鉄道親爺の窓

今日でブログを始めて6年目 国鉄形の車輌の淘汰が進み 寂しさもひとしおですが 平成の名車にも目を向けたいと思っています。

九州のSL Ⅳ(宮崎機関区の機関車)

2011-01-04 19:43:13 | 蒸気機関車

    1974年01月00日 撮影 日豊本線 田野~門石(信)

 九州の機関区の中でも忘れてはならないのが宮崎機関区です。鹿児島本線電化でC60形と共に形式が消滅すると思われたC61形が宮崎機関区に転じて最後の活躍を初め その上に夜行急行列車「日南3号」の牽引をC57形が担当することになり 2輌のグリーン車・B寝台車1輌それに荷物車を含めて堂々8輌編成の先頭に立つことになり 大いにファンの血を沸かせることとなりました。宮崎機関区には C57・C61の他に妻線用のC56 南延岡機関区のD51や志布志機関区のC11も姿を見せて 最後の煙で賑わっていました。

 九州では珍しくなった標準デフレクター装備のC57形牽引で田野の大築堤を駆け登る1211レ「日南3号」です 九州のパシフィックは軽快な小倉工場式のデフレクターを装備したものが多く その小工式デフも変化に富んでおり細かく分類すると幾種類も有りました そんな中で標準装備のデフに出会うとかえって新鮮に写りました。

   

    1974年10月00日撮影 日豊本線 楠ヶ丘(信)~山之口

 この機関車も九州では珍しいと言うより唯1輌だと記憶している(間違ってたらごめんなさい)長野工場式デフレクターを持つC57 130号機牽引の 臨時急行「高千穂52号」です 客車ばかり6輌の短い編成の 臨時列車ですが急行列車を名乗っていました。

   

    1971年12月00日 日豊本線 高鍋駅

 そして最後はハドソンC61形です C61 19号機が牽引する貨物列車が高鍋駅を発車するところですが 後部に妻線での仕事を終えたC56がぶら下がっていました 残念ながら回送なので煙を上げる事無く機関士や機関助士もただ座っているだけでした。東北本線・鹿児島本線と活躍の場を移し ここ日向の地を終の働き場所に定め最期の煙を上げる最後のハドソンC61 19号機 此のときの僚機C61 2号機が今も梅小路機関区で動体保存され元気でいるのは嬉しい限りですが 本線を走ることが無いのが残念な気がします。


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