昨日のお礼でしょうか、連れ合いのオゴリで夕食は寿司(銚子丸)
丁度マグロの解体ショーをやっていました。
とっても美味しゅうございました。満足 満腹
昨日のお礼でしょうか、連れ合いのオゴリで夕食は寿司(銚子丸)
丁度マグロの解体ショーをやっていました。
とっても美味しゅうございました。満足 満腹
連れ合いの事です。
眼圧異常が続き、昨日(6/4)は緑内障専門医の診察を受けました。
結果、6月25~26日に一泊二日の入院手術となりました。
プリザーフロマイクロシャント手術
緑内障にかかると視野が狭くなりやがて失明すると言われていたのが今までの常識。
彼の眼圧異常は点眼薬では対処できず、レーザー治療もあまり効果が期待できません。
今回提案されたのは「プリザーフロマイクロシャント手術」
2023年から日本でも施術認可が下りた緑内障の最新治療とのこと。
既に片目は緑内障が進んで殆ど見えなくなっているので、希望の光を得たような。
【東京医療センター】
かつて角膜移植(右、左、右)や白内障の手術など何度も入院をした病院です。
せめて左目だけでも守れればと、期待と嬉しさを隠し切れない連れ合いです。
感謝、感謝、感謝 主に感謝です。
6月第一主日、礼拝が始まろうとする直前の事でした。
連れ合いが「具合が悪い」と。
顔色は青ざめ額に大粒の汗、手を握ってもあつく汗ばんでいます。
車の中で休むと言い張る頑固オヤジを教会の二階のソファーに寝かせることに成功。
兄弟姉妹のご親切に助けられ、祈っていただき、暫くすると落ち着いて汗も引きました。
寝ている彼の傍らでYouTubeによる礼拝をささげました。
部屋にパンとぶどう酒を届けてくださって主の晩餐にもあずかることが出来ました。
帰宅後、休むこともせずいつもの通りで、本人も「あれは何だったんだろう」と怪訝顔です。
足と目以外は平素いたって健康な人で、先月の血液検査もオール正常値。
今朝も車の中で機嫌よく喋っていたのに。
歳を重ねると若い時には経験したことのないような思いがけない体調不良が起こるのですね。
かれい、カレイ、加齢。
かくいう私も経験済み、いや現在進行形。
礼拝メッセージを聞きながら思い出した「言葉」があります。
本当に追い詰められたときには、
「神さま、なぜわたしをこんな目にあわせるのですか」
と、神さまをののしるのも一つの祈り。
大切なのは、
一人ぼっちで苦しまないこと、
たとえののしりによってでも、
神さまとつながっていれば、
道は必ず示されるでしょう。
会社を辞め大矢家の家政婦?を志願した次男、早8カ月半が経ちます。
毎日生き生きと家事を担ってくれていて、わたしは大助かりではあります。
「大矢家2024年ターニングポイント」【ケンジ】の項目から一部コピペします。
介護離職を選択した彼の心の内を察することは出来ない。老いた夫婦が足かせになったとしたら申し訳なくも思う。しかし「収入の為に働く人生」から「誰かの為に働く人生」にシフトしたのなら、それは彼自身の選び、そんな選択があっても良いのかもしれない。勇気ある決断と言えよう。十分に仕事をやり終えた充実感があるならそれで良いのだ。「仕事を辞めたら3人で教会へ行こう」との言葉を聞いて、新しい希望を神様がくださったような光さえ感じた。
先日、ストンと腑に落ちるコトバに出会いました。
働くことの意味
「生きていくためには、
衣食住を確保しなければならない。」
働くことの理由は、
それで十分なのかもしれません。
ですが、もし生きてゆくこと自体に
意味を見つけられたなら、
日々の労働はさらに意味深く、
楽しいものになるでしょう。
創世記3章(16~17)には・・・
アダムとエバの罪によって女には生みの苦しみ、男には労働の苦しみが記されています。
既成概念としてわたしの頭にも体にもしっかりと植え付けられていた、言わば社会常識です。
おもえば産みの苦しみを経験しない女性もいて、それが決して「ネバならない」ではありません。
「生活」とは、「人生」とは。
未だに彼の本音を知ることは出来ていませんが、今はそっとそのまま感謝して受け入れましょう。
今日は絶好のお花見日和、「武蔵野公園」に行ってきました。
昨日ある方と電話をしていたら「是非行ってらっしゃい!」と強く勧められたものですから。
連れ合いも運転手の息子も、そしてお天気も・・・全て揃いましてございます
府中飛行場のそば、土曜日だから少々渋滞で約1時間くらいかかったかしら。
本当に最後で葉桜・散る桜、そして今を盛りと咲き誇り圧巻なのはしだれ桜。
車から降りたがらない連れ合いをおだてすかして、チョットだけ園内を散歩しました。
「今年も綺麗な桜を観れたねぇ、あと何回観れるかしらぁ~」そんな会話を笑顔でする歳になりました。
4月7日、今日は連れ合いの誕生日、70代最後の歳となりました。
定番のお赤飯とお刺身と煮物他、ケーキは息子が買って来てくれてお祝いしました。
祝う方も祝われる方も何だかマンネリ感マンマンではあります。
連れ合いの右目は殆ど見えなくなっていて、左目も眼圧が異常値で手術かもと微妙。
当たり前がとっても大事な今日この頃です。
「明日のことまで思い悩むな。
明日のことは明日自らが思い悩む。
その日の苦労は、その日だけで十分である。」(マタイ6:34)
4月3日、早朝目覚めると一年前の事が思い出されて思わず知らず涙が溢れていました。
思い起こせば一年前のこの日、日出海が我が家で過ごす最後の日となったのでした。
緊急入院だけでも両手で数えなければならないほどの難病との戦い。
「呼吸が止まった」との緊急連絡は過去3度、その度に息を吹き返した日出海でした。
4回目(昨年8月15日)、また息を吹き返すかと思ったのにとうとう一人で天国に逝きました。
今日はどんよりとした冷たい雨の一日でした。
レントカレンダー(復活の朝へ)第26日(木)の聖句より
「あなた方には世で苦難がある。しかし、勇気を出しなさい。
わたしは既に世に勝っている。」(ヨハネ16:33)
アドベント第三主日、今日も守られて家族3人で礼拝が出来ました。
今朝のデボーション。
「主の家に行こう、と人々が言ったとき わたしはうれしかった。」(詩編122編1節)
次男から「9月末で退職する」と告げられた時のことを思い出しました。
2年前にもそんな話を聞いた時には冗談じゃあないとばかり心配し猛反対。
それからプッツリとその気配も無くなり、わたしもホッと安心していたところでした。
しかし彼は有言実行、2年の間に会社に迷惑を掛けないように着々と準備をしていたらしい。
ヒデミが天国に逝く少し前のこと「仕事を辞めたら父さんと3人で礼拝に行こう」と。
主の家に行こう、と次男が言ったとき わたしはうれしかった。
介護離職なんてとんでもない! まだ頑張れるし! とあんじていたわたしなのに・・・
不安や心配や思い煩いがストンと消えてなくなりました。
主の家から遠ざかっていた2人がこんな展開で恵みの座に導かれる、何という主の御計らい。
先日転倒で救急車に初乗りした連れ合い「教会に来れるのも自分の意思ではない」を実感したようです。
皆さんにあたたかく迎えられ、主に守られ、感謝のアドベント第3主日礼拝でした。
今年はChristmasの飾りつけも控えて・・玄関の壁にそっと地味気なリースを掛けました。
スズメウリが赤く色づくとここも主のご降誕を祝う場所。
さて、今週は連れ合いにチョットした事件!!
11日(水)午後7時ころ、後ろ向きに転倒して後頭部を打ち、多量出血。
最近は足が不自由になり、前かがみにオットットと転びそうになることは有ったけれど。
後ろに倒れたのは今回初めてで、何をしてどんな風に転んだのか本人も覚えていません。
頭だし、血が吹き出てるし、当人は痛がるし・・・で、次男が119番して救急搬送。
結論は、不幸中の幸い!
CT撮るも異状なく、傷も自然治癒で治るでしょうとの事。
病床の空も無いこともあってそのまま家に帰されました。
髪の毛は血だらけでベトベト、それを拭うのに一苦労です。
一夜明けてケロッとしている連れ合い、何事も無くすんで良かった。
でも「万が一」と思うと心中穏やかではありません。
これからはお父さんを家に一人で置いとけないねと次男も心配げ。
他人のことばかり言えないけれど、日々「老い」という変化の連続です。
今日(土)は今年最後の合唱の授業があり、わたしは大井教会に出かけました。
「僕が家にいるからユックリしてきていいよ」と言ってくれたので帰りはラゾーナでぶらり。
なんだかんだと次男に助けられることが多くなりました。
ただの「同居人」だった息子がなくてはならない存在になってきました。
「大丈夫」「出来る」と胸を張って言えなくなって愕然とすること度々。
”老いを受け入れること”はなかなかシンドイ仕事です。
そして”素直に受け入れなくてはならない”仕事です。
神様のご配慮とお守りに感謝の週後半でした。
「わたしはあなたたちの老いる日まで/白髪になるまで、背負って行こう。
わたしはあなたたちを造った。わたしが担い、背負い、救い出す。」(イザヤ46:4)
11月24日 主日礼拝、教会の入り口にはK兄が丹精込めて育てたポインセチアがお出迎え。
外出を億劫がるようになった連れ合い、多忙で殆ど礼拝出席が出来なかった次男。
二人の「礼拝復活」がわたしの祈りでした。
次男が会社を辞めて「父さんを連れて礼拝に行こう!」と言い、あれから2カ月が経ちました。
こんなかたちで神様がわたしの祈りに応えて下さるとは・・何という驚き、何という恵み。
来週からアドベント(イエスキリストの降誕を待ちわびる期間)に入ります。
礼拝後は速やかに帰宅モードの連れ合い。
礼拝後のプログラム(年末掃除、クリスマス飾りつけ、聖歌隊練習等々)に参加したいのに。
ひとつ叶うとまた一つの欲望が心をさわがせます。
祈りはたしかにきかれたのだ。
反省、反省、大切なのはただ一つ多くは望むまい!
「主に感謝せよ、主は恵みふかく、そのいつくしみはとこしえに絶えることがない。」(詩編118:1)