井川町井内東地区は、地区は、三好市役所の東南東約8km、三好市役所井川支所の南約4kmのところ
三好市役所井川支所を西へ出て、国道192号線の感応式信号を左(南)へ、県道140号大利辻線です
約3.8kmの「基幹集落センター」前を過ぎて約700m「井川スキー場椀山14km」の案内板の手前で斜め左(南東)へ

更に井川谷川ぞいを約300mで正面の石垣の上に馬岡新田神社が鎮座します
石垣手前を右に入って境内に車を止める事ができました(標高360m付近です)

県道からの境内への参道は東側に参道石段が開いています

境内へ上ると手水鉢です

拝殿です


本殿です

本殿脇にも水鉢が並んでいます

境内社と地神塔です

境内南端斜面に目的のスギです



近付いて見上げました

「三好市指定文化財(植物)馬岡新田神社の大杉(神社の南の一本)」の標柱です

説明版です
三好市指定文化財〈天然記念物〉
馬岡新田神社の大杉(神社の南の一本)
平成4年2月27日指定
この神社は、延喜21年(921年)選進された延喜式の中に載せられたいわゆる式内社で「波尓移麻比弥(はにやまひめ)神社御神鏡」と釘彫りされ、室町時代という古い時代から波尓移麻比弥神社と呼ばれていたことがわかる。
その後、祖谷へ落ちて来られた安徳天皇を合祀し(元暦年間:1184~ 1185)、更に天正年間に新田義治を合祀し「神社馬岡新田大明神」と改称した。
明治27年「馬岡新田神社」と改称し現在に至っている。武大神社と、八幡神社とあわせて三社の森と呼ばれている。
三社の森の中の馬岡新田神社の御神木として、社殿の南と北に杉の大木が聳えている。
この内、南の大杉が市指定の文化財となっている。周は6.1m、高さ約50m、樹齢は約400年前後ではないかと推察されている銘木である。
三好市教育委員会



南東側から、環境省のデータでは目通り幹囲7.5mとなっている巨木です



東側から

拝殿北側に忠魂碑です



もう一本の大杉(神社の北の一本)です



境内駐車場入り口脇です



北側から

大枝が折れた痕の様です



北東側から、環境省のデータでは目通り幹囲6.7mとなっている巨木です



東側から
では、次へ行きましょう
2025・4・4・16・45
三好市役所井川支所を西へ出て、国道192号線の感応式信号を左(南)へ、県道140号大利辻線です
約3.8kmの「基幹集落センター」前を過ぎて約700m「井川スキー場椀山14km」の案内板の手前で斜め左(南東)へ

更に井川谷川ぞいを約300mで正面の石垣の上に馬岡新田神社が鎮座します

石垣手前を右に入って境内に車を止める事ができました(標高360m付近です)

県道からの境内への参道は東側に参道石段が開いています


境内へ上ると手水鉢です


拝殿です



本殿です


本殿脇にも水鉢が並んでいます


境内社と地神塔です


境内南端斜面に目的のスギです




近付いて見上げました


「三好市指定文化財(植物)馬岡新田神社の大杉(神社の南の一本)」の標柱です


説明版です
三好市指定文化財〈天然記念物〉
馬岡新田神社の大杉(神社の南の一本)
平成4年2月27日指定
この神社は、延喜21年(921年)選進された延喜式の中に載せられたいわゆる式内社で「波尓移麻比弥(はにやまひめ)神社御神鏡」と釘彫りされ、室町時代という古い時代から波尓移麻比弥神社と呼ばれていたことがわかる。
その後、祖谷へ落ちて来られた安徳天皇を合祀し(元暦年間:1184~ 1185)、更に天正年間に新田義治を合祀し「神社馬岡新田大明神」と改称した。
明治27年「馬岡新田神社」と改称し現在に至っている。武大神社と、八幡神社とあわせて三社の森と呼ばれている。
三社の森の中の馬岡新田神社の御神木として、社殿の南と北に杉の大木が聳えている。
この内、南の大杉が市指定の文化財となっている。周は6.1m、高さ約50m、樹齢は約400年前後ではないかと推察されている銘木である。
三好市教育委員会



南東側から、環境省のデータでは目通り幹囲7.5mとなっている巨木です




東側から


拝殿北側に忠魂碑です




もう一本の大杉(神社の北の一本)です




境内駐車場入り口脇です




北側から


大枝が折れた痕の様です




北東側から、環境省のデータでは目通り幹囲6.7mとなっている巨木です




東側から

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