ビーズうさぎのハナちゃんです!!

日々の生活、山登りや釣り、ドライブなどをアップします。ここの所、巨樹めぐりがメインですが!(汗)

茨城県常陸太田市、花房城跡(伊勢神社)です!!

2015-01-05 16:52:58 | 城跡・館跡・陣屋跡
花房城跡は、常陸太田市役所の西約7km

国道293号線の花房信号を南へ県道62号線を進むと、すぐ左手の丘に伊勢神社が有ります

この丘は南へ長く繋がっています、伊勢神社へ行って見ましょう

伊勢神社鳥居です

伊勢神社の幟が掛かります

急な階段を上がります

拝殿です

本殿です


境内社が並んでいます

社殿右側に、赤鳥居をくぐり更に上へ続く階段が有ります

金刀毘羅神社です

古い歌碑が有ります

(県道脇の鳥居のそばに有った)歌碑の説明版です

義公御詠碑

西山の峰にとどまる月影の 光そ宇津る圀の花房

常陸国久慈郡花房にある花房神社は天照大御神を祀り、大同二年(807)創建、源義家朝臣が再興したと言い伝えられている。
社殿の銅の棟札に奉勧請伊勢大神宮大願主八幡太郎義家勤拝と書かれており、献納された旗、神宝などはいまに至まで伝わって
いる。
治承四年の八月には佐竹隆義朝臣が神宝を奉納して御社と枝社を修理した。
その後弘安四年八月、激しい風雨と大地震があって、社殿は巌石と共に崩れ落ちた。
元禄六年四月、水戸光圀公がこの郡にある西山に隠棲なされた。光圀公は御参詣もしばしばされて渡辺主馬という祠官の家にも
立ち寄られ、社地百八十間を寄付され、別当観照院などを放逐して神仏混淆を正された、更に、御鏡を納めて神体とし、幣棉を
奉納して祈願された。
同九年十月、鈴木宗興上彦四朗を使わして白銀・大麻・烏帽子などを下された。渡辺主馬は御恩に対して「ちはやぶる神と云う
神のある中に恵みも深き西山の月」という歌を送った。翌日光圀公は朝比奈平太郎上彦四朗を出向させて碑の前面に示した返歌
を下された。
更にこの年、郷より寄付の地に社殿を築いた。
寛永八年十一月に災害があり、残った木の棟札には奉納御幡二流、伊勢大神宮御宝前義家勧請因例納之花房住花房刑部藤原忠常
と書かれていたという。
社頭縁起には、永禄天正のころ、花房図書という人が城主だったと書かれているがこれらの事は見えない。

では、花房城跡へ行って見ましょう

神社前の細い道を南へ回り込むように進むと

この坂道が見えてきます

切通の様に成っています

薮の中に、水堀のような所に出ます

土橋の様に成っています、切通の丘の先にも丘が有って、そちらが花房城跡の様です

水掘りが南に延びています

北側へも伸びているようですが、藪が濃くて見通せません

これ以上進めませんでした、戻ります



車で、東側へ行って見ました、上り口は無いようです

では、次へ行きます



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