
2021年に公開された、首藤凜 監督&脚本による日本映画。『インストール』『蹴りたい背中』『勝手にふるえてろ』等で知られる芥川賞作家・綿矢りさ氏が2012年に発表された小説を実写映画化した作品です。
私がレビューするからには当然「百合」の要素が入ってるワケですが、これは残念ながら女の子どうしのピュアな恋愛を描いた作品ではありません。
ごく普通に同級生の男子に恋する、ごく普通の女子高生が、その男子に中学時代から付き合ってるカノジョがいることを知り、二人の関係を壊すためカノジョの方に近づいて百合チョメするという、かなり歪んだ青春ストーリー。




主人公の女子高生=愛に山田杏奈、初キスも初チョメも愛に奪われちゃうピュアな同級生=美雪に芋生悠、そしてフィギュアスケートの王子様によく似た許しがたいイケメン野郎=“たとえ”に佐久間龍斗が扮してます。




私が“たとえ”を許せないのはイケメンでモテるからであり、あくまで美雪を大切にする彼の人間性には何の問題もありません。
いや、むしろ、そうして外見だけじゃなく内面まで徹底して二枚目だからこそ私は許せないのかも知れません。(けっこうおバカさんな側面も終盤に明かされるにせよ)
主人公の愛が美雪にアプローチをかけ、初キスや初チョメを奪うのもきっと、彼女が自分よりも美少女(というか男好みのルックス)であるうえ内面もピュアで、さらに難病まで抱えてる“ヒロイン”ぶりが許せなかったから。
持って生まれた境遇や性格(つまり才能)にはいくら努力したって勝てやしない。両者が演劇部に所属してるのもそんな感情のメタファーかも知れません。



けど、嫉妬される側の美雪にだって当然、難病以外にもコンプレックスがある。長いこと付き合ってるにも関わらず、“たとえ”は彼女にスキンシップを求めて来ない。
そんな“たとえ”の心理を、愛がフラれた腹いせに鋭く暴いたシーンがあるけど、複雑すぎて共感できなかったせいか思い出せません。「実はインポだった」というシンプルな理由なら少しは彼を好きになれたかも?

“たとえ”がインポか否かはともかく、美雪は自分と肌を合わせてくれた愛にも想いを寄せていく。それがジェラシーによる策略だと判って大いに傷ついても、最終的には「触れられる嬉しさを教えてくれてありがとう」と感謝する。
つまり「人肌に優る癒やしは無い」っていう結論?
原作を読めばもっと深いとこまで考察できそうだけど、前回の記事(『アタシラ』のレビュー)にも書いたように、作品をいちいち正確に理解する必要は無いと、今の私は思ってます。
「パーフェクトな人間なんていやしない」がテーマかも知れないし、「手を出してこない彼氏には要注意(インポ率が高い)」というメッセージだと解釈するのも観客それぞれの自由。
ラストシーンで愛が美雪に言ったセリフが何回リピートしても聴き取れないんだけど、多分わざと聴き取れないように演出したんだろうと思います。そういう「あざとい」やり方も以前は大嫌いだったけど、今は「万人受けを狙うより挑戦的で大変よろしい」ってなもんです。
謎は謎のままでいいし、とにかくレズビアン・チョメチョメさえ観せてくれたら私は満足なんです。チョメチョメを。チョメチョメを。女どうしのチョメチョメを。おっぱいとおっぱいがくっつくチョメチョメを。
ちなみに本作はPG12指定(12歳未満の鑑賞には成人保護者の助言や指導が必要)というメジャー寄りの映画ゆえ、性描写はいたってソフト。おっぱいとおっぱいがくっついたりはしません。


ただし、愛が美雪を愛撫したあと、愛液のついた指先を念入りに洗うシーンは生々しくてエロかった。メジャー作品でそこまで踏み込んだ創り手と女優さんたちに拍手!
セクシーショットはもちろん山田杏奈さんと芋生悠さん。このブログには生田斗真主演の連ドラ『書けない!?』のレビューで山田さんが、そしておなじみ『警視庁・捜査一課長』のレビューで芋生さんがそれぞれ過去に登場されてます。









