大切な信仰の友、京子さんが5/14(火)天に召された。
長男がAOI国際病院(療養型病院)に転院するさなかの訃報電話。
この日に予定していた京子さんとの面会を、体調を鑑み主治医とご長女の配慮で5日前に前倒し。
京子さんと初対面の新任牧師、私も同行させていただき祈りと賛美と笑いの恵みの時をもった。
腹膜ガン闘病3年数ヶ月、ご長女の手厚い介護を受け在宅で、最後の数週間は緩和病棟に移された。
その間に長年の祈りだったご長女の結婚という神様からのビックプレゼントがあった。
どんなに喜んだことか、抗がん剤治療の中で帽子をかぶって結婚式参列も許された。
その時に着ていたグレーの素敵なドレスは出棺式の時に彼女希望通りに亡骸を包んだ。
5/19(日)午後、「葬送式」がJOYチャペルで執り行われた。
お別れ(告別)ではなく、天国への凱旋を見送る礼拝式ですと牧師。
天国への凱旋、この「葬送」にいたく感動し心を晴れやかにしたものである。
み言葉には「力」がある。
そして私たちの使う言葉の一つ一つには「思い」が込められているのである。
葬送式の中で「京子さんを偲んで」語る役割を依頼された。
思い返せば・・実は私自身は京子さんとはベッタリと親しく仲良くしていたわけではないのだ。
けれども誰よりも長く教会生活を共にしたし、支えられて来たのは事実なのでお引き受けした。
先ずは「昭和22年生まれ、ベビーブーム真っ只中の同じ歳」から始まって不思議な接点の数々。
特に、重度障害の長男には心を寄せて下さり、介助し、祈り、励まし、見舞ってくださった。
今更ながらに感謝の言葉もない。
当日、語る言葉は選びも吟味もしないまま、霊の語らせるままに話すことに決めた。
そして、思い出はもっとたくさんあったし、京子さんが神様に愛されてる事実を語りたかった。
聖霊がストップした話しもあった。
「主に委ねて行きましょう」と京子さんの声が聞こえる、「感謝です」と笑顔が目に浮かぶ。
火葬場で長男、長女のお二人とゆっくり話す時間があった。
「お母さんって可なり【天然】だったよね、家族はずいぶんそれに振り回されたよね」
わたしの知らない京子さんが家の中にいた。
人間、色々な顔があるもの、それで良い、みんな神様の作品なのだから。
そして二人とも異口同音「お母さんの信仰は凄い、神さまにまっ直ぐ」とも言う。
京子さんが最後に伝えたかったみ言葉
「主イエスを信じなさい。そうすればあなたも家族も救われます。」(使徒言行録16:31)
「これは京子さんのご家族だけでなく、皆さんへのみ言葉です」と牧師はメッセージで語る。
葬儀には親しく深く誠実に交わった多くのご友人、ご近所の方、ご親戚の方、賛美の仲間が参列。
旅立ちの備えもお礼の言葉も訃報連絡先も全てご自身で準備して子どもたちに託した京子さん。
「母の願い通り、それ以上に皆さんに葬送してして頂けて思い残すことは有りません」とご長女。
棺の上に置かれたリース、フローリスト(JOYチャペルメンバー)からの贈り物です。
そうそう、京子さんの人生はこんな感じの明るく華やぎをもって福音を生きた方でした。