はなもくブログ

平成元年、仙台に重層的なヒューマンネットワークをと結成された、異業種交流会「仙台はなもく七三会」の活動を紹介します。

5月26日夜会「ホテルよもやま話」

2011-06-30 21:29:38 | 例会案内/報告
 5月26日夜会は、昨年向かいにウェスティンホテルがオープンした仙台国際ホテル社長兼総支配人の野口育男さん、「ホテルよもやま話」でした。30名を超える盛会となり、野口さんの熱い語りに聞き入りました。

 大震災では給湯システムに支障が出るなど、本格再開は6月までずれ込みましたが、その間の取り組みはユニーク。3月19日には小麦粉を苦労して入手し早くも店頭販売。

 またデパ地下に対抗して「ホテイチ(ホテルの1階)」、デリカショップでホテルの総菜も販売。出すからにはシェフの手作りと本格的なもので、4月14日からは配達の「お届けデリカ」まで始めました。このほかにも「東北ガンバロール」と名付けて仙台みそ、くるみ入りのロールケーキも発売して、心意気を示そうとしています。



 野口さんによると、現在のホテルは「不動産業的」と「サービス業」に分かれるといいます。前者は客室のみ、賃貸マンションの日売り、フロントはいわば管理人で、人をかけないでもうける。仙台の昨今のものはほとんどこれ。

 後者はシティーホテル。これはハイリスク・ローリターンで実はもうからない。レストラン併設は人手もかかるわけだ。ちなみにウェスティンホテルはオフィス併設で、ホテルはいわば付加価値、応接室、ホテル単体ではもうからないというモデル。

 今までは2つが住み分けられていたが、インターネットの普及でこれが崩れ、まったく同じ土俵での対決になり、ホテル事情を混乱させているそうです。

 野口さんが強調するのは「顧客目線」。従業員の人間力こそ最大限の付加価値、どうやってお客様の心をつかむかで勝負という。ハードに投資ではなく、教育への投資をする。国際ホテルは17年間で42億円の負債であったが、実は調理人の腕やスタッフに個の無駄が残っていた。これを最大限活かさないといけない。



 晩さん会、ディナーショーでもこの「顧客目線」が活かされている。フランス料理はフランス風では量が多すぎる。メインディッシュにたどりつけないようではお客様の心理とかけ離れてしまう。このためたとえばこれまで14回の晩さん会では、そのつど調理人、スタッフが試食会をし、お客様と同じ状態で食べてもらう。100万円もかかったというが、これによって量や出し方の工夫が実体験で行なわれ、バランスがよくなりメインディッシュまでおいしくたどりつけるようになったそうです。

 またディナーショーでは、いい音楽はいい料理で完結すると、ショーが終わってから料理を出すなど一線を画しています。

 また質問に対しては、「職人に食文化の技術を伝承したい」「ホテル経営は人件費がポイント、分業化が進んで面倒なものは外注化されてきているが、特に震災後は一人何役もこなすようになってきている、当たり前のことを当たり前にやるのが大事だ。」と答えていました。

 

「ヒトもうけして20年」の点字バージョン

2011-06-26 20:55:43 | Weblog
 前に点訳ボランティアの山本さんという方から、はなもく20周年記念誌「ヒトもうけして20年」の点訳本を作りたいので許可してほしいというご依頼がありました。まったく思いがけないことでしたが、光栄でもありますので快諾しました。

 山本さんからは歴代講師リストの校正依頼もmailでとどいて、その都度返信をしたりしていました。



 大震災もありすっかり失念していましたが、本日昼に「ヒトもうけして20年」の点訳本が送られてきました。宮城県視覚障害者情報センター発行で、全4巻、492P。墨字(点字のかなバージョン)も添付されていました。ちなみに原本は本文142P、資料52Pです。



 山本さん、はなもく本に着目して点訳していただき、ありがとうございました。

再開後初めての朝会 5月12日

2011-06-24 21:23:41 | 例会案内/報告
 5月12日は再開後初めての朝会でした。東北学院大学地域地域構想学科の柳井雅也教授をお招きして、「東日本大震災の現状と課題」についてのお話をお聞きしました。講演中の写真を撮影し忘れ、終了後の名刺交換時の画像で、申し訳ありません。

 大震災は大学の土樋キャンパスで遭遇、建物被害は大きいが、振幅が小さいことと地盤がよかったのでそうたいしたことはなかった。東京の人は浜通りのイメージでとらえていて、ステレオタイプで見がちだ。阪神淡路大震災とも状況が違うし、誤った政策にならないように提言していきたい。

 経済地理学は実学を空間的に展開していくもの。宮城県の復興基本方針では「壊滅的被害から復興モデルを構築する」として、大津波でも被害にあわないまちづくり、復興はおおむね10年間としている。産業については水産業は強い経営体づくり。農業は大規模な土地利用や効率的な営農方式、被災企業の操業再開支援も進める内容。



 これらについては水産業の集約化は可能か、農業については地産地消など宮城の顔が失われていかないか、東北の持ち味は何かという地場産業の復興をどうするかが課題。また現在は被害が大きいため防災視点が強調されているが、産業振興の視点が弱くなっている。

 まとめとして、上から話が降りてきているため各地の特性を踏まえた議論になっているのか、まちづくりと住居移転や産業振興が分離していないか、震災特区など大胆にプロジェクトを投入しマネジメント視点が弱いのでは(たとえばスマートシティなど)、コミュニティビジネスやPFIなど「民の力」を支援しとりこむ施策が弱いのではと指摘された。

 被災状況など、映像ではわからない“本当の姿”の解説するとともに、復興政策を包括的に問題提起し、商業活性化の視点が抜けているという指摘など、震災後2ケ月で対応に追われているなかでは、目を開かれ考えさせられた内容でした。

大震災で休会したあと最初の例会

2011-06-10 21:28:46 | 例会案内/報告
 遅くなってしまいましたが、第8回4月21日は、大震災で休会したあと最初の夜会でした。1ケ月ちょっとということもあり、参加者は少なめでしたが、例会を再開できたことに意義がありました。

 講師は東北大学特任准教授の長神風二(ながみ・ふうじ)さんで、「サイエンスコミュニケーション―科学と社会をつなぐ仕事」がテーマ。紹介会員は幹事の佐藤あづみさんです。主な内容は次の通りですが、今回の原子力事故においても、サイエンスコミュニケーションが問われていて、科学者と一般人にとってきわめて重要な視点でした。

 「サイエンスコミュニケーション」は、日本では2005年ころから登場した。科学が拡大していく中で、科学の成果が直接生活に響くことが、早ければ数年、遅くとも10年とどんどん早くなっている。「今こんなことが研究されているが、これをどうしたらいいのか」は、科学者だけではできない。これまで国や政治家がなんとなく決めてきたが、これからはそうはいかない。



 「トランスサイエンス」は科学によって問うことはできるが、科学によって決定することはできないこと。ではどんなことかというと、今目の前に広がっていること、材料を提供できるが、科学者は情報提供で、決定は非科学者である。

 「サイエンスコミュニケーション」が科学研究広報とどこが違うか。「サイエンスカフェ」のように、カジュアルでフランクにあるいはスタイリッシュに、研究者のまとう専門的権威を奪うことが重要。これによって対等さが生まれ、科学者・研究者の変化も生じる。目的と手段を明確にして科学と社会をつなぐことである。