生涯いちエンジニアを目指して、ついに半老人になってしまいました。

その場考学研究所:ボーイング777のエンジンの国際開発のチーフエンジニアの眼をとおして技術のあり方の疑問を解きます

その場で散歩の大中小(その場考学のすすめ19)

2023年01月17日 14時38分22秒 | その場考学のすすめ
その場で散歩の大中小(その場考学#43)

 最近の私の日課は、パソコン作業と散歩の繰り返しになっている。体と頭の健康維持が目的なのだが、散歩の距離は、その場で考えることにしている。過去1年間の平均歩数は、今現在6384歩になっているが、いつまでこの数字が維持できるだろうか、興味が湧く。
 
 散歩の語源が眼に入った。中国の三国時代の末期で、曹操が魏を起こし、後漢の帝位を奪って息子に跡を継がせていた頃だった。その帝位を、司馬仲達が自分の子か孫の時代に奪わせて晋を興こす画策中のことらしい。当時のある高名な文官が読書漬けで、今のドラッグのように五石散なる、ある種の麻薬を常用していた。ところが、毒気を散らすためには歩かなければならず、このことから「散歩」という言葉が生まれたと、ある書物にあった。つまり、散歩は学をする者の必需品だった。

 「人生の極意は―散歩の歴史と本質を探る」(サライ 2021.4月号)の記事では、散歩の有名人として、鴎外、漱石と並んで、ベートーベン、カント、ダーウイン、西田幾多郎が挙げられている。いずれも散歩中に色々なことが頭に浮かび、世の中にある種の革命をもたらした。それぞれの逸話が面白い。

 その中で西田幾多郎は、京大に在籍中に散歩を繰り返したのだが、それを小散歩、中散歩、大散歩に分けていたそうだ。そして、中散歩が有名な哲学の道になっている。

 私の小散歩は、5000歩未満。中散歩は7000歩程度、大散歩は15000歩以上になっている。その組み合わせで、前出の年間平均歩数が維持されている。
中散歩は、二つ先の駅前の本屋か、市街外れのブックオッフ店の往復の歩数で、その度に余計な本が増え続けている。
最近の大散歩は、府中の大國魂神社での初詣の最中に思いついた。天気が良いので、高尾山の薬王院まで足を延ばすことにした。片道はケーブルカーに頼ってしまったが、大散歩になった。中腹からは、スカイツリーがはっきりと見えた。



 過去の大散歩の記録は、ボストンのMITの教授に招かれた時で、ガスタービン・ラボのすべての設備を案内された後に、ポスドクが川を渡ってボストン公園を案内してくれた日だった。そのまま市内のホテルに戻り、夕食時の歩行を併せて4万歩以上だった。ちなみに、マラソンの42.195kmを1.5メートルの歩幅で走破すると28000余歩になる。


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