はなもくブログ

平成元年、仙台に重層的なヒューマンネットワークをと結成された、異業種交流会「仙台はなもく七三会」の活動を紹介します。

「旅立つ友に」

2013-03-22 21:40:36 | Weblog
 久々に38°6Cの高熱。周りから鬼の攪乱とかもう歳だとか言われつつ・・。
この熱で味覚がおかしくなった。当たり前だと思っていたことが当たり前でないことに気づいたショック!

 今年の3.11に肉親を弔うために旅立つ友人にお悔やみのメールを打った。その返信に「毎日が哀しい」と。断ち切られたそれぞれの人生。「ガレキ約2千数百万トン」と、一言で言ってしまうには1人1人の足音や思い出がいっぱい詰まっているのだと、改めて思い返す。

 震災後2年を過ぎ、気仙沼市から山元町まで被災地での法務局や住宅支援機構など関係機関を一同に集めてのワンストップの相談所の企画も50か所余を数えた。

 これからも被災されている方々の悩みにできるだけ寄り添おうと思う昨今である。     (幹事 佐藤 司)

100年の計

2012-12-31 14:47:57 | Weblog
 東日本大震災からの復興元年と云われた2012年もはや年の瀬、発災から2回目のお正月を迎えようとしています。

 被災地では、復興に向けて少しづつですが動き出してきました。しかし、将来を見据えたグランドデザインや復興者との協議の無い、ハード整備・スピード優先の大号令のもと、100年後、後世に誇れるまちづくりができるのか、勝負の分かれ目となりそうです。

 さて、仙台はなもく七三会は、発足から25年目の節目を迎え、こちらも100年後!を見据え、新たな活動のアイデアを皆さんから募集したいと考えております。

 2013年が皆様、そして東北にとってより良き年となるよう、無理せず頑張りましょう。それでは、よいお年をお迎えください。
                                  会長 高橋雄志

東日本大震災から20ヶ月目となる11月11日。今日も被災地は何も変わっていません。

2012-11-11 12:19:46 | Weblog
一力さんからお預かりしていた気仙沼市と陸前高田市の被災から約1年後の姿をアップしました。遅れて申し訳ありませんでした。

【気仙沼市】
▼鹿折に打ち上げられた第18共徳丸

▼大川 この先には美しい桜並木があった。かろうじて1本残って見える

▼三陸河北新報社ビル

▼ポッキリ折れた街灯

【陸前高田市】
▼陸前高田の野球場 水につかった4基のライトが見える
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▼市役所入口の慰霊献花台

▼消防団員の犠牲が多かった

大津波の災害遺物の保存を!

2012-08-10 21:01:01 | Weblog
 東日本大震災は、大自然の力の前では人間など実にちっぽけなものだということを、改めて知らしめた。しかし人間は嫌いなこと・辛いことは出来るだけ見まい、忘れようとし、実によく忘れる。

 今度の大津波、陸前高田松原の一本松、建物の屋上に残されたバスや観光船、港から内陸まで運ばれた大型漁船、鉄骨だけを晒す行政庁舎、、破壊され尽くした防潮堤等々、その猛威を数多く示している。

 健忘症の人間には、このような災害遺物が保存されるならば、後世の人々に災害を実感させる実物として貴重だ。

 しかし、「思い出したくない」との被災者の情緒的な声に押されて、次々に撤去されている。被災者の気持ちは分からないではないが、災害遺物が跡形もなく無くなってしまうのは残念なことだ。冷静な判断が求められる。改めて原爆ドームの保存を決断した広島の人々の勇気を思う。
                                 幹事 浦井雄治

私たちが正視し、後世に伝えるべきこと

2012-06-28 21:12:34 | Weblog
 過日、数年ぶりに原爆ドームを訪れた。資料館は、何度みても恐ろしくてイヤだけれども、嫌でも見なければならないと思う。

 30分や1時間では必ず見落としていたものがあり、見学をくり返すうちに新たな発見がある。観る方も年齢を重ね、見方も少し変わるから。

 natural disaster(天災)は食い止められないが、戦争は、human disaster(人災)、これはくり返してはならない。新藤兼人さんの年代は減るだけで、実際を知らない私たちは、次世代に、それを伝えることしかできない。

 仙台市内にも、戦禍に苦しんだ人の悲しみに触れることのできる場所があります。青葉山護国神社に隣接されてある、宮城県出身の飛行機乗りたちの展示。

 お盆を前に、たまには彼らの声を聞きに行くのは、どうでしょう。宗派や主義主張は、この際、おいて。

        6月23日「沖縄慰霊日」、70歳の誕生日に。  幹事一力徳子

最近ちょっと感銘をうけたこと

2012-06-13 15:23:20 | Weblog
 仙台ハーフマラソン、青葉祭り、杜の大茶会、金環日食と盛りだくさんの内容があった5月でしたが、例年6月半ばからは仙台も梅雨入りとなり、多少憂鬱ですが、しっとりと心豊かに過ごしたいものです。

 最近の身近な話題から・・・どう見ても70歳台前半と思しきご婦人曰く「私大等の非常勤講師を80歳で辞し、今年で満85歳になる。10年前個展で見た絵に感動し、さっそくその画家に教えを請い、現在3教室に通っているが、なかなか上達しなくて・・・」と。

 昨年は岩木山登山で頂上に立ち、来月はイタリアの遺産を見学すると11日間の旅に出かけると、目を輝かせていた。<興味を感じ、学びたいと思ったら始めるのに年齢は関係ない!>と熱く語るその姿に、久しぶりに感銘を覚えた。
                                副会長 池田ミチ

東北お遍路(こころのみち)プロジェクト始動!

2011-12-10 11:32:53 | Weblog
仙台はなもく七三会も支援しております東北お遍路(こころのみち)プロジェクトがいよいよ始動しました。
この活動(運動)は、広範囲にわたる被災地を主体的に元気にするため、1000年先まで語り継がれる巡礼ポイントを公募などにより選定し、全国はもとより全世界から被災地に足を運んでもらう仕組みを創ろうというものです。もちろん宗教とは一切関係ありません。詳しくはこちらのウェブサイトをご覧ください。
http://tohoku-ohenro.jp/

はなもくの皆さんへ

2011-10-27 20:12:28 | Weblog
 あんなに暑かった夏が、いったいどこに行ったの?というくらい、朝晩めっきり寒くなりました。11月は霜月とも言います。きっと霜が降りるようになる時期だから、霜月というのかもしれません。

 私が子供の頃、金木犀の香りが大好きでした。金木犀の匂いがすると、夏が終わって秋がきたんだなあと、思ったものです。

 今年もあちこちで金木犀の香りに気づかされました。小さなオレンジ色の花をつけて、独特の香りをふりまいて、「私はここにいますよ。」と一生懸命自己主張をしているのです。

 金木犀のいつもと同じ香りが、ふと大震災のことを思い出させました。3月11日から8ケ月になろうとしています。どんなに大きな災害があっても、季節は何事もなかったように、過ぎていくのですね。   幹事 佐藤わか子

孫の世代のために

2011-08-26 16:32:22 | Weblog
 猛暑そして残暑でした。もう安全と信じたいのですが、震災は終わらないようです。東電原発は今でも高レベルの放射能を出しています。

 「絆・共に」はいいのですが、福沢諭吉の「学問のすすめ」にある、一人一人が国(や組織)の「居候=あなたまかせ」にならないで、独立した個人として自ら学び考え、孫の世代のために意見を述べ続けることが大事だと思います。

 昨年から昔の友人4人と歌仙を始めました。震災後の始まった新しい巻で、私の発句です。「この地から もう一度花 姫こぶし」。挙句(最終句)も私でした。「白立葵(しらたちあおい) 遠く見て立つ」  幹事 黒田清志

「ヒトもうけして20年」の点字バージョン

2011-06-26 20:55:43 | Weblog
 前に点訳ボランティアの山本さんという方から、はなもく20周年記念誌「ヒトもうけして20年」の点訳本を作りたいので許可してほしいというご依頼がありました。まったく思いがけないことでしたが、光栄でもありますので快諾しました。

 山本さんからは歴代講師リストの校正依頼もmailでとどいて、その都度返信をしたりしていました。



 大震災もありすっかり失念していましたが、本日昼に「ヒトもうけして20年」の点訳本が送られてきました。宮城県視覚障害者情報センター発行で、全4巻、492P。墨字(点字のかなバージョン)も添付されていました。ちなみに原本は本文142P、資料52Pです。



 山本さん、はなもく本に着目して点訳していただき、ありがとうございました。