kmとした場合、僅か一個分隊で700k㎡をその火力制圧圏内に置くことが出来ます。これは京都市の面積が827.9k㎡ですので、旧京北町を除くほぼ全域において侵攻する戦車や鴨川を遡上する上陸用舟艇(オイ)などを精密誘導により撃破できるという、かなり恐るべき装備です。しかし、取得費用が大きく、二個師団と一個旅団に一個方面直轄部隊にしか回らなかったのは残念なところ。こうして普通科部隊の観閲行進は完了し、観閲行進は次へ続きます。

北大路機関:はるな

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第4師団創設58周年 福岡駐屯地創設62周年記念行事詳報② 第4師団長武内誠一陸将

2013-02-25 23:18:07 | 陸上自衛隊 駐屯地祭

◆武内師団長の部隊巡閲と指揮官訓示

 本日夕刻に発生した栃木県北部の震度五強地震に端を発する群発地震、気象庁によれば火山性地震ではないとのことですがあのあたりの白根山が気になるところです。

Fimg_5166 快晴に恵まれた福岡の福岡駐屯地、師団創設58周年を祝う福岡駐屯地祭は、前回の観閲部隊指揮官第4師団副師団長が到着しました。観閲部隊指揮官の到着と共に整列した部隊は敬礼し迎えましたが、続いて警務隊の白バイが先導し車両が式典会場へと入場してまいりました。

Fimg_5170 第4師団長武内誠一陸将、武内師団長はこの行事が行われた四ケ月前に師団長に着任、第4師団長の前職は、東北方面隊幕僚長として東日本大震災災害派遣任務統合任務部隊の運用立案や補給と稼働率維持に奔走し、同胞のために尽くした指揮官の一人です。

Fimg_5182 師団旗が続いて入場、師団とは英語でDivisionですが、この単語は事業部という意味を持ちます。その意味が全てを示しており、一方面の全ての想定任務を対応する情報と運用に補給を自己完結する戦闘部隊の単位が、師団、つまりDivisionということになり、九州北部と壱岐対馬地域の防衛警備及び災害派遣に備えています。

Fimg_6439 師団長を迎える連隊旗、自衛隊の師団を支える基幹部隊は普通科連隊で、普通科連隊は師団の支援の下で独自の運用と任務に当たります。連隊旗は部隊旗の敬礼動作が勢いよく振り上げるのに対し、高く掲げる敬礼動作、日本において連隊の位置づけが良く分かるでしょう。

Fimg_5191 師団長へ敬礼、第4師団は管区に朝鮮半島を睨む対馬海峡があり、冷戦時代には朝鮮戦争の休戦状態の崩壊やソ連軍による重要海峡対馬海峡への軍事的圧力を跳ね返すべく厳しい訓練を積んできました。師団管区の境界線は対馬海峡を越えた対馬から大韓海峡の日韓境界線を挟む国境の師団ですから。

Fimg_6445 国旗入場。旗手と警衛とともに日章旗が式典会場へとん入場してきました。日章旗は快晴にこそ最も輝く白地に描かれた太陽という日の丸、観客は起立し国旗を迎えます。国旗は車両にて入場する行事が多い中で、福岡駐屯地では徒歩にて入場します。

Fimg_6459 国旗に対し敬礼、会場全体に響き渡る号令の反響と共に、隊員は各々の小銃に着剣し捧銃姿勢を、指揮官は国旗へ挙手の敬礼を、各部隊の部隊旗を預かる旗手は旗の敬礼動作を行います。号令一下、勢いよく振り上げられる旗の敬礼動作はこの瞬間に式典会場がぎゅんと引き締まる。

Fimg_5199 指揮官巡閲、師団の基幹を果たす連隊旗が並ぶ林のなかを進んでゆきます。整列した部隊は、第4師団隷下の師団司令部及び司令部付隊、第16普通科連隊、第19普通科連隊、第40普通科連隊、第41普通科連隊、対馬警備隊、第4対舟艇対戦車隊、第4戦車大隊、第4偵察隊、と続きます。

Fimg_5209 第4特科連隊、第4高射特科大隊、第4施設大隊、第4後方支援連隊、第4通信大隊、第4飛行隊、第4特殊武器防護隊、第4音楽隊と並び、師団管内を主として福岡駐屯地、大村駐屯地、小倉駐屯地、別府駐屯地、久留米駐屯地、目達原駐屯地、玖珠駐屯地、対馬駐屯地から参加した部隊の前を往く。

Fimg_5242 師団長は、上記師団隷下部隊を平時において想定される任務へ対応すべく訓練し、最高度の練度を維持することに努めると共に、有事の際には方面隊からの支援部隊や他管区からの支援部隊とともにこの地域の防衛に責任を持つこととなります、目の前の師団長へ観客からも自然と拍手が湧く。

Fimg_5251 武内師団長の訓示、式典では九州北部の防衛上の重要性や変動する国際情勢に触れると共に近年の九州における地震災害や毎年の台風及び豪雨災害にも触れ、精強な部隊創りを師団一体となって求めると共に、国民住民との理解と支援を求める内容となっていました。

Fimg_5253 様々な装備や隊員の練度も当然必要不可欠ではあるのですが、同時に国民と共に歩む組織でなければ軍事機構は存続し得ません、現代の国家には様々な脅威や難題問題がありますが、これらを共有し共に解決へ向かうという姿勢と枠組みが、遠回りのように見えて唯一の対処法、ということですね。

Fimg_6440_2 他方、冷戦時代においては米ソ緊張に依拠しつつ、二大国の衝突は即第三次大戦を意味しましたため、ある種の抑制と緊張の下の均衡が図られていたのですが、冷戦後にこの秩序が崩壊、北東アジア地域では冷戦構造の残滓が秩序崩壊を武力紛争へ転換させない枠組みが自然と成り立っていたのですが、近年、秩序の均衡に新しく大陸側から挑戦する動きがあり、今日の緊張となっています。

Fimg_5261 祝辞を述べる福岡県の山崎建典副知事、山崎副知事は県庁総務部長を経て副知事に任命され、防災担当でもあります。福岡県の小川洋知事が多忙のため来場できず、代わって師団創設記念行事に祝辞を述べていました。来賓祝辞は、この行事が民主党政権時代に行われていたため、政治決定により支援団体の祝辞などを行えなくなっている状態でした。

Fimg_5285 祝辞自粛は、支援団体の会長さんがとある基地での行事において、とある与党議員さんが駐車場誘導に従わず喚いていた話を例に祝辞において窘めたところを与党批判だと曲解して反発し、当時の与党民主党は戦後初の自衛隊への言論統制命令となる支援団体祝辞自粛要請の通達が出されたことによるものですが。

Fimg_6482 この通達もようやく今月取り消されました。こういう事をする政府は何れ主権者の厳しい主張の前に跪くだろう、とおもいましたが、その通りの総選挙を経まして、自民公明連立政権の下で取り消された、という事。祝電披露が終わり、観閲行進準備の号令が掛かります。

Fimg_5286 観閲行進準備の号令と共に車両待機位置へ隊員が走ります。いよいよ福岡駐屯地祭は観閲行進へと転換しました。当方にとって初めて見る九州の自衛隊部隊の観閲行進が、いよいよ始まる。その様子は次回から写真と共に紹介することとしましょう。

北大路機関:はるな

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第4師団創設58周年 福岡駐屯地創設62周年記念行事詳報① 福岡駐屯地開門と記念式典

2013-02-15 23:05:08 | 陸上自衛隊 駐屯地祭

◆九州の精鋭 第4師団祭

 今回から第四師団創設記念行事の詳報を紹介してゆくこととしましょう、九州は福岡に師団司令部を置く精鋭です。

Fimg_5096 福岡駐屯地祭へは、前日の航空自衛隊奈良基地幹部候補生学校創設記念行事に続いて空路九州へ展開、陸上自衛隊幹部候補生学校ほど近い久留米にて一泊し、足を運びました。師団行事旅団行事強化年として個人的に位置付けていた一環でもあるのですが。

Fimg_5016 九州の陸上自衛隊行事を撮影するのは、この福岡駐屯地祭が初めてとなりました、政令指定都市の師団司令部で、朝鮮半島にもっとも近い師団司令部、最寄の西鉄雑餉隈駅から、司令部最寄のJR駅を越えて、福岡駐屯地前まで進出、福岡駐屯地祭の開門前に到着することが出来ました。

Fimg_5021 第四師団は2012年を以て師団創設58周年を迎え、福岡駐屯地も創設62周年を迎えました。開門時間は0900時、初めての駐屯地ですので、どういった位置で撮影ができるのか、訓練展示の最適撮影位置は、一般開放される範囲は、いろいろ気になるところ。

Fimg_5024 駐屯地に入りますと、早速装備品展示が行われていましたが、此処で時間を使ってしまいますと撮影位置の良い場所を確保できなくなってしまう、しかし、発煙弾発射装置形状からこの87式偵察警戒車は初期のもの、部隊マークも当然ながら第4偵察隊で、おお、と少し心動くものがあります。

Fimg_5037 心動くものはもう少し、96式多目的誘導弾システムで射程約10kmといわれる光ファイバー誘導方式のミサイルシステム、第4対舟艇対戦車隊に装備されているもので、警備管区に五島列島や対馬を含める第4師団には重要な装備です、高い装備で多数の車両はあるので、広くは配備されていないもの。

Fimg_6432 師団創設記念行事前に行われたのが太鼓演奏、各駐屯地の太古が持ち寄られて実施、演舞というべきかも。音楽演奏の一環として実施されるのですが、福岡駐屯地祭では行事の前に力強い太鼓の響きが行事への気合いを入れているようで、これはこれでいいですね。

Fimg_5070 福岡駐屯地は、駐屯地が高層住宅に囲まれたグラウンドで実施、撮影位置は一般開放される椅子区画があったのですが、警戒線よりも1mほど後ろでしたので線のトラロープが障害となり撮れない事が予想されたので、座る環境を諦め、撮影位置に開放されていた立ち席の最前列付近に布陣です。

Fimg_5084 この撮影位置は、観閲行進を撮影する際に真正面の構図は取れないのですが、訓練展示は恐らく真横から状況を撮影できるはず、そう考えているうちに式典参加部隊の入場が始まりました、第3師団や第10師団よりも参加部隊が多数並んでいるように見えますね。

Fimg_5101 指揮官入場が始まります。前回の陸上自衛隊行事詳報は北海道札幌市にある真駒内駐屯地第11旅団創設記念行事でしたが、今回は九州福岡の第4師団創設記念行事、旅団と師団では部隊規模、特に普通科連隊の編制が大きく違いますし、戦車重視の北海道と機動力重視の九州、ここも違う。

Fimg_5103 九州の師団行事は北海道の旅団と、こういうところが違う、という三項のような詳報を書き上げてゆきたいところですが、併せて戦車や火砲は今後十年で大きく近代化されることでしょうから、在りし日の福岡駐屯地祭、ということで記憶に残ればいいかな、とも。

Fimg_5119 整列した部隊の前に連隊旗が進んでゆきます。連隊旗は昔の旧帝国陸軍から続く伝統的なものですが、大隊旗や隊旗と比べて国旗といいますか、日章旗に近い柄となっています。これをみますと、特科連隊が特科隊へ、後方支援連隊が後方支援隊へ、と連隊旗を返納した際に、部隊のOBの方の話を聞くとやはり連隊旗のほうがよかった、とも聞くところ。

Fimg_5123 実際、第3特科連隊のOBの方でいろいろと親しくなった方、知り合って翌々年に第3特科連隊が特科隊となり、所属していた今津第5大隊は営舎ごと廃止され、相当残念がっていました。普通科連隊も旭川第9普通科連隊など伝統ある連隊で廃止された部隊がありますが、再建することはできないのか、そんなことを連隊旗を見るたびに思います。

Fimg_5125 そんなことを毎度のように思いつつ、福岡駐屯地祭参加部隊は続々と整列を完了させてゆきます。お天気も良かったのですが、背景を福岡空港の発着旅客機が見えてゆくので、ここは伊丹空港近くの千僧駐屯地か、と錯誤することも。それにしても繰り返すけれど、撮影に絶好のいい天気が嬉しい。

Fimg_5126 指揮官へ部隊旗の敬礼動作、きびきびとして統一動作は見ていて気持ちのいいものがあります。もう少し真横から撮れたならば、と思ったのですが、今回の福岡駐屯地祭撮影は当方一人、この瞬間だけとなりから一枚、と撮影位置を移動することはさすがにできません。

Fimg_5146 式典参加部隊指揮官である第4師団副師団長福田築陸将補の会場入場です。副師団長は師団長が公務などで師団司令部を離れている際には師団長の代理を果たし、また公務が多い師団長に代わり福岡駐屯地司令を務めています。この福田副師団長はイラク派遣経験もある指揮官とのこと。

Fimg_5150 福田陸将補は、ここ福岡県出身、第20普通科連隊長として第四次イラク復興業務支援群長としてイラク派遣を果たし、帰国後は即応部隊である中央即応集団幕僚長、その後防衛大学校教授を経てここ第四師団副師団長へ着任、東日本大震災派遣を支え、現在は自衛隊体育学校長に着任されています。それでは、式典の模様などは次回お伝えしましょう。

北大路機関:はるな

(本ブログに掲載された本文及び写真は北大路機関の著作物であり、無断転載は厳に禁じる)

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第11旅団創設3周年 真駒内駐屯地創設57周年記念行事詳報⑮ 旅団司令部と装備品展示

2013-01-21 22:58:14 | 陸上自衛隊 駐屯地祭

◆北方の護り、第11旅団

 今回が真駒内駐屯地祭の詳報最終回となります。いろいろ見て回りました。

Mimg_2576 こちらが第11旅団司令部の庁舎、北海道南部の防衛警備及び災害派遣に当たる旅団の司令部で、三周年となった2011年の行事、その以前は第11旅団は第11師団でした。陸上自衛隊のコンパクト化という流れの中で師団は旅団となった訳なのですが、連隊を基幹という編制は替わっていません。

Mimg_2571 そもそも、師団と旅団は、日本全国ほぼ等しく災害の脅威があり、防衛警備の重要性は変わらないのですから、どうして区分する決定がなされたのか、と考えることがあるのですけれども、冷戦後初の防衛大綱改訂に旅団が盛り込まれただけで、その事業評価がよくわからない。

Mimg_2506 装備品展示へ、第1特科団の88式地対艦誘導弾が展示されています。実はこの真駒内駐屯地祭の前日に美唄駐屯地祭へ足を運び、88式地対艦誘導弾をじっくりとみることが出来ました。一個連隊の96発を同時発射することで上陸を期する敵両用戦部隊を一掃できる、専守防衛日本の最重要装備です。

Mimg_2509 90式戦車、複合装甲という従来の防弾鋼板では難しかった戦車砲弾とミサイルに耐える装甲を現実的な重量に抑える技術が確立し、高出力で軽量な戦車用エンジンの技術と共に集約された第三世代戦車において、目標自動追尾装置や自動装填装置という日本独自の技術を盛り込んだ強力な戦車の展示のようす。

Mimg_2508 75式自走榴弾砲、開発当時には長砲身であった30口径155mm砲と自動装填装置を組み合わせた強力な自走砲で、新型の99式自走榴弾砲へ置き換えが進んでいますが、75式のほうが故障排除に人の技術と技量が入る余地があり、システム化で第一線で人の手が及ばない99式よりも信頼が出来るとのこと。

Mimg_2623 96式装輪装甲車、旅団全ての普通科連隊に一個中隊が装甲化されている主力装備で、このほか写真は後方支援連隊の車両、施設中隊や戦車大隊にも装備、特科隊にも73式装甲車とともに装備されているのでしょうか、各師団や旅団に200両程度は全国に必要な装備では、と考える。

Mimg_2519 真駒内駐屯地は他にも一般公開されている見どころがありますので、そこにも足を延ばそうと足を進めてゆきますと、96式装輪装甲車、車体上に70式地雷原処理装置を搭載した、先ほど訓練展示に出た施設の車両が通過してゆきました。ここは本土の師団や旅団と比べると、本当に装甲車が多い。

Mimg_2523 真駒内駐屯地、脚を進めていたらいつの間にか駐屯地を出てしまって戻ってきていた、訳ではなく、昔の真駒内駐屯地の営門をそのまま移設したもの。真駒内駐屯地、映画のガメラ2ではこの営門だったでしょうか、札幌市内の駐屯地なのですけれども、今回の連載のようにこれだけの大部隊がいます。

Mimg_2537 資料館、この旧営門の奥は資料館になっていました、屯田兵時代の資料館、旧陸軍時代の資料館、自衛隊時代の資料館、隊舎とともに資料館が並んでいるのですが、北海道、という特殊な地政学上の要件を備えた大地と、共に歩んだ方々の貴重な記録が残されています。

Mimg_2536 屯田兵時代の兵舎、といいますか、屯田兵は大政奉還とともに武士階級が士族となった際、新しい警備任務に当たると共に北海道開拓に当たる、という武士無き時代の任務として陸軍省が充て、1899年まで維持されると共に、屯田兵制度の廃止を以て陸軍第七師団が旭川に創設されました。

Mimg_2529 78式雪上車、資料館から移動していて見つけました、本州では東北以外なかなか見られない装備、今津駐屯地の片隅や金沢駐屯地の駐車場にいましたが、積雪地では不可欠の装備、確か600両ほどが装備されているもので最近は11式雪上車への更新が開始されているようです。個人的には積雪期以外にも使えるBV-206のようなものが必要と考えるところ。

Mimg_2559 真駒内駐屯地に残るサイロ隊舎、米陸軍から1954年に自衛隊へ移管された駐屯地ですが、米軍時代の施設も残っています、教会の建物が残っていますし、このサイロ隊舎のその一つ、中では自衛隊が札幌市内でパレードを行っていた時代の写真など、展示されていました。

Mimg_2630 90式戦車の体験乗車、90式戦車は重量が50tありますがエンジンは1500馬力で駆動系が変速機などしっかりと設計されているため、加速は思いのほか滑らかで速度は大きい、今津や駒門では希望者殺到ですが、真駒内では希望者に対し戦車の数が多いので並べば乗れそうではありましたが、まあ、いいかな、と。

Mimg_2635 快走する90式戦車、真駒内駐屯地に駐屯している第11戦車大隊は、第1戦車群の廃止に伴い北恵庭駐屯地へ移ることとなるのですが、この時点では真駒内の戦車です、戦車群、廃止は残念ですが北恵庭には戦車の駐屯地として存続され、移駐は再来月の予定とのこと。

Mimg_2655 戦車のほか、装甲車のモータープール、冬タイヤへの準備が行われています、96式は車輪が八つ在りますので、交換が大変そう、ともおもいましたが、一両で一個小銃班を輸送するのですから一個小銃班を二両の軽装甲機動車で運んでいてもタイヤの数は同じですね。

Mimg_2656 むこうに見えるのは地下鉄真駒内自衛隊前駅、駅の構内から自衛隊の装甲車が見える、という稀有な立地です。こんな形で駐屯地の行事を色々と見て回り、行事の撮影を完了しました。旅団ではありますが、重装備と共に想定される任務図べ手に備えている北方の精鋭部隊の一つ、という印象でした。

北大路機関:はるな

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第11旅団創設3周年 真駒内駐屯地創設57周年記念行事詳報⑭ 訓練展示状況終了

2013-01-09 00:25:11 | 陸上自衛隊 駐屯地祭

◆じっくりと73式装甲車&96式装輪装甲車を見物

 訓練展示は前回の普通科部隊による突撃によって仮設敵が撤退し、我が方による攻撃は成功、状況は終了しました。

Mimg_2384 73式装甲車、仮設敵の車両として今回頑張りました。本土の師団では戦車大隊の本部車両等に装備されていたのですが全部北海道に渡ってしまい、富士学校祭でも見ることが出来なくなってしまった73式装甲車です。浮航性能やNBC防護能力があり、車内から操作可能な重機関銃を搭載、良い装甲車ですよ。

Mimg_2397 訓練展示が終了したのちですが、問題となったのは、どうやら空薬莢、つまり小銃の空包の撃ち殻が足りないようなのです。日本以外では、そっかー、で終わりですが自衛隊は薬莢を全部回収するまで捜索が続きます、なんでも旧陸軍からの薬莢探しの伝統があるようで、それならなんとなく仕方ない。

Mimg_2425 見つからないみたいです、金属製ですが芝生一面にボールペンのキャップくらいの5.56mm弾薬莢を落としてしまったのですからなかなか見つからず、こののちには横一列に各班腹這いで、あたかも交通事故現場の鑑識さんのように探していまして、幸いこの後で見つかったのだけれども、大変だなあ、とおもったところ。

Mimg_2442 その横を90式戦車が撤収してゆきます。この写真は2011年ですが2012年から90式戦車の砲に今まで無かった空包が開発され、2012年の駒門駐屯地祭において本邦初の空包射撃が行われました、真駒内駐屯地2012年の駐屯地祭では90式戦車の空包射撃は行われたのでしょうか、気になりますね。

Mimg_2461 73式装甲車の撤収、74式戦車に随伴する装甲車として開発されまして、これ以前の60式装甲車が小さすぎた反省から車内には定員でも余裕ある容積が残るほど、実質容積は二倍になったとのこと。陸上自衛隊へはもう少し配備される計画だったようですが制式化された1973年はオイルショックの時期でもあり生産は縮小、350両でおわってしまいました。

Mimg_2468 開発当初にはラインメタル社製20mm機関砲搭載案もあり、攻撃ヘリコプター対処に期待されたのですけれども、集弾性の低さが指摘され実現しませんでした、当初は集弾性は低くともヘリコプター対処を行うならば散った方がいい、という判断で搭載されたのに、一転してしまったみたい。実施していればフランスのAMX-10P装甲戦闘車のように手頃な装甲戦闘車になったのでしょうか、ね。

Mimg_2478 73式装甲戦闘車に続き89式装甲戦闘車が開発されましたが、同車は大口径機関砲と対戦車ミサイルを搭載する車両なのですけれども、あまり大口径な機関砲を搭載すると、遠距離照準に対応する照準器、行進間射撃を行うために二軸安定装置、火力が大きければ用途が広く求められるので暗視装置、その性能に合わせるためにはより高い動力、そんなのが機銃弾一発で全損は勿体無いので充実した装甲防御力、と結果取得費用はうなぎのぼり。

Mimg_2482 第11施設中隊の96式装輪装甲車も撤収を開始します。正直なところ、日本の道路は車幅を大きく制限するものでしかないので、装甲車は防御力が限られてしまいます、それならば火力も割り切り、国土戦で必要な耐弾性能にのみ重点を置いた単純なものを多くそろえたほうが良くて、難しい戦闘は戦車をその分多く生産したほうがいい、これは年末年始にも書きましたが。

Mimg_2489 北部方面隊は装甲車を重点配備していて、観ていて感心しますね、ただ、これは北海道がソ連に近いから、という単純な理由ではなく、本土の師団が緊急展開するために軽く、そしてその分陸上自衛隊全体がヘリコプターを重視していた、という視点から見るべきやもしれません。戦車は六割がほか移動に集中、と言われますが対戦車ヘリなんかはほか移動には全体の二割以下しか在りません。

Mimg_2495 第18普通科連隊の96式装輪装甲車。陸上自衛隊には装甲車は少ないのですがCH-47J/JA輸送ヘリコプターが50機あります、この一機当たりの取得費用が50億円で96式装輪装甲車の50倍なんですよね、50両は一個普通科中隊を14両と計算し三個中隊所要、連隊本部に残り8両、既に一個中隊分程度は軽装甲機動車があるので、輸送ヘリコプターを抑えていれば全国のほぼすべての普通科連隊を装甲化できた、というわけ。そうしなかったのは、自衛隊が空中機動重視だった、ということ。

Mimg_2496 撤収の様子を見ていましたが、装備品展示会場は別にある模様で、そして真駒内駐屯地は米軍の駐屯地跡地を自衛隊が取得した駐屯地なので、米軍時代の名残を残す建物もあるとのこと、一通り写真は採れるものを撮り終わったので、次の撮影位置に移動を開始しました。次回はその様子を紹介しましょう。

北大路機関:はるな

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