ハリソン君の素晴らしいブログZ

新旧の刑事ドラマを中心に素晴らしい作品をご紹介する、実に素晴らしいブログです。

「バブルの頃、私はどん底だった」

2022-05-02 18:28:03 | 日記

昨日、NHKで『東京ブラックホール』やってましたね。山田孝之くんが過去の東京にタイムスリップし、映画『フォレスト・ガンプ』よろしく当時の映像にCG合成で紛れ込む、ドラマ仕立ての回顧録。第3弾となる今回は1986年から’89年、つまりバブル最盛期の東京が舞台。

そういや私は’83 年から’85年の2年間、東京で予備校に通いながら(ほとんど欠席してたけど)新聞奨学生をやってましたから、けっこう懐かしい風景が満載! 私自身は貧乏だったけど、確かに街は活気に溢れてました。

しかも予備校はあの原宿にありましたからね。あれほど私に似つかわしくない街は無いですよ! もちろん、予備校はサボって新宿とか上野とか目黒のガンショップにばっか通ってましたw

当然ながら大学(日大の映画学科を目指してました)には入れず、大阪の専門学校に入ったのが’86年。現在の実家に引っ越す前の家(東大阪市)がまだ空いてて、そこで15年ほど独り暮らしする事になりました。

タイトルには「どん底」って書きましたけど、光があればこその影で、その約15年間は私が人生において最も輝いてた、本当の意味での青春期でもあります。



簡単に言えば、自主制作映画のサークルを立ち上げて皆から「社長」と呼ばれ、映像コンクールでいくつか賞を頂き、その世界(狭いけど)でちょっとした有名人になってチヤホヤされ、遅ればせながら初めてカノジョが出来たりしたのが「光」の部分。

だからこそ! 自主映画とは関係ない世界、つまり世間一般の社会における自分の立ち位置が、もの凄くミジメに思えたんですよね。コンクールの表彰式で女の子たち(ほんの数人だけど)からキャーキャー言われ握手攻めされたりした(主演もしてたので)その翌日、はっきり言ってアホでも務まるバイト仕事をしてる自分が必要以上にミジメに思えたのが「影」の部分。

正確に言えば、私がどん底のぬかるみに嵌ったのは’93年から’95年位のこと。ちょうどバブルが弾け、世間が不景気のぬかるみに嵌まって行くのとシンクロしてましたね、今思えば。



’92年に撮った自主映画が複数のコンテストで賞を獲り、私は有頂天になったかと思えば逆にスランプに陥りました。それまでやりたいようにだけやってた映画創りが、賞を意識するようになり「さらに上を目指さなきゃ」っていうプレッシャーとなって、次に何を撮ればいいか分からなくなっちゃった。

それでしばらく映画を撮れなかったんだけど、あの頃の私から映画創りを取り除いたら、それこそ影しか残らないワケです。

前提として、私は専門学校を卒業して映像業界に一度就職しながら、当時3K仕事の代名詞だったADの激務に耐えられず、すぐに辞めちゃった(しかもかなり強引に)っていう恥ずかしい過去がある。(監督としてデビューするのはずっと後のこと)

だからあの頃は何を目指すでもなく、とにかく作品を評価されたい欲求だけで映画を撮り、あとのことはホントどーでも良かった。その「どーでもいい」日常に生き甲斐があろう筈がありません。

で、気分が落ち込むと連鎖的に全てがうまく行かなくなっちゃう。人間関係に嫌気がさしてバイトを辞めた私は、ひと夏をプータローで過ごすことになり、その「誰の役にも立ってない」自分にまた嫌気がさし、当時ベストセラーだった単行本『完全自殺マニュアル』を読破し、雪山で凍死するのが一番安楽死に近いし親にも迷惑かけないだろうって、本気で検討する日々を過ごしてました。20代後半の頃です。

たしか、統計的にも20代後半ぐらいに自殺する人が多いんですよね。社会に出てつまずいて、理想の自分と現実の自分とのギャップを思い知らされるのが、ちょうどそれくらい。

しかも、あの頃はまだバブルの名残りがあった。『東京ブラックホール』でも言ってたけど、金持ち連中がバブルを謳歌する一方、影でその格差に絶望する人も沢山いた。私は贅沢なんか全然したいと思わないけど、仕事も出来ないカノジョも出来ない「ないない尽くし」の自分がよりミジメに感じる時代だったのは間違いありません。

また、簡単に仕事を捨てられたのもプータローを続けられたのも、言わばバブルの名残り。だから「バブル」ってワードを聞くと、私はあのどん底の日々を連想しちゃう。結局、死ぬ勇気もなくてまた働き始めるワケだけど。

あのとき、もし実家にいたら確実にニート化してました。働かなきゃ食えないから働くしかなかった。ニートになるのがイヤなら、早めに独り暮らしを始めましょう。



’95年くらいに立ち直れたのは、映画創りを再開したのと、それに伴って初カノジョが出来たから。「大好き」っていうたった一言が、私の自殺願望を吹き飛ばしてくれました。残念ながら長くは続かなかったけど、一時でも自分を全面的に肯定してくれる人がいた、その事実が今も私を支えてくれてます。

常に味方でいてくれた父や親友Hと並んで、彼女への感謝は永遠です。


 

コメント (4)
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