ハナママゴンの雑記帳

ひとり上手で面倒臭がりで出不精だけれど旅行は好きな兼業主婦が、書きたいことを気ままに書かせていただいております。

ダンブレイン小学校無差別殺傷事件

2012-07-21 21:49:02 | 事件

今年のウィンブルドン。 男子シングルス決勝で敗れてしまったアンディー・マリーは残念でした。 

優勝していれば、イギリス人男子としては1936年に優勝したフレッド・ペリー以来、76年ぶりの快挙になったんですが。 

女王のダイヤモンド・ジュビリーの良い記念にもなっていたところ。

  でも決勝戦進出自体が、イギリス人男子としては74年ぶりだそうだから、それで十分としましょう。

アンディー・マリーが有名になり始めたころ、 Survivor of Dunblane Massacre (ダンブレインの大量殺人の生き残り)などと紹介されていました。

人口が一万人に満たないスコットランドの小さな町、ダンブレイン(Dunblane)。 エジンバラの北西60kmほどに位置しています。

この町を突然有名にしてしまったのが、1996年に起きた小学校での無差別殺傷事件でした。

事件があったとき、アンディー・マリーは8歳。 10歳だったお兄さんのジェイミーと講堂に向かっていたところで事件が発生。 校長室の机の下に隠れて難を逃れたそうです。

「犠牲者の中には、友達の妹や弟がいた。 僕はハミルトンのクラブに所属していたので、母は彼を車に乗せてやったこともあった」

 

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   ダンブレイン小学校は、事件後  1998年に完全に改築された

 

1996年3月13日。 地元に住む43歳のトマス・ハミルトンは、4丁の拳銃を携え、午前9時半頃小学校に乗り込んだ。

校内に入ると彼はまっすぐに講堂(体育館兼)に向かい、体育の授業中だった1年生のクラスに向けて無差別に発砲した。

5歳か6歳だった1年生たちのうち、15人がその場で死亡。 担任の女教師も死亡した。

ハミルトンは非常口から一旦校庭に出ると、仮設のプレハブ校舎に向けて銃を発射。 教師が一人、負傷した。

再び講堂に戻ったハミルトンは、銃口を口に入れて銃を発射し、自殺。 

重体だった生徒の一人は、病院に到着後死亡が確認され、死者数は17名となった。

生徒12名と教師3名も負傷した。

事件発生から犯人の自殺まで、わずか数分の出来事だった。

           

                                     

                          左と中: トマス・ハミルトン。                              ハミルトンが住んでいた家。 

 

動機は、犯人の自殺により不明。 銃器の愛好者で地元のガン・クラブにも所属していたハミルトンは、合法的に銃を所持していた。 ボーイスカウトの活動に若い頃から関わっていたハミルトン(独身)は、ビジネスに失敗したあと、7歳から11歳の少年を対象にしたクラブをいくつか立ち上げた。

しかし複数の親から、地元の行政に苦情が寄せられた。 ハミルトンが少年たちに水泳パンツをはかせて写真を撮ったり、自分の裸の上半身にオイルを塗らせて妙な声を上げたりした、というものである。 ハミルトンは「写真はクラブの広告に使うため」と主張したが、その割には数が多過ぎ、広告に使われた形跡もなくハミルトンの自宅に保管されていた。 やがてハミルトンはクラブの閉鎖に追い込まれた。 

                  

                

               犠牲となったクラスの集合写真。 死亡した担任のグゥエン・メイヤー(45歳)は、子供たちの盾になりつつ銃弾に倒れたという。

 

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現在16歳のムスメが生後4ヶ月になろうという時に起きたこの事件。 安全で平和であるはずの小学校で、なぜ・・・!? とショックを受けたのを覚えています。

その後日本でも、2001年6月に附属池田小事件が起こり・・・  (何の罪もない子供を、なぜっ!?)という怒りを、改めて感じました。

 

                                     

                        ダンブレインの事件で死亡した5歳のソフィーちゃんと、父親のミック・ノースさんです。 

ノースさんはソフィーちゃんの母親である奥さんを、事件の2年前、ソフィーちゃんが3歳の時に乳癌で亡くしていました。 そのため奥さんの死後は、男手ひとつで必死にソフィーちゃんを育ててきました。 オックスフォード大卒で、スターリング大学で講師を勤めるノースさん。 ソフィーちゃんが小学校に上がってようやく一息つけるようになり、これからも二人三脚で頑張っていこう・・・ と思っていたところでした。

事件の数年後、テレビ番組でノースさんのその後を拝見したのを覚えています。 奥さんを亡くし、一人っ子だったソフィーちゃんまで理不尽に奪われたノースさん。 ソフィーちゃんの部屋は、手をつけずにソフィーちゃんが暮らしていた当時のままにしてありました。

  

               

去年の3月には、こんな番組も放映されました。 ノースさんを始めとする被害者の親たちは、事件後拳銃の個人所有を禁止するキャンペーンを張り、18ヵ月後にそれは実現しました。

生きていれば、今は21歳か22歳のお年頃だったであろうソフィーちゃん。 お父さんに似て頭脳明晰で、大学生活を謳歌していたかな? 「お父さん、これまでありがとう。 これからは私がお父さんの面倒を見るから安心してね」 なんて言ってくれていたかも・・・。 

ノースさん、そして他の犠牲者のご家族の心中を思うと、やり切れません・・・。

犠牲者のご冥福をお祈りします・・・。

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