藤琴田中地区は、藤里町役場の北東約5kmのところ
県道317号線を北東へ藤琴川に沿う様に進みます
役場から4.5kmで「田中のイチョウ 0.8km」の案内板が有りますので左へ
藤琴川を坊中橋で渡ると道路は右にカーブして北へ進みます
間も無くまた案内板です0.4kmです
次は、田んぼの中の道へ100mです
西側の山裾にイチョウが見えません
駐車場に入りました、鳥居の奥に太い幹が見えました
駐車場の説明版です
権現の大イチョウ
樹高25m、樹幹周囲8.5m、イチョウの大樹としては稀有のものであるとして、昭和30年県の天然記念物に指定される。
このイチョウは冬が近くなると、夜中に「ごおっ」と鳴る音響とともに一斉に落葉する。
樹の特徴は、気根が多くあり長さ1.8m、周囲1.2mのものもある。また実際に母乳の少ない母親は気根を撫で、その撫でた手で自分の乳を触り母乳がでるようにお参りした。
隣接の神社は田中神社だが、口伝によるとこの樹を御神木としてお堂を立て氏神にしたとされ、権現堂・蔵王とも言われていたことから権現の大イチョウと名前がついた。
往時、弘法大師が諸国修行の時この地を訪れ、岩の間から湧いている清水の傍で昼食をとり、箸を地面に指したままその場を立ち去り、二本の箸が一本の大樹に成長したのがこのイチョウであると伝えられている。
*盤面には大きなヒビが入って説明文が読めなくなってしまったようで、新しく張り紙されていました
鳥居です
権現様の社殿です
社殿左に目的のイチョウです
南東側から
また説明版です
秋田県指定天然記念物
権現の大銀杏
昭和30年1月24日指定
樹高八十尺(24.2m)目通周囲二十八尺(8.5m)
1,指定理由
銀杏の大樹として稀有なものである
1、由緒
往古弘法大師が東北地方巡錫の途中、湯の沢の館に立ち寄り清水を汲んで昼食をとられ箸を地面に立てたのがこの銀杏となったと伝えられている。
後堂宇を樹下に建て権現を勧請した。晩秋夜間大音響と共に落葉し農家は之によって作柄を占っている。
1,注意
樹に登ったり幹をいためたりしないこと
樹下を荒し枝葉を折らないこと
昭和30年5月7日
秋田県教育委員会
藤里町教育委員会
南側から
西側から
北側から
北西に伸びる大枝からは乳柱が出ています
幹にも大きな乳柱を見る事が出来ました
北東側から
では、次へ行きましょう
県道317号線を北東へ藤琴川に沿う様に進みます
役場から4.5kmで「田中のイチョウ 0.8km」の案内板が有りますので左へ
藤琴川を坊中橋で渡ると道路は右にカーブして北へ進みます
間も無くまた案内板です0.4kmです
次は、田んぼの中の道へ100mです
西側の山裾にイチョウが見えません
駐車場に入りました、鳥居の奥に太い幹が見えました
駐車場の説明版です
権現の大イチョウ
樹高25m、樹幹周囲8.5m、イチョウの大樹としては稀有のものであるとして、昭和30年県の天然記念物に指定される。
このイチョウは冬が近くなると、夜中に「ごおっ」と鳴る音響とともに一斉に落葉する。
樹の特徴は、気根が多くあり長さ1.8m、周囲1.2mのものもある。また実際に母乳の少ない母親は気根を撫で、その撫でた手で自分の乳を触り母乳がでるようにお参りした。
隣接の神社は田中神社だが、口伝によるとこの樹を御神木としてお堂を立て氏神にしたとされ、権現堂・蔵王とも言われていたことから権現の大イチョウと名前がついた。
往時、弘法大師が諸国修行の時この地を訪れ、岩の間から湧いている清水の傍で昼食をとり、箸を地面に指したままその場を立ち去り、二本の箸が一本の大樹に成長したのがこのイチョウであると伝えられている。
*盤面には大きなヒビが入って説明文が読めなくなってしまったようで、新しく張り紙されていました
鳥居です
権現様の社殿です
社殿左に目的のイチョウです
南東側から
また説明版です
秋田県指定天然記念物
権現の大銀杏
昭和30年1月24日指定
樹高八十尺(24.2m)目通周囲二十八尺(8.5m)
1,指定理由
銀杏の大樹として稀有なものである
1、由緒
往古弘法大師が東北地方巡錫の途中、湯の沢の館に立ち寄り清水を汲んで昼食をとられ箸を地面に立てたのがこの銀杏となったと伝えられている。
後堂宇を樹下に建て権現を勧請した。晩秋夜間大音響と共に落葉し農家は之によって作柄を占っている。
1,注意
樹に登ったり幹をいためたりしないこと
樹下を荒し枝葉を折らないこと
昭和30年5月7日
秋田県教育委員会
藤里町教育委員会
南側から
西側から
北側から
北西に伸びる大枝からは乳柱が出ています
幹にも大きな乳柱を見る事が出来ました
北東側から
では、次へ行きましょう
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