はなもくブログ

平成元年、仙台に重層的なヒューマンネットワークをと結成された、異業種交流会「仙台はなもく七三会」の活動を紹介します。

ボランティアの現実と憂鬱と

2011-09-30 20:59:32 | 会員の活動
 震災後、私たちが石巻で活動している会のメンバーと一緒にボランティア活動を続け、日にちが経つうちに気づいたことがあります。

 それはまだ、沢山のボランティアがいるのですが、その中には自己満足的なところが見受けられ、被災者側に立ってみると、もうそろそろ自立させてと言いたいのですが、せっかく来てくれているので申し訳がなく、そのまま受け入れているところが多くなっているようです。

 また、ボランティアをするほうも地元に帰っても仕事はもともとアルバイトだったし、ここにいれば人に感謝され、支援金を申請すれば国やいろんな企業から結構もらえる。一緒に炊き出しをしてご飯は食べられるという人も少なからずいるようで、実際、石巻へ入ってずっといる若者に聞いたらそういう答えが返ってきました。

 私たち「フォーラ夢」は途上国支援の活動をしており、そこに住んでいる人に自立を促す事を目的としてやってきた団体なのに、もしかしたら私たちも避難所に行って押しつけのボランティアをしているのではないかと反省をし、少しだけ被災地ボランティアを休憩することにして、自分たちの行動を振り返ることにしました。そんな時間も大切だと思っているこの頃です。  幹事 斎藤美和子

南三陸の及善蒲鉾店、登米に新工場で再開へ

2011-09-25 21:51:47 | 講師のご活躍
 及善蒲鉾店さんは、南三陸町というより志津川と言った方がわかりやすいです。及川善祐社長には、1995年10月5日に「笹かまの味~魚肉の練り方と人生の練り方~」というテーマで講演していただきました。紹介会員は元会員で講師の従兄弟である及川善朗さん。

 また翌年1996年5月25日の「知恵の輪全国大会IN仙台」(はなもく共催)では、最後の交流パーティーでかまぼこを提供いただきました。

 ご承知の通り東日本大震災で店舗と工場が流されてしまいました。再起を目指して、ようやく今月13日に登米に新工場を設置、製造再開を再開しました。

 19日の東北放送ニュースでは記念のセレモニーの様子が放送され、及川善祐社長の「2年がかりで売り上げを元に」というインタビューも。及川善朗さんも列席していました。

 道のりは長く大変でしょうが、南三陸町でも製造できるよう再建されることを期待します。

7月21日の夜会は「サッカーと復興」

2011-09-09 20:35:44 | 例会案内/報告
 第14回7月21日の夜会は、「ベガルタ仙台」アンバサダーの平瀬智行さんが「サッカーと復興」のテーマで講演されました。紹介会員は幹事の斎藤美和子さんです。会員のほかにもサポーターが加わり、多数の参加となりました。

 「大震災後、チームが仙台にもどれず、また開幕も遅れる中で、アンバサダーとしてスタッフと避難所を回って歩いた。そこにスペースがあればサッカー教室もした。



 大変な状況の中でみんなが喜んでくれ、力になることができたと感じる。これからもこの活動を続けて頑張っていきたい。

 ベガルタ仙台は第5次中期経営計画で、国内有数のスポーツカルチャーシティを目指すとしている。Jリーグで一番地域に根差したクラブになろう、日常にベガルタのことが出てくる文化、コミュニケーションづくりをしようというもの。



 こういう時だからこそ行政と力を合わせ、いろいろ難しいところもあるが、まちを元気づけていきたい。」

 またこれからどういうことに取り組んでいきたいかという質問には、「自分はユースや中高生を指導したい。トップチームよりは成長が見えていいし、トップチームのとがったメンバーを相手にするよりいい。」と会場の笑いを誘っていました。



7月7日朝会「大震災による原子力発電所の事故で何が起きているか」

2011-09-08 21:31:46 | 例会案内/報告
 例会報告が遅れていて申し訳ございません。また例会準備に追われ、テーマがテーマだけに聞き逃すまいとしたため、例会の写真を撮るのを失念してしまいました。

 第13回7月7日朝会は、東北大学、東北工業大学名誉教授の織原彦之丞氏「大震災による原子力発電所の事故で何が起きているか」でした。

 喫緊のテーマだけに参加者も多く、関心の高さから質問も多く出されました。事故による放射線で生活や健康にどういう影響が出るかがもっとも関心事だけに、むずかしい内容をわかりやくく解説していただき、本当に時宜を得た講演でした。

 「マリー・キュリーが放射線を発見してから100年。20世紀の事業は核分裂と核エネルギーの開放と言える。放射線のもとは原子核、原子核の世界は中性子と陽子だ。人体も5キロベクレルの放射体。これがいろんな基準のもとにもなっている。ベクレルは放射線が出る個数、シーベルトは影響を与える量と言える。」

 「チェルノブイリにおける最悪の一般公衆への影響は、ストレスと恐怖だった、それは教育と情報周知に失敗したためだとするレポートも出ている。」

 「福島原発事故について、今後しなければならないのは、まず被ばくの低減、放射性物質を閉じ込めたままでの冷却系の構築、土壌の除染だ。中長期には廃炉への取り組みとなる。」

 「安全と安心は天と地ほども違う。安全は科学だが、安心は倫理の問題だ。安全だ、安全だといくらいっても安心にはつながらない。安全を安心へと高めるには、教育と情報周知。学校教育において原子力教育がなおざりにされ、学校の先生に正しい知識が伝えられてこなかった。大学の社会的使命が大きい。」

せんだい・みやぎNPOセンターの加藤哲夫さん逝去

2011-09-01 20:34:56 | 講師のご活躍
 特定非営利活動法人せんだい・みやぎNPOセンター代表理事で、はなもく講師を2度務めた加藤哲夫さんが、8月26日逝去されました。日本におけるNPOの中心的な存在として活躍されたが、まだ61歳の若さでした。

 加藤さんは、はなもく第2期目の1990年11月1日に「ぐりん・ぴいす」代表として、「無農薬野菜の話」のテーマで講演。1985年にエコロジーショップ「ぐりん・ぴいす」を開店し、エコロジーの啓蒙的活動を中心に話されました。

 食品の着色料について、マジックペンを示し、着色料はこのマジックの色と同じようなもの、毒ではないといっても体にいいとはいえないという例えで説明したことが印象に残っています。

 2009年8月6日には、せんだい・みやぎNPOセンター代表理事として「市民セクターの役割とは~せんだい・みやぎNPOセンター10年の歩みから~」で講演。

 1997年せんだい・みやぎNPOセンターを全国でも先進的に設立、特定非営利活動法人に改組してから10年の節目を踏まえ、市民セクターの役割と課題を語ってくれました。合掌。