大沢向山下地区は、藤里町役場の南約3kmのところ
(藤里町役場へは、国道7号線の「道の駅ふたつい きみまちの里」から西側のトンネルを貫けたインターチェンジを下りて、県道317号きみまち阪公園素波里湖線を北へ約7kmのところにあります)
藤琴川の左岸沿いを南へ、大沢集落入口を斜め左へ、道成りに南へ進むと
道路左手に案内板が有ります、大沢のケヤ0.2kmです(南側から)
「藤里町役場大沢館けやきの館を左に、月宗寺を右に見て過ぎると
目的の大ケヤキが見えて来ます
坂道の右手に大ケヤキです
先側の道路脇に車を止めさせて頂きました
南西側から
西側から
根元には水神様です
北側から
説明版です
秋田県指定天然記念物
水神様の大欅
昭和30年1月24日指定
所有者 月宗寺
1,指定理由
欅の大樹として稀有のもので、樹高七十尺(21.2m)、目通周囲二十七尺(8.2m)
1,由緒
古来千年木として地区住民に尊崇され、往古坂上田村麻呂将軍東征の際、樹下に坐し傍らに湧く千古の冷泉を汲み渇きを、いやしたと伝えられている。
1,注意
樹に登ったり幹をいためたりしないこと
樹下を荒し枝葉を折らないこと
昭和30年5月7日
秋田県教育委員会
藤里町教育委員会
もう一枚の説明版です
水神様の大ケヤキ
樹高21.2m 樹幹周囲8.2m樹齢は不明だがケヤキの大樹としては稀有なものであるとして、昭和30年県の天然記念物に指定される。
昔から水神様の千年木として地域住民に崇敬され、根元から湧出する泉はまだ一度も渇水したことはないが、道路の拡張などで一度は地下に埋設になった。地域住民はこの泉を水神様と呼び大切にして守りそして代々受け継いできた経緯から再び蘇り現在に至っている。
口伝によると、坂上田村麻呂が隣町二ツ井町七座の蝦夷を平定し、更に藤琴川を逆上って逃げる敵を追って味方の軍を進めた折り、このケヤキのそばに坐り、泉の美味を褒め讃えたという。
太平洋戦争の末期、海軍が船舶の用材として供用されようとしたが、当時の兵事係が別の大樹に案内して難を免れた。
*案内図には、次に予定している「権現の大イチョウ」や「アオヤジロ」の文字も見えます
北東側から
南東側から
南南東側から見ました
では、次へ行きましょう
(藤里町役場へは、国道7号線の「道の駅ふたつい きみまちの里」から西側のトンネルを貫けたインターチェンジを下りて、県道317号きみまち阪公園素波里湖線を北へ約7kmのところにあります)
藤琴川の左岸沿いを南へ、大沢集落入口を斜め左へ、道成りに南へ進むと
道路左手に案内板が有ります、大沢のケヤ0.2kmです(南側から)
「藤里町役場大沢館けやきの館を左に、月宗寺を右に見て過ぎると
目的の大ケヤキが見えて来ます
坂道の右手に大ケヤキです
先側の道路脇に車を止めさせて頂きました
南西側から
西側から
根元には水神様です
北側から
説明版です
秋田県指定天然記念物
水神様の大欅
昭和30年1月24日指定
所有者 月宗寺
1,指定理由
欅の大樹として稀有のもので、樹高七十尺(21.2m)、目通周囲二十七尺(8.2m)
1,由緒
古来千年木として地区住民に尊崇され、往古坂上田村麻呂将軍東征の際、樹下に坐し傍らに湧く千古の冷泉を汲み渇きを、いやしたと伝えられている。
1,注意
樹に登ったり幹をいためたりしないこと
樹下を荒し枝葉を折らないこと
昭和30年5月7日
秋田県教育委員会
藤里町教育委員会
もう一枚の説明版です
水神様の大ケヤキ
樹高21.2m 樹幹周囲8.2m樹齢は不明だがケヤキの大樹としては稀有なものであるとして、昭和30年県の天然記念物に指定される。
昔から水神様の千年木として地域住民に崇敬され、根元から湧出する泉はまだ一度も渇水したことはないが、道路の拡張などで一度は地下に埋設になった。地域住民はこの泉を水神様と呼び大切にして守りそして代々受け継いできた経緯から再び蘇り現在に至っている。
口伝によると、坂上田村麻呂が隣町二ツ井町七座の蝦夷を平定し、更に藤琴川を逆上って逃げる敵を追って味方の軍を進めた折り、このケヤキのそばに坐り、泉の美味を褒め讃えたという。
太平洋戦争の末期、海軍が船舶の用材として供用されようとしたが、当時の兵事係が別の大樹に案内して難を免れた。
*案内図には、次に予定している「権現の大イチョウ」や「アオヤジロ」の文字も見えます
北東側から
南東側から
南南東側から見ました
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