ヨシュア記3章 ヨルダン川渡渉
1.ヨルダン川のほとりで(3:1-6)
ヨシュアは、二人の斥候の報告を受けた後、翌朝早くイスラエルの民を引き連れて出発しました。時は、太陽暦の4月に当たる第一の月の十日です(4:19)。ちょうどヨルダン川はヘルモン山の雪解けの水と春の雨とで増水し、勢いのある水が岸まで溢れている状態でした。しかもそこには橋も船もなかったのです。エリコの偵察隊は、すでに敵が自分たちのことで「震えおののいている」と報告したばかりで、士気は高まっていましたが、彼らの前には、行く手を遮るヨルダン川があったのです。
3日後、イスラエルの陣営にある動きが起こりました。指導者たちが宿営の中をめぐり、レビ人が主の契約の箱を担いで出発したなら、その後に続くように命じるのです。そしてヨシュアも、イスラエル人に身をきよめるように命じ、主が不思議を行われる、つまり、立ちはだかるヨルダン川の水の勢いに立ち止まっていてはならない、というわけでしょう。3日間の間に何かが起こったと思われます。おそらく神が何らかの方法で、ヨシュアの肩を後押ししたのでしょう。実際、主は、ヨシュアに告げられるのです。7節「わたしはあなたを大いなる者とする」と。全ては主に始まるのです。主が、「今までこの道を通ったことがない」と思う道を通らせて、「あなた方のただ中で不思議を行い」私たちの難局を切り開いてくださるのです。信仰を持っているのなら、いつでもそのような期待を神に持つべきでしょう。ここまで私たちの人生を導いてくださった神が、途中で私たちを放り出すわけがないのです。むしろ、更に大いなる神の恵みと力を示し、神とともにあるその素晴らしさを味わわせてくださることでしょう。主の業が現わされるように、私たちを主のものとすることです。なお、「身をきよめる」というのは、単に衣服を洗う(出エジプト19:10)のでも、性的行為を慎む(出エジプト19:15)ことでもありません。それは、自分自身を神のものとして聖別し、献げることを意味します。
2.ヨルダン川を渡る(3:7-17)
6節、夜が明けて、ヨシュアが民に命じています。「民の先頭に立って渡りなさい」増水したヨルダン川に前進するように命じる。それは、ちょうど出エジプトの時の状態と似ていました。ただ神のなされる業を信頼し、前進する時に、道は開かれると言うのです。そして、15節「箱をかつぐ祭司たちの足が水際の水に浸ると、川上から流れ下る水が完全にせきとめられて」「民全員がヨルダン川を渡り終えた」と言います。
この奇跡によって、指導者ヨシュアには、モーセと同じように神が共におられたことが明らかにされました。また、この奇跡は始まりでした。神の私たちの人生への介入はただ一度のことではありません。神は私たちの人生に介入し、私たちを全く想像もしなかった人生へと向かわせていくのです。そのような意味で、私たちは自分の人生を小さく考えてはならないのでしょう。どうせ私の人生はこんなものだ、という思いは神の前に捨て去ることです。むしろ天地創造の偉大な神への信仰をもって、心を開き、神の語られることばに耳を傾け、神に自分の新しい人生を切り開いていただくことえす。
ヨシュアは言います。10節、このヨルダン川渡渉により、「生ける神があなたがたの中にいて、あなたがたの前から、カナン人、ヒッタイト人、ヒビ人、ペリジ人、ギルガシ人、アモリ人、エブス人を、必ず追い払われることを知るようになる」と。カナン人は、ヨルダン川の西、特に地中海沿岸の平野部の住民を指します。ヒッタイト人は、パレスチナ南部を根拠地としていました。ヒビ人は、パレスチナ中部、ペリジ人は南ユダ、アモリ人はヨルダン川の東、エブス人は北部に住む民族です。つまり、戦いの初めに、眼前に立ちはだかった大きな障壁、ヨルダン川の渡渉は、パレスチナ征服の第一歩に過ぎないというわけです。人生の大きな障壁に出くわしたら、これは序の口に過ぎないと心得ましょう。神の力は無限です。神と共に歩む人生には、神の力もあらわされるのです。
<クイズコーナー>
最初に、昨日のクイズです。イスラエルがエリコを攻略するために、最初に陣を敷いた場所はどこだったでしょうか?答えはギルガル(ヨシュア4:19)でした。では、今日の聖書クイズを一つ、ヨルダン川の終点はどこになるでしょうか?①地中海、②死海、③紅海、答えはまた明日。では今日もよき一日となるように祈ります。
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