ビーズうさぎのハナちゃんです!!

日々の生活、山登りや釣り、ドライブなどをアップします。ここの所、巨樹めぐりがメインですが!(汗)

新潟県津南町、結東寅「前倉庚申様の姫小松」です!!

2023-11-08 18:32:00 | 巨樹・大木
 結東寅地区は、津南町役場の南約15kmのところ

 津南町役場傍の国道117号線大割野信号を南東へ、国道405号線です

 道成りに約13.3kmで国道右に南向きに結東神社を見て

 更に約2.5kmではちみつ専門店の先を右(南西)へ、つづら折りに坂道を上って行くと

 道路右手(北側)の木立の中に目的の姫小松(ゴヨウマツ)です

 すぐ先の道路脇に車を止めさせて頂きました


 西側から

 北西側から、目通り3.6mの大木です

 北側から

 西側道路先から見ました

 では、次へ行きましょう
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新潟県津南町、結東子「結東神社のカツラ」です!!

2023-11-08 06:32:00 | 巨樹・大木
 結東子地区は、津南町役場の南約12kmのところ
 
 津南町役場傍の国道117号線大割野信号を南東へ、国道405号線です

 道成りに約13.3kmで国道右に南向きに結東神社が鎮座します

 境内に車を止める事が出来ました


 向かい側の農産物直売所の脇に結東地区の案内図です、秋の時期はキノコが直売所のメインになっています

 赤い両部鳥居です

 境内には「佐藤佐平治翁記念碑」です

 説明版です
  津南町の宝もの
    佐藤佐平治の救済
 文政11(1828)年から3年続いた不作に見舞われた秋山郷は、天保2(1831)年の春を迎えて食べる物が皆無となった。4月、外丸村の庄屋新左衛門が村々を回り、その実情を役所へ伝え、これを機として片貝村の佐藤佐平治からの救済が始まる。
 その始めに、佐藤佐平治は天保3(1832)年正月、時の代官の了解のもとに金50両を直接結東村に貸し与えた。
 しかし、元金取立不能を配慮し、この金を佐藤佐平治が預かり、年利息7分(金3両2分)を結東村に支払うことを約束した。よってこの年利息は、天保3年から135年間の昭和42(1967)年まで長きにわたって支払われていた。
 また、天保4(1833)年の11月から翼5(1834)年3月にかけて、佐藤佐平治は当地の飢えを救うため、左記のような多量の穀物を中津の谷に届けた。
 この史実は当時の記録により確認できる。
 1、結東村      籾(5斗入)140俵2斗
            稗(6斗入)234俵
 2、箕作村枝秋山組  籾(5斗入) 93俵3斗
            稗(6斗入)156俵
 3、外に魚沼12ヶ村 籾(5斗入) 79俵4斗
            稗(6斗入)136俵5斗
 合計  籾(5斗入)313俵4斗・稗(6斗入)526俵5斗
 このような佐藤佐平治のすばらしい行いを後世へ伝えるため、昭和30(1955)年8月旧結東村9ヶ村一同は当時の秋成村の援助を得て「佐藤佐平治翁の碑」を建立し現在にいたっている。
     昭和61年8月  津南町
 *明治22(1889)年4月1日に町村制施行に伴い中魚沼郡秋成村、結東村と、中深見村のうち大赤沢が合併して秋成村が発足しました。
 *昭和30(1955)年1月1日 に 外丸村、上郷村、芦ヶ崎村、秋成村、中深見村、下船渡村の6村の合併により津南町となりました。

 手水鉢です

 石段を上りましょう

 石段上部の杉の間から目的のカツラが見えました

 石段上段の杉の大木で社殿が陰になってしまっています

 社殿です


 拝殿の西側にカツラですは、第二世代の幹がかなり失われています

 南東側から見上げました

 東側から、目通り幹囲10.5mの巨木です

 南南西側から

 南西側から見ました

 では、次へ行きましょう
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