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ヨシュア記18章 いつまで延ばしているのか

2022年04月19日 07時08分34秒 | ヨシュア記
ヨシュア記18章            ベニヤミン族の挑戦
1.占領に手をこまねる部族
 エフライム地方にあるシロの町は、現在のキルベト・セイルンの遺跡のある所とされています。カナン征服後は、ここが本営となり、会見の天幕が立てられています。こうしてシロはエリの時代まで、イスラエルの宗教と政治の中心地となりました。「会見の天幕」が「主の宮」(1サムエル1:9)と呼ばれるようになったのは、そのように、場所が定着したためであったと思われます。
 イスラエルは12の部族がいたものの、すべての部族が同じ力量、同じ動機づけを持っていたわけでありません。カレブのような強いリーダーシップを持って戦略的に領土を占領しようとしたユダ部族、人数的にもパワーがありながら、その方向付けを後押しされる必要のあったマナセやエフライム部族、さらには、この章に出てくるような相続地を自分のものとするため、ヨシュアによって手取り足取り、具体的に行動を促される部族と様々でした。本章から19章までに取り上げられる7つの部族は、実は、そのような意味で、叱咤激励を必要とする部族でした。ベニヤミン族(18:11-28)、シメオン族(19:1-9)、ゼブルン族(19:10-16)、イッサカル族(19:17-23)、アシュル族(19:24-31)、ナフタリ族(19:32-39)、ダン族(19:40-48)がそうです。
ヨシュアは言います。2節「あなたがたの父祖の神、主があなたがたに与えられた地を占領しに行くのを、あなたがたはいつまで延ばしているのか。」彼らは、まるでかつての不信仰な古い世代の遺伝子を引き継いだかのように、ぐずぐずと手をこまねいている者たちでした。そんな彼らに、ヨシュアは8節、「あなたがたはその地を行き巡り、その地について書き記し、私のところに戻って来なさい」と具体的に、指示を出しています。目標を具体的に定めるように促しているのです。
2.ベニヤミン族
 まず、ベニヤミン族ですが、彼らに割り当てられた領土は、それほど大きくはありません。北の境界線は、ヨセフ族の領土の南側に接し(12、13節)、南の境界線はユダ族の領土の北側に接します(15-19節)、また、西の境界線は、ベテ・ホロンからキルヤテ・エアリムまでの短い距離で(14節)、東の境界線はヨルダン川に接します(20節)。これらには、全部で26の町が含まれていましたが、二つのグループに分けて、記録されています(21-28節)。そこに何か意図があるのかは、わかっていません。ただ記録されている町々は、聖書の歴史の中では注目されるものです。ギブオンにはラケルの墓があり、ミツパは、祈りと礼拝の場所(1サムエル7章)、軍事的、政治的な要衝(1列王15:22)です。ギブアはサウルの出身地です(1サムエル15:34)。
 彼らの占領する土地が、いずれイスラエルの歴史を刻む土地になるなど、当時、誰も予測しなかったことでしょう。初めの一歩は、大変な苦労であっても、それはやがて実り多い結果をもたらす、これが神のご計画です。与えられた地を占領しに行くのを、あなたがたはいつまで延ばしているのか」この一言に応じて、割当の地を行き巡り、調査するところからすべては始まりました。周囲が神の祝福に与る中で、自分はまだ何も、ということはあるものでしょう。そしてなかなか一歩を踏み出せない。しかし、その最初の一歩を踏み出さずに、神の祝福の実現もないことは確かです。まずは、なすべきことを書き出して見ることでしょう。目標をはっきりさせる。そして、自分の力ではない、神の助けがあると信じて一歩を踏み出すことです。カレブのように大きなことはできないかもしれません。マナセやエフライムのように大きな挑戦もできないかもしれません。しかし、すべては小さな一歩から始まると心得ましょう。では今日もよき一日であるように祈ります。

<クイズコーナー>
最初に、昨日のクイズです。イズレエルの平野は、他に、メギドの平地(2歴代誌35:22)とも呼ばれますが、その他に何と呼ばれることがあるでしょうか?答えは、エスドラエロンでした。それは、ヘブル語イズレエルのギリシア名です。ヨルダン峡谷に次ぐ大平原で、カルメル山脈を底辺とし、タボル山を頂点とする一辺およそ33キロの正三角形の平野で、面積は約250平方キロメートル、キション川によって潤される豊かな平野です。では、今日の聖書クイズを一つ、会見の幕屋が長く留まり、イスラエルの中心地となったシロを徹底的に破壊し、イスラエルに敗北を与えたのは何人であったでしょうか?
答えはまた明日。では今日もよき一日となるように祈ります。

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